224話 マミカリシドラスラオネザ 3
「アレを!? ひとりで仕留める!?」
カレンが絶叫した。
「アレって恐竜だろ!? コンバットナイフ刺さるのかよ!?」
ライオンやトラ、肉食動物の牙も刺さらない、分厚い皮膚とうろこに覆われた恐竜だ。コンバットナイフ程度では、たとえ刺さっても皮膚の表面を傷つけるだけだろう。
いくら草食といえど、でかい前足のひと踏みで、クマを押しつぶしてしまう体重に、ココナツの実も簡単に砕いてしまう丈夫な奥歯を持っている。
強敵であることは、間違いがなかった。
「アレを仕留めろっていうなら、セシルも無理だが、アズやグレンでも、ひとりじゃ無理だろ」
「条件による」
アズラエルが両手でおさえるしぐさをした。
「条件による。そうだろ? なにで仕留める? 銃か? 武器をなんでもつかっていいというなら、方法はある」
「仕留めるには、刀剣一本で向かわねばならぬ」
マミカリシドラスラオネザが見事に希望を打ち砕いてくれた。
「刀とは、意志の力そのものを表す。呪には、つよき魂の力で向かわねばならぬ」
「その獣を倒すのは、セシルじゃなくちゃダメかな? セシルの代わりに、だれかほかの人間じゃ――」
クラウドが尋ねると、マミカリシドラスラオネザは「かまわぬ」といった。
「呪を受けた人間の依代となる者が打ち倒すことになっても、それはかまわぬ」
「レボラック、たしか、草食だろ」
発見者の教授の名がつけられた、恐竜――教授が毎日エサをあげていたら、やがて懐いた、という、ウソかホントかわからないようなドキュメンタリー番組をグレンは思い出していた。
「おとなしいって話だ。食われる危険性はねえ」
「“呪”を身に宿せば、けものは猛る。呪をかけられた者を食い殺すまで静まらぬ」
「……」
グレンは何か言いたげに口をパクパクさせたが、やがて黙った。
「ちょっと待ってください。仕留めるってことは――言い方が悪いけど、殺すことでしょう?」
セルゲイが割って入る。
「ええと、とにかく。動物園の動物を、殺すわけにいかないでしょう。しかも、発見されたばかりで、希少種だっていうのに……」
セルゲイの意見は、社会通念上もっとも常識的なひとことだったが、“呪い”というものに常識は通用しなかった。
「呪はあの親子から離れれば、自然と一番大きな獣にうつるであろう。そうなれば、もはやもどれぬ。もし――動物園で暴れたその獣を、仕方なく飼育員が鎮めたとしても、呪はふたたびよりどころを求めてほかの獣に乗り移る。儀式で屠ったものではないからだ。獣の殺りくが繰り返されることをよしとするか? 大きな獣から順に屠っていけば、やがてイノシシあたりに到達するかもしれぬな」
「人にかかる心配は、ないのか」
ペリドットが聞くと、マミカリシドラスラオネザが不敵に笑った。
「それをさせぬのが、我らが秘術よ」
「……そうか。なるほどな」
男たちは、黙った。
イノシシくらいなら、セシル一人でも仕留められる。呪の効果が加わった猛獣になりはてたとしても、傭兵として生きてきた彼女なら、なんとか――という目算はつく。
しかし、恐竜が相手というのは、論外すぎた。
だからといって、マミカリシドラスラオネザのいうように、呪がうつった巨大な獣を順から殺していって――というのも、論外だった。
むやみやたらに動物を殺したいわけではない。
アズラエルたちも傭兵家業をやってきたが、「殺す」という選択肢は、人間であれ動物であれ、なるべく避けたいのだ。
もし、そんなやり方を選んだら、そこでほっぺたをぷっくりしているウサギや子ネコに、一生嫌われる覚悟をせねばなるまい。
「……レボラックは、死ななきゃならないの?」
ミシェルが、目に涙をいっぱい浮かべて言った。
「ほかに、方法はないのかな? 死ななくても、気絶させるとか――レボラックの人形をつくるとか! それをかわりに壊すとか!」
ミシェルの聖滴により、クラウドの決意が思い切り揺らぎかけたが、思いもかけず、マミカリシドラスラオネザがミシェルのそばに寄り、細い手をそっと彼女の肩にかけた。まるで、慰めているかのようだ。
「レボラックという獣は、親子の呪を持っていってくれるのだ。そして、親子の守護神となる。レボラックは、天の星座となって、永久に、エラドラシスの民に敬われるであろう」
ミシェルは、納得がいかない顔だった。しかし、セシル親子の呪を解くには、今のところ、それ以外の方法はない。
マミカリシドラスラオネザに頼るほかはないのだ。
(――レボラックは、“親子の呪を持っていってくれる”?)
ルナは、まるで違うことを考えていた。セシルとネイシャのことも、レボラックのことも、呪いのことも、なぜか頭からなくなっていた。
その代わり、想うのは、メルーヴァのことばかりだ。
(メルーヴァ)
どうして、今、こんなときに、メルーヴァのことを考えねばならないのか、ルナにはわからなかった。
(メルーヴァ。――メルーヴァも、なの?)
