228話 ルーシー Ⅰ 1
(これはたいへんだ!)
ルナは目をぱっちりと開け、口をもぐもぐさせながら思った。
(今度のゆめは、つづきものだぞ)
ルナはベッドから身を起こした。枕元の引き出しから日記帳を取りだす。
宇宙船に乗ったとき、カレンダーと一緒にもらった、緑色の固いカバーの一冊目と、今年もらった、二冊目だ。
二冊目の日記帳は、小花柄の水色のノートだった。
去年の日記帳は、ルナたちが宇宙船に乗ったのが十月と遅めだったために、ほかの色が在庫切れで選ぶことができなかった。カザマも「若い女の子には地味な色ねえ」と思っていたが、それしか残っていなかったので、しかたなく紙袋に入れたのである。
カザマも、あれをルナたちがつかうとは、思っていないようだった。結局、つかったのはルナだけ。
ルナから「今年の分もありますか?」と電話が来たとき、カザマは「あら、まあ」と素直に驚きを口にしたのだった。
「二冊目を欲しいという方も、なかなかいませんのよ」
なので、二年目以降の在庫はたっぷり。ルナは五種類から選ぶことができた。オーソドックスな黒と茶と、ルナが去年もらった緑色、小花模様の水色、赤いチェック模様の五種類。
ルナはべつに、緑のカバーが嫌いではなかった。でも、そのままではあまりにも地味なので、小さなウサギのワッペンをつけてカスタマイズしてある。
今年もカスタマイズすることにして、同じ緑でそろえようかなと思っていたが、実物を見せてもらうと、小花柄がけっこう可愛かったので、ルナは迷うことなくそれを手に取ったのだった。
一冊目はすっかり埋まっていた。ずいぶんまめに日記をつけていたことになる。
日記というよりかは、ZOOカードの名称や、夢のことを書いているため、忘備録と言っていいかもしれなかった。今では、この日記帳をなくしたら、確実にルナは泣く。
ルナは、今年の日記帳に、今日の日づけを書き入れて、さっきまで見ていた夢を記した。
(今日の夢は、“三千年前”の夢だ)
ルナは自分が書いたものを読み返し、ペリドットが教えてくれた内容とは少し違っていることを確認した。
(やっぱり、ペリドットさんは、すこしお話を変えてあたしたちに教えたんだ)
さっきの夢によると、ペリドットはアストロスの神官で、ラグ・ヴァダの武神を、最初に封印した神官だということになる。だとすると、彼も“あの時代”に生きていた。
きっと、“真実の歴史”のほうを知っている。
(ラグ・ヴァダの武神に、聞かれたらだめなことがあったんだね)
武神が倒れたあとのこと――ラグ・ヴァダの武神が封印された経緯や、ラグ・ヴァダの女王の本心など。
それ以外は、だいたいペリドットから聞かされたことと相違なかった。メルーヴァ姫の伝説に加え、シャチとイルカの物語を見ただけだ。
ルナは、“生き字引の老ウサギ”が、シャチとイルカの物語を語ろうとしていたことを思い出した。
(あのときちゃんと、聞いておけばよかったなあ)
話が長くなりそうだったので、“天槍をふるう白いタカ”が、連れ帰ってしまったが、あのとき、アンゴラウサギの話をぜんぶ聞いていたなら、もっと早く、セシルとベッタラが運命の相手だったと気付いたかもしれない。
セシルたちの呪いは解けたし、二人の仲もいい感じに進展している。もう過ぎたことなので、ルナは神話のことを考えることにした。
ペリドットの話は、ラグ・ヴァダの神話と前置きしてはいたが、どちらかというと地球側視点の話だった。
ルナは、以前のページを見て、今日の夢との相違点をたしかめる。あのときはセルゲイやカレンもいたし、彼らが感情移入しやすいように、地球側の視点にしたのかもしれない。
クラウドがイシュマールから聞いたアストロスの神話も、けっこう大ざっぱな内容だった。
今日見た夢から、ラグ・ヴァダからの視点や、ラグ・ヴァダの武神の正体、イルカとシャチの話を抜いただけのもので、変わった記述はない。
