222話 スクナノ湖畔でバーベキュー Ⅱ 1
ルナは、トロピカル・ジュースを買いに行くふりをして席を立った。そして、キョロキョロとあたりを見ながら、人ごみを歩いて行った。
ルナは、歩き始めて気付いたが、イジムが、ルナたちのテントの四隅に焚かれていた。
(どうりで、いい匂いがすると思ったよ)
テントから出て、やっとサイさんを見つけた。
サイさんことヤン君も、仲間と一緒に、シナモンが連れてきた女の子たちと盛り上がっている。場を取り持っているのはジルベールとシナモンだ。
(ふむふむ……いいかんじですよ?)
ヤンは一人の女の子と楽しげに話している。女の子の数は五人どころでなかった。十人を超えている。 ルナが顔だけは見知っている、ジルベールのダンス仲間の子もいる。
(これは、イマリを連れてくる作戦は、いらないかも)
ルナは嘆息した。ヤンの仲間五人に対して、女の子は十人以上。きっと彼女ができてしまうだろう。
(あっ!)
ルナはテントから離れた、売店が連なっているところまで来て、やっとベッタラを見つけた。
ベッタラが、三人の女の子に囲まれていた。
ルナは最初、ナンパされている男性を、(アズたちと同じくらいおっきいひとだな)と呑気に眺めていたのだが、近くまで来て、あの微妙な共通語と、鮮やかなグリーンの髪の毛のおかげで、やっとベッタラだとわかった。
ベッタラを取り巻く水着姿の女の子たちは、口々に「カッコイイ」だの「カワイイ」だのを連呼して、ベッタラを質問攻めにしている。
たしかに、今日のベッタラは、ルナも見違えるほど普通のカッコイイお兄さんだった。
もともと顔立ちも整っているベッタラは、背も高いし、バランスよく鍛えられた身体は、アズラエルと並んでも見劣りしないくらい精悍だ。
大きめのタンクトップに半袖のパーカー、ハーフパンツに、ビーチサンダル。額の鉢金も外している。だれがコーディネイトしてくれたのか、スポーツマンタイプの好青年に仕上がっていた。
(ベッタラって、かっこよかったんだなあ)
ルナは大変に失礼なことを考えた。ベッタラを三枚目に貶めていたのは、常に残念な共通語だったということになる。
「アノールって何!? カッコイイ」
「あれでしょ、森の奥とかに住んでる人でしょ!?」
「ゲンジュウミンってウソでしょ、見えなーい!!」
ベッタラは、女の子に囲まれて嬉しそうと思いきや、まったく嬉しそうではなかった。カチンコチンに固まって、顔がこわばっている。
リサはどこへ行ったのだろう。面倒見のいいリサが、この状態を放っておくことが不思議だ。
「あっ! ルーナさん!!」
ベッタラが、ルナの姿を見つけて、苦難の中に神を見つけたと言わんばかりの顔で名を呼んだ。そして、「す、すみません、通してください!」と女の子たちの囲みから抜けて、ルナのもとへやってきた。
「ええーっ、行っちゃうの」
「カノジョ持ちかあ」
ベッタラの力は、加減しているつもりでも強い。強く跳ねのけられたと感じた女の子たちは、「いたーい!」「ちょっとひどくない?」と口々に言って、興ざめしたように湖畔のほうへ歩いて行った。
「た、助かりました……ありがとうございました」
ゲッソリした顔で、ベッタラはルナの肩に縋り付いた。
「だ、だいじょうぶ? ベッタラさん」
ベッタラは、ずいぶん憔悴した顔をしていた。
「リサはどうしたの? 女の子、紹介してもらってない?」
さっきベッタラを囲んでいた女の子三人は、リサが連れてきた子ではないだろう。きっと、たった今ナンパしてきた、ただの観光客だ。ルナをベッタラの恋人だと勘違いしたのだろう。
「肉祭りの会場に戻ろうとしたら、あの子たちに囲まれたのです……」
ベッタラはうんざり顔で言った。
「あっちのお店から、ここに来るまで、同じ目に三回も遭いました」
三回も、ナンパにあったということか。
ルナは苦笑して、
「今日のベッタラさん、かっこいいからね!」
と励ましてみたが、ベッタラは困り顔で首を振った。
「よくわかりません。服を変えただけで、かっこよくなるなんて。ワタシはかっこいいを違うものと考えます。心のつよさです。女の子たちのかっこいいは、ワタシにはわかりません」
ルナは、ベッタラらしいなあと思ってから、もう一度聞いた。
「リサが連れてきた子は? ダメだったの」
ベッタラはうなずいた。
「リーサさんという方が、紹介してくれました女性の方々は、先ほどのひとたちと変わりがありません。ワタシは、あの女の子たちはダメみたいです。ダメです。話が通じません。話が通じないので、申し訳ないが恋人をオコトワリしました。そうしたら、みんなそろって怒るのです。分かりません。通じていなかったのでしょうか。ワタシは、失礼をしたかもしれません。やっぱり、ワタシの共通語は、オカシイですか」
