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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
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226話 盲目のイルカと強きを食らうシャチ 2


 ――パコよ。

 ノス島の守護神であり、バトルジャーヤの偉大なる神におわすパァコゥ。


 あなたは、守り神だった。


 ノスの海の島々を、その偉大なる力によって外敵から守った。

 バトルジャーヤは戦いの神の星。

 戦はなくならない。


 どれだけの島が征服されたろう。

 命を奪われ、文明と歴史を奪われ、子孫を奪われ、誇りを奪われただろう。

 我らと同じ人間によって。


 ノスの島々は、パァコゥが守った。

 軍艦をへし折り海に沈め、嵐を巻き起こし、外敵を阻んだ。


 けれどかの神は人々を呑んだ。

 私の両親を、叔父を、弟を、仲間たちを。

 たくさんのともがらを。


 ノスの多くの島々は、パァコゥにおもねった。

 決まったいけにえを差し出すか、あるいは誇りを捨て島から逃げ去った。


 けれども、おもねった者は滅びた。

 パコにすべて呑まれて。


 わが島の者たちは戦い続けた。

 パァコゥに屈するでもなく、おもねるでもなく、逃げるのでもなく、抗い続けた。

 それこそがバトルジャーヤの神の道しるべ。


 私を鍛えた。

 島の者を鍛えた。


 そして、ついに我が刃となった。

 戦った歴史は、私の誇りとなった。


 パァコゥはわが友になった。親になった。兄弟になった。

 これこそが、強さ。

 アノールの民族の誇り。


 今、自分がこの地に立つのは、パァコゥがあったからだ。

 パァコゥが、私を育てたから。





 その瞬間――セシルが立ち向かい、弾かれたその刹那、ベッタラは見た。

 マミカリシドラスラオネザも見た。

 黒いもやの向こうに、慟哭(どうこく)し、助けを求める男の姿を。

 もう、終わらせてくれと、そう叫んでいるようにも聞こえた。


 ――それが、あなたの、願いか。


 ベッタラは、寸時瞑目(めいもく)した。本当に、一秒もないほど。


 ルナたちは、だれかが天高く舞い上がったのを見た。


 レボラックよりも高く――高く。


 井桁のほうから高く飛び上がったベッタラが、剣を大きく振って、レボラックの鼻先をかすめ――地面に突き刺した。


 赤黒く噴きあがる噴煙が、まっぷたつに割れた。


 ベッタラはふたたび飛び上がり、一回転し、レボラックの頭上に降り立った。


 地面を這いずっていたセシルの動きも、止まった。


 ――同時に、荒れ狂った井桁の炎も静まった。炎は小さくパチパチと爆ぜ、ゆらゆらと天に向かって立ち上った。


 ――キン。


 静かになった広場に、刀を鞘におさめる音が響いた。


「きゃあっ!!」


 ミシェルの悲鳴――ルナも上げていたかもしれない。弾けるように、レボラックを覆っていた赤黒い“もや”が、爆発した。


 皆は見た――宇宙から降りてきた、レボラックを包み込む、群青と白金色がまざったような、神々しい光を。


 “黒”が、白金色の中に消えていく。


 シャンパンゴールドの光が、まるでスコールのように、レボラックに――レボラックの向こうにあっただれかを癒すように、救い上げるように、降り注ぐ。


 十分もそれが続いただろうか。

 そこにいただれかが、神々に手を引かれ、天へと昇っていく。

 その姿は、皆にもはっきりと見えた。


 ルナは、レボラックから、黒い瘴気が消えているのに気付いた。

 獣の咆哮がたなびいていた世界は、不気味なほどの静寂を取りもどしていた。


 レボラックの上に乗っているのはベッタラだ。

 ゆらり。

 巨大な獣が、揺らめいた。


 地響きを立てて、レボラックは真横に倒れた。

 ベッタラは地に降り立ち、鞘ごと剣を掲げて見せた。


 固唾(かたず)をのんで見守っていた観衆は、しばらくだれも、動かなかった。


 やがて、マミカリシドラスラオネザの鈴の音が、儀式の終了を告げるかのように、静寂を破って星々に跳ねかえった。


 次いで、折り重なるように響き渡った、大勢の歓声。


「ベッタラ! ベッタラ! ベッタラ! アノールのベッタラ!! バトルジャーヤのベッタラ!!」


 ベッタラの偉業をたたえる雄叫びが、大合唱となって夜闇に響く。


「ベッタラ!」


 ルナたちは、見守っていたほかの原住民たちにまぎれて、ベッタラに駆け寄った。


「セシルさん――ネイシャちゃん!」

 

 ベッタラは、鞘に納めた刀を見つめ、涙を流していた。


「――パコが、ワタシを、何度も助けてくれました」


 レボラックの突進を受け止めたのはたしかにパコだった。


 ――レボラックの魂を、天へ連れて行ったのも――。


 ベッタラは、空を見上げた。そこには、星がきらめく宇宙があった。

 

