218話 セシルとネイシャ Ⅱ 1
ネイシャとピエト、そしてルナとミシェル、カレンとジュリは、ルナたちの部屋のリビングで、カードやボードゲームで遊び始めた。宇宙船に乗りたてのころ、あまりに暇を持て余したクラウドが、みずからの脳みその慰みに買ったゲームだった。
男たちは、クラウドの部屋でアルコール摂取の時間だ。アズラエルと仲良く酒など飲みたくないグレンも、めずらしく出席していた。
ソファに座って、水割りを手にした男たちは、それぞれ思い思いのひとことを口にした。なぜか申し合せたように、ネイシャのことばかりだった。
「真夏だっていうのに、長そで」
「見事なアイビー・グリーンの髪色」
「おふくろが、男関係にだらしなくて、傭兵グループに居つけねえタイプで、しかも本人は虚言癖ときた」
「ルナを睨んでた」
「え? そうだった?」
最後のグレンの発言には、セルゲイが聞き返した。
「うん。ルナちゃんを睨んでたよね。睨んでいたっていうか――ものすごく、見てた」
クラウドも認めた。アズラエルもそれは、不審に思っていたらしい。ネイシャの、ルナを見る目が、どちらかといえば好意的ではなかった――女の子だからと甘い目で見ているのは、どうやらこの中ではセルゲイだけだったようだ。
「真夏なのに長袖の服」というセルゲイの発言は、アズラエルの「おふくろがうんたら」というセリフに補完された。
「あの子の腕には、たしかに青あざがあったね。あれは大人の男につかまれたあとだ」
クラウドの観察眼にかかっては、だれも隠しごとはできないのか。だが、ネイシャの、真夏に長袖、という子どもらしくない服装が気になっていたのは、おそらく全員だ。
「お母さんの交際相手に、乱暴されてる可能性もあるってことだね……」
セルゲイは、難しい顔でつぶやいた。
「緑の髪ってのは? なにか意味があるのか」
クラウドが言った「アイビー・グリーンの髪色」に関しては、グレンが質問した。
「アイビー・グリーンの色が、染めているんじゃないとしたら――あの子の父親は、ケトゥインか、アノールか、ラグ・ヴァダの原住民だってことだ」
「ええ? ほんとうに」
驚いたのは、セルゲイのみだ。グレンは、「ああ、そうか」と思い出したように言った。
「あんなキレイな緑は、それらの原住民にしか表れない髪の色だからね――ベッタラと同じ色だろ」
めずらしいことではあるが、あり得ない話ではなかった。傭兵と、原住民との恋――ネイシャの母親は、恋多き女であるようだから、原住民と一度くらい恋に落ちていても不思議はない。
「ケトゥインじゃねえか」
アズラエルが言った。
「あいつ、おふくろが、ケトゥインの呪いにかかってるとか言いだしやがった」
「ケトゥインの呪い?」
クラウドの目が興味深げに光ったので、アズラエルは言うんじゃなかったと後悔した。
「言い訳なら、なんでもつくれるってことだよ。フリーの傭兵でいるってことは、よほどやり手じゃねえと難しい。さらにガキ持ちだ。食えなくて、男を渡り歩いてたんだろ。ガキをつかって同情を引いて、傭兵グループに所属しようなんて考えてる女だ。ロクな母親じゃねえ」
アズラエルは吐き捨てたが、クラウドはすこし考えてから、言った。
「あの子は、別段、悪い子ではないと思うよ。アズはそう言うけど、虚言癖があるとは思えない。そんな子が、クラスの中心人物になれるわけないよ。あの子は、口のうまさや如才なさで人の中心になるタイプじゃない。どちらかというと、ピエトと一緒で、純朴で素直だ。――俺には、平気でウソをつける子には見えなかった」
「じゃあ、アズラエルが言うように、お母さんが、あの子に、ウソをつかせてるってことなの?」
セルゲイの言葉に、クラウドは苦笑した。
「さあ――どうかな。でも、ケトゥインの呪いなんて、同情を引くにしてもファンタジーすぎるな」
「ガキのウソだ。デタラメだろ」
アズラエルの、ネイシャに対する印象は、よくなかった。なぜかは知らないが、彼女は睨み付けるような眼差しでルナを見続けていた。その挙句に、ろくでもない母親を、メフラー商社に入れてくれという。
ピエトの友達で、子どもだから大目に見ていただけのことだ。
「ネイシャが虚言癖かどうかは、たしかめる術はあるんじゃないか」
クラウドが提案した。アズラエルにはクラウドが何に興味を引かれているか、十分に分かったので、嫌そうな顔をした。
「我らが“ZOOの支配者”さまに、尋ねてみよう」
「ほえ?」
ゲームの最中に呼ばれたルナは、なんだか不満げだったが、それでもZOOカードで占ってほしいことがあると言われると、すぐに機嫌を直した。
「占ってほしいことって、なに?」
「ネイシャちゃんのことなんだけど――」
クラウドが言いかけたとたんに、ルナのほっぺたが膨らみ始めた。その顔をかつてクラウドは見たことがある。そう――ララに、絵を渡さなかったせいで、恐るべきペナルティーを食らった、あの日だ。