途方に暮れた顔で「ちょっと、疲れました」というベッタラの肩をぽんぽんとルナは叩き、「だいじょうぶだよ、あたしベッタラさんの言葉、分かるよ」と励ました。
ベッタラは、ルナの言葉に、ようやくいつもの落ち着いた顔にもどった。
「ところで、リサはどこに行ったの」
「リーサさんなら、男の人とどこかへ行きました」
ルナは頭を抱えた。ミシェルとケンカ中だといっていたから、恐らくナンパされてついていったのだろう。
「ベッタラさんは止めなかったの?」
「と、止めたほうがよかったのですか? リーサさんは、結婚していないと言っていましたし、何か問題がありましたか」
そういえば。
ルナは思った。
リサは、ベッタラをカッコイイとは思わなかったのか。
「リーサさんは、最初、ワタシとリーサさんがおつきあいすることを所望しましたが、ワタシが、アナタはイルカですかと聞くと、違う、ネコだとこたえました。ワタシはイルカがいいですというと、諦めました。そのあと、ワタシに三人の女性を紹介してくれて、自分は迎えに来た男性と旅立ちました」
「リサ……」
ルナはますます頭を抱えた。やっぱりリサは、ベッタラのことを気に入ったらしい。でも、断られて気分を害したから、放って別の男と遊びに行ったのだろう。
(うん、リサだし。だいたい、こんな感じになるのはわかってたし)
「ルーナさん、アーイスークリームーを食べませんか」
ルナが悩んでいるのを見たのか、ベッタラが優しい言葉をかけてきた。
「え? ア、アイス?」
「はい! 女の子はアーイスークリームーが好きなのだそうです。先ほど、たくさんの女の子がお店の前に群がっていました。ワタシが買ってあげます。ここで待っていてください!」
「え……っ、あの、」
ルナは慌てたが、ベッタラはアイスの売店のほうへもどっていく。ルナは「おなかいっぱいなんだけど……」とぽつりとつぶやいた。
「ミシェルが食べるかなあ、アイス」
アイスはともかく、ジュースを買ってくると言った手前、なにか買っていかなければとルナは、ジュースの売店のまえに並んだ。
並んでいる客に手渡される電子機器の注文票。これで注文して、電子決済をするか、店頭で品物を受け取るときにお金を払う。
ルナは、キウイとイチゴのジュースのボタンを押した。急に影が差した。後ろから大きな手が伸びてきて、アイスコーヒーのボタンをちょいと押す。
「!?」
注文票はひとりひとりに配られる。清算がいっしょでもないのに、他人の注文票で注文する奴はどこのどいつだ。
ベッタラが戻ってきたのだろうか。でも、ベッタラはこんなことはしない。一声、かけるはずだ。
伸びてきた指のゴツさが、体格の良さを表していたので、アズラエルかグレンかと思って後ろを見たら、ルナのまったく知らない男だった。
だが、図体はアズラエルたちと同じくらいある。日焼けしたたくましい上半身は裸で、たった今泳いできましたと言わんばかりに全身濡れそぼった水着すがた。ハーフパンツの水着は目が痛くなるようなサイケな柄で、手首のミサンガも、額にひっかけられたサングラスもサイケな柄で、髪の毛は水色のトサカがついたソフトモヒカン。
目がくらくらしそうな色彩の男は、だが、イケメンだった。ベッタラと同じくらいの頻度でナンパされているであろうレベルの。
ソフトモヒカンは、笑顔でルナを見下ろしている。ルナが口をぽっかりあけている間に順番が来た。ジュースとアイスコーヒーが受け取りの台に置いてある。ルナが慌てて財布を出しかけると、「ふたりぶん」と言って、ソフモヒが紙幣を置いた。店員のpi=poは機械的に紙幣を受け取ってお釣りを出し、ソフモヒがドリンクを二人分持って、列から外れた。
「あっ、あのっ、あのっ、お金!」
ルナはあとを追ったが、たいして走らなくてもよかった。男は、売店まえのパラソルが付いた丸テーブルの席に、腰を落ち着けたからだ。
「金はいいって。ナンパよけに、一緒にいてくれよ、ルナちゃん」
水色ソフトモヒカンは、ルナのことを知っていた。ルナはうさ耳をぴーん! と跳ねあげ、「どちらさまですか」と聞いた。
「ライアンだ。ライアン・G・ディエゴ。アズラエル先輩の、後輩」
にっこりと彼は笑い、
「今日はご招待ありがとう。アズラエル先輩がロリコンになったってロビンが言ってたけど、そうでもねえじゃねえか。黙ってりゃ、美人さんだぜ」
ルナは再び口をぽっかりと開けた。美人といわれたのは二度目で、気分は悪くない。
「あ、そういう顔すると、ガキっぽくなるな。確かに」
