216話 ZOOの支配者 3
革命をつかさどる、月の女神のふたつ名である、月を眺める子ウサギが、ZOOの支配者になったことによって、ZOOカードそのものに“革命”が訪れようとしている?
そのために、ZOOカードが、思うように動かなくなった?
「ただいま店舗の改装中、といったところか。――でもおまえは、ZOOカードをつかえるよな?」
アントニオが言い、ペリドットはうなずいた。
「ああ。だが、ZOOカードの中で、今までにない異変が起こってることはたしかだ」
「異変……」
「小さな変化だ。俺も気付くまでにだいぶかかった。――“ネズミ”を見なくなった」
「ネズミ?」
アンジェリカもアントニオも、思わず復唱していた。
「“犬”と“ネコ”が、片っ端からネズミをかきあつめて、その場しのぎの檻に閉じ込めている――という、ウワサがある。そっちは “スズメ”から入ってきた話だが」
「ネズミ――」
アンジェリカは、以前ペリドットに言われた言葉を思い出していた。
『おまえは、“仲間の力”でなんとかZOOの支配者の体面を保ってる、あわれなコネズミちゃんだ。ネズミ仲間に感謝するんだな。ネズミはZOOカードの中でも一番数が多い。おまえが仲間のいないペガサスあたりだったら、もっと膠着状態だったろうに』
アンジェリカは、ZOOカードが動かないことにばかり気を取られて、あの言葉の意味を深く考えることはしなかった。
(今、思えば――)
あの言葉の意味を、ちゃんと、ペリドットに聞いておくべきだった。
「は、恥をしのんでお伺いします……」
アンジェリカは、恐る恐る、聞いた。あのときの言葉の意味を。
ペリドットがアンジェリカに投げつけた言葉を聞き、アントニオはしかめっ面になったが、ペリドットは、その言葉に関しては、悪いとは思っていないようだった。
ペリドットは、言おうか言うまいか悩んだ顔を見せ、やがて深い嘆息とともに、仕方なく、口を開いた。
「おまえは恵まれてるんだ――だから俺はあのとき、追いつめるような言葉を吐いた。追いつめられなければ気づかないと思ったからだ」
ペリドットは、今度は丁寧に説明してくれた。
「ネズミは一番、ZOOカードの中で数が多い。そして、仲間意識が強いから、なんでも情報をもたらしてくれるし、おまえの願いを聞いて働いてくれる。最初から、ZOOカードがするする動いたろ? それじゃァダメなんだよ。“ZOOの支配者”にはなれない」
「――え?」
「ZOOの支配者になって、最初の試練は、仲間を動かすこと。それができなきゃ、ZOOカードが動かなくなって、行き詰まる」
「――!!」
「つまり、今おまえが陥ってる状況は、ZOOの支配者としての正当な試練だ」
アントニオは、ZOOカードに関しては素人だ。ペリドットが言っている範囲のことはわかっていたが、口をはさむことはせず、黙って聞いていた。
「おまえがいままで、ZOOの支配者ヅラしてやってた占術は、数多い仲間の助力があってのことだったんだ。
おまえがZOOカードで得る情報は、ぜんぶネズミたちがもたらす情報。仲間の数が多い分、どんな情報も探してくることができる。それを、“英知ある灰ネズミ”のおまえが、解釈して占う――おまえの占いは、そうやって成り立っていた。
おまえが恵まれているというのは、そういう意味だ。だが、おまえは親切な仲間に協力してもらっているだけで、“ネズミの支配者”ですらない。仲間思いのネズミが“協力”しているだけで、実際のところ、おまえはネズミを統率できていない。
仲間も統率できないものを、すべての動物を統率できるとでも? ライオンやトラ、ゾウやクマ――彼らが、ネズミのいうことを聞くと思うか。
おまえがZOOコンペを開いたときに、だれも従わなかったろ。おまえはZOOの支配者だから、皆、表面上は招集に応じるが、肝心な情報を、だれも教えてくれなかった。それは、動物たちがおまえを、ZOOの支配者として認めていないあかしなんだ」
アンジェリカは、もっともだと思って、こぶしを握りしめた。
「そういうわけで、ネズミたちが犬やネコに襲撃され始めてから、仲間がめっぽう少なくなった。それゆえに、ZOOカードが動かなくなった、と考えてもいいかもしれん」
「――!」
ペリドットはひとつ嘆息し、億劫そうにつなげた。
「俺はトラだ。……おまえもわかるだろ。トラがどれだけ自己主張が強い連中か。個人主義で荒々しいし、人の頼みなんか聞きやしねえ。トラである俺は、まずトラの仲間に、自分の実力を認めさせて、“支配下”におかなきゃならなかった。仲間も制することのできないトラが、“ZOOの支配者”になれると思うか?」
