220話 夜の神様とのデートと、セシル親子を助ける方法について 2
「セルゲイ自身はふつうのひとだから。呪いを解くことはできないけど」
クラウドは苦笑した。
「さっき、君たちが来るまで、ペリドットやアントニオ、イシュマールと話していたんだが、セシル、君たちの呪いを解く方法は、大きく分けて二つある」
ルナは驚いた。ルナが、ZOOカードとにらみ合っていた間に、そこまで話が進んでいたのか。
「ひとつは、真砂名神社の階段を上がること」
「真砂名神社……」
セシルはネイシャを抱きしめたまま、話を聞いていた。
「真砂名神社には、前世の罪を浄化してくれる階段がある。セシルが呪いを受けたのも、前世の罪によるところが大きいと、イシュマールは言う。――だが、同時に彼は、この方法は危険だとも言った。君たちのZOOカードの様子を見てね。長年呪いに蝕まれた魂は、階段を上がり切る力が残っていないだろう、おそらく、ネイシャは助かるが、セシル、君は命を落とす可能性のほうが高いと、彼は言った」
セシルは、自分が死んでも、ネイシャが助かるなら、と言いかけたが。
「そ……そんなの、嫌だ!」
ネイシャが、泣き出してしまった。
「嫌だ、ぜったいやだ! あたしだけ助かったって、そんなの嫌だよ!!――嫌だよ!」
母親の手にすがって泣くネイシャに、クラウドは優しく言った。
「方法は、ひとつだけじゃない――もうひとつある。もうひとつは、君たちの呪いの正体を見破り、術自体を消滅させる方法だ」
「それは――無理だと、」
セシルがつぶやいたが、
「それを、ルナちゃんが、ZOOカードで探すんだ」
ルナのうさ耳が、ぴこん、と跳ねあがった。クラウドは見ないふりをした。
「ルナちゃんだけじゃない、ペリドットも協力すると言ってくれている。彼は、本物の“ZOOの支配者”だ。――君たちは、今までいろんな術者を回ってきたようだが、さすがにZOOカードってのは初めてだろう?」
答えがないのを、クラウドは肯定と受け取った。
「だったら、ためしてみる価値はあるんじゃないか。心配しなくても、ケトゥインの呪い程度じゃ死にもしない連中がそろってる。――マ・アース・ジャ・ハーナの神話を?」
ネイシャが「知ってる、読んだことある」と言った。
「じゃあ、夜の神が、月の女神をとても愛していて、彼女を奪われたために世界を壊滅させた話も知っているよね?」
ネイシャはうなずいた。
「このルナちゃんは、月の女神の化身だ。もし、彼女が“呪い”に害されるようなことがあったら、夜の神が怒る、そうなったら、ケトゥインの集落どころか、L82が吹っ飛んじまうだろうな」
クラウドの冗談は、冗談として伝わらなかったようだ。だれも笑わなかった。セルゲイは、またなぜか両手で顔を覆っていたし、ルナは「たいへんだー」とアホ面を晒していたし、ネイシャは、だれよりも真剣に聞いていた。
クラウドは咳払いした。
「とにかく――大船に乗ったつもりでいろ、とは言わないが、俺たちの協力を受け入れてほしい」
セシルは、やはりうなずかなかった。
「どうして――どうして、あたしたちなんかに、そんなに――」
「ワタシが、あなたたちを守ると誓ったからです」
だれかが言うまえに、ベッタラが言った。
「ワタシの仲間が、応援してくれている。ワタシも、なんとかするのです!」
ネイシャは、ベッタラの腕にしがみついて泣いたが、セシルは暗い顔でうつむくだけだった。
セシル親子の引っ越し先は、ルナが宇宙船に乗った当初に住んでいたアパートに決まった。家賃も安かったし、親子二人が暮らす分には、悪くない広さだった。
ピエトの近所に住むことができて、ネイシャの顔も明るい。セシルはそのことだけは喜んだが、“呪い”を解くことについては、顔を曇らせるばかりで、「放っておいておくれ」と小さな声で拒絶をつづけるのだった。
「無理もないと思う」
セルゲイは、ルナと真砂名神社に向かう大路を歩きながら、言った。
