224話 マミカリシドラスラオネザ 1
ルナたちがいよいよ、マミカリシドラスラオネザに会いに行く日。
ピエトは朝からネイシャの家に遊びに行った。バーベキュー・パーティーのことを、夏休みの日記に、一緒に書くのだと言って、意気揚々とでかけていった。
ピエトには、K33区にいくことを伝えてあるが、セシルとネイシャには知らせていない。
マミカリシドラスラオネザとの対話がうまくいくとは限らない。クラウドが彼女の機嫌を損ねてしまえば、まるきり先がなくなってしまうわけで、ふたりに下手な期待をさせるより、呪いを解く方法が分かってからすべてを話そうということになった。
「準備はいいか、おまえら――なんだその恰好」
ミシェルもルナも、なぜかTシャツにパーカーを羽織り、カーゴパンツにワークブーツ、帽子をかぶって、ウエストポーチを身に着けている。ウエストポーチには、ミネラルウォーターが突き刺さっていた。
「山にでものぼるつもりか」
アズラエルはあきれた声で聞いたが、ルナとミシェルは肩をいからせて叫んだ。
「動きやすい格好をしただけよ」
「今日はなにかたいへんなことがあるかもしれません! だから動きやすい格好なのです!」
クラウドは、「ブーツとズボンの隙間から見えるミシェルの生足は聖域にほかならない」と意味不明にテンションが上がっているので、アズラエルはそれ以上突っ込まなかった。ミシェルがワークブーツをはこうが、登山しようが、クラウドのモチベーションが上がるならいいことにしよう。
それにしても、何を想像してこの格好にしたのか。
アズラエルはもとより、ルナとミシェル以外のメンバーはまったく分からなかった。
マミカリシドラスラオネザと話しにいくだけで、サバイバルがあるわけではない。
登山もない。
K33区に向かうメンバーは、クラウドとアズラエル、グレン、カレン、セルゲイ。
そして、登山スタイルのルナとミシェルだ。
K33区役所一階のシャイン・システムの扉が開くと、ロビーには、バジとベッタラが待っていた。
「おはよう!」
「おはようございます」
バジはほがらかに手を挙げ、ベッタラは生真面目に言った。
「ルナちゃんたち、登山でもするの」
「山に登るなら、道案内人が必要だと、ワタシのご意見をささげます」
バジとベッタラにも登山すると思われたネコとウサギは、「そんなに登山スタイルかな」とはじめて自分たちの格好を見直した。
「朝から来てもらったところに悪いんだけど――マミーちゃんは、夜でなきゃ会わないと言ってる」
いきなり今朝、そういったんだ、とバジが肩をすくめ、ベッタラは、「わがままな人です……」とため息を吐いた。
簡単に会えるものなら苦労はない。アズラエルたちは、マミカリシドラスラオネザに、ストレートに会えるとは思っていなかった。
「分かった。じゃあ出直す」
夜に、もう一回来よう。
アズラエルが言いかけたところで、「いや」とクラウドが遮った。
「すでに、俺たちは試されているようだ。このまま向かおう。――俺たちは、マミカリシドラスラオネザが出てきてくれるまで近くで待機する。ペリドットのもとに案内してくれ」
今回の計画は、クラウドが舵取りだ。だれも反対はしなかった。
以前ここに来たときと同じく、役所を出ると馬が用意されていた。ミシェルはクラウドの馬に、ルナはアズラエルの馬に乗った。
今回は、みんな、無駄口を叩かず、猛然と馬を走らせた。ルナとミシェルは、やはりこの格好で来て、正解だと思った。先頭を駆るベッタラが速すぎて、アズラエルたちも馬のスピードをできるかぎり速める。そのせいで、乗馬などしたこともないミシェルとルナは、ジェットコースターに乗ったときのように、悲鳴を上げるか、歯を食いしばりながら彼氏の腕という安全装置にしがみつくことになった。
