表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
523/965

219話 セシルとネイシャ Ⅲ 1


「やあ、遅れてごめん」


 ミシェルの部屋のリビングで、ちょうど皆にコーヒーが行きわたったころ、インターフォンが鳴ったので、アントニオが代わりに出た。アントニオが玄関から連れてきたのは、ルナも見覚えのある男だった。


「バジさん!」


 名前を叫んだのは、ピエトだった。彼ははじめて会ったとき、オレンジ色のダウンパーカーを着ていたが、今はオレンジ色のTシャツだった。オレンジが好きなのだろうか。


「この中で初めましては、君だけかな」


 バジと呼ばれた四十代のにこやかな男は、流暢(りゅうちょう)な共通語で、ミシェルに手を差し出した。


「初めまして。バジです。L47出身のケトゥイン族だ」

「ケトゥイン……」


 ミシェルも、彼がなぜここに呼ばれたか分かったようだった。ちこたんは、コーヒーをもうひとり分、カップに注いで、持ってきた。

 バジは「ありがとう」とちこたんに礼を言って、カップを受け取った。


「悪気が残っていたのは、隣の部屋だったから行ってみたんだが、ペリドット様はこっちにいるって聞いて」


 部屋の中はすごい有様だったね、と彼はおおげさに肩をすくめた。


「やはり、ケトゥインの呪いか」


 ペリドットが聞くと、バジははっきりとうなずいた。


「間違いない。かなり、強力な呪術だ」


「ネイシャが、どうかしたの」


 ピエトは賢い子だ。ペリドットの「呪いの元凶を探せ」という言葉も、ベッタラが、ネイシャの帰って行った裏口を見て、「もう帰った」というのも聞いていた。

 この大事態の元凶がネイシャだと、気づきかけていた。


「ピエト、落ち着いて聞くんだ」

 ペリドットが、めずらしく優しげな声を出した。

「ネイシャ、という少女は、ケトゥインの呪いに侵されている」


「ええっ!?」


 彼らが話をしている最中にも、バジは、ベッタラといっしょに、持ってきた草花を、金属のたらいに入れて、火をつけていた。


「暑い中悪いけど、窓を開けて、換気扇を回して」

 バジが言った。

「イジムか」

「いじむ?」

「魔除けだ」


 ペリドットの言葉をルナがひろった。枯草が燃えているのに、草が焼ける匂いはせず、ペパーミントのような清涼感ある芳香が、部屋じゅうに漂った。


「なんだ、この匂い」


 アズラエルたちが、隣室からやってきた。やっと目が覚めたらしい――ピエトとミシェルの怯えた顔を見て、四人はさすがに、セルゲイが言ったことを信じざるを得なかった。


 まったく覚えていないのだが、互いに「殺してやる」と罵り合って、殴り合い――ペリドットたちが来てくれなければ、確実に死人が出ていた。ほぼ全壊の部屋と、破れた服や、あちこちすり傷だらけの身体が、確たる証拠だった。


 四人は、すっかりつかれた顔で、ルナたちに謝った。


「ごめん――マジ、怖い思いさせた」


 一番落ち込んだ顔をしていたのはカレンだ。ルナがぎゅっとカレンを抱きしめると、ようやくカレンの顔に、色がもどった。


「俺たちに、いったい何が起こったんだ」


 ピエトに怯えた顔をされたアズラエルとグレンも、さすがにショックだった。抱き上げようと手を伸ばしたら、ピエトはルナの後ろにさっと隠れた。

 アズラエルは硬直し、グレンがしゃがみこんで、ピエトと視線を合わせた。怯えさせないように離れた位置から。重ねて、ピエトに謝る。


「ほんとうにすまなかった――俺たちは、そんなに怖かったのか」


 ピエトは涙目で、うなずいた。グレンは嘆息した。

 アズラエルも膝をつき、顔をぬぐってから、「すまん、ピエト」と詫びた。ピエトはうなずいたが、ルナの後ろから出てはこなかった。

 クラウドなどドン底だった。ミシェルがこっちを見てくれないのだ。


『今後は、こういった時の対策を、ちこたんにセッティングしておくべきです』

 ちこたんは憤慨し、断固として言った。


「ああ、その通りだな」

 とアズラエルは肩をすくめた。

「次回は遠慮なく、俺たちに電気を食らわせて失神させてくれ」


『アズラエルさんは、ちこたんに電子レンジを投げつけました』

「マジか……。悪かったよ」


 アズラエルは、自分がやったことを覚えてはいないが、顔を覆って反省した。半壊状態になったキックを見たクラウドの悲鳴を、先ほど聞いてきたばかりだ。

 おまけに、ミシェルには無視されている。しおれたナメクジよりひどい有様だ。

 