(今回の夢に出てきた、“正義をかざすタカ”さん……)
ルナは、去年の日記帳を開き、ZOOカードの名称と、人の名前を書き連ねているページを開いた。新たな名称をノートに書き込む。
夢の中のパンダとキリンは、セルゲイとカレン。
最初にアストロスに来た司令官――アーズガルドの人間は、ハトだった。硬質な感じのハトの姿を思い出し、なんとなく、オルドに雰囲気が似ていると思った。
(もしかしたら、“正義をかざすタカ”さんは、オトゥールさんだろうか)
セルゲイ、カレン、オルド――ときたら、ルナにはオトゥールしか思い浮かばなかった。彼以外のロナウドの人間を知らないだけだが。
ZOOカードの持つ雰囲気は、その当人に似ていることが多い。
(オトゥールさんは正義感の塊のような人だって、アズもクラウドもゆってたし)
ルナではなく、アズラエルやクラウドが今日の夢を見ていたら、それがはっきりとわかったかもしれない。
(このZOOカードはあとで調べるとして)
ルナはあらためて、今日の夢がつづきものだということに着目した。
(これは三千年前のおはなし……メルーヴァの話はつづくんだ。千年に一度、ラグ・ヴァダの武神が復活するからね。だとしたら、この続きは、二千年前になるのかな)
二千年前、ルナは“イシュメル”だったそうだ。
ルナは、真砂名神社での儀式のことは、ほとんど覚えていなかった。セルゲイやカザマ、アントニオやララの活躍は覚えているが、自分のことは記憶にない。
自分の前世が次々と現れ出でて、アズラエルたちを助けたということは、あとでミシェルから聞いた。
その中に、二千年前のイシュメルがいたのだと。
アントニオがたしかにそういった。
(二千年前、あたしは、アズたちよりごっついおじさんで……うん、ごっついおじさん)
ルナはごっついおじさんを連呼したら、ごっついおじさんのことしか考えられなくなったので、考えるのをやめた。
(二千年前のことはぜんぜんわからないからやめよう……二千年前のつぎは、千年前……千年前……あれ?)
ルナはあわてて、日記帳のページを巻き戻した。
(千年前って……あたし、“ルーシー”じゃなかった?)
ルナは、ルーシーのことが書かれた記録を探した。
それは、今年の日記帳の中に見つかった。
セルゲイが“パーヴェル”、アズラエルが“アロンゾ”で、ララが“ビアード”、グレンが“アイザック”だったころの時代。
ミシェルが、真砂名神社に奉納してある神話の絵を描いた時代だ。
ルナはページを読みふけり、隅に赤いボールペンで書かれた字を見つけた。
「このできごとは、ほぼ、千年前のこと」。
赤いボールペンで年号といっしょに、ページの隅っこに書き足していた。
これは人物の名が歴史に残っているため、クラウドが年代を調べてくれたのだ。
でも、この夢には、“メルーヴァ”のメの字も、イシュメルも、ラグ・ヴァダの武神も出てこない。内容も、ミシェルかララが主役といっていい内容で、L03のこともアストロスのことも、ぜんぜん書かれていない。
(んん?)
千年前、ルナはラグ・ヴァダの武神に関わっていなかったのか?
しかし、ルナはもとより、武神を倒すはずのアストロスの兄弟神、アズラエルとグレンも、アロンゾとアイザックという名で、マフィアの親玉と会社役員をやっている。
(せんねんまえ?)
しかし、この前世だけは有名人まみれのため、年代がはっきりしている。
それとも、この時代のすぐ前後に、ルナたちはもう一回生まれ変わっているのだろうか。
かつてアントニオから聞いた話では、千年前もやはりメルーヴァが現れて、辺境惑星群から軍事惑星群も巻き込んだ、大きな戦争があったという。ペリドットも、その戦争があったことを否定はしなかった。それも、ルナたちの物語だと彼は言った――。
(んんんんん?)
でも、ルーシーが生きていた時代に大きな戦争などあっただろうか?