ミシェルとルナの頭が縦横にブレまくって、車酔いのような症状が出てきたころ、ようやく中央広場についた。
ここはルナたちが、ラグ・ヴァダの神話を聞いた場所だ。
今日は井桁に火は入っていなかったが、井桁にもたれかかるようにしてペリドットが座っていた。そばには、ルシヤと九庵が。
「おはよ……」
「おはよう! どうしたの」
ルシヤはフラフラのルナとミシェルを心配した。馬酔いしただけだ。
ペリドットは右手を挙げた。
「ああ、おはよう。バジから話は聞いたか」
「聞いたよ。夜でなければ会えないんだって?」
「出直してくると思ったが――そのまま来たか。そうだな、ちょうどいい。アズラエル、グレン。話がある」
ペリドットは、アズラエルとグレンだけを呼び寄せた。
「ちょっと長い話になる。おまえらはその辺でも散歩して、時間をつぶしてろ」
ペリドットはルナたちに言った。
「夜までヒマつぶしね――寝るか」
カレンは大草原を眺めつつ、綺麗な酸素を体中に取り込むように、伸びをした。
「来る途中の集落で、市場が開いていたね」
セルゲイが「のぞいてこようか」といった。ルナとミシェル、そしてルシヤと九庵はもちろん賛成し、カレンも「悪くないね」とついていく意志を見せた。
クラウドは「俺はここに残るよ」といって井桁にもたれかかって手帳を見始めた。
市場で、物珍しい食べ物や服、雑貨を物色し、ルナたちは午前中たっぷり、市場でヒマをつぶした。
昼食は、ルナたちが市場で買った、野菜と肉を甘辛く炒めた物をごはんに乗っけたものか、聞いたこともない魚のフライと野菜をフォカッチャにはさんだものを、ココナツジュースとともに食した。
市場は、午前中で撤収してしまった。
何もない場所でヒマをもてあますのはだいぶ苦痛かと思いきや、好奇心旺盛で怖いもの知らずのルナとミシェルは、ルシヤと一緒にあちこち探検し、気のいい原住民からおやつをもらったりして、退屈せずに遊んでいた。
蔓でできた橋を渡って山のほうへ行き、ほんとうに登山をしかけたときは、あわててベッタラが止めに来た。この山を登れば、真砂名神社のほうに出るらしいが、とてもルナたちが歩いて行ける距離ではない。
アズラエルたちは、なにもすることがないと分かった途端に寝始めた。
九庵は、「本日のお役目」を果たすかのように、原住民たちの農作業の手伝いに出かけた。
セルゲイは、役所までもどって、図書館でヒマをつぶした。
クラウドは、おそるべきことに、朝から夜まで――マミカリシドラスラオネザが出てくるまで、ずっと井桁のそばから動かなかった。
あちこち探検しまわったルナたち三人は、疲れ果ててすこし昼寝をした。
ルナが起きたのは、午後五時近くだった。ルナはそろそろかな、と思って、ピエトに連絡した。
「まだ、マミカリ? ドラドラザさんは、来ないんだ。会えるのは、夜になっちゃうみたい。今夜、帰れたら帰るけど、遅くなりそうなの」
『俺もそっちに行っていい?』
「かまわないけど、気を付けてくるんだよ」
ピエトには、ルナのシャイン・カードを預けてある。役所にはセルゲイがいるので、セルゲイと一緒に中央広場まで来るように言って、ルナは電話を切った。
ルシヤは顔を輝かせて叫んだ。
「ピエトも来るのか!」
「うん」
まだ、会ったのは二回ほどだけれど、ずいぶん、仲良くなったものだ。
日が暮れて井桁に火が入り始めたころ、セルゲイとピエトも中央広場に来た。
アズラエルが腕時計を見た。
午後八時。マミカリシドラスラオネザは現れない。
「家の者がメシを作ったから、食え」
ペリドットがルナたちを呼びに来た。クラウドは昼食もとっていなかった。彼は、すべて済んでから食事をすると言って、やはり井桁のそばから動かない。
せっかく作ってもらったので、クラウド以外のメンバーは、とりあえずペリドットの住まいまで行って、食事をいただいた。
