219話 セシルとネイシャ Ⅲ 2
クラウドは、恐るべき速さで自室からノートパソコンを持ち出してきた。サイトに接続し、心理作戦部の傭兵グループデータを呼び出し、検索をかけた。
レッド・アンバーは三件ヒットした。
「これは最近過ぎる……違う。認定……解散してる。……これだ!」
二件の傭兵グループはすでに解散していた。その中でも一番古い、認定ではない傭兵グループだったが、記録が残っていた。
リーダーは、「ヴィダ・G・オズワルド」。
「セシルの父親かな……」
「ちがう。たぶん、おじいちゃん」
ピエトがいつのまにか、クラウドの隣に来ていた。クラウドはうなずき、解散の年号を見た。
「ネイシャが生まれた年に一致するな……」
奇しくも、ネイシャが生まれた年に、傭兵グループは解散していた。
「ヴィダは、L18出身――わかるのはそれだけか――レッド・アンバーの前歴――仕事先――どこの傭兵グループか――系列もない――こりゃ難しいぞ――最後の任務地はどこだ――それさえ、わかれば――」
クラウドはぶつぶつ言いながら、ブラウザを次々、開き続ける。
「認定じゃないと、くわしい記録が残ってない――くそ――キックが無事ならな――かなり、マイナーな傭兵グループだな――この年のデータ、全部ひらくか」
クラウドが次の瞬間ひらいたブラウザは、ものすごいスピードで記録が流れていく。
「クラウド! これ、読めるの!?」
ピエトが驚いて叫んだ。
「これが、こいつの人間じゃねえとこだからな」
アズラエルの呆れ声。
やがてクラウドは、右手をさっとあげて、「たぶん、L82、L43、L06のどこかだ」と断定した。
「さすがだな……おまえ」
グレンがあきれた声で嘆息した。
場所をメモしていたバジが、はたと、思い当たったように、ペンを止めた。
「L82――アーケンデリヤじゃないか」
ピエトがL85を「エルト」と呼ぶように、地球人が来るまえからその星に住んでいた原住民には、それぞれの星の呼び名がある。
アーケンデリヤは、L82の別名だ。
「あそこには、一番でかいケトゥインの国がある。クラウド君! 原住民の地図で、アーケンデリヤの、あっと、L82の一番古いケトゥインを調べてみてくれ!」
「分かった」
クラウドの指が、ふたたびキーボードの上で動いた。そして、心理作戦部のデータを見ながら、一致させる。
「――ああ! たぶんこれだ。ここだ。この年代に、一番傭兵グループを送り込んだ戦地だ。でかい戦争があった。――あった、レッド・アンバー!」
クラウドは、ついに、レッド・アンバーの最終任務地を確定させた。
「すごい! クラウド!」
ミシェルの拍手に、クラウドは涙が出そうだったが、ぐっとこらえた。
「レッド・アンバーは、ここにずいぶん長く滞在してる――この任務は数年単位の長期任務だ。と、すると、ギャラもいいだろうから、認定じゃない傭兵グループからもずいぶん応募があったんだろう。セシルのおじいさんのグループ、レッド・アンバーはこの地域にいた。見てくれ――ここに、ケトゥインのでかい集落と、アノールの集落が」
クラウドが、バジのほうに画面を向けた。大人たちは一斉に画面をのぞき込んだ。
バジの顔色が、変わった。
「――最悪だ」
すぐに画面から離れ、部屋をうろうろとうろつきまわった。そして、失望した顔と声で、言った。
「ルナちゃん、ピエト。――やっぱりあきらめてくれ」
「な、なんで!? ここまで分かったのに!」
バジは首を振った。
「そこのケトゥインの集落は、でかいだろ」
クラウドも、同じくらい気難しい顔になっていた。
「俺もまさか、こんなにでかいところだとは思わなかった。それだけでかいってことは、地球人の侵略を寄せ付けない、大きな軍事力を持った集落だってことだ。集落――いや、国と言っていい。だとすれば――ものすごい術者がいる」
「――バジの言うとおりかも」
クラウドが、ケトゥイン集落のデータを、心理作戦部のものと照らし合わせながらつぶやいた。
「この集落は、“国家”だ。長い戦争のすえ、和平交渉で戦争が終結してる。――考えても見てくれ。――もし、セシルがこのケトゥインの“王子様”と恋に落ちて、王族に反対されて、呪いをかけられたのだとしたら?」
クラウドがひらいたブラウザに、すべての人間が息をのんだ。
そこには、アーケンデリヤのケトゥイン国、第一王子の顔写真があった。
