27話 孤高のトラ Ⅰ 2
(――あ、あれ)
一瞬の瞬きののちに、ルナが目をあけると、そこは長い廊下だった。
さっきのルートヴィヒのうちも広かったが、ここはもっとすごい。絵本で見たお城のような廊下だ。
どこまでもまっすぐ伸びた広い廊下に、赤い絨毯の道。等間隔にならぶ背の高い窓。
(ここは?)
どこなのだろう、とルナが首をかしげていると、向こうから、見覚えのある銀髪の青年がやってきた。
「お帰りなさいませ」
執事が、グレンの被っている帽子を受け取っていた。執事はまだ若く、ローゼスと呼ばれた執事とはちがう。
アンナの気配はなかった。
ここは、L18の、グレンの家だろうか。
大股で歩いてくる大柄な青年は、ルナの近くまでやってきた。
驚いた。もうこんなに大きい。ルナはあわてて横脇にそれた。
グレンはぴたりとルナの横で足を止めた。
「――え」
「今日はアールグレイ。ミルク入り。冷たいので」
ぼそっとそれだけ言い、グレンは立ち去った。
「かしこまりました」
自分に言われたのかと思って戸惑ったルナだったが、うしろから、執事の返事が聞こえた。
このグレンはいくつなのだろう。もう、背丈だけでも百八十センチ近くあると思う。ルナの知っている大人のグレンは、百八十六センチだった。もう、そんなに変わらない。身幅も逞しい。
子どもの面影はないし、声も低くなっている。銀髪も、短く切っていて、髪形はルナの知っているグレンと変わらない。三白眼のきつい眼の、綺麗なブルーグレーも。
でも、ルナが知っているグレンよりは若い。ピアスもないし、軍服らしきものは着ているが、まだ子どものような気はした。
ルナがあとをついていくと、廊下を右に曲がって階段を上がり、それからまた長い廊下を歩いて、階段を上がり、ジグザグの廊下を迷いもせず進んでいく。
「なんてひろいお屋敷だ!」
ルナは悲鳴を上げた。夢でよかった。現実だったら、ぜったい帰れなくなっている。
やがて、ひとつのドアのまえで、やっとグレンは立ち止まった。それから、ドアノブを見て首をかしげる。
しばらくそのまま固まっていたグレンだったが、やがて決意したようにドアを開けた。
すると。
「ハッピーバースデー! グレン!!」
部屋の中から大勢の声が聞こえ――クラッカーがはじける盛大な音とともに、グレンが紙ひもだらけになったのを、ルナは後ろから見た。
「おまえら……」
グレンが脱力した顔で、体中にまとわりついた紙ひもをつまむ。
ルナは、ドアとグレンのすきまから入り込んで、様子を眺めた。
グレンと同い年くらいの若者が大勢いる。灰色とカーキの制服の学生が、たくさん。
ベッドがあっても、まだ余裕のある大きい部屋。カーテンたなびく、大きな窓。そこから町中が見渡せる。目に着くものと言えば、壁を埋め尽くす本棚くらいのもの。
どちらかというと飾り気のないシンプルな部屋が、今日は手づくりの派手な飾りで埋め尽くされていた。
そして、中央のテーブルには巨大なケーキ。
うしろから、先ほどの執事が入ってきて、テーブルにミルクティーを置くと、グレンに目配せして下がっていった。グレンは片眉を上げて、執事を見送った。
「彼らは、グレンのいとこたちだよ。友人もいるけど」
いつのまにか、導きの子ウサギがルナの頭に乗っていた。
「右から、マルグレットにケイト、シス、クレア、カインとグリオン、トニーにナタリア……一番近いいとこたちだけで、十人」
「十人!?」
それは多い。
導きのウサギは名前を教えてくれるのだが、彼らが一斉にグレンに襲いかかったので、ルナはだれがだれだか分からなくなってしまった。
「グレン、誕生日おめでとう!!」
「ハッピーバースデー!」
「16歳の誕生日、おめでとう」
「気に入ってくれるといいけど」
いとこたちは、かわるがわるグレンにキスをし、軽いハグと同時にプレゼントを渡していく。