「――ごめん。なにか俺、まずいこと言った?」
クラウドは、冷や汗をかきながら聞いてみたが、ルナは座った目でクラウドを見つめ、
「ネイシャちゃんがどうかしましたか」
と、聞いた。
ルナが怒りだした意味がまったく分からないクラウドは、助けを求めるように背後に目をやったが、アズラエルとグレンはすっと目をそらした。ルナのほっぺたぷっくりの恐ろしさを知らないセルゲイだけが、のんきに言い放った。
「ネイシャちゃんのお母さんは、ケトゥインの呪いにかかっているそうなんだよ。だから、ルナちゃんに調べてほしくて――」
「ケトゥイン!?」
ルナのほっぺたが膨らむ代わりに、ぴーん! とウサ耳がたった。クラウドは「カオス」というセリフをすんでで堪えた。
「あの“まっくろ”は……ケトゥインの呪いでしたか……」
らしくもない気難しい顔で腕を組んだルナだったが。
「真っ黒? ルナちゃん、もうネイシャちゃんのことは占ったんだね?」
クラウドが畳みかけるように聞くと、ルナは「だめです! クラウドには言いません!」と叫んで、ぺぺぺっと部屋を出て行った。ドアを開けざま、一度振り返り、「ぜったい、クラウドにはゆわない!」
決然たる態度で言われた。
クラウドは、そのまあるい背中を呆然と見送りながら、
「……俺って、女の子から見たら、秘密を打ち明けにくい顔でもしてるのかな」
と悩んだ。
男どもからの意見は、なにもなかった。励ましも、否定もだ。
ルナは自分の部屋にもどった。
「クラウドに呼ばれたって、なんだったの」
ミシェルに聞かれ、ルナは「ZOOカードのこと。あとで話すね」と言ってふたたびゲームに加わったが、頭の中は、またZOOカードのことでいっぱいになってしまった。
時間も時間だった。十一時近くになっていたので、ルナはピエトの部屋に布団を敷いて、ネイシャの寝床をつくった。
「ネイシャちゃん、ほんとにピエトの部屋でいい?」
一応、ピエトは男の子だ。ルナは気をつかったが、ネイシャもピエトも顔を見合わせて笑った。ふたりはともだちだ。ネイシャがかまわないと言ったので、ルナはピエトの部屋の電気を消し、「あたしグレンとセルゲイの部屋のほうにいるからね」と言ってドアを閉めた。
「おやすみ、ピエト、ネイシャちゃん」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ルナとアズラエルの部屋のリビングで話していたのでは、ネイシャに聞こえてしまう可能性があった。
かといって、クラウドとミシェルの部屋は、男たちが陣取っている。
ルナは、カレンに許可をもらって、セルゲイとグレンの部屋でミシェルと話すことにした。勝手に入っていいのかなあとルナはもじもじしていたが、カレンが「いいから」と鍵を開けてくれた。
セルゲイとグレンの個室に入らないという約束で、ルナとミシェルはリビングに、ちょこんと座った。
部屋から、お酒を持ってくることは忘れない。そういえば、ミシェルとの二人飲みは、ものすごく久しぶりだなあということに気付いた。
「そういや、ルナと二人で飲むの、久しぶりだね」
ミシェルもそう思っていたようだ。ミシェルはビール、ルナはピーチのカクテル缶を開けると、小さく乾杯した。
「だいじょうぶかな。セルゲイたち、ここに戻ってきたらびっくりしないかな」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。カレンさんも言ってたけど、今夜は二人とも、この部屋には戻ってこないんじゃない? まえ、グレンがうち来て、クラウドと飲んだらそのまま朝までコースだったから」
「……グレンとクラウドって、いつの間に、仲良くなったんだろうねえ」
ルナの素朴な疑問だった。あのふたりは、最初ものすごく仲が悪かったのに、最近は気持ち悪いくらい仲良しだ。
「それより、さっきクラウドのやつ、ルナになにを聞いたの」
「ネイシャちゃんのことを占ってって、ゆわれた」
「ネイシャちゃんのこと?」
ミシェルは驚いたように目を丸くして、それから、ネコのように細目になった。
「なんか、わかる気がする」
「え?」
「あの子――おとなに暴力受けてるんじゃないかな」
ルナはびっくりして、ウサ耳がぴんっと立った。
「悪いとは思ったけど、パジャマの隙間から見えちゃったの。腕がすっごいあざだらけで、あたしぎょっとしちゃって……」
ルナは気づかなかった。ミシェルが気づいたなら、カレンも気付いたかもしれない。
「ふだんから身体鍛えてるって言ったから、そのせいで生傷が絶えないのかもしれないけど――傭兵の子って、そんなもんなのかな。お父さんはいなくて、お母さんだけだって言ってたよね。お母さんがものすごいスパルタなのかな。アズラエルのお母さんもスパルタ式だったんでしょ」