「頭がすっきりするだろ」

「こんないい匂い、はじめて嗅いだ」


 カレンが、たらいに近寄ってくんくんと嗅ぐ。そうして、草を燃やしている男の顔に気付いた。


「あれ? あんた、K33区の駐車場であった――」

「バジだ。覚えていてくれてうれしいよ。カレンだよね?」」

 

 三人の中で、アズラエルたちに変わらない態度を示してくれたのは、ルナだけだった。

 めずらしく冷静なウサギだ。


 ルナは四人の手をかわるがわる握って、

「たいへんなことがおこったんだよ」

 と、慰めのような、事実であるだけの言葉のような、を口にした。四人は、返す言葉もなく、ルナの手を握り返した。


 人数が増えたので、ちこたんはまたコーヒーを取りに行ったが、『一杯分しか残っていません。コーヒー豆の在庫も切れています』と言った。


「この四人の分はいらない。まだ片づけ終わってないしね」


 四人は神妙に、閻魔大王のペナルティーを受けた。ミシェルとピエトの笑顔を取り戻すためなら、自力で掃除くらい、コーヒーがないことくらい、なんでもない。


「昨夜、ZOOカードを開けたら、真っ先に“真実をもたらすトラ”がやってきて、俺に事の次第を話して聞かせた」

 相変わらず前置きのないペリドットの台詞だ。

「俺に、真っ黒なもやに包まれたカードを見せて、ルナが困っているから調べてみてくれ、とだな」


「もや?」

 クラウドが口を挟んだが、ペリドットは無視して話をつづけた。


「トラは、呪いだと言った。まあ俺もそうだと思ったので、K33区にいる連中を片っ端から集めて、『この黒いもやが見えるか?』と聞いた。見えたのは、ケトゥイン出身の奴らと、エラドラシス出身のマミカリシドラスラオネザだけ」


 ルナは舌をかみそうな名前だと思ったが、冗談を言える空気はまだ戻っていなかったので、黙っていた。ペリドットも舌をかみそうなのか、次からは略した。


「マミカリシ……はエラドラシスの呪術師だから、“もや”が見えるだけであって、“もや”がエラドラシスの呪術であるかどうかは分からないと言った。ケトゥイン出身の奴らは全員見えた。だとすれば、ケトゥインの呪術である可能性が高い」

 

「ちょっと待ってくれ。その、“もや”のカードってのは」

 クラウドが、詳しく知りたくて食い下がる。


「ネイシャちゃんです」


 ルナがはっきりと言った。昨夜、ルナから話を聞いていたミシェル以外は、みな驚きを露わにした。


「じゃあ、あいつが言っていた、母親がケトゥインの呪いにかかってるっていうのは、ほんとだったのか」


 アズラエルの言葉に、ベッタラとバジは顔を見合わせた。


「自覚はあるんだな。呪いにかけられてるって」

「“男”にまつわる呪いだ。あの親子は、“男”に苦しめられ、やがて滅ぼされるという呪いがかけられている。“真実をもたらすトラ”にわかることは、今のところそれだけだ」


