220話 夜の神様とのデートと、セシル親子を助ける方法について 1
セシルとネイシャは、役員とともに、タクシーでルナのうちに向かった。
大きなトラックや、業者のバンがアパートを囲んでいた――ルナとアズラエルの部屋は、修繕の真っ最中だった。ルナたちの部屋には入れないため、隣の、ミシェルとクラウドの部屋に人が集まっていた。
部屋には、ネイシャがいっしょに食事をしたメンバーのほかに、数人増えていた。
「ルナ! た~だ~いま♪」
ルナは、帰ってきたアズラエルから逃げの体勢にかかったが、すぐ捕まえられて、スリスリされた。
「アズ! ひげ! ひげのそりあとがいたいです!」
「わざとに決まってるでしょ!」
アズラエルがヤケになっていることだけは、だれの目にも明らかだった。顎ヒゲまでそられたアズラエルは、その時点で確実にだれか殺しそうな顔をしていた。
ルナは、アズラエルが女装したら、エマルのような美女になると信じ切っていた。だが、できあがったのはただのオネエだった。ミシェルの化粧の腕が悪かったのではない。素材の男性ホルモンが強すぎただけだ。
女装の被害を、「グレンの代わりにワタシが行きます」といったベッタラのおかげで免れたグレンは、生きた心地がしなかった。自分が女装していたら、ああなっていたわけだ。
ベッタラの被った金色のかつらと、くっきり塗られた真っ赤な口紅と、すね毛が見えているガーターベルトのストッキングを、(あれはいらなかったんじゃねえか……)と思いながらながめた。
それにしても、近所のデパートのパーティーグッズ売り場で、かつらから男物サイズのドレスから靴から、あっというまにそろえてきたミシェルの手腕は、だれもが絶賛するところだった。
「あの――ルナさん?」
ルナは、声をかけられて、ようやくムキムキのオネエから解放された。
「あなたが――ピエトのお母さんですよね? ネイシャの母の、セシルです。――昨夜は、ネイシャがお世話になりました」
「あ、――はい! あたし、ルナです! いつも、ピエトがお世話になっています!」
第一声は、たがいに、子を持つ母親同士の挨拶になった。
ルナははじめて、セシルと相対した。ルナもちょっと、どぎまぎするくらいの綺麗な人だった。ネイシャがどちらかというと男っぽい感じなので、ルナはエマルのような筋肉ムキムキの、豪快な美女を想像していたのだが、まるでちがった。
アズラエルと同じ褐色の肌を持つ身体は、傭兵らしく筋肉質だったが、スレンダーだ。きりっとした太い眉が気丈さを感じさせるが、ゆるやかなウエーブの黒髪と、垂れ目がちの大きな目が優しげだった。
なかでも印象的なのは、透けるような水色、といってもいいくらいの、色素の薄い瞳。
(あれ――このひと)
ルナは首を傾げた。
(目が、弱いのかな)
美女に見とれていたルナは、あいさつしたままで固まった。先に口を開いたのはセシルだった。
「あたしは、今日はじめて聞いたんだ。あなたが、ZOOカードっていう? 不思議な魔術をつかうって――」
「ええ!?」
ルナはうさ耳がピーンと立って、
「魔術!? だれがそんなこと言ったの――ピエト!?」
ルナが叫んだとたんに、ピエトがベッティーの後ろに隠れたので、犯人が分かった。
「違うのかい? ――でも、どんな魔術であっても、あたしたち親子の呪いは解けないよ。あきらめたほうがいい。あなたにも、迷惑がかかってしまう」
セシルは、いままでたくさんの占い師や呪術師を回っても、お手上げだったと話した。
「あたしたちのいうことを、信じてくれたことは嬉しい」
気弱な笑みを見せたセシルを、そっと役員が支えた。
「でもね――あたしの呪いを解こうとして、死んじゃった人もいる」
セシルは真剣な顔で言った。
「だから、気持ちはほんとうにありがたいけど、よしたほうがいい。危ないから――。こんな厄介な身で言えることじゃないけど、ネイシャとこれからも仲良くしてやってください。今日は、助けてくれて、ほんとうにありがとう」
アリーとベッティーのほうを向いて、もう一度礼を言ったセシルは、「帰ろう、ネイシャ」といって娘の背を押した。
ネイシャは、何か言いたげな顔で、セシルを、そしてルナを見た。
ネイシャは昨夜、ずっとあの目でルナを見つめていたのだ。
ルナは、あわてて二人を引き留めた。
「あのね、あたしのZOOカードは、あたしがあの、あれだから――あんまり役に立たないです」
ルナは、正直に言った。
「でもね、あたしだけじゃなくて、考えてくれる人とか、頭のいい人がいっぱいいます。今日、アズと一緒に助けに行ってくれたベッタラ……ベッティーさんは、アノール族の人」