アンジェリカは、息をのんだ。
「動物によって、やり方はちがう。力で支配するより、仲間であることを強調して、親しげにしたほうがいいときもある。ヒツジやネズミ、ウサギなんかはそれでいい。だが、トラやライオンは、力で支配せねば、ナワバリは取れん。結論は同じだ。どんな形であれ、自分を“支配者”と認めさせねば、“ZOOの支配者”にはなれん」
「……」
「その道程で、仲間も動かず、ZOOカードも動かなくなって、行き詰まって、マ・アース・ジャ・ハーナの神にどうにかしてくれと懇願して、はじめて“真名”(まさな)が降ろされる」
「――えっ」
「あ~……いいか、ここまでは、おまえが、おまえ自身の力でたどり着かなきゃいけねえ境地なんだ、ほんとうは! 俺がしぶしぶ教えるのは、今が緊急事態だからだ。よく覚えとけ。――いいか、真名、だよ。真砂名神社のますなとは違うぞ。俺は“真実をもたらすトラ”だが、真名は、“トラの皇帝”だ。――その名があかされてはじめて、すべてのトラが俺にひれ伏した。俺のZOOの支配者人生は、そこからだ」
「それって」
「たとえば、“月を眺める子ウサギ”の真名は“月の女神”。“ガラスで遊ぶ子ネコ”の真名は、“偉大なる青いネコ”」
「あたしにも――その、真名があるんですか」
ペリドットはうなずいた。
「真名がないカードもある。だが、古い魂は、ほとんどといっていいほど真名を持っている。それに、ZOOの支配者になるほどの魂は、必ず“神”か“王”、女であれば“女王”――それに類する言葉がつく真名を持っている。それは、俺が真砂名の神から受けた神託だから、ほんとうだ」
アンジェリカは、「真名……」ともう一度口の中でつぶやいた。
「もしかして」
アンジェリカは、切羽詰まった顔で言った。
「ルナに、ZOOカードが渡ったというのは、月を眺める子ウサギが、あたしの真名を探してくれているんですか?」
「……月を眺める子ウサギの行動は、俺にもいまいち分からん。俺のテリトリーと、月を眺める子ウサギのテリトリーは違う。だから一概には言えんが、――とりあえずおまえは、これからマ・アース・ジャ・ハーナの神に、自分の真名を乞え」
「――え、あ、――は、はい!」
「すぐに真名が降りなくても焦るな。俺だって、降りるのに一年はかかった」
「一年……」
アンジェリカは絶句した。
そんなに待つわけには行かない。メルーヴァとの対決が、いつ来るか――。
「マ・アース・ジャ・ハーナの神だって、それは百も承知だ。今は緊急事態だと言っただろう。一年もかかりはすまい。だが、神に向かうことは大事だ」
「は、はい! はい!」
アントニオは、久しぶりに、アンジェリカの頬に赤みがともるのを見た。ペリドットは、なぜだか“すべてを話さなかった”が、元気づけてくれたことはたしかだ。
言いたいことだけ言ったペリドットが、いつものように、ろくに挨拶もせずに部屋を後にしていくのを、アントニオは追った。そして、リズンの外に出てから、声をかけた。
「アンジェの真名は、“白ネズミの女王”だろ? どうして、それを教えなかった」
「言いたきゃ、べつに、おまえから教えてもいいぞ」
アントニオは、肩をすくめた。
「他人から教わったんじゃダメだって?」
「そんなこたァ言わねえよ――だけどな、なんだか――」
ペリドットは、小首を傾げた。ルナがやるのは可愛いが、おっさんがやっても可愛くない。
「まだ、言わねえほうがいいような気がしてな……」
ペリドットは、蓬髪を掻いた。
「白ネズミの女王が、“牢獄”に入ってるっていうのが、どうも気にかかるんだ」
「……」
これも、さっきペリドットが語らなかったことだが、ネズミたちが、月を眺める子ウサギを邪魔しているのは事実だ。
それゆえに、月を眺める子ウサギに協力している“偉大なる青いネコ”や、“犬のご意見番”の指示のもと、犬やネコたちが、ネズミを捕らえている。
なぜネズミが、“白ネズミの女王”を助け出そうとしている、月を眺める子ウサギの邪魔をするのかわからない。
ペリドットが先ほど言ったのは、こういうことだった。アンジェリカが真の“ZOOの支配者”であれば、――すくなくとも、“ネズミの支配者”であったなら、このように、ネズミたちが勝手に行動をすることはないからだ。
どうしてネズミたちは、本来なら従うべき“白ネズミの女王”を牢獄に閉じ込めているのか?