アズラエルのお母さんは特別だと、アズラエル本人も言っていたが。
「でも、話聞いてるかぎりじゃ、厳しいって感じのお母さんじゃないよね――あの子、お母さん大好きっこだよね」
ミシェルの最後の言葉には同意したルナだった。ネイシャが母親のことを話すときは、とてもうれしそうだった。いっしょに買い物にも、遊びにも行く。なんでも相談できる――そういっていた。とても仲がいいのだろう。
「でも、クールな性格って言えばそれまでなんだけど――十二歳にしては――すごく――暗い顔するときない? ――や、あたしの考えすぎかな」
「ミシェルの考えすぎじゃないと思う」
ルナはめずらしくきっぱりと言った。
ルナだって、“あんな”ZOOカードははじめて見たのだ。
「じつはね」
重々しく、ルナは言った。
「ネイシャちゃんのZOOカードね、真っ暗なもやに覆われて、なんのカードなのかも、ぜんっぜん分からなかったの」
「ええ!?」
ミシェルも仰天した。
「どこから話したらいいかなあ……」
ルナが朝、月を眺める子ウサギといっしょに探したのは、サイとイマリのカードだけではなかった。
シャチ――ベッタラと、ついでに、ニックのZOOカードである“天槍をふるう白いタカ”のカードも探したのである。ベッタラもそうだが、ニックも、ホーム・パーティーのときに、「彼女がほしい!」と絶叫していた。
今度のバーベキュー・パーティーには、ニックもベッタラも呼んでいる。ルナは、ついでに、ニックにも素敵な彼女ができたらいいなあという、軽い気持ちだった。
そして、ピエトから、ネイシャが来ると聞かされたあと、気になって、ネイシャのカードも探してみたのである。
そうしたら、とんでもないものが出てきた――。
「まず、シャチさんと、白いタカさんのほうから話すね」
ルナはめずらしく、支離滅裂にならなかった。最近は月を眺める子ウサギと相対することが多いので、お利口さんがすこし移ったかもしれない。
「ふたりのZOOカードも普通じゃなかったの。ふつうじゃないってゆうか、――赤い糸が、一本もなかったの」
「どういうこと?」
今朝、月を眺める子ウサギは、イマリとサイのことについてルナとすこし話したあと、「マ・アース・ジャ・ハーナの神様に呼ばれているから、また今度ね」といって、消えてしまった。
その代わりに、すぐ“導きの子ウサギ”が現れた。
「僕が、月を眺める子ウサギのかわりにきたよ」
彼はいつものように、「なんでも聞いて」と言いながら、ルナの周りをくるくると回って、膝の上に落ち着いた。行動が、ピエトそっくりである。
ルナはひとまず、
「“強きを食らうシャチ”さんと、“天槍をふるう白いタカ”さんのカードを出せる?」
と、自分の日記帳のメモを見ながら言ってみた。
「まかせて!」
導きの子ウサギは勢いよく言い、すぐに二枚のカードを呼びだした。
「じゃ、じゃあ、次に、彼らとつながっている縁の線を、出して」
導きの子ウサギは、チョコレート色の両手をポン、と合わせた。すると、色彩豊かな線と、たくさんのカードが部屋一面に広がる。
ルナはすぐに、「赤系」の糸が、一本もないのに気付いた。
「えっとね、ピエト、できれば恋愛関係の糸とか――結婚の糸を出してほしい――」
「出してるよ。これでぜんぶだよ――あれえ?」
カードのほうを振り返った導きの子ウサギも、首を傾げた。
「あれ? おかしいな」
ウサギはもふん、とふたたび手を合わせた。糸がリロードされたように、一瞬消えて、ふたたびつながる。
だが、やはり、赤い糸は一本もない。
「へんだよ! 赤い糸が一本もないなんて、おかしい!」
導きの子ウサギは叫んだが、ルナも叫びたい気持ちだった。彼にわからなければ、ルナにはもっと、分からない。
ルナは、目が痛くなるほど線を探したが、やはり一本もないのだった。
「もしかして、ふたりは男の子が好きとかいう……」
ルナは恐る恐る言ったが、導きの子ウサギは、ぼふっとへんな笑いをこぼした。
「同性愛者だったら、ベッタラから一方的にアズラエルに赤い糸が伸びてるとか、ニックとグレンが朱色の糸で結ばれてるとか、そういうことになるよ」
ルナはベッタラとアズラエルがラブラブなところを想像し、「プロレスです!」と言い切った。
「ううう~ん……」
(じゃあなんで、赤い糸がないんだろう?)
ルナは頭を抱え、しばらく唸ったが、まったくわからなかった。当然だ。
導きの子ウサギといっしょになって、ウサ耳をゆらゆらさせ――「そうだ!」と跳ね上げさせた。
「ピエト、ピエトは、だれのZOOカードも呼べる!?」
「うん。たいていは」
「じゃあ――“真実をもたらすトラ”さんか、ライオンさんを呼べる?」
「まかせて!」
チョコレート色の子ウサギは、消えたかと思うと、一瞬で、真実をもたらすトラとライオンを、連れてきた。




