226話 盲目のイルカと強きを食らうシャチ 3
ベッタラが言ったとおり、セシルもネイシャも軽症だった。
心配されていた高熱も、あれはなんだったのかというくらい、あっさり下がった。
彼らはたった二日の入院後、すぐに病院を追い出された。呪いのせいではない。入院する必要がないほど健康体だったからである。
「目が覚めたときは――ここが天国かなって思った」
セシルが、涼しい風に、サングラスの奥の目を細めながらルナに語った。
K33区は真夏だというのに、すごしやすい暑さだった。日は照り付けるが、水辺から吹いてくる風が、うっとりするほど涼しい。
「あの世に行って、最初に見るのが病院の天井だなんて、生々しいな、なんてね」
このあいだ、ここで儀式が行われていたとは思えないほど、のどかな広場だ。
今は昼間だから、井桁に火は入っていない。
「一回死んで、生まれ変わったみたいな気がした。――あたし、気が付かなくてさあ。カレンさんたちがお見舞いにきてくれるまで、男のお医者さんとふつうに話してたっていうのが。カレンさんに教えてもらうまで気付かなかったなんて――」
笑っちゃうねえ、といって、セシルは涙ぐんだ。
彼女の、薄水色の瞳の先には、ベッタラに肩車されているネイシャがいる。
ルナは、遠くを見つめているセシルに聞いた。
「セシルさん、目は大丈夫?」
「……ん。視力がどんどん落ちていくのはわかるけど、気持ちは元気だよ。もともと、あたしは、生まれたときから目は弱かった。いずれ失明するかもっていうのは、呪いを受けるまえから、知っていたことなんだ」
目だけで済んでよかった――ネイシャの未来を救ってくれたばかりか、自分の命も助けてもらったことを、深く感謝している――とセシルは繰り返し、皆に言った。
セシルは、病院に見舞いに来たルナとベッタラに、すべてを語った。
それは懺悔のようでもあり、過去を話すことで、呪いすべてを清算しているようでもあった。
セシルは今まで、呪いを受けた経緯を、決してだれにも話せなかったのだから。
セシルが生まれたのは、L19の海辺の町。
「レッド・アンバー」は、セシルの祖父がつくった傭兵グループであり、両親もレッド・アンバーのメンバーだった。
両親はセシルが生まれた二年目に任務で亡くなり、セシルは祖父に育てられた。
忘れもしない、十四歳の春。
セシルは、運命の相手と出会った。
L82で、ケトゥインの大国とL18の戦争があり、それが幾年にも及ぶ長期任務だったために、祖父はセシルもつれて、その大きな任務に参加した。
ケトウィンの大国は、好戦派と、地球人と和議を結びたい休戦派とに、まっぷたつに分裂していた。好戦派の代表格が、ケトゥインの第一王子だった。
クラウドが、最初、ネイシャの父親だと勘違いした男だ。
セシルが出会ったのは、ケトゥインの呪術師一家に生まれた、セシルと同い年の少年だった。彼は休戦派一党に属する両親を持っていた。
年若すぎるセシルは、傭兵としての任務にはまだ参加していなかったし、少年も戦いには参加していなかった。地球人と和議を結びたい一家の少年と、傭兵ではない地球人の少女が、こっそりと逢瀬を重ねる分には、かなり目こぼしをされていた。大人たちは見ないふりをしていたと言っていい。
戦争は、最初の予定より長く続いた。
戦争が終われば、おまえたちはきっと一緒になれるから、待ちなさい。
セシルとケトゥインの若者を、周りの大人たちは諭した。セシルに呪をかけることになったケトゥインの少年の父も、二人の仲を、反対してはいなかった。
地球人とはいつか分かり合える日が来る。彼はそう思っていたし、セシルの祖父も、原住民を差別するような意識の持ち主ではなかった。
けれど、若者に、三年は長い。