「それから、カーキの制服が、傭兵。灰色の制服が、軍人ね」
導きの子ウサギが、美味しそうなケーキに舌なめずりしつつ、そう言った。
「制服が違うの」
ルナが聞くと、ウサギはうなずいた。
「軍事惑星では、区別じゃなく、“差別”のために傭兵と軍人の制服が違う」
「――!!」
「ドーソン家嫡男の誕生日パーティーに、傭兵がいるってことがどれだけめずらしいことなのか、そのうち、ルナも分かってくるよ」
ルナは、複雑な顔で部屋の様子を見つめた。
グレンはようやくハグやキスから解放されて、両手いっぱいの箱や包みをベッドに降ろした。ハイテンションの女の子が、グレンにドリンクの入ったグラスを渡す。
「酒か? クレア」
「そんなわけないでしょ! この不良生徒会長!!」
ぷっと頬をふくらませつつも、笑いながら彼女はグレンの頬にキスをした。
「ハイ♪ グレン」
「よォメリー、プレゼントはもらったが、まだキスをもらってない」
カーキの制服の女の子とグラスをかちあわせながら、グレンは言った。
「あたしのキスは高いわよ」
そういいながらも、体格のいい彼女は、クレアがしたほうと反対側の頬にキスをした。
「みんな、よく入れたな」
「レオンが通してくれて、あそこから」
カーキ色の制服を着た男の子が、真正面の窓を指す。グレンがこめかみを押さえた。その窓から這い上がってくる、最後の訪問者がいた。
グレンに面影が似ていなくもない、金髪碧眼の美青年だった。
「ハッピーバースデー!」
「レオン、おまえは玄関から入れるだろ」
グレンはあきれ顔だったが、口元には笑みが浮かんでいた。
もちろん、この中にルートヴィヒの存在はなかった。この場所はL18のドーソン家邸宅。ここにいるのは、L18のグレンと同じ学校の友人といとこたちだと、ウサギはあらためて説明した。
「エセルとアンナおばさまから預かってきたの」
グレンと同じくらい身長がありそうな、たくましい金髪女性が、巨大な包みを三つもグレンに持たせた。
「おっと」
「一個はわたしからね」
「悪いな、メグ」
「俺はキスだけでごめんな」
「キスはいらねえからプレゼントを寄こせ」
窓から侵入した訪問者、レオンがキスを迫ろうとするのを、グレンは全力で避けて相手を小突いた。
「金髪の彼がレオン、そして一番背の高い金髪の女性がマルグレット――メグだよ。彼らが一番、グレンと親しいいとこだ」
ウサギは、いつのまにかテーブルにあったジュースを失敬していた。
「彼らが、グレンの代わりに“革命”を起こすことになる」
「――え?」
ルナが困惑しているうちに、部屋はすっかり、グレンの誕生日を祝うパーティー会場と化していた。
テーブルに取り残された、ミルクティーのグラス。
(今日はグレンの、16歳の誕生日)
日づけを確認しようとルナはカレンダーを探したが、見つける前に、グレンたちの会話が耳に飛び込んできた。
「おどろいたぜ。よくこんな真似ができたな」
グレンの声だ。
「みんなをこの家に入れたってことか?」
レオンはマルグレットと目配せしあった。
「叔父貴たちの目を盗むくらい、わけないさ」
グレンとレオン、マルグレットは同じソファに腰かけた。レオンは酒の瓶を手にしている。
「お酒はさすがにまずいわ」
マルグレットがひったくろうとしたが、「中身はジュースだよ。雰囲気、雰囲気」とレオンは譲らなかった。
「元気ないじゃない、なにかあったの?」
マルグレットがグレンの髪を撫でた。彼女はグレンより年上のようだった。姉が弟を気遣うようなやさしさで、彼女は尋ねた。
しばらくグレンは無言だったが。
「……完全に俺の負けだったんだ」
「なんのこと?」
「射撃」
グレンは天井を仰ぎ、淡白に言った。
「アズラエルの勝ちだったんだ。絶対。アレは、どう見ても」
アズラエルの名前が出て、ルナはギクリとした。同じ学校なのだろうか?