――ネイシャそっくりの、凛々しい顔が。
望みは、完全に断たれたのも同然だった。仲間内で一番賢いクラウドと、ケトゥインのことを一番よく知っているバジにさじを投げられてしまったら、ルナたちは、もうどうすることもできなかった。
バジは悔しげに言った。
「術者が生きているか生きていないか分からないけれども、もし生きていたら、術を解いても、ふたたびかけられる可能性がある」
「ここまで調べても、どんな術かわからないのは、きついな……」
呪術とか、そっち方面はさすがに分からない、とクラウドもお手上げ状態だった。
「それに、もしかけられた術の種類がわかっても、これだけ大きな国で、王族もいるところの術者だ。対抗できる術者は、宇宙船内には……。いや、捜せばいるかもしれないが、相対する術者も命を懸けることになるだろう。簡単なことじゃない」
バジの言葉に、だれもが黙った。
「……ン? どうした」
ペリドットが突然、何もいない空間に向かって話しかけたので、おとなたちは訝しげな顔をした。だが、ルナには見えていた。ペリドットの肩に、十センチほどの“真実をもたらすトラ”が乗っかっていた。
「なんだと……そりゃ、まずいな」
眉をしかめた。
「わかった。――ここまで来たら、乗り掛かった舟だな。できるかぎりのことはしてやろう。――おい、アズラエル、グレン!」
「なんだ」
「おまえら、今すぐ女装しろ」
ふたりにもコーヒーが行きわたっていたなら、確実にぜんぶ吹きこぼしていた。カレンも、何も飲んでいないのに噎せた。
重い空気には、まったくそぐわないセリフだった。ペリドットも、マイペースな分、ジュリ以上の空気クラッシャーだった。
「ペリー、おまえはもう少し前置きとか、前後の説明をしろ」
アントニオが吹きだしそうな顔を堪えて、一応、ペリドットをたしなめた。バジが代わりに、こっちも笑いを盛大にこらえた顔で、説明してくれた。
「ネイシャちゃんたちの、ぶふっ……呪いに巻き込まれない方法は、いくつかある。ようするに、“成人男性”じゃなきゃいいんだ……ぐふっ!」
「だから!? 俺たちに女装しろってのか!?」
グレンの肌は、怒りによって紅潮しきっていた。
「あと一時間後に、もしかしたら、今度こそセシルが殺されるかもしれねえ」
ペリドットの言葉に、笑いにゆるんでいた空間が、凍り付いた。
「いま、男が数人、セシルとネイシャのアパートに向かっていると“真実をもたらすトラ”が教えてくれた」
「――!」
「このままでは、ふたりとも暴行を受けて殺される。あの親子は、男を避けて暮らしているが、さすがにまったく成人男性に会わない生活というのは、無理だろう。あんな“呪い”をかけられていれば、セシルが男に近寄らずとも、悪意に当てられた男どもが寄ってきてしまう。――今までも、殺されかけては、逃げる生活をくりかえしていたんだ」
アズラエルは、ネイシャの言葉を思い出して舌打ちした。あれだけ聞けば、男関係に奔放な母親にしか聞こえなかったが、こんな裏事情があるとは、知らなかった。
L20の傭兵グループを選んでいたのも、なるべく女ばかりのところを探していたのだろう。それでも、任務となれば、“成人男性”に関わらないというのは難しい。
ペリドットがいうように、幾度も男に殺されそうになって、逃げていたのか。
あの親子は、アズラエルが誤解したように、たくさんの人間に誤解されてきたのだろう。
そして、ついに、落ちつける傭兵グループがなくなってしまった。
地球行き宇宙船に乗ることができたのは、不幸中の幸いだったのか――。
「……分かったよ。ストーカーから、二人を守ればいいんだな」
「ちゃんと、正当防衛になるんだろうな」
グレンが、指をゴキリと鳴らした。
「それは、こっちでだいじょうぶなようにしておくから」
アントニオが保証し、ペリドットが追い立てた。
「ピエトと行け。ふたりを保護して、連れて来い」
アズラエルとグレンはうなずき、
「やっぱり、女装しなきゃダメか?」
と最後の悪あがきで、聞いたが、ペリドットとアントニオから返ってきたのは無言の肯定だった。
「早かったじゃないか、ネイシャ。帰るのは夕方になるって言ってなかった」
「うん――ちょっと早く帰ってきちゃった」
言った途端にネイシャの腹が鳴った。
「あ、あたし、ちょっと走ってくる……」
踵を返したネイシャを、セシルは肩をつかんで止めた。
「朝メシ食ってないの」
