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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~夏のお祭り篇~
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229話 ルーシー Ⅱ 1


 映画館と言ってもいいような、だだっ広いシアタールームに、人数分のゆったりとした大きなソファが設置され、それぞれの手元にあるテーブルには、ワインかブランデー、キャビアと薄く切ったライ麦パン、パテとチーズがそえられていた。高級食材の中に、なぜかポップコーンの紙カップも、おまけのようについていた。


 中央席のソファはふたりがけで、ララとルナが鎮座(ちんざ)し、クラウドとセルゲイは、すっかり腰を落ち着けて、最高級キャビアに舌鼓(したつづみ)を打っている。今日のララは女性スタイルなので、アズラエルとグレンは大目に見ることにした。


 ルナとミシェルに会えたから、髪は切ったといっていたララだったが、今日見る姿は久方ぶりに、長い黒髪とチャイナドレスの女装スタイルだ。


 ララは、ルナと映画を見るために、およそ二十五の業務を放り投げ、ミシェルがいないことにぶつくさ言いながら、目の前のテーブルを、カクテルとジュース、菓子、サンドイッチで山盛りにした。もちろんサンドイッチは、エビとアボカドと特製ソースの組み合わせと、卵とハムである。


「あたしねえ、コイツの試写会に呼ばれたんだよ」


 ルナの隣に威勢よく陣取り、巨大スクリーンがDVDを読み込む間に、ララはルナの口にせっせとマカロンを運びつつ言った。


「ほんと!?」

 ルナのうさ耳がぴこたんと揺れた。


「うん。映画があるのは知ってたし、試写会にも呼ばれた。ウチの傘下の企業が、スポンサーで入っててねえ。でも、あのときは見る気がなかったのさ。前世の自分がどうこうっていうより、あなたを見るのが怖かった」


「――え?」


「映画は映画だろ? 真実じゃない。だから、ルーシーじゃないルーシーを見るのが、嫌だったのさ――つまり、ルーシー役の女優が、嫌いだったの。文句をつけるにゃ、映画は出来上がっちまってたし――映画は映画だ。見なきゃいいわけで――そもそも、ルーシーは、あんな色気丸出しの女じゃなかった」


「いろけがない!!」

 ルナはコンプレックスを直撃されて絶叫したが、ララはどこ吹く風だ。


「色気がないってンじゃなくて――まァ、女のどこに色気を感じるかは人ぞれぞれだとして――今はその話じゃない。あたしが言いたいのは、ようするにだね、ルーシーは……、ルーシーは、――ああ、ええと――色気がないってンじゃなくて――つまり、ほんとうのルーシーは、どっちかというと、ストイックな女性だったんだよ。――使命に生きてるような女性だった」


「……使命?」

 ルナがふくらませたほっぺたをしぼませた。


「映画や小説となりゃ、ルーシーはスキャンダルを中心に描かれる。そのほうがドラマチックだからね。結局、色恋沙汰に生きた女になっちまう――あたしはそれが嫌で、ルーシーの伝記も、映画も、小説も読まない。本物のルーシーは、大げさにいや――まるで修道女のような女だったんだよ――“ビアード”のせつない恋心も、最後まで気付かなかったような」


 ララの苦笑。ルナは、言葉を失った。

 けれども、ララの言葉に同意したのは、ルーシーを愛した男たち全員だったのだ。


「そうかも――この女優は、私もミスキャストだと思うな」

 元パーヴェルの言葉は、重みがあった。

「ルーシーは、こんな肉感的な女性ではなかったね」


 セルゲイは言ってから、自分は何を言っているんだというような、戸惑い顔をした。


 アズラエルとグレンも、セルゲイの心中は嫌というほどわかっているので――自分でも謎の言葉を発してしまうことが多々あるということと、たしかにルーシーは映画女優のように、豊満で色気を前面に押し出した女ではなかったという記憶――苦々しげに酒をあおった。