親子の呪をその身に宿し、屠られようとするレボラックの姿が、なぜかメルーヴァの姿と重なった。
ルナが混乱しかけたとき――凛とした声が、ルナを現実にもどした。
「ワタシが、やりましょう」
ベッタラの声だった。
「ワタシは長剣をあつかいます。それに――ワタシなら、ミーシェルに憎まれても、それをやり遂げることができます」
ミシェルは、ふてくされた顔で、「べつに、ベッタラを憎むとか、はしないけど……」と鼻をかんだ。
「ほかに方法はないかなって、思っただけ」
「ベッタラ、相手は恐竜だぞ」
グレンが一応止めたが、ベッタラは顔色も変えず言い放った。
「あれは、パコより小さい」
パコは、ベッタラがふるさとで戦い続けてきたシャチの名だ。シロナガスクジラに匹敵する大きさを持つという、規格外のシャチ。
「おまえの基準はわかってる。だが、パコより小さくたって、恐竜とドンパチやった経験はねえだろ」
「ありません。ですが、ワタシは負けない」
「ベッタラ……、あのな、」
「ワタシは、レボラックを倒すのではありません。“呪い”を、倒すのです」
ベッタラは、まっすぐにグレンを見た。
「“呪い”とは、悲しみです。かなしい想いです。憎しみは、悲しみでしかありません。セーシルを憎まねばならなかった、ケトゥインの術者の哀れを。呪に苦しめられ続けてきたセーシルとネーイシャの想いを、ワタシは救わねばなりません」
ベッタラは、腰に差していた長剣を抜いた。ベッタラの身長の半分もありそうな、両刃の剣だった。
「ワタシがパコと戦い続けてきたのは、憎しみではありません。ですが、最初は憎しみだった。パコはワタシの父を飲み、母を飲んだ。兄と弟も飲みました。叔父を飲み、叔母を飲み、村長も飲まれた。村人が、何人飲まれたかわかりません。
百日に一度現れる偉大なシャチは、現れるたびに村人を飲み込む災厄でした。ワタシも何度飲まれかけたかわからない。でも、ワタシは生きている。二十の年をむかえて以降、ワタシは村人とともに、何度もパコを撃退しました。三日三晩の戦いが毎度行われます。
パコが、あきらめて去っていくまで、昼も夜もない戦いが。
パコも食わねば死ぬ、ワタシは、村人をこれ以上食われたくない。たたかいます。いつも引き分けです。
三年前でしょうか。パコはワタシの村を襲わなくなった。
でも、必ず百日に一度現れます。パコとワタシは、三日三晩にらみ合います。それは、友達同士の逢瀬のようでもあり、勝負でもあります」
あれは偉大なる「災厄」だった。村の者を次々飲み込んでいく。容赦なく、動物の贄も用を果たさず、ひとを、飲んでいく。
だが、パコがあるために、ベッタラの村は他国の侵略を受けなかった。
「戦ばかりのあの星で、ワタシの村は唯一、戦に巻き込まれない平和な村だったのです――パコの、おかげで」
皆は、息を呑んだ。
「パコに飲まれて死ぬのと、戦に巻き込まれるのと、どちらがよいかなど、言えません。戦に巻き込まれれば、つくった作物は荒らされます。奪われます。女は犯されます。子どもは兵士になるため連れていかれ、人々は奴隷になります。言語を奪われ、伝統を奪われ、残酷な方法で殺されることもある。どちらが、マシか、など、」
ベッタラは言葉を詰まらせた。
同じ星の出であるルシヤも、L85の紛争地で生き延びてきたピエトも、瞬きすらせず聞いていた。
「それじゃあ、あんたが宇宙船に乗っちゃったら、あんたの村がまた……」
カレンが言ったが、なぜかアズラエルが首を振って止めた。
ベッタラが、泣いていた。
「パコは老いて死にました。それでも、シャチにしてはずいぶん長生きだったのですよ。ワタシが宇宙船に乗った年の春、パコは現れませんでした。死んだのです」
ベッタラは、涙をぬぐいながらつづけた。
「偉大なパコの威勢は、まだ他国から、我らの島を守っている」
ベッタラの村周辺の海は、まだパコがいると思って、だれも侵略してこない。
「ワタシは、パコの死を知り、はじめてパコを憎んでいないことに気付いたのです。――悲しみだけが残りました。その悲しみは、説明のしようのない悲しみです。ワタシのすべてが、パコに飲まれてしまったかなしみは消えません。でも、パコという親友を失ったかなしみもあるのです、……パコを、恨んではいないのです。ワタシを、アノール最強の戦士にしてくれたのは、パコでしたから」
ブン! と空気を切る音。ベッタラが剣を一回転させたのだ。
「これは、パコの骨を磨いたものでできています」
ベッタラはぐっと柄を握りしめ、刃の輝きを見つめた。
「ワタシが宇宙船に乗ってからのことです。パコが現れなかった春から百日後、村の浜辺に大きなシャチの骨が打ち上げられていました。クジラのような大きさでしたが、シャチの骨格です。みんなは、これはパコだとわかりました。なぜ骨だけが打ち上げられたのか――だれもわかりません。でも、村人たちが、その骨をつかって剣を打ってくれました。パコの骨は、鋼より強靭です。そのうちの一本がこれです。先日、宇宙船に住むワタシに、届いたのです」
ベッタラの、たどたどしい独白は終わった。
「ワタシが、これで、戦います」
「バトルジャーヤのアノール最強戦士、ベッタ・ラよ」
マミカリシドラスラオネザは鈴を鳴らした。
「そなたであれば、呪を滅ぼせるであろう!」
オオオオオオオ……!
外野の原住民たちが、大きな歓声を上げた。山も振るわせるような、巨大な歓声だった。
ルナは、ふとペリドットが自分を見つめているのに気付いて、そちらを見た。
脳に直接話しかけられてでもいるような、明瞭な声が額の裏側に響いた。
『ルナ――この顛末をよく見ておけ。ベッタラの覚悟を、言葉を、覚えておけ』
ペリドットの口は動いていない。だが、彼はルナに話しかけていた。
ルナだけに。
『いずれおまえがメルーヴァと向き合うときに、ベッタラの言葉を思い出すだろう』




