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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
533/959

222話 スクナノ湖畔でバーベキュー Ⅱ 2


「岸に戻ろうよ! オオカミさん!」

「いやだね」


(たいへんだ! このひとはグレンと同じ種類のにんげんです!)


 ライアンは、まんざらでもなさそうにルナを抱きしめると、


「オルドは“ハト”で、俺は“オオカミ”。――なんか、意味でもあんの」


 ライアンは、さっきの話題を再び持ち出してきた。

 ルナを湖に連れだしたのは、それを聞きたいからなのか?


「オルドはハトのTシャツを着てたが、俺はオオカミ模様の水着なんて着てないぜ」


 ルナはやはり、詰まってしまった。ZOOカードのことをどう説明しようか、口をバッテンにしかけたときだった。


(――え)


 ルナは目を疑って、二、三度、瞬きをした。だが、錯覚ではなかった。ライアンの右肩に、五センチほどの大きさの、月を眺める子ウサギが乗っていた。


「どこ行ってたの、うさこ!」とルナが叫ぶまえに、ルナの脳裏に恐ろしい光景が浮かんだ。


 早送りの映画のように、それは次々と展開されていき――ものの一分で、足先まで冷え込むような、恐怖の映像が終わった。

 同時に、月を眺める子ウサギも消える。


「ルナ?」


 ライアンの首に抱き付いたまま、停止してしまったルナを、ライアンは(いぶか)しげに呼んだ。


(オオカミさん)


 血も凍るようなライアンの運命を、ルナは確かに見せられた。


 ルナは悟った。月を眺める子ウサギは、ライアンに知らせてほしかったのだ。

 “危険”を。

 これは、言おうか言うまいか、迷っている場合ではない。


 ルナは急にライアンから身を離し、彼の肩に両手を置いてつかまったまま、何かに突き動かされるようにして言った。


「オオカミさん――オオカミさんは、五十歳になるまで、L系惑星群にもどっちゃだめです!」

「――あ?」


 ルナの口から出た言葉がひどく予想外だったせいで、ライアンは間抜けな声を上げた。


「いっしょにいる女の子もです! できれば、五十歳になるまで、アストロスから動かないほうがいいです。リリザも行かないほうがいい。リリザにも、探しにきちゃうから!」


 ライアンは、目をぱちくりさせていたが、やがて、目に真剣な光が灯った。

 ルナの言っていることを、信じてくれたかどうかはわからないが、理解はしてくれたようだ。心当たりがあるのか。


「――俺は、五十歳になるまで、地球にいたほうがいいのか」

 と真面目な顔をして、聞いてきた。ルナは泣きそうな顔になり、

「オオカミさんは、地球に行けない、です……」

 と小さな声で言った。


 そしてルナは口をパクパクさせた。ルナは、さっき見た映像の内容を全部話そうと思ったのだ。だが、なぜか、言葉が口をついて出てこない。これ以上は話すなということなのか。


 ルナは必死で言葉を発しようとしたがダメだった。無理だとわかり、ルナはまるで自分のことのように、悲しげに目を伏せた。


 ライアンは、地球には行けない。いっしょにいる女の子も――そして、どこかグレンに似た面影の、車いすの青年も――。


 ライアンは、口をつぐんだ。それから、一瞬だけ、同じ悲しげな目をした。


「少なくとも――俺は、五十歳までは生きるんだな」


 ルナは首を振った。


「もっと生きるよ。オオカミさんは、もっと生きます。おじいちゃんになるまで生きるの。でもね、――大切な人をなくしちゃう。――だから、L系惑星群には、もどっちゃだめ。ぜったい、だめ」


 ライアンは迷う顔を見せたが、

「L系惑星群に戻らなければ、俺は大切な人間を失わずに済むんだな?」

 と念を押した。


 ルナは、うなずいた。


 ライアンは、ルナをもう少し高く持ち上げて、ルナの鎖骨にキスをした。ルナはいつもなら悲鳴を上げていたと思うが、そうならなかったのは、ライアンに性的な意図がまったくなかったためだ。


