28話 孤高のトラ Ⅱ 1
次にルナが立っていたのは、薄暗い廊下だった。
さっきの廊下だ。でも、夜なのか、とても暗い。
廊下は果てしなく闇が伸びて、先が見えない。
ルナは恐怖すら感じた。
扉が少し開いて、そこから小さな光とともに声も漏れてくるのだった。
「……結婚? ……いや、それは、」
「先方のぜひにとの要望もあってだね、グレン」
「おまえの父さんは、われらの反対を押し切って娼婦を妻にした」
「地球行きの船になど、乗ったのがまちがいだった」
彼らは、グレンに縁談を進めているのだった。ルナは、聞いてはならないと思いつつ、そこに立ちつくした。
「成人したのだから、ここはひとつ、会ってみるのも……」
「遅すぎるくらいだぞ、グレン」
「――大佐のお嬢さんだ。美しくていまどき清楚なお嬢さんだよ」
「ずいぶん骨を折ったものだ。こんないい話はほかにない」
「帰ってください」
グレンの厳しい声が聞こえた。
「帰ってください。とりあえず今日のところは。父の不在に、そんな大事なことを俺が勝手に決められませんから」
グレンがきっぱりと拒絶の意を示したあと、しばらくのざわめきののちに、ぞろぞろと扉から人間が出てきた。
暗い長い廊下に、奥の闇に去っていく背を丸めた人間たちは、男も女も、みな不気味な亡者に見えた。
彼らの姿が見えなくなると、後ろのドアからレオンが現れた。その顔はなぜかゲッソリとやつれている。先ほどまで見ていたレオンの快活な顔とは別人だったので、ルナは思わず息をのんだ。
彼の、陽気で明るい雰囲気は、まったくなくなっていた。
「グレン」
あまりにも気配のないその様子に、グレンですら驚いたようだ。声をかけられて、肩を跳ねさせた。
「レオン」
グレンは親しいいとこの姿を見て、ほっと肩を下げた。
「ビビらせるんじゃねえよ」
「あいつら、また来たのか」
「ああ。俺に妻を押しつけようとしてる。聞いたことのない家だった。ドーソンとつながりを持ちたくて、よそはみんな必死だな」
グレンが鼻で嗤った。
「バクスターさまの不在に、そんな勝手が許されるのか」
レオンのつぶやきに、グレンは嘆息した。
「今に始まったことじゃない――たぶんおばあさまの手先だろ。俺のおふくろが“ああなったから”、親父に後妻をめとらせようとしていたが、親父が拒むから、俺に来た。それだけのことだ」
ルナは、困惑顔で、グレンの口から語られる「ドーソン家の内情」を聞いていた。
グレンは、軍事惑星群L18の名家、ドーソン家の嫡男で、実質、後継者だった。
兄弟はおらず、いとこたちがたくさんいる。
それくらいのことは、ルナにもようやく分かってきた。
そして、これは、グレンの二十歳のころの時間軸。
どうして、こんな夢を見ているのだろう。
「親父とおふくろが、逮捕された」
(えっ)
突然のレオンの言葉に衝撃を受けたのは、ルナだけではなかった。グレンの顔色も変わり、レオンに詰め寄った。
「なんだと」
「軍事裁判にはかけられない。まっすぐ監獄星行きだ」
「待て――どういうことだ」
「俺は逮捕されなかった。ナターシャとトニーもだ。つまりは、“バラディアさんがそうした”ってことだ」
「バカな」
グレンは、まだ理解できない顔をしていた。
「俺の両親だけじゃない。バクスターさまのごきょうだいは――俺たちの親の世代はほとんど全員だ。いずれ、おばあさまにも逮捕状が来るはずだ」
「まさか」
「そのまさかだ。だからきっと、おばあさまは、おまえの縁談を急いでいる」
グレンも、聞いているだけのルナも絶句した。
「ロナウド家が黒幕だってウワサだ」
レオンは、テーブルにあったウィスキーをグラスに注ぎ、あおった。
「勘違いするな。俺はオトゥールたちを恨んじゃいない。むしろ、感謝しているくらいだ」
「レオン――」
「どこまでも傭兵たちを認めない、ドーソンのやり方には、もううんざりだ」
恨んでいないと言いながらも、レオンの形相はすさまじかった。
「親父とおふくろは、逮捕されるべきことをした。何人もその手にかけた。陥れた。裁かれて当然だ――分かる、でも」
レオンは顔を覆った。
「あれは、俺の親父とおふくろだ」
グレンは、レオンを無言で抱きしめた。レオンは泣いていた。
「もう帰ってくることはないだろう」
グレンも泣いている気がした。涙ひとつこぼれてはいなかったが、その眉間は極限まで引き絞られていた。
レオンはひとしきり泣いたあと、ぽつりとつぶやいた。
「……おまえのまえで、こんなことくらいで泣いてごめん」
「なに言ってるんだ」
グレンは首を振った。
「おまえのおふくろを殺したのも、きっと、俺の両親だ」
レオンは絶望的な声で言った。
(――え)
ルナの顔は強張ったが、グレンは冷静だった。
(グレンのお母さんは、殺されたの?)