この戦争は、地球側の圧倒的な軍事力のまえに、一刀も交えずケトゥイン側と休戦協定を結べると、大多数の者が勘違いしていた。地球側は、それを見越して金をばらまき、レッド・アンバーのような、認定でもない場末の傭兵グループさえ取り込んで、ケトゥインのほぼ二十倍の軍勢をもって囲んだのである。
しかし、好戦派はだれしもの予想を裏切って暴挙に及んだ。
第一王子とは、すなわち王位の第一継承者であった。その権力をつかって反対派をねじ伏せ、地球の軍へ打って出たのである。
結果はむろん敗北。
命からがら逃げかえった第一王子は、敗戦の原因を、休戦派が動かなかったせいだとした。
休戦派に対する恐ろしい粛清が始まった。
セシルとケトゥインの若者が駆け落ちしたのは、粛清が起こる、すこしまえだった。
若い二人に三年は長く、いつ終わるかとも知れない戦争に焦ったのは、セシルのほうだった。
セシルは深く後悔している。
あと少し待てば――戦争は終わっていたのだ。
そして、だれもなくすことなく、セシルと彼はいっしょになれた。
若さゆえの焦りが、最悪の事態を引き起こしたのだ。
ふたりはつかまった。
地球の軍隊としてやってきた傭兵の孫娘と、休戦派の一家の子の恋など、好戦派から見れば、かっこうの見せしめだった。
ケトゥインの呪術師だった少年の父は、家族を人質に取られ、セシルと腹の子に呪いをかけた。
――生涯、男にさげすまれる姦婦となる呪いを。
捕らえられたセシルを助けに来た祖父も、レッド・アンバーのメンバーも殺され、少年も、その家族も殺され、セシルだけが解放された。
身も心もズタボロになり、ひとり放り投げられたセシルに生きる意志を与えたのは、腹に宿った子どもだった。
セシルはL18の軍に保護され、ネイシャを産んだ。
軍がケトゥインの国に攻め込むまえに、その暴虐をうとまれた第一王子は、王に追放された。
王は、これ以上の殺りくが起こる前に休戦協定を結び、地球の軍を国に入れた。
戦争は、終わった。
「それからは、悪夢のような日々だったよ」
セシルは「レッド・アンバー」に与えられた報酬を手にL19に帰ったが、セシルを待ち受けていた運命は、過酷なものだった。
“生涯、男にさげすまれる姦婦となる呪い”。
それがどんなものか、セシルは体験するまでわからなかった。
何もしていないのにネイシャも自分も、殴られた。たまたま横を通った男性に、「どろぼうだ」と通報された。意味も分からず、袋叩きに遭ったこともあった。
このあいだ、宇宙船であったようなできごとが、何度もあった。無事な方が稀だった。
何度、ネイシャとともに自分も死のうとしたかわからない。
そんなセシルの命をつないできたのは、育ての親である祖父の死と、家族同然だったレッド・アンバーのメンバーたちの死だった。
自分とネイシャを守って死んでいった彼らのためにも、生き抜かねばならない。
ネイシャを連れて、あちこち転々とした。定住はできなかった。
傭兵グループにも居つけず、ずっと仕事がないときもあった。傭兵以外の仕事をして食いつなぎ、なんとかネイシャを学校に入れた。
ネイシャには、認定の資格を取らせてやりたかったのだ。
ネイシャを学校に入れた矢先に、地球行き宇宙船のチケットが当たった。
セシルは迷ったが、ネイシャの「乗りたい」という言葉ひとつで、セシルの腹は決まった。
「呪いが解ける日が来るなんて――思わなかった」
ルナはかける言葉もなく、だまってセシルの独白を聞いた。ベッタラも同じだった。
あれから一週間たったが、セシルもネイシャも、男性に殴られることも、無意味に冷たくされることも、ストーカーにあうこともなくなった。ネイシャに冷たかった学校の先生も、ネイシャに声をかけてくれるようになった。
アズラエルたちも、夜の神の守りなしで二人に接しても、大丈夫になった。
親子は、大手を振ってどこにでもでかけられるようになった。
呪いはすっかり、解けたのだ。
ベッタラの肩から降りたネイシャが、母親のもとへ駆け寄ってくる。
「母ちゃん!」
「なに? サイダーでも飲む?」