彼女が閉じ込められているのは、真実、牢獄なのか?
“白ネズミの女王”が、ほんとうに罪を犯して牢獄に入っているのだとするならば、ネズミたちはアンジェリカに協力などすまい。
「俺は、トラ仲間を引き連れて、牢獄がある地下まで行ってみたよ」
アントニオが、どうだったという前に、ペリドットの眉間がしかめられた。この男がこういう顔をするときは、本気で困っているときだ。
「金のビジェーテ五枚もつかってなァ――臍かんでもどってくる羽目になった。もったいねえ。――ありゃ、ダメだ。もっと調べてから行くべきだった。俺はな、牢番がいても、でかいネズミあたりじゃねえかと踏んで、脅して牢を開けさせるために、仲間を十人ほど連れて行ったんだが――そんなもんじゃなかった。とんでもねえ結界が敷かれてる」
「結界?」
予想外の言葉に、アントニオも小さく動揺した。
「ああ。牢獄へ行く道は、結界で覆われてる」
「結界って――どんな」
「地下の階段を降りた先にあるのは、魔法陣の結界。それ自体はたいしたモンじゃねえ。問題は、その奥だ――はっきりとは見えなかったが、あれはたぶんチェスの駒だ」
「チェス?」
「だが、チェスとは、何か違う気がした。もしあれがそういう類のものだったら、力自慢の肉食獣だけで行ける場所じゃねえ。“英知ある”動物か、“賢き”動物の手助けがねえと――」
「もし、“賢者”クラスのやつが作った結界だったら」
「お手上げだ。同じ“賢者”のカードを探すしかねえ」
「賢者――クラウドの真名はどうだ」
「俺は知らねえ。あいつだったら、もしかしたら“賢者”もあり得るかもしれねえが、とにかく、月を眺める子ウサギに接触しねえと。真実をもたらすライオンは、月を眺める子ウサギに接触して、偉大なる青いネコから行ったほうが早い。ライオンとトラは、あまり仲がよくねえからな」
「君と、クラウドも?」
「そういうわけじゃねえが、ライオンのテリトリーに、俺は入りにくいってことだ。――ああ、月を眺める子ウサギなァ。あいつ、ホントつかまらねえんだよ!」
ペリドットはそう言って、ガックリと肩を落とした。このマイペースすぎる男を振り回せるのは、月を眺める子ウサギくらいのものだろう。
「あのぽややんとしたルナが、俺ぐらいの年になったら、あんなふうになるかと思うと、寒気がするぜ」
アントニオは笑った。それから、いったん店にもどり、サンドイッチをたくさん詰めた茶色い紙袋を持ってきて、ペリドットに押し付けた。
「これ、店の残りもんだけど、みんなと食ってくれ」
「俺は、見舞いの品は持ってきちゃいねえが」
「アンジェを元気づけてくれたろ」
アントニオは肩をすくめ、「作りすぎちゃったんだよ」と言い直した。
「うまそうだな。もらうよ」
ペリドットは小さく手を上げて、さっそく中身をつかみだして齧りながら、店の前のタクシーに乗り込み、去って行った。