 ペリドットのつけたしに、ミシェルは息をのんだ。


「じゃあ、あの子の腕のあざは――もしかしたら、ほんとに」


 ミシェルのつぶやきを拾ったペリドットが、今度は問い返した。


「腕のあざ?」


 ミシェルは、おずおずと、ネイシャが暴力を受けているかもしれないという可能性を、話した。彼女の腕には、いくつも青あざがあった。

 それは、クラウドたちも確認していたことだったので、だれも否定はしなかった。


「まず、間違いはないだろう」

 ペリドットは可能性を確定させた。

「あの“もや”はな、人の悪意をむき出しにさせる作用を持っている」


「え?」


「つまり、ネイシャとその母親に相対したものは、身体の奥底から、暴力性と悪意を引きずり出されるんだ。それが親子に向いた場合は、親子が害される。親子がその場から姿を消した場合や、いない場合、“もや”に当てられた周囲の人間は、争いをはじめる――おまえらが、さっき(じか)に経験しただろう?」


 アズラエルたちは、自分たちの争いを、まったく覚えていなかった。ただ、腹の底から、訳も分からない憎しみが沸き起こってきて、どうしようもなかったのを覚えている。だれでもいいから、手あたり次第、傷つけたかった。


 悪意の真っただ中に、放り投げられたような感覚だった。


 カレンは、ぞっとして、自分を抱きしめた。

 理性もなにもない――自分が何をしたか、記憶がないのだ。


「ちょっと、待ってよ!」

 ピエトが叫んだ。

「俺、ネイシャも、ネイシャの母ちゃんも、大好きだ! 憎しみなんかわかねえよ」


「“呪い”が作用するのは、“成人男性”だけだ」

「!!」

「だから、ルナやミシェル、ジュリは大丈夫だっただろう? ピエト、おまえも子どもだから平気なんだ」


「あたしは、成人男性の部類に属してたってことだね」

 カレンがため息交じりに言った。


「なるほど……」

 クラウドがつぶやいた。


「ピエトとネイシャちゃんが通ってる学校は、校長も女性で、比較的女性の教師が多い。……だから、無事だったのか」


 だから、学校ではトラブルが起きずにすんでいた。


「算数の先生は、じいちゃんなんだけど、なぜだかネイシャにきつく当たるんだ。いい先生なのに」


 ピエトは、思い出したように言った。


「おまえら、ネイシャが、なんとなく可愛くないガキだと思ってなかったか。悪い子じゃない。なのに、気に食わないガキだと」


 ペリドットの台詞は、アズラエル、グレン、クラウドの男性陣が大いに思い当たった。

 食事の間はよかった。そんなふうには思わなかった。それは、先ほどのペリドットの言葉を借りれば、「セルゲイがいたから、呪いの作用が抑えられていた」ということになるのだろう。

 だが、セルゲイのいないところで個人的に相対すると――呪いの作用が働いてしまう。

 

「君たちは、昨夜、たいそう大人げなかったよ。ネイシャちゃんの悪いところを掘り出すような言い方をして」


 セルゲイが閻魔声でいうと、みんな、居心地の悪そうな顔をした。


「でも、ルナを睨んでいたって言うのは――」


 ほんとうだ、とグレンが言い訳がましく言うと、ルナのウサ耳がびんっ! と立った。


「睨んでたんじゃなくて、きっとあたしとお話したかったんだよ!!」


 昨夜、ルナはゲームをするんじゃなかったと、今の話を聞いて思い始めていた。食事のときも、ゲームのときも、「おやすみなさい」とあいさつしたときも、ネイシャは、ずっとルナのほうをじっと見ていた。ルナが目を合わせると、恥ずかしそうな顔でうつむく。

 なにか、話したいことがあったのではないかと、ようやく気付いたのだ。

 もしかしたら、あれはネイシャなりのSOSだったのかもしれない。


「おまえら、相当、呪いの毒気に当てられたようだな」

 ペリドットは言い、

「アントニオ、あれはどうなってる」と傍らの相棒に顎をしゃくった。


「今日の夕方には、できあがるんじゃないの」

「いいか、おまえら」


 ペリドットはためいきをつきながら言った。


「“夜の神”の神力がこめられた守りをいくつか用意した。アズラエルとグレン、カレンとクラウド。おまえらは、ネイシャという少女と相対するときは、その守りを身につけろ。それで、守り袋はルナ、セルゲイ、お前が真砂名神社に受け取りに行け」