「違う。オーギュ叔父たちじゃない。俺のおふくろを殺したのは、たぶん、ユージィン叔父だ」
「ユージィン」
レオンは目を見開き、すぐにうつろな表情に変わった。
「あのひとは、いつから変わってしまったんだろうな」
「俺にもわからない」
「俺たちも、いつか、ああなるのか?」
「なりはしない」
グレンは、思いのほか強い口調で言った。
「ならない。俺は、そうはならない」
レオンは、そんなグレンの顔を見上げ、ふたたびうめくように泣いた。
グレンはなにも言わなかった。
真っ赤な目に強烈な意志を込めて、グレンは言った。小さく咳き込んでから。
「レオン、俺はL03のガルダ砂漠に行くことになった」
「……あの、やっかいなことになってるところへか? イオレはどうした」
レオンの声がやっと、正気を宿した。
「イオレも同行させる――だが、ドーソンがこんなことになって人材不足だ。イオレもあの地ばかりに関わってはいられない。俺が行くことになった。あそこはよく問題が起こる――イオレの一族が別地を任されてからはよけいに」
レオンが心細げにグレンを仰ぎ見たが、グレンはいとこを力づけるように言った。
「俺が行けば、すぐに終わる。もどったら、すぐ顔を出す」
「ああ」
ルナの目から見えるグレンの背中は、ひどく孤独に見えた。レオンのやつれた顔も衝撃的だったが、それ以上にグレンの冷静な顔が、一歩間違えれば崩壊しそうな気がして、ルナはなぜか自分が拳をぎゅっと握り締めた。
グレンの母親は、ユージィンというひとに殺された?
それも、叔父さんというからには、身内なのだろう。
お父さん――バクスターの存在は。執事のローゼスは? たくさんのいとこたちは?
マルグレットは?
グレンの誕生日に来ていた、たくさんのいとこと友人たちの存在は――。
逮捕されてしまったのだろうか。
ルナの目に、涙が込み上げた。
グレンのそばには、レオンたったひとり。
なんて恐ろしい一族なのだろう。
身内の中で殺し合いをし、なぜかは分からないが、つぎつぎ逮捕されていく。
もしかしてグレンは、たったひとり生き残って、宇宙船に乗ったのか?
グレンの硬質なブルーグレーの目が、ルナの記憶によみがえる。射貫くような鋭い目。でも、ルナやルーイたちに向けられる目は、氷が溶けたように少し和らいだ。
こんなところで戦い続けてきたのなら――あんな目になってしまうのも無理もなかった。
孤高のトラ。グレンのカードの意味が、ようやく分かった。
(グレンが、こんなに孤独だったなんて、あたしは知らなかった)
「グレン、無事に、帰ってきてくれ」
レオンが悲痛に言った。ルナも、決してグレンに聞こえるはずはないのだが、思わずそうつぶやいていた。
グレンの目から、涙があふれた。今度はごまかせなかった。
ルナは、言わずにはいられなかった。でも、「時間」は途切れる。
ドアの方から黒い影が伸びてきて、ルナをかっさらった。