ベッティーは、帽子を取るかのように、金色のかつらを取った。そこにあった、アイビー・グリーンの髪の毛に、ネイシャもセシルも、目を見開いた。
「それから、ラグバダ族の、K33区の区長さんのペリドットさんに、彼は、L47のケトゥイン族の、バジさん。この宇宙船で、原住民の研究をやってるの」
ペリドットとバジも、軽く会釈をした。
「ケ、ケトゥイン……」
セシルが小さく動揺し、ネイシャもセシルに引っ付いたが、バジは優しく言った。
「俺は、L47のマルカリ村ケトゥインの出だ。ケトゥインの中でも一番の平和な集落でね、村のなかに、アノールとエラドラシスの集落もあって、三部族仲良くやってるめずらしいところだ。いつか、遊びに来てほしい。歓迎するよ。
ところで、――君たちが呪いを受けたのは、L82のケトゥインだね? セシル、君はケトゥインの男と恋に落ちてネイシャを身ごもったが、ケトゥインの部族は、君とネイシャの父親との結婚を許さなかった。そして、地球人の女と恋をした男を殺し、君の祖父の傭兵グループであるレッド・アンバーのメンバーも虐殺し、君は、ケトゥインの男をたぶらかした罰として、“男”に苦しめられ、やがて惨殺されるという呪いを受けた――」
セシルは目を見張り、目に見えて震えだした。
「母ちゃん……」
ネイシャが、震えだした母親を、守るように抱きしめた。
「やはり、だいたいあってるんだな。セシル、この答えを導き出したのは俺ではなく、この男だ。クラウド・A・ヴァンスハイト。――L18の心理作戦部の出だ」
クラウドが、小さくうなずいた。
いったい、この集まりは、なんなのだ。
セシルは、驚愕と、困惑に揺れる目で、リビングに並ぶ人間を見渡した。
「みんな、いいひとばっかりです」
ルナは、セシルの手を取った。セシルが、困惑した目でルナを見た。
「あたしもZOOカードで、いろいろしらべたりかんがえたりしてみます。みんなも協力してくれるそうなのです。だからセシルさんも、ネイシャちゃんも、なにもあたしたちに教えなくていいし、考えなくていいの」
セシルは泣いた。声を押し殺して泣いた。ルナの手を握りしめて。
「セーシル、ネーイシャ。きっと、呪いは解けます」
ベッタラもいつしかそばに来ていて、二人を勇気づけるように、肩に手を置いていた。
セシルとネイシャが落ち着くまでには、まだ多少の時間がかかった。担当役員は、pi=poに備え付けられている救急箱を借りて、手早くセシルとネイシャのケガの手当てをした。
「女の子の顔に傷をつけるなんて、最低だわ」
「こんなことでヘコんでちゃ、傭兵になれねえよ」
憤慨する担当役員だったが、ネイシャは気丈だった。
ちこたんは、コーヒーを淹れて、セシルと担当役員にはミルクと砂糖をつけたブラックコーヒーを、ネイシャには、カフェオレにして出した。ピエトも同じ、砂糖たっぷりの甘いカフェオレを、ネイシャの横でいっしょに飲んだ。
大人たちは、ばたばたと、出入りが激しかった。
「あら、このコーヒー美味しいわね」
担当役員の言葉に、セシルはやっと黒い水面を見つめているだけでなくて、口をつけた。
「ほんとうだ――美味しいね」
「リズンでつかってるコーヒー豆の焙煎店を教えてもらったの。ちょっと贅沢だけど、いつも、そこのなんだ」
あたし、コーヒーにはちょっとうるさくって、とミシェルは言って、ルナと一緒に向かいのソファに座った。
「それでね、セシルさん。このあいだ話してた引っ越しのことなんだけど」
担当役員は、おだやかな笑みを絶やさずに言った。
「わたし、K19区と言ったけれども、このK27区でもいいんじゃないかしらと思って。ルナさんたちが以前住んでいたアパート、まだ空いているそうなのよ」
「……」
セシルの表情は、動かなかった。彼女は、ひどく疲れているようだった。
「今日からでも入れるらしいわ。K19区だと、ネイシャちゃんの学校も遠くなるしね――わたしは、ここをお勧めするけど」
「あたしたちはどこでも。――今まで住んでたアパートは、あいつに嗅ぎつけられちまったから」
力のない声でセシルは言った。
「今日逃げた男も、早晩捕まるわ。だいじょうぶよ」
L25で警察官をしていたという彼女は、力のある声で、セシルを励ました。
「セシル、セシル!」
バジがいきなりソファに座って、ずい、とセシルの目の前に枯草を差し出した。びっくりして身を引いたセシルは、枯草の匂いをかいだとたんに、名を当てた。
「――これ、イジム?」
「良く知ってるな。そうだよ。ケトゥインでよくまじないにつかう、あらゆる邪気を払う薬草だ――君たちの部屋に、これを毎日焚き染めておくといい。できれば服にも」