「――ありがとう」


 ライアンは神妙に言った。それからもう一度、ルナの額に口づけた。


「なにをしますか」


 ライアンもルナも、横から投げつけられた鋭い声に、ぽかんとした顔でそっちを見た。

 ベッタラが、ライアンの手首をつかみ締めている。ライアンは平然としているが、骨がミシミシときしむ音が、ルナにまで聞こえそうだった。


「ルーナさんになにをしますか! この、――れっきとしたチャラ男め!」


 ベッタラの共通語録はいったいどうやって構築されているのだろう。スラングも正当な言葉もおかまいなしだ。


 ライアンは急に現れたベッタラを睨み付けていたが、何を悟ったのか、ニヤリと口をゆがめると、今度はルナの唇にちゅっとやった。


「――!!!」

「――!??」


 ルナもぴーん! とのけぞり、ベッタラは「このヘンタイめ!」と怒鳴った。


「ヘンタイ!? ヘンタイはてめえだろ! ずっと覗き見してやがったのか!!」

「アーイスクリームーを買ってきたら、ルーナさんがいなくなっていたので探したのです! こんなヘンタイに(さら)われているとは!」

「俺はヘンタイじゃねえ! ルナとは泳いでただけだ!」

「くっ、くくくくちづけをしていたではありませんか! 不道徳な! 夫がいる女性を奪うなど……! アノールではヘンタイの行為です!」

「あ!? てめえ、アノール族か?」


 ライアンはベッタラの髪をマジマジと見、それからルナを見て、ベッタラを見――ふたたびルナに視線をもどした。そして、しみじみと、感心するように言った。


「ラガーの店長が、アズラエルの彼女は小悪魔ちゃんだって言ってたけど、アノールの男まで侍らせてんのか……いや、すげえなアンタ」


「ちがいます!!」

 久しぶりに聞いた、不名誉な二つ名だ。


「そう謙遜するな。あんたなら、分かる気がするぜ?」


 ルナは盛大に否定したが、ライアンは誤解を解かなかったし、ベッタラがさらに誤解を深めた。


「ルーナさんがアーズラエルの恋人でなかったら、ワタシだって、ワタシだって!」

「コイツもおまえのこと好きだってよ」

「ち、ちがうの……! ベッタラさんは、イルカさんを探してて、」

「イルカあ?」

「イルカもいいですが、ワタシは、ルーナさんなら、イワシだって……!」

「イルカにイワシで、俺はオオカミね。おまえら、おもしれえな」


 ライアンはルナを抱きかかえたまま笑い、またルナの唇にキスしたので、激怒したベッタラがライアンの首をつかみにかかった。

 結果、ルナは水の中に放り投げられた。


「ぷぎゃ!」

「ルナ!」

「ルーナさん!!」


 ライアンとベッタラは、おぼれウサギの両手を左右から掴んで引き上げる。ベッタラのほうが早かった。ライアンに渡したくないあまりに、ベッタラはルナを引き寄せて、抱きしめてしまった。


「うわあ! すみません!」


 真っ赤になってルナを突き飛ばし、再びウサギは水の中に沈んだ。


「なにやってんだてめえ!」

 ライアンが慌ててルナを抱え上げる。


「い、いや、だって……ルーナさん、やわらか……」

 完全に挙動不審になったベッタラに、「ヘンタイはてめえじゃねえか」とライアンのツッコミが刺さった。


「ワタシは違います!」

 ボートのカップルたちは、「修羅場だ、修羅場だ」と言いながらその光景を見守っていた。


 ルナは、ベッタラとライアンに左右から支えられ、水中でも宇宙人のように連行されて岸に着いた。


 ベッタラもライアンと同じく、泳ぎは得意のようだ。ZOOカードがシャチだし、泳ぎが得意なのは当然かもしれなかった。


「ワタシは、海辺の村で生まれて育ちましたから。それに、いつもパコと戦っていた」


 ルナは、以前ベッタラが話していた、パコという名の巨大なシャチの話を思い出した。


「泳いで向こう岸まで渡れるか?」


 ライアンが挑発するように、はるかかなた後方を指さした。向こうに森と、大きなホテルがあるのはわかるが、水平線上にそれらが乗っていて、岸があるのかさえ、ここからは見えない距離だ。


「カンタンなことです」

「じゃァ、勝負してみるか。ルナの唇を賭けて」


 ルナも吹いたが、ベッタラも吹いた。


「ク、クククククチビル!?」

 いけません、それはだめです! とルナよりベッタラのほうが真っ赤になって慌てた。


 やっと岸辺にもどると、ピエトが駆けてくる。


「ルナ! だいじょうぶ?」


 セシルとネイシャ、セルゲイも一緒だった。


「ベッタラが、ルナがいないって泣きそうな顔で俺たちのとこへ来てさ。ルナに似た背格好のひとが、湖に男の人と入っていったって、見てる人がいて――俺、アズラエルかと思ってたけど――あれ、だれ?」

「うん――」


 泳いでいただけとはいいがたいが。ルナはライアンに、水中まで拉致されたようなものだ。


「アズの学校の後輩のひとで、ライアンさんってゆうひと」

「ルナちゃん、変なことされなかった?」


 前科という前科がありすぎるせいで、セルゲイが心配そうな顔で、ルナの頭をタオルで拭きながら顔を覗き込んでくる。ルナは嘘をついても無駄だとわかりつつ、「だ、だいじょうぶです……」と言った。


 肝心のライアンとベッタラは、向こう岸を指さしあって、何かわめいている。


「向こう岸まで行って、早く帰ってこれた方の勝ちだ!」

「承知しました! 負けません!!」

「よし! ルナ、そこで待ってろ!!」

「え!? ――あ!」


 ルナが止める間もないまま、ふたりは湖に飛び込んでいった。ものすごい勢いで浸水していく。


「すごいねえ!」


 セシルが思わず感嘆の声を上げた。ルナもぽっかり口を開けた。ライアンもベッタラも、水面に顔を出したのは、大分向こうだ。魚のように泳ぐ二人は、あっというまに視界から消えた。