「……ルーシーは、細かった」


 元愛人の言葉は、妙に生々しかった。


「細くて華奢で――そう、ちょうど、ルナみたいにな。片手に抱え上げられるくらいっていっちゃ大げさだが、抱きしめたら折れそうな女だよ。たしかに美人だったが、顔に惚れたんじゃねえ。あの程度の美人だったら、俺の周りにはいくらでもいた。でも、夢中になっちまったのは――アイツがとことんミステリアスな女だったからじゃねえかなァ」


「ミステリアスね」

 ララが肩をすくめた。その表現に異論はないようだ。


「最後まで正体のつかめねえ女だった。いつも、おまえはなにもわかってねえって顔をして、俺を馬鹿にしてた。ずいぶん高慢な女だった。俺はルーシー以外に、そんな態度を許したことがねえ。――まァ、ほんとに分かってなかったな。ようするに――なにもかも、分からねえ女だった」


 どうやったら手に入れることができるかも、分からなかったんだ。

 アズラエルは言った。

 手に入らないまま、俺から離れようとしたから殺したんだな、と彼は物騒なことを言って、グラスを(あお)った。そのしぐさがアロンゾに似ている気がして、ルナは首をすくめてソファに隠れた。


「そうだな。俺から見たルーシーは、守ってやらなきゃ、っていうか、こう――頼りないタイプの女だったかな」


 グレンも、何かをあきらめたように言った。アズラエルの言葉が終わったあとに、みんなそろってこっちを凝視するからだ。


 第一彼も、なぜ自分がそんなことを思うのか分からなかった。グレン自身は、「ルーシー・L・ウィルキンソン」という人物を、今日はじめて知ったのである。


 なのにどうして、ルーシーが「どういう女性だったか」という記憶が、自分の中にあるのだろう。まるで、自分ではないだれかが――ルーシーを知っているだれかが、グレンの口を借りて喋っているようだ。


 グレンは、この感覚に覚えがあった。椿の宿で、「第二次バブロスカ革命」の夢を見たときと同じ――過去の記憶がよみがえる、不思議な感覚だ。


「正直、どうして社長なんかやっていたのか、俺には理解できねえ。あんな生き馬の目を抜くような世界で生きていけるひとじゃなかった。――べつに、恩を着せるわけじゃねえけど、俺がいなかったらつぶされてただろうな、ということが結構あったぞ。精神的にも、会社的にも――プライベートも」


「ルーシーを馬鹿にすんじゃないよ! あのひとは強い人だった! 会社がでかくなったのは、おまえだけの手柄じゃねえぞ!」


 “ビアード”のケンカを、“アイザック”は受けて立った。


「おまえが知らねえルーシーの過去もあるだろ! おまえは俺とルーシーから見たらまだまだ若造だった。おまえの商才は俺が見込んでやったんだぞ。それを、ルーシーに甘えて金を使い込みやがって! あんな美術館なんぞに!」

「ルーシーの一大事業を馬鹿にする気かい!?」

「それは、“おまえの”一大事業だろ!! ルーシーはおまえに甘かったから、金を出しただけだ!! 俺の反対も聞かずに!!」


 それぞれのルーシー像は、こんなにも違うのか。

 ルナは呆気にとられて、みんなの言葉を聞いた。


「俺は、当時は半分ボケて、ミシェルとエレナに介護されてた年寄りだったそうだから、ルーシーのことは本で読んだきりしか知らないけど」


 クラウドは言った。


「ルーシーの伝記もいくつか読んだけど、みんな代わり映えのしないものだった。なんていうか――この映画も、ビアードを主役にしたのが分かる気がする」


「な、なんで?」

 ルナは、後ろを振り返って聞いた。


「ルーシーが主役じゃ、書きようがないんだよ。――彼女は謎が多いし、なにより、彼女の“本心”が見えないから」


「え?」


「ルーシーの日記でも残っていればね。でも彼女は、何の記録も残していない。あれほどメディアにも近かった女性が、それも不思議なことだけど――。

 彼女を主役にした、子ども向けの伝記マンガもあるけど、結局はビアードが主役みたいになるよね。やっぱりメインテーマは、宇宙船の美術館創設について。彼女は資産を投じて、世界一の美術館をつくりあげたっていう美談に落ち着く。