ルナはジト目でライアンをにらみ、ジュースを啜った。肉だのタコ焼きだの、味の濃いものを食べ続けたせいで、ずいぶん喉が渇いていた。ストローをぐいぐい吸い、ぷはっと口を離すと、ライアンが笑った。ルナは慌てて口をぬぐい、大人っぽい顔をするために背をシャキーンとのばした。
ライアンの名は、アズラエルの口から聞いたことがある。でも、会うのは初めてだった。ライアンは、アズラエルが呼んだのだろうか。
「なァ、あんた、泳げる?」
アイスコーヒーを飲みながら、ライアンが聞いてきた。ルナは首を振った。ルナの二倍以上のスピードでコーヒーを飲み干したライアンは、店先にあるくず入れにカップを投げ入れた。見事、カップはくず入れに落下した。
「そうか。よし、泳ごう」
どうしてL18の男は、聞いておきながら相手の答えを無視するのだろう。ルナは泳げないと言ったはずなのだが。それに、ルナはまだジュースを飲んでいない。
ライアンはルナがジュースを飲み終わるのを辛抱強く待ち、ルナが飲み干すと、さっきのように、くず入れにカップを投げ入れた。今度も、綺麗にかごの中へ着地した。
ライアンはルナの腕をつかんで立ち上がり、湖畔のほうへ向かう。
「ちょ、あの、――オオカミさん!」
ライアンが驚き顔で振り返る。それから笑った。
「食ったりしねえよ。変なこともしねえ。いっしょに泳ぐだけ」
「え、あ、う、あの、……」
ルナは口をあうあうと動かした。ライアンと言ったつもりだった。なのに口から出てきた言葉は「オオカミ」。
(ラ、ライアンさんは、オオカミさんですか……!)
ZOOカードをあつかうようになってから、ルナはなぜか相手のZOOカード名を口にしてしまうことが多くなっていた。
アズラエルやミシェルなど、普段いっしょにいる人物は、名前のほうを呼びなれているのでだいじょうぶだが、初対面の相手などはまずかった。会った全員の動物が分かるわけではない。だが、時折、こうしたことが唐突に起こった。
オルドのときなどがいい例だ。ルナは彼をオルドと呼んだつもりなのに、毎回、「ハトさん」と呼んでしまっていた。
「オオカ――ライアンさああああん」
波打ち際まで来て、ルナは往生際も悪く抵抗した。
「あた、あた、あた、あたし、泳げな……!」
ライアンと向き合う体勢で、足が砂の山を、水際に向かって積み上げていく。ライアンが後ろ歩きをしながら水に入っていき、ルナの両手首を握ってズリズリと引きずっていく。
「意外とがんばるなァ」
おかしげに笑い、ライアンは、ズリズリズリとルナを少しずつ水に引き込んでいく。
「つめ、つめたい!」
「そりゃ、水だからな」
温泉プールじゃねえぞ、とライアンは笑いながらどんどん進む。
足首、膝、ついに腰まで浸かる。
「うひゃ!」
ルナは急に深くなったところで、腹のあたりにあった水の中に頭の先までつかった。
(お、おぼれ……)
溺れます! と脳内で叫んだところで、水中から引き揚げられた。
めのまえには、ライアンの面白がっている顔。
ルナは、顔に張り付いた髪をやっとの思いで寄せながら、「オオカミさん!」と怒鳴った。
ライアンは、当然だったがルナを抱き上げていた。ルナは手の置き所に困ってさまよわせたが、ライアンが、「俺の肩につかまって」といったので、仕方なく肩に手を置いた。
ライアンも胸までつかっている深さだ。ルナは確実に沈む。
「ぜんぜん、泳げねえの」
ルナは、「バタ足しかできないよ」と正直に言った。
ライアンは、ルナを両手で抱きかかえたまま、ボートや浮き輪の間を、スイスイ泳いでいく。
「あの……」
「ここらへん、俺でも足がつかねえからな」
ルナが何か言う前に、ライアンが言った。
「えっ!!」
ルナが蒼白になる。
「オオカミさん、なんで立ってられるの!」
「俺は立ち泳ぎしてる」
ライアンの肩は、相変わらず水面の上に出ている。
「オルドのことは、“ハトさん”って呼んでたんだって?」
「……」
ルナが困惑して答えに詰まると、ライアンが急に手を離した。
「うひゃっ!!」
ルナは、思わずライアンにしがみついてしまった。ボートのカップルから、「ラブラブだねえ」といわんばかりの口笛があがり、ルナは赤面した。ライアンは飄々と笑っている。
(これは、まずいです!)
うさ耳警鐘アンテナがたった。今のはあくまでも条件反射だ。ライアンの首根っこに抱き付いているのも――。
(離れたら、おぼれます!)
ルナはあわてて、周囲を見られる範囲だけ見渡したが、知り合いの顔はなかった。バーベキュー・パーティーのだれかに見られ、アズラエルに告げ口でもされたら、ルナの明日はない。