「――あ、ちがうの――朝メシは、――作ってもらったんだよ。マジでうまそうなやつ――昨日の夕メシもうまくって、――久しぶりにラークのシチューを食った!」
「なにが、あったんだい」
セシルは、娘の、無理やり作った笑顔に、ごまかされなかった。だいたい、見当がついていた。だが、娘の身体や腕に、新しい傷はなさそうだ。乱暴されたわけではないことだけはわかり、ほっと胸をなでおろした。
ピエトの親代わりだというふたりは、話に聞く分では悪い人間ではなかった。悪い人間ではない――そんな言葉は、今まで何の役にも立たなかった。悪くない人間を、“呪い”のせいで悪人に変えてしまうのが、セシルたちの受けた呪いだった。
ネイシャがピエトの家に遊びにいきたいというのを、セシルは反対した。ピエトがこちらに遊びに来る分は、いつだって、毎日だってかまわないから、ネイシャはあちらの家に行くなと、何度も言い聞かせていた。
ピエトの父親代わりの男だけではない、友人が何人か一緒に暮らしている家だ。たとえその人たちがどんなに良心的な人間で、好意的であっても、“呪い”があっという間に、彼らを恐ろしい人間に変えてしまう。
――乱暴されてはいないが、たしかになにか、あったのだろう。
夕方に帰ると言っていた娘が、朝早く帰ってきた。
追い出されたのか、――まさか、もうピエトと遊ぶなと言われたか。
かつてネイシャは、友人の家に泊まりに行き、彼女の父親に殴られて、這う這うの体で逃げ帰ってきたことがあった。
それ以来、ネイシャは、友人の家には遊びに行かなくなった。
だが、今度ばかりは大丈夫だと、ピエトのうちに遊びに行きたいと言って、退かなかった。
「ピエトの父ちゃんと母ちゃんは――大丈夫だって。ピエトが言ってた」
ネイシャはそう言っていたが、やはり結果はこのとおりだ。
セシルは、正直、昨夜も気が気ではなかった。何度、ピエトのうちに電話して、娘の様子を聞こうと思ったが、電話もこないし、泣いた娘が帰ってくることもない。もし楽しく過ごしているのなら、邪魔をしたくはなかった。ピエトの父親も、その友人も、夜の仕事が入れば不在も多いと聞いた。今日は、男たちはいなくて、女ばかりなのだろうか。
娘は無事だと自分に言い聞かせて、眠れぬ夜を明かした。
奇跡の起こる、地球行き宇宙船――チケットが当たったときは、最後の希望だと思って乗り込んだ。だが、“呪い”に苦しめられる生活は、乗っても何も変わらなかった。
(なんとしても、娘と二人で地球に行くか、金をためて、ふたりひっそりと生活ができるようにしたい)
“呪い”は解けなくても、逃げ続けるままでも、きっと生きていけるはずだ。
「目玉焼きでも作ろうか」
十二歳にしてはたくましい娘の腕をさすり、セシルは立った。
「……母ちゃん!」
ネイシャは、母親の腕にすがった。
「ピエトの母ちゃんも――父ちゃんも、一緒に暮らしてる人も、ほんとにいい人だった! ほんとだよ! あたし、殴られたりなんかしなかったよ。嫌味も言われなかった。あた――あたしが、悪いんだ。ピエトの父ちゃんに、呪いのことを、言っちまったから」
「ええ!?」
セシルは、蒼白になって娘の身体を揺さぶり、
「あんた! 何を言ったの!」
「ピエトの父ちゃんに、母ちゃんがケトゥインの呪いをかけられたって言っちまって」
「それだけ!?」
「そ――それだけ」
娘は、男たちから受ける数々の暴力や悪意が、“呪い”のせいだということは知っているが、それがどういう呪いで、どんな経緯でかけられたかは、まったく知らないことを思い出して、セシルはがくりと膝をついた。安心のためにだ。
“呪い”の正体を知っているのは自分だけ。
内容を話せば、娘の命を持っていくと呪術師は言った。だから、ネイシャは、セシルがケトゥインの呪いにかけられたことは知っていて、そのためにこんな逃亡生活を送っていることは知っているが、母親が呪いをかけられた経緯は知らないはずだった。
セシルのせいで、祖父率いる“レッド・アンバー”は全滅した。悔いても、悔いたりないできごとだった。
夫を“殺され”、家族同然だったレッド・アンバーのメンバーと祖父を殺され、自分と愛娘に呪いをかけられた。
セシルは、夫にもなれなかった男を愛したことを、後悔はしていない。
ネイシャを産んだことも。
後悔は、レッド・アンバーのメンバーと祖父を、巻き込んでしまったことだけだ。