悪い匂いではない、ペパーミントとバジルが混ざったような香りだ。
セシルは、やはり戸惑い顔で受け取った。
「これが、船内にあるのをかき集めても一ヶ月分しかない。知ってるとは思うが、イジムをまじないにつかえるようにするには、刈ってから一年干して、熟成させなきゃいけない。収穫期は冬の待っただなかだ。そこから一年――つまり、俺たちは、このイジムが尽きるまでの一ヶ月が、勝負だと考えてる」
「もう――やめておくれ!」
セシルは、イジムをバジの手に突き返した。
「あたしたちのために、そんなことする必要がないんだ! こんな、初めて会った他人のために――」
セシルは勢いよく立った。ネイシャの腕をつかんで。
「行くよネイシャ!」
「か、母ちゃん……!」
ネイシャは泣きそうな目でピエトとバジを見たが、セシルは強く、娘の腕を引っ張った。
「あんたは、ピエトが死んでもいいの!?」
ネイシャがびくりと身体を揺らした。――強く。
そして、あきらめたように肩を落とし、セシルに腕を引かれるままに、ついていった。
「待って! 待ってよ、ネイシャの母ちゃん!」
「セシルさん、待って……!」
ピエトと役員が追ったが、それよりも先に、ベッタラが飛び出して行った。
「待って――お待ちください! セーシル!」
部屋から出てすぐのところで、セシルはベッタラに肩をつかまれ、止められた。ルナの部屋に出入りしている業者が、マイクロミニのドレスを着た、たくましいオネエを見て目を丸くしているが、ベッタラは一向にかまわなかった。
「話を最後まで聞くのです。聞かねばなりません」
「あんたは、あたしにかけられた呪いの怖さを知らない!!」
ついにセシルが絶叫したが、ベッタラはさらに大きい声で怒鳴った。
「知りません! ワタシには、恐れるものなどない!!」
セシルは呆気にとられて、ベッタラを見上げた。ルナや担当役員たちも、セシルを追って、部屋から出てきた。
「ワタシは、“強きを食らうシャチ”! ワタシが恐れるものは何もありません!」
力強い声で言いきるベッタラに、セシルの身体が大きく震えた。
「セーシル、よろしいですか。ワタシは誓います。アナタの呪いは、ワタシが打ち勝ちます。たかが“小さな”ケトゥインの、“猪口才な”魔術師の呪いが破れない男が、この世界を支配しようとしているラグ・ヴァダの武神に勝つことなど、できない」
セシルには、ベッタラの言っている意味が何ひとつ分からない。だが、圧倒されていた。
「ワタシは、バトルジャーヤの、アノールの最強戦士ベッタラは、自分と同じ髪の色の子を、見捨てはしません」
ベッタラに髪を撫でられたネイシャは、その大きな手にすがるように、両手で握った。
「ここにいる“仲間”は、だれしもが、ラグ・ヴァダの武神と戦うべき戦士です。つまり、アナタにかけられた呪いなどは、ごみクズなのです。ごみクズは、ごみ箱に投げるべきです。そうするのが正しい役目です」
「――?」
さすがにセシルが首を傾け始めたところで、クラウドの解説が入った。
「ようするに、ベッティーの言いたいことは、セシル、君に術をかけた魔術師なんかとは比べ物にならないものすごい魔術師が、俺たち仲間の中にいるってことだよ」
「――!?」
「そうです! クラウドの意見は正しいことをワタシは証明します!」
セシルは、彷徨うように目を泳がせ、やがて、ルナに目を留めた。
「その“ZOOカード”ってやつが、ものすごい魔術なのかい……?」
ルナは慌てた。
「え、えっと、それは、」
言いかけたところで、アリーがルナの口をふさいだ。
「ルナちゃんのZOOカードだけでは解決はしない。だが、ZOOカードで、君たちが助かる方向性を、見出すことはできる」
クラウドは断言した。
「セシル、よく考えてもみて。俺たちは、昨夜ネイシャといっしょに食卓を囲んだ。そのときは、呪いの影響を受けたりはしなかった」
「――え」
「そうだよ! 昨日、みんなで楽しく、メシ食ったんだぜ!」
夜遅くまで、ゲームもして遊んだ! ピエトが叫んだ。
セシルは、信じられない顔で娘を見つめたが、ネイシャは、何度も首を縦に振った。
「なぜなら、彼がいたから――彼はセルゲイ。――夜の神の化身だから、つまり、あらゆる呪術の影響を消すことができるんだ」
いきなり紹介されたセルゲイは、「えっ、私!?」とあわてた。セシルは思わず、この中で一番背の高い男に駆け寄っていた。
「あんた! 呪いを解くことができるのかい!?」
「えっ!? それは、――む、無理です」
セルゲイの言葉に、セシルは肩を落とした。