「よほど、つらい目に遭ってきたんだよ。何度も希望を打ち砕かれて、裏切られて、絶望して生き延びてきたんだろう。初対面の私たちが、安直に助けるなんて言っても、信じてもらえないのも無理はないよ。第一、私には、呪いを解くことなんてできないしね」
ルナも同感だった。
セシルとネイシャを助けたい気持ちはあっても、ルナはサルディオーネのようにZOOカードを自由に扱うことはできないし、ベッタラのように、「あなたを助けます!」なんて言いきることなどできなかった。
「セルゲイ、夜の神様は、呪いを解くことはできないのかな」
ルナは念のため聞いてみたが、
「アントニオさんに言われたとおり、私も時間を見つけては、彼と“対話”してるんだけど」
困り顔でセルゲイは言った。
「私が彼の生まれ変わりだからって、なんでも教えてくれるとは限らないみたいだ。こっちが呼びかけたって、何の応答もないときのほうが多いし、ネイシャちゃんたちの呪いについても、ひとこともコメントがない」
イシュマールさんやアントニオのほうが、彼と頻繁に話してるよ、とセルゲイは肩を落とした。
「でも、夜の神様のお守りが、ネイシャちゃんたちの呪いを防げるってことは、解くこともできるんじゃないのかなあ?」
「私もそう思ったんだけどね――でも、返事がない」
セルゲイとルナは、真砂名神社に、夜の神の呪術封じのお守りをもらいにいくところだった。
夜の神の守りを、セシル親子に持たせることも考えたが、イシュマールは、それはするなと言った。
術が完全に解けたあとに、守りとして持たせるならいいが、術の正体も分からないうちから持たせるのは危険だと。守り程度で封じられる呪いならいいが、そうでなければ、呪いが悪化して噴き出し、むしろ危険だと教えられた。
夜の神の守りは、あくまでアズラエルたち成人男性が持ち、ふたりの呪いから身を守るためにつかえとのことだった。
「うさこにもどうしたらいいか聞いてみたいんだけど、うさこは出てこないし」
「うさこって、月を眺める子ウサギちゃんのこと?」
「うん」
セルゲイとルナは、階段の手前で一度立ち止まった。大丈夫なのはわかっているが、やはり一瞬、気構えてしまう。
しかしふたりは、軽々と階段を上がった。運動不足のルナは、へふへふと、途中で止まったりはしたけれども。
拝殿に行き、ルナは作法通りのお参りをし、セルゲイはルナの真似をした。
ルナは、夜の神に、「ネイシャちゃんたちを助ける方法を教えてください。そして、呪いを解いてください」とお願いしたが、風すら吹かなかった。ルナは無視されている気がして、ぷっくらほっぺたになりかけたが、夜の神の大魔王っぷりを思い出してほっぺたをしぼませた。
そして、お守りが売っている場所に行き、イシュマールが作っておいてくれた、夜の神の刺繍が縫い込まれた、特別な守り袋を五つ、もらった。
ルナがお礼を言って、帰ろうと階段を降りかけると、セルゲイが、明後日のほうを向いて立ちすくんでいる。
「どうしたの、セルゲイ」
「ん? うん――う~ん――」
煮え切らない返事をかえすセルゲイだったが、しばらくしてやっと、ルナの後を追って、階段を降り始めた。
「どうしたの?」
セルゲイは、階段を降りるあいだも、何度か拝殿のほうを振り返った。だが、ルナが聞いても、「うん」とか、「ううん」とか、おかしな返事をするだけだ。
ついに、階段を降り切った。
そのまま、ぺぺぺっとシャイン・システムのボックスに向かうルナの襟首を、セルゲイがひっつかんで止めた。
「ぐえ!」
アズラエルならばめずらしくはないが、こんな乱暴なやりかたで、セルゲイに止められたのははじめてだった。
「なんなの! セルゲイ!」
セルゲイはやはり、拝殿のほうを向いていたが――。
「ルナちゃん、そこのカフェで、コーヒー飲んでいこう」
「ええっ!?」
ルナは、早く帰ってZOOカードを開けたいし、夕飯の用意もある。それに、一分でも早く、このお守りを皆のところに届けないといけない。なにしろ、生きる呪術封じのセルゲイが今はここにいるし、オネエのアリーとベッティーしか、セシルたちには近づけないのだ。