 遠くから儀式を見守っていたルナたちは一向に気付かなかったが、ベッタラのそばにきて、仰天した。彼は血みどろだった。


「あちこちひっかけられたりしたせいで、血を流した傷が多いですが、深手はありません」


 ベッタラはしっかり自分の足で立ち、治療はあとでもいい、と運ばれるのを断った。

 めのまえでセシルとネイシャが飛ばされるのを見ていたはずなのに、ベッタラはずいぶん冷静だった。その理由も分かった。


 ――セシルとネイシャは、生きていた。


 角に弾かれ、本来なら重傷を負うところだったが、レボラックを取り巻いていた真っ黒な瘴気と同じようなものが、ふたりへの衝撃を和らげた、とベッタラは言った。


 彼はふところから夜の神の守りを取り出し、「もしかしたら――ふたりを守ったのは、夜の神かもしれません」といった。


「正確に言えば、夜の神を動かしたのは、サルーディーバだ」


 ペリドットがそばに来ていた。サルーディーバの名に、ルナがぴょこんと顔を上げた。


「俺も、呪いの瘴気に紛れて、夜の神の守護が動くのを見ていた。肌守りだけでは、あれほどの神力は出ない。サルーディーバが、真砂名神社で、夜の神への祈祷をしていたようだ。力は失ったと聞いていたが――まだあつかえる術はあるようだな」

「サルーディーバさん……」


 ルナが、つぶやいた。アズラエルは苦い顔をしたが、二人を助けてくれたことに関しては、何も言わなかった。


「見事であったな、バトルジャーヤの戦士、ベッタ・ラよ」


 マミカリシドラスラオネザも、手を打ち鳴らし、ベッタラの労をねぎらった。


「そなたは呪いだけを断ち切ることに終始つとめた――それゆえか、(にえ)にはほとんど傷がない。――いや、見事なものだ」


 ベッタラをさんざん生意気だと言っていたマミカリシドラスラオネザだったが、今回のことで、彼を見直したようだ。


「――深い、深い怒りとかなしみを、ワタシはずっと、感じていました」


 ベッタラは、倒れたレボラックを見つめたまま、つぶやいた。


「“彼”は、愛する息子を処刑され、家族も、友人も、“彼”の見ているまえでむごい殺され方をしたのです。そして“彼”は――自身の命を懸けて、息子の愛する人に呪をかけることを強要された――妻の命と引き換えに。呪いが成就したとき、妻は殺された――“彼”の命も、無論」


「……そんな目に遭ったのなら、恨む気持ちも分かるな」


 グレンがぽつりとつぶやいた。


「憎悪の塊となった“彼”には何を言っても通じません。ワタシは、“彼”の魂が救われるよう、願うだけです。ほんとうは、レボラックの息の根を止めねば、終わらぬところでしたが、セシルがこちらへ向かってきたときに、すべては終わったのです。ワタシがレボラックに刃を突き立てるまえに、ラグ・ヴァダの女王が、呪を消してくれました。そして、“彼”の魂を救った」


 ベッタラが瞑目した。

 “彼”とレボラック、ふたつの魂を悼むかのように。


「ルナ・ドローレス・バーントシェントと申したか。此度は、まこと、運が良かった。そなたが“偉大なる青いネコ”――すなわちラグ・ヴァダの女王に一報あったために、手筈は滞りなく済んだのだ。――見よ」


 マミカリシドラスラオネザは、倒れたレボラックを示して言った。


「あれほどの呪いを身に宿せば、レボラック自身の魂もさまよう。呪いを浄化したのちは、レボラックの魂をも救う儀式をせねばならぬところだが――ほれ、レボラックの魂も、ともに救われておる」


 レボラックの安らかな顔を見よ、と彼女は言った。


「ふつう、呪いを宿した獣は、陰惨な顔をしてあの世へ行くものだが、じつに幸福そうな顔をしている――レボラックは、心配いるまい。大きなシャチが、天へ連れて行った」


「――え?」


「パコが、レボラックを連れて行ったのです」

 ベッタラが微笑んだ。


 ルナは、あの夢の意味がやっとわかった。

 月を眺める子ウサギが、クジラのように大きなシャチと、カバみたいな動物の糸を結んでいる夢。


(そうだったのか……。うさこは、パコちゃんとレボラックの糸を結んでくれたんだね)


 ルナはポロリと涙をこぼした。


「呪いの元凶であった、ネイシャの祖父の魂は、ラグ・ヴァダの女王が救った」


 マミカリシドラスラオネザは、ルナもはっとするような美しい笑みを見せた。


「呪いはすべて解けた――安心いたすがよい」


 ルナたちの顔に、やっと笑顔が戻った。


「ネイシャ……!」

「よかった……!」


 ピエトが涙をぬぐい、ミシェルもあふれ出る涙を何度も袖でぬぐった。

 ルナも、大声で泣き出したいところだった。

 これで、セシルもネイシャも、呪いに苦しむことなく、生きていけるのだ。


「だが――ひとつだけ言っておかねばならぬ」

 マミカリシドラスラオネザは言った。

「おそらく、セシル・ヴィダ・オズワルドの目は、徐々に視力を失うであろう。いずれ盲目になるやもしれぬ」


「ええっ!?」


「神は、すべてをお許しにはならなかった。本来なら彼女の寿命は三十半ばで途切れるはずであった。それもまた、さだめ。神は、彼女の目と引き換えに、呪いを断ち切り、生命を伸ばしたのだ。それを必ずや、つたえよ」




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