「ベッタラをあたしの父ちゃんにして!」
セシルはもちろん、一緒にやってきたベッタラも硬直した。
「もういいだろ! あたしの父さんは、母ちゃんの運命の相手だったかもしれないけど、忘れるなっていうんじゃないけど――」
ネイシャは、うつむいた。
「――もう、いいだろ」
ネイシャは、父親の顔を見たことがない。セシルは、呪いをだれにも話せない呪も一緒にかけられたため、ネイシャに父親のことを詳しく話したことはなかった。ネイシャが分かるのは、父親はケトゥインの男で、やさしいひとだった、それだけだ。
呪いが解けた今も、壮絶すぎる過去をネイシャに話したいとは、セシルは思わなかった。
顔も知らず、呪いの原因となった父親より、呪いがあったときから変わらず、優しくしてくれた男であるベッタラにネイシャが懐くのも、無理はない。
セシルは言葉を選ぶようにしばらくもごついていたが、やがて焦ったように言った。
「ネイシャ、こればっかりはね。あんたやあたしがよくても、ベッタラさんにも選ぶ権利があるんだよ……」
今度は、ベッタラが焦った。
「ワタ、ワタシはよろしくても! ワタシはアノール族です! セーシルが嫌がります!」
「え? い、いや、とんでもないよ……! 嫌なんて……こちとらあなたに迷惑ばっかりかけて……。あなたは大恩人だ。あなたには、こんな呪い持ちだった女なんて、迷惑なだけだよ……! ねえ、」
「そんなことはありません! あ、ありませんが、セーシルは美しいですが――その――ええと、ワタシは、イルカを探して――」
互いに真っ赤になって遠慮しあうふたりに、ルナはほっぺたをぷっくりして言った。
特に、ベッタラに対してだ。
「まだ気づかないの! ベッタラさん!」
「え?」
相当鈍い部類に入るらしいベッタラは、ほんとうに気付いていないようだった。
「セシルさんは、イルカさんだよっ!」
ベッタラは、切れ長の目をこれでもかと見開き、「え? え?」とセシルとネイシャを何度も見た。
「セシルさんは、“盲目のイルカ”さん――ネイシャちゃんは、“勇敢なシャチ”さん! セシルさんはね、ベッタラさんの“運命の相手”なんだよ!!」
「えええええええ!?」
ベッタラの眼球が飛び出さなかったのは幸いである。
「信じられないなら、ペリドットさんに聞いてみたらいいよ。すぐ占ってくれるはずだから!」
ルナは、呪いが解けたその日、帰ってすぐにZOOカードを開けた。今にも倒れそうなくらい眠かったのだが、確かめずには寝られなかった。
ルナが呼び出したのは当然、セシルとネイシャのカードだ。
――“もや”がなくなったそこにあったのは。
ルナが予想していたとおりのカードだった。
“強きを食らうシャチ”と“盲目のイルカ”をむすぶ、井桁の炎のような、真っ赤な糸も――。
「……?」
セシルもネイシャも、ZOOカードの意味は分からない。ふたりで首をかしげていたが、震えながら振り返ったベッタラに、セシルはいきなり抱き上げられた。
「きゃあ!」
「イルカさん! ワタシのイルカさん! そうだったんですね……!」
「……っきゃ! なんだい? ――あ、ちょっと!」
うれし泣きのベッタラは、セシルを抱き上げて振り回したあと、肩に担ぎあげて「ペリドット様―!!」と駆けだした。セシルの笑い交じりの悲鳴がこだまする。
ルナもネイシャも、それを見送って、いっしょに笑った。
「みなさん! お待たせいたしました!」
カザマの声がした。ピクニックシートを頭上にかかげて走ってきたピエトが、「すっげーうまそうだぜ!」と草原に散った仲間にも聞こえる大声で叫んだ。
「ピクニック日和だねえ♪」
「ここは、日よけもいらねえな」
鼻歌交じりのニックとアズラエルが、大荷物を抱えてやってくる。
ハンシックの四人も、いつものクーラーボックスを背負って、やってきた。
徐々に集まり出して、シートを広げるのはいつもの仲間たち。そこには、ペリドットやバジ、マミカリシドラスラオネザまでいた。