中央広場にもどって、午後九時半。まだ女呪術師は現れない。
「ピエトは帰る?」
目をこすり始めたピエトにルナは言ったが、ピエトは首を振った。ルシヤは夜型なので、平気な顔をしている。いつもなら、ハンシックで一番忙しく立ち働いている時間帯だ。
ルナたちは、それからさらに待った。
日付をまたぐ前にピエトが寝付いたので、ペリドットの妻が毛布を持ってきてくれた。真夏とはいえ、K33区は昼と夜の寒暖差が大きく、肌寒いくらいだ。
大きな毛布に、ルナとミシェル、ルシヤも一緒にくるまった。
「るーちゃん、寝てていいよ」
「わたしは、ルナのボディガード! 寝るものか」
徹夜したことだってあるんだ、とルシヤは元気よく言った。
満天の星の輝き――大宇宙が、空を覆っていた。
ルナはずっと、星を見つめて過ごした。
大きな惑星が空をよぎっていき、彗星が一瞬で尾を引いて流れた。
あの星々のどれかがアストロスで――そこに、メルーヴァがいるのだろうか。
それを考えると、眠気もすっ飛んだ。
(メルーヴァは、いったい、どうして、あたしを殺そうとしているの)
ルナは不思議だった。メルーヴァが自分を殺すかもしれないというのに、メルーヴァを憎んだり、怖がったりする気持ちは微塵も起きてこないのだった。
それがなぜか、ルナはわからなかった。
ガルダ砂漠の夢で、メルーヴァを知ったからだろうか。
彼が、“悪人”だとは、思えないせいだろうか。
ルナは、メルーヴァを想うと、悲しみしか突き上げてこないのを感じた。
(うさこ――うさこは、メルーヴァを知ってる? 彼が、何を考えて、今どうしているかを、知ってる?)
ルナは心の中で語りかけてみたが、返事はなかった。
ルナはいつのまにか寝ていた。座ったままウトウトしていたのだが、突然、瞼の裏に月を眺める子ウサギが現れた。
月を眺める子ウサギが、糸を結んでいる。ロープともいえるような太い糸だ。色はわからなかったが、大きなシャチと、巨大なカバを結んでいた。
(カバ? カバにしてはなにかへんだよ)
カバにしては、形がすこし、違うような気がしていた。
(うさこ、なにしてるの)
ルナが呼びかけると、月を眺める子ウサギはルナのほうを振り返って、「これでよし!」と両手をパンパンと叩いた。
ルナは、カクン! と顎が落ちて目が覚めた。
周囲をキョロキョロ見渡したが、クラウドとルシヤ以外、みんな寝ていた。
(カバとシャチ? カバは、ベッタラの運命の人?)
さっぱり、分からなかった。
ルナは、アズラエルの道具箱からかっぱらってきた、いろんな機能が付いたナイフだの、ロープだの、小型ラジオだの、つかいもしない道具を持ってきて、ZOOカードを持ってこなかったことをちょっぴり後悔した。
午前零時をすぎ――ルナの瞼もふたたび落ち気味になったころ――人々のざわめきが大きくなった。
すっかり寝ていたピエトとミシェルも目を覚ます。
気づけば、中央広場には、ルナたちだけではなく、たくさんの原住民が集まっていた。
二十人もいただろうか――袖のない、麻の衣装を着た原住民を従えた、真っ白い女性が、ゆっくりと歩いて、ルナたちのそばまで来ていた。
「マミカリシドラスラオネザです」
名乗ったのは、彼女の左右に跪いている侍女たちではなく、彼女本人だった。
彼女の印象をひとことで言うならば――包帯女、だった。
全身を、身体にぴったりと巻きつけた白い布地と、銀色の装飾で覆っている。肩から袖に絡んでいる半透明のベールも白。高々と――ソフトクリームのように頭上に結い上げた髪の毛も、真白かった。
朝からほとんど動かなかったクラウドが、ようやく動いた。
彼はまっすぐに白い女王の前に行き、二メートルほど距離をあけて、跪いた。彼女の顔をしっかりと見たまま、クラウドは言った。