「なのに、教官の野郎が俺を勝ちにしやがった。アズラエルはもう実戦に何度も出てる。ガッコでまだ教育中の俺らとは、レベルが段違いなんだ。だからって、勝ちは勝ち、負けは負けだ。あんなもんだれが納得するかよ」
「なにがあったの?」
マルグレットが目を見開き、レオンは無言で、酒の瓶に入ったジュースを呷っている。
「射撃訓練だよ。教官が、俺とアズラエルを並べて、射撃の腕を競わせた」
マルグレットはますます目を見開いた。
「傭兵とドーソンの嫡男をくらべたの。度胸あるわね、その教師」
「評価されたのは俺だ。アズラエルは貶められた」
ようやく訳が分かったように、マルグレットは肩をすくめた。
「俺もアズラエルも百発百中だった。でもアイツはちがう。脚を撃って動けなくする、肩、最後は眉間。俺は、そんなこと考えもしねえ。真ん中の的めがけてぶち込むだけだ。だれが見たって分かる。どっちが優秀かは。なのにあのクソ教官は、アズラエルが中央の的以外のとこを打ち抜いたから俺の勝ちにしたんだ。そんなのってありか。俺のプライドはどうなるんだよ」
マルグレットは、だまってグレンの髪を梳く。
「それは、傭兵と軍人のルールがちがうだけだ。そう思わないか」
黙って聞いていたレオンが言った。
「軍人は礼を重んじる。一撃でとどめをさすのが正統さ。だが傭兵は、そうもいっていられない場面もあるだろう」
「どっちが勝ちっていうことはないわ。狙った場所を撃てたんだから、同格よ」
「教官が、わざわざアズラエルを貶めるためにやったことだとは思わねえか」
グレンの言葉に、マルグレットとレオンは顔を見合わせた。
「調子に乗るなって?」
「ああ」
「たしかアズラエルは、一度コンバットナイフの教官を、病院送りにしてるわね」
マルグレットは思い出したように言って、肩をすくめた。
「今日の教官じゃねえけどな」
「ホントにおまえは、アズラエルが好きだなあ」
レオンが笑いながら言うのに、グレンはものすごいしかめっ面をした。
「好きなんじゃねえ、認めてはいるが、嫌いなんだ」
「そのわりには、ずいぶん気にかけてる」
「気にかけてるんじゃなく、アイツが俺の視界に入ってくんだよ!」
「アズラエルのすることは、メチャクチャなことばかりだものね」
マルグレットも笑った。
「アイツは強いのをカサに着て、先輩も教官も呼び捨てだ。あんまりふてぶてしいから一発殴ったことがある。だれも怖くて殴れねえんだ。殴り返すと思ったらニヤけるだけで、薄気味悪いったらありゃしねえ。で、アイツなんて言ったと思う?」
マルグレットが首を振ると、
「『バクスター中佐の息子さんは殴れません』だと。あんまりアタマきたからもう一発殴ってやった。俺の拳二つも食らって卒倒しなかったのはアイツぐらいだけどな。膝はつかせた。いい気味だ」
年上のいとこが耐えかねたようにくすくす笑うと、グレンが嫌な顔をした。
「……おい。また子ども扱いしてんだろ」
「してるに決まってるでしょ。嫌いなら、どうしてかまうのよ」
「アズラエルに嫌われてるのが悲しいんだ、グレンは」
「ほざくな」
グレンがとなりのレオンの首根っこをつかまえた。まったく遠慮なく、締め上げを開始する。
「スト――ストップ! ストップ!!」
レオンが真っ赤な顔でソファをバンバン叩き、マルグレットがあきれ顔で言った。
「わたしたちは、嫌われ者のドーソン一族よ」
(きらわれもの……)
ルナは、口調は軽くても、マルグレットの悲しそうにも見える瞳を見つめた。
「傭兵に好かれようなんて思う方が、まちがい」
「あたしはメグのこと大好きだけど!?」
メリーが、マルグレットに飛びついた。頑丈な腕でしっかり受け止めながら、マルグレットは微笑む。
空気が。
グレンの顔がぐにゃりとぶれた。
レオンとマルグレットの顔も遠ざかる。空間が歪む。
ああ、――まただ。
また。
時間が、変わる。