「あ、あたし!?」

「おまえが来ると、夜の神のテンションが上がる。つまり神力も上がる」


 セルゲイはなんとなく、両手で顔を覆った。


「それで、ここからが本題だ」

 ペリドットが――彼にしては、すこしためらいがちに言った。

「――残念だが、あきらめろ。あの“呪い”は解けない」


「えっ」

 ルナとピエトは、青ざめた。


「二人と、関わるなとは言わない。おまえらふたりに呪いは作用しないからな。だが、昨夜からケトゥインの男衆総出で調べているが、ケトゥインの呪術っていうのは、知られているだけでも千以上はある」


「なくしものを探したりとか、天気予報とか、簡単で悪意のないものから、人を呪い殺すものまでさまざまね……。それは、L系惑星群各地に散ったケトゥイン族の数だけ、ものすごい数が存在するんだ。とてもではないが、調べきれない」


 バジが続け、ペリドットも言った。


「そしておそらく、あの親子は、何の呪いをかけられたかは分かっていても、それを話せない呪術もいっしょにかけられているだろう」


 つまり、彼女たちに、どんな呪いをかけられたかくわしく聞き出そうとしても、本人には、説明ができない。

 それでは、八方ふさがりではないか。

 ルナはうつむいた。


「術の種類がわかっても、それを打ち消す方法があるのかどうか――打ち消す方法が、ない場合もある。だから、触らないでおくのが一番なんだ。残念だけれども……」

 バジも、気の毒そうに言った。


「ちょっと待ってくれ」

 ストップをかけたのはクラウドだった。

「ネイシャちゃんの母親――セシルが、いつごろ、どこのケトゥインに術をかけられたか分かれば、調べやすくなる?」

 

 原住民一行は顔を見合わせた。


「それが分かり得る方法を、分かり得るのですかクラウド!」

 ベッタラが、叫んだ。


 クラウドは、頭をつかう場面が出てきて、急に水を得た魚のように生き生きとした。それに、そんなつもりはなかったが、小さな少女の素性を興味本位で探ろうとした――クラウドなりの、罪滅ぼしのつもりでもあった。


「よし――まず、情報を総括しよう。ネイシャの母親の名は、セシル・V・オズワルド。二十九歳だ。職業は傭兵。認定ではない」


 バジが、メモ帳に書き込んだ。


「ネイシャは十二歳。つまり、セシルは十七歳のときに、ネイシャを生んでいるんだ。――つまり」


「――あ」

 アズラエルも思いついたようだった。


「セシルがネイシャの父親と会ったのは、最低でも十六歳。これは推定だけど、セシルは孤児か、親がやってる傭兵グループにいて、学校に入っていない。認定じゃないってことも、理由になるんじゃないかな――なぜなら、普通その年頃の傭兵は、学校に行っていて、原住民と接触する機会なんてない。――ケトゥインの男とね」


「どういうこと?」

 ルナとミシェルが顔を見合わせた。


「ネイシャの父親は、ケトゥイン族の男だ。なぜなら、ネイシャが、ベッタラと同じ髪の色だからだ。このアイビー・グリーンは、ケトゥインか、ラグ・ヴァダか、アノールにしか表れない特別な髪の色なんだ」


 クラウドは劣性遺伝といいそうになってあやうく留まった。


 ベッタラは、自分の髪を、もしゃりとつかんだ。


「ワタシと――同じ」


「それが分かれば、術の種類も絞られてくる!」


 バジが興奮して、メモを握りしめた。


「おそらく、セシルと、ケトゥインの男との結婚は、男の身内に反対されていた――」

「そうか! そうか! わかったぞ、それで、“男”にまつわる呪いを――」

「ピエト、セシルが席を置いてきた傭兵グループの名前をひとつでも、分かる?」


「えっと」

 クラウドの問いに、ピエトは迷うような顔をしたが、

「ぜんぶは知らねえけど、ネイシャの母ちゃんが育ったとこなら知ってる」


「どこ!?」

「どこだピエト!!」


 大人たちに詰め寄られ、ピエトはルナにしがみついた。


「うちのこをおびえさせないでください!」


 お母さんの一喝に、男たちは一歩二歩、下がった。


「レッド・アンバーって、名前……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