 大人向けに掘り下げた作品も、やっぱり美術館創設を美談化されたものか、彼女のスキャンダル中心で描かれるよね。

 ビアードを主役にした小説や記録を見れば、彼女は、男たちに翻弄されただけの一生。ほんとにそれだけだ。彼女がいったい、だれを“真実”愛していたのか、そんなこともはっきりしないのさ。

 愛に生きたというには、彼女は翻弄され続けている。愛においては、まったくの主体性がない。彼女がたとえば、あの三人のなかのだれかを愛していた――という主題をおけば、決着がつくかもしれないけれど、なんというか、彼女の生き方を見ていると、それもこじつけになってしまうような気がする。彼女は、あの三人から逃げ続けるだけだった」


「……」


「なぜ逃げ続けたのか。きっと彼女自身が、あの三人のだれかと向き合ってさえいれば、落ち着くところに落ち着いていたんじゃないかと思う。彼らはそれだけ、ルーシーを愛していた。ルーシーの身に起こった悲劇は、彼女が自分を愛してくれる男たちから、逃げ続けた結果、起こった悲劇だ」


 ルナは、顔を上げた。

 第三者から言われてはじめてルナは気づいたのだ。


 そうだ――ルーシーは、きっと逃げていた。

 あの三人から。

 でも、なんのために?


「彼女が、三人から逃げ続けた理由――愛に生きることが“できなかった”理由――それが、彼女が持っていた使命のためなんじゃないかと、考えられるかも」


「そうそう――地球行き宇宙船の美術館をつくるという、史上最大の使命に生きたのさ! ルーシーは!」


 ルナは口をとがらせたまま、クラウドとララの話を聞いていた。

 グレンが言ったとおり、地球行き宇宙船の美術館をつくるという使命は、ビアードのものだ。


(ルーシーの使命は、きっとべつにあったの)


「ねえ――ルーシーが、ラグ・ヴァダの武神にかかわっていたとか、考えられると思う?」


 ルナのひとことには、だれしもが仰天した。


「ルーシーが?」

 ララが、呆れ声で言った。

「ルーシーは、L52の貴族の出だよ。ほんとうに気品のある人だった。まちがいない。L03とは、何のかかわりもないよ」


「でも、でもね――」

 ルナは言いつのった。

「三千年前から、ラグ・ヴァダの武神との対決がはじまったわけでしょ。千年に一度、武神はよみがえるの。二千年前は、あたしが“イシュメル”だったって、アントニオがゆってて、それから、千年前も一度、ラグ・ヴァダの武神は復活してるはずなのね。千年前って、ちょうど、あたしがルーシーだった時代なの」


「――あ、ほんとだ」


 クラウドも思い出した。それを調べてルナに教えたのはクラウドだった。けれども、ルーシーとラグ・ヴァダの武神とのつながりは、だれも認めなかった。


 ララのいうとおり、ルーシーの使命とは、地球行き宇宙船の美術館をつくるという一大事業にあったのではないか。


 そう考えるのは当然だった。ルーシーとラグ・ヴァダの武神。どう考えても、関連性など見当たらない。


「ほら、はじまるよ。その話は、映画を見てからにしようじゃないか」


 ララは、番組宣伝のCMがはじまった画面を見つめて、そういった。

 ルナは、映画の中に、ルーシーのほんとうの使命が、すこしでも描かれていないかと、ちょっぴり期待して、映画を見ることにした。


(ルーシーの使命)


 ルナは言わなかったが、確信していた。


(それは、ラグ・ヴァダの武神を倒すことだったんじゃないかな)




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