クラウドも、「セシルに聞きたいことがあるから、なるべく早く帰ってきてくれ」とセルゲイに言っていたはずだ。セルゲイがいなければ、クラウドは、クラウディかクラリスになって、化粧の匂いをぷんぷんさせながらセシルと相対せねばならない。
「クラウドは女装すればいい。一日くらい夕飯を作らなくたって、だれも死にはしない」
さっきまで煮え切らなかったセルゲイは、急に決然とした態度で携帯電話を手にした。
「あ、カレン? 悪いけど、用事ができたから、遅くなるよ。――ああ、うん。ルナちゃんも――できたら外食にしてくれる? ピエトもつれて」
「ちょ、あの――セルゲ――」
セルゲイは電話を切り、「じゃ、行こう」とルナの手を握って、歩き出した。
ルナは、最初に入った和モダンなカフェで、コーヒーと白玉あんみつを食べたら、すっかりいろいろな、たいせつなことを忘れた。白玉あんみつのアイスがたいそう美味しかったせいだ。
そして、大路の商店街を眺め歩き、セルゲイに、夏用の浴衣一式と、かんざしを買ってもらった。
ずいぶん値の張るもので、ルナはもちろん遠慮したし、アズラエルに知れたらたいへんだと思って固辞したが、セルゲイが閻魔大王のような迫力で、「アズラエルが何か言ったら、アイツが座っているソファを電気椅子に変えてあげるから大丈夫」と大丈夫ではないことを言ったので、ルナは丁重に受け取った。
かけがえのないアズラエルの命のためだ。
セルゲイは浴衣だけに飽き足らず、サンダルだの化粧品だの、アクセサリーに手鏡など、ルナに似合いそうなすべてを、片っ端から買い与え始めたので、ルナはさすがに、セルゲイがおかしいことに気付き始めた。
「よ、よるのかみさま! セルゲイが破産するよ!」
ルナは、ついに言った。百万デルもする宝石がついたピアスを指さし、「これをくれ」と言いかけたセルゲイを、さすがにとめた。
セルゲイの背が、なぜか急にびくりと揺れて、気まずそうな顔で振り返ったので、ルナは自分の予想が当たったことを悟った。
「“……これは、意外と金を持っているから大丈夫だ”」
地鳴りのような声は、やはりセルゲイではない。
「で、でもよく見て! あたし、ピアス開けてない! わかる? あけてない!」
「“――分かる”」
ルナの耳をそっと撫でて、とろけるような笑みを見せたセルゲイに、ルナではなく、店の従業員から声なき悲鳴が上がった。
「“なら、わたしがあけようか。この石はおまえによく似合うし、……”」
「セルゲイ! もどってきてえ!」
ルナはさすがに泣きかけた。とたんに、セルゲイががくりと膝をついて、広い肩で、ぜいぜいと息をした。
「――まったく、どれだけ買い与える気だ」
セルゲイは、カードの限度額を越えたあたりでさすがに戻ろうと思ったが、夜の神が「もうすこし、もうすこし」というので戻れなかった。
さすが神。金銭感覚がズレている。
「セルゲイごめんね。返品しますから。ぜんぶ、返品するよ!」
「へ、返品はしなくていいから……」
ルナにプレゼントをすることは、セルゲイにも異存はなかった。でも、どうせプレゼントするなら、ここではなくて、もっとルナの喜びそうな、K12区のショッピングセンターあたりで買い物をしたい。そういうと、夜の神はしぶしぶ引き下がった。
「――ああ、わかった、わかったよ。夕食まではいっしょだから、わかった」
セルゲイが、どうしてさっきから上の空だったのか、ルナにはようやく分かった。彼は、夜の神と話していたのだ。
プレゼントの大荷物を、シャイン・システム近くのコインロッカーに預けてから、二人が向かったのは、ステーキ・ハウスだった。
以前、ルナがアズラエルとグレンときたとき、行くはずだった店だ。ステーキ・ハウスと名はついていたが、店の外装は、女性向けのカフェのようで、店内はカップル客ばかりだった。
「ルナちゃん、ここお肉だけど、いいの? 夜の神様のいうままに、歩いてきちゃったんだけど」
ルナは喜色満面で叫んだ。
「いいの! あたし、ここに行きたかったの! おにく! おにくだあー!!」