ルナは特に歴史にくわしいわけではないので、分からない。
ルナはベッドの上でしばらく考え込んでいたが、ふっと目が、枕もとの時計に移った。そして、気づいた。
「あーっ!!!!!」
ルナはベッドからウサギのように飛び上がり、パジャマのままキッチンに駆けこんだが、そこにはだれもいなかった。
あたりまえだ。
ただいま、午前十時半をお知らせします。
地球行き宇宙船から遠くL系惑星群、L19――。
首都、シャトーヴァラン郊外のウィルキンソン邸では、フライヤも「あーっ!!」と大声をあげていた。
屋敷じゅうに響き渡るような大声をあげて、あわててフライヤは両手で口を押さえたが、とがめる人間はだれもいなかった。
母親とシルビアは、夕飯の買い物にでかけているし、エルドリウスも、軍に呼びだされてちょっと留守にしている。
今この屋敷にいるのは、自分と、耳の遠い老執事ひとり。
フライヤはあわてて、手帳を見返した。
(やっぱり……ルーシー・L・ウィルキンソンが……メルーヴァなんだわ)
この興奮を、大発見を、だれにつたえたらいいものだろう。だが、推測にしか過ぎないものを、あたかも本当のように言ってまわるのは気が引ける。
しかしフライヤは確信していた。
この――“パーヴェルの手帳”を読んで、確信した。
ルーシーは、“メルーヴァ”だったのだ。
フライヤの興奮はだれにでもつたわるものではなかった。フライヤと同じレベルのL03オタクならば、夜通し語れる勢いだろうが、とくにL03に興味のない人間には、「へえ、そうなの。で?」というレベルの出来事だろう。
とにかく、説明するには、“メルーヴァ”の伝説から語らねばなるまい。
それより先に、フライヤの近況。
フライヤは、久々の休暇を得ていた。
ミラの秘書室の忙しさといったら、説明のしようもない。フライヤは、自分の不安が取り越し苦労だったことを実感していた。
そこには差別もいじめも、無視も、フライヤが心配していたことはなにひとつなかった。
秘書室は、だれかに対して差別だのいじめだのをしている暇などないくらい、忙しかった。
ネコの手――傭兵の手も借りたいくらいの忙しさだった。
日々、分刻みでスケジュールが進む。
朝の出勤は余裕があったが、終業は遅かった。深夜を過ぎることもあった。
フライヤはとにかく、言われたことをやり続けるので精いっぱいで、気づいたら、一週間の休暇をもらっていた。
フライヤは、休暇の一日目を、ただ寝ることに費やした。単に、寝たら起き上がれなかっただけなのだが、寝て起きた次の日に、ようやく訳も分からず過ごしてきた一ヶ月を振り返ったのだった。
この一ヶ月、アイリーンとお茶をする時間など、一分たりとてなかった。
アイリーンからは毎日メールが来たが、そこにはお茶会を催促する言葉はなにひとつ書かれていなかった。
急に激務に陥ったフライヤの体調を心配する言葉と、慣れるまでが大変だからね、という励ましの言葉でつづられていた。
フライヤが涙ぐんだのは言うまでもない。
でも、庶務部に帰りたいとは、フライヤは思わなかった。
一ヶ月ぶりにゆっくり自分で紅茶を淹れ、忙しかった一ヶ月を振り返ったあと、アイリーンにメールの返事を出し、休暇の最終日にお茶会をしようとメールした。
アイリーンは即座に返信を寄越し、悪魔と恐れられる心理作戦部隊長のメールには、「待ってる♡♡♡♡♡」と五つもハートマークのアイコンがついていたのだった。
フライヤは大笑いして――それから、休暇の残りをどう過ごすか、決めたのだった。
休暇明けには、いよいよ、フライヤの従軍が決まっていた。L03に出兵である。今回は、アイリーンも一緒だ。戦場に行くのははじめてではないが、緊張もある。
しかし――。
(あたしも、変わったなあ)
ミラの秘書室に来てからというもの、妙に腹が据わった感がある。毎日、ミラを見続けているせいだろうか。ミラの周りにいる人間も、平凡さとはかけ離れた人間ばかりであることは違いなく、いい意味で、フライヤは染まったような気さえした。
昔の自分だったら、戦場と聞いただけで大パニックを起こしていそうだが、緊張はあれども、妙に落ち着いているのだ。
(シンシアは、いつもあたしをかばってくれたね)
ホワイト・ラビットの初仕事の時でさえ、フライヤの怯えを予想して、アジトに待機させてくれた。
シンシアの陰に隠れて、なにもできなかった自分が、はじめてシンシアと同じ位置に立つような、そんなこそばゆい感覚すらあった。
(そうはいっても、なんにも変わっていない気もするけど)
落ち着いてはいるが、怖いものは怖いのである。最前線に兵卒として放り出されるのではなく、後方の作戦部隊だ。それでもやはり、怖いものは怖い。
なにはともあれ、フライヤは朝食を終えると、母親とともに、L19へ発った。ウィルキンソンの本宅に行くためだ。
母が作った果実酒が、そろそろ飲みごろだから、様子を見に来たのと、調べたいことがあったからだ。