もちろん、セシルを抱えて走り去ったベッタラも、もどってきた。
「今日は、アズラエルさんと、ニックさんが腕を振るいました。ピエトちゃんもいっぱい手伝ってくれたわ、ねえ?」
「俺も、ミートボールってやつ、つくったんだぜ!」
カザマの言葉に、ピエトが大威張りで胸を張った。実際のところ、ピエトがやったのはミートボールを丸める作業のみだ。
「いやあ、今回は、まったく活躍の場がなかった」
めずらしく肩を落としているのは九庵だ。
「九庵さんってば、おにぎり握るの下手くそなんだ」
タッパーに、大きさもまちまちの、形もいびつなおにぎりが並ぶ。彼にも苦手はあるようだ。
ピエトが口をとがらせて言い、無敵のボディーガードをさらにへこませた。カザマが笑顔でフォローする。
「でも、買い物のとき、大荷物を持っていただいたのはすごく助かりましたわ」
「そら、ジャーヤ・ライスを食ってくれ。おにぎりにして詰めて来たぞ」
こちらのおにぎりはずいぶん大きかったが、形もよくて、美味そうだった。さすがプロ。
豪勢な弁当がひろげられ、おいしそうな中身に、そこかしこで感嘆の声があがる。いい匂いを嗅ぎつけた原住民も集まってきた。
結局、ビニールシートに収まりきる人数ではなくなった。弁当もみんながつまみ始めたら一気になくなりそうなので、だれかが大鍋を持ってきて、火を起こし始めた。
酒も食べものも、あちこちから集まり始める。
「結局、大宴会かよ」
グレンが苦笑いすると、マミカリシドラスラオネザが鼻で笑った。
「ここで、こっそりと宴会をしようというのが間違っている」
「そうだよ! 宴会はこっそりするものじゃないでしょう!!」
ニックがみんなのコップに酒やジュースをついで回りながら、賑やかに笑った。
「今年はほんと最高だなあ! バーベキュー・パーティーも、あっちもこっちも、楽しいことばっかり!」
「ふむ。地球人の食べ物も、美味いではないか」
マミカリシドラスラオネザは、上手に箸をつかってエビフライを食し、ずいぶん気に入ったようで、三尾も皿に取り分けた。
「じゃあ、セシルちゃんとネイシャちゃんの輝かしい未来を祝って! 新しいともだちができたことを祝して! みんなの友情を祝って、かんぱあい!!!♪」
ニックが勝手に、音頭を取った。
意味も分かっていないはずなのに、原住民たちの歓声が一番大きかった。
セシルとベッタラは隣同士。あぐらをかいたベッタラの上にネイシャが乗っている。
「ね、あのふたり、うまくいったんだ」
ミシェルがルナを肘でつついてきたので、ルナは、
「うん、ぜったいうまくいくよ」
と太鼓判を押した。なにしろ、運命の相手なのだ。
ルナがミートボールをお皿にとって、食べようと、あーんと口を開けたところで。
突然、ルナの真正面にいたペリドットが、ルナに向かってウィンクした。ルナはびっくりして、ミートボールを落とした。
ころころと転がったそれを拾ったのは――ちいさなシャチ。
ミートボールを持って、ルナに笑いかけている。
シャチは嬉しそうにルナのミートボールを持ったまま、「ありがとう」といって、ペリドットのほうに、尾びれを揺らして帰っていった。
そこには、大きなシャチが、目を閉じたイルカと、手をつないで微笑んでいる。傷だらけの大きなシャチは、“強きを食らうシャチ”で、隣のイルカは“盲目のイルカ”だろう。
――では、この小さなシャチは。
「どうしたの、ルナ」
「う、うん、なんでもないよ」
ルナの隣に座っていたミシェルが、何かあるのかと思ってルナと同じ方を見たが、すでに彼らの姿はなかった。
「あたしのミートボール!」
ルナははっとして叫んだが、ミートボールはすでにシャチが持って消えてしまった。ZOOカードの動物に、食べ物を取られたのははじめてだ。
ルナの呆気にとられた顔を見て、ペリドットが大笑いしていた。