「ふたりとも、海の近くで育ったのかも」


 セシルが懐かしむような目をした。


「よし! あたしも泳ごう!」


 思い切り背伸びをし、セシルはパーカーを岩場に投げ捨てて、湖に入った。そして、ベッタラたちの後を追うように、猛然と泳いでいく。


「セシルさんも速い!」


 ルナがぴーん! と伸びきって目を凝らしたが、彼女の姿もすぐに見えなくなった。


「母さんも、海辺の町で生まれたんだ。泳ぐの得意だよ」

 ネイシャが嬉しそうに言った。

「あんな楽しそうな母さん、久しぶりに見た!」


「ネイシャ、俺たちも泳ご!」

「うん!」


 ネイシャとピエトも、水に飛び込んでいく。

 ルナとセルゲイは、顔を見合わせて笑って、みんなの帰りを待った。


 一時間近くも待っただろうか。ルナは水辺に座ったままぼけっとアホ面をさらし、セルゲイは、湖に入ってネイシャたちと遊んでいた。


 一番に戻ってきたのは、ライアンだった。オオカミが水から上がったときのように、頭を振って水滴をはじきながら、ルナのほうへやってくる。


「おかえりなさい! オオカミさんの勝ちだよ!」


 ルナは言いかけ、勝利者には、自分の唇が勝手に与えられることを思い出してぴきーんとなりかけたが、ライアンは肩をすくめただけで、ルナに手を出してはこなかった。


「勝負はなしだ」

「え?」

「アイツの知り合いだか知らねえが、女があとから追っかけてきて、なんとなく不安だから女についてるって、途中で試合放棄しやがった」


 ライアンは、短い髪をかき上げて、顔に落ちてくる滴をぬぐった。


「やっぱアイツ、速えなァ。――たぶんあのまま行けば、アイツの勝ちだ。海育ちだって、分かる気がする」


 ライアンは笑い、「これ」とルナに差しだした。

 ルナが受け取ったそれは、夜の神の肌守りだった。


「あ……!」

「泳いでる最中に、あいつが落としたから拾った。渡しておいてくれ。――じゃァな。俺、帰るわ。先輩によろしくな」

「――っ、え、」


 帰っちゃうの、というルナの言葉が追いつく前に、ライアンの広い背中は、あっというまに人ごみへと消えていた。


(オオカミさん)

 ルナには分かった。ルナはもう、ライアンと会うことはないだろう。

(……もっとちゃんと、いろいろ伝えたかったなあ)


 なぜ、全部を話せなかったかは定かではないが、すくなくともあの「映像」を見た限りでは、ライアンたちがアストロスでおとなしくしていれば、捕まらない。

 L19の軍隊は、リリザまで“ふたり”の追跡をかける。アストロスまでは行かない。ライアンが五十歳になる前に、バラディアが亡くなるから、追跡は終了する。


(無事に生きてね。――オオカミさん)


 きっと、ライアンといっしょにいた女の子は、このあいだのホーム・パーティーにパイを焼いてくれた女の子だ。


(ぜったいに、“ふたり”で、幸せに暮らして)


 ふたりの壮絶な運命に胸を押さえたルナだったが、すぐに(あれ?)と首を傾げた。

 先ほど月を眺める子ウサギが見せてくれたライアンの未来――シネマはすっかり、ルナの脳内から消えていた。


 ライアンは、別れ際のオルドの言葉を、思い出していた。


『不思議な、ひとだった』


 オルドの、ルナを表する言葉はこの一語に尽きた。それ以外の言葉を、オルドは持たなかった。いついかなる場合も的確な言葉をつかって報告するオルドが、表現する言葉を選びかねている人物。ライアンも興味を惹かれた。


 それに、あのアズラエルが選んだ女、ということも、以前から気になっていた。


 小悪魔ちゃんだの、子どもみたいな女だの、いろいろ情報は入ってくるが、あのアズラエルが、ただの可愛い女に骨抜きにされているというのは、あり得ないことだと思った。


 だから、接触してみたくなったのだ。


 アズラエルが惚れた女。オルドが一度でも心を開いた女。

 ――ロビンも、正体をつかみかねている女。


 自分の目で確かめてみたかった。

 いったい、どんな女なのか。


(ロビンの話によると、サルーディーバとつながりがあるって話だったが)


 まさかライアンは、自分の未来を予言されるとは思ってもみなかった。

 ライアンは、帰ったら、メリーとレオンに聞かれるだろうことを推測して、自分ならルナをどんなふうに説明するか、考えてみた。


(やっぱ、不思議な女、か)


 それ以外に表現方法は、見当たらなかった。

 ライアンは駐車場に着くまでにすっかり乾いた髪をガシガシ掻きながら、車のドアを開けて、むわりとした熱気を浴びながら、エンジンをかけた。



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