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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
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216話 ZOOの支配者 2


 アンジェリカは、ベッドに座ったまま、ぼんやりと外の景色を眺めていた。


 緑の多い住宅街に、ショッピング・モールの大きな駐車場が見える。アンジェリカが見ているのは、公園とは反対側の景色だ。彼女は、先日、リズン前の公園で起こった事件を知らなかった。


 真砂名神社に行かなくなって、二週間は経った。


 階下から、アントニオが上がってくる足音がする。アンジェリカが気づいたときには、もうドアは開けられていた。


「アンジェ、さっき、ルナちゃんたちが来たよ」

「え? ルナが」


 アンジェリカは、ベッドから降りかけたが、アントニオはそれを制するように手を上げた。


「まだ本調子ではないってことを告げたら、元気になったら教えてだって。今日は、お見舞いを置いて帰ったよ」


 アントニオは、背中に隠していたものを出した。

 可愛いカゴに入ったゼリーとクッキー、そして綺麗にラッピングされた箱型のつつみ。

 それぞれに、可愛いメッセージカードがついていた。


 “ゆっくり休んでね、アンジェ。元気になったら、会いに行くよ! ルナ”

 “元気になったらまたお茶しようね! ミシェル”

 “早く元気になって。またいっしょにバーベキューしようね! シナモン&ジルベール”


 レイチェルの分は、カードというより手紙で、そこには、おそらく感謝の言葉が、便せん三枚にもわたって書かれていた。


 アンジェリカは、字面だけを、触るように読んだ。内容はさっぱり頭に入ってこなかった。


「カゴの中のお菓子は、ルナちゃんとミシェルちゃん、レイチェルちゃんがいっしょに作ったんだって。こっちの大きめの箱は、シナモンちゃんから」

「――あ、あたしに?」

「シナモンちゃんたちが、宇宙船を降りることになったみたいだよ」

「え」


 アンジェリカは、まるで他人事のように、かつて自分がした占いを思い出した。


「――もう、そんな時期が」


 アンジェリカは、包みを受け取って、つぶやいた。そのことは、手紙にも書かれていた気がする。最近は、文字が頭に入ってこないのだ。

 アンジェリカは、アントニオに、レイチェルからの手紙を見せた。

 アントニオはじっくりと読んで、それから丁寧にたたんで、花柄の封筒にもどした。


「……そうか。よかったな。レイチェルちゃんも、エドワード君も。アンジェがララに頼んでおいたことを、ララはやってくれたみたいだね。シナモンちゃんは、有名なファッション・モデルの事務所に籍を置くことになったらしいし、ジルベール君は、カンファドール音楽院に行くことになったんだって」


 アンジェに礼を言ってくれって、ふたりは何度も言っていたから、とアントニオは笑みを見せた。


 アンジェリカは、黙って包みを開けた。


 包みの中から、ふわりとダマスク・ローズの香りがする。中身は、L03の衣装を着た人形が宮殿の中で踊る、上品な細工のオルゴールだった。アンジェリカがねじを巻くと、L03でよく聞いた民謡が流れる。


「安眠にいいらしい」


 アンジェリカが、眠れないと言っていたのを、ララから聞いたのだろうか。付属の説明書を読んだアンジェリカは小さく笑い、かごの中身に目を移した。 

 おいしそうなクッキーと、三種類のゼリー。


「アントニオ、これ一緒に食べない」

 アンジェリカは、マンゴーのゼリーを取った。

「じゃあ、俺、紅茶かコーヒーを入れてくるよ」

「あたし、カフェインなしのやつにして」

「わかってる」


 アントニオがふたたび階下にもどっていく足音を聞きながら、アンジェリカは涙が出そうだった。


(ありがとう――ルナ、ミシェル、――みんな)


 礼を言われるようなことではなかった。

 この宇宙船旅行が終わったあと、ジルベールはカンファドール音楽院に、シナモンはMM・ME社に、というのは最初から決まっていた“シナリオ”だった。


 レイチェルの親の会社は、エドワードがどんなにがんばったところで一度は終焉を迎えるだろう。だが、ララが渡したチャンスによって、エドワードは自分で会社を立ち上げる。


 それは彼らが地球に到達しようが、到達しまいが、起こり得ることだった。


 彼らは、“地球に到達できる幸運”という一番大きな幸運の権利を、惜しげもなく、月を眺める子ウサギに差し出した。


 彼らは、真砂名の神と月の女神、そしてネズミを眷属とする夜の神の守護によって、予定以上の成功を得るだろう。


 アンジェリカはオルゴールを丁寧に、枕もとの棚に置き、ねじを巻いた。ポロン、ポロン、と滴がこぼれるような音に、アンジェリカは胸が熱くなった。


(早く元気にならなきゃ――なりたいよ)


 アンジェリカの不調は、医者に言わせれば軽い鬱だった。だから、しばらくは仕事のことは忘れて、療養しなさいとのことだ。カザマやメリッサも、アンジェリカにそう言った。


 いつもアンジェリカに厳しいメリッサが、ずいぶんと優しい言葉をかけてくれたことは、(いよいよ、あたしはヤバいんだな)とアンジェリカに実感させてしまい、ますます落ち込み気味になったが――。


(ZOOカードが動かないことも悩みのひとつだけど――姉さんのことが、堪えてるのかもしれない)


 サルーディーバに拒絶されたことが。彼女が、自分のこともだまして、何かを行っていたことが。


(あたしは、姉さんにとって、信用にたる人間じゃなかったのかな)





「ペリドット」


 店内にもどったアントニオは、そこにいた、意外な人物に目を丸くした。


「よう。……なんだ、店はやってねえのか」


 鍵は閉めておいたはずだが。アントニオはそう思ってから、この男には、傭兵や泥棒とは別の意味で、鍵など役に立たないことを思い出した。


 ペリドットが、リズンに来たことなど、開店以来片手で余るほどしかない。その上彼は、めずらしくポロシャツとスラックスの格好だった。トラのくせに、ライオンみたいな伸び放題のたてがみを、無造作に一本結びにしてある。今日のペリドットは、職業不明の野放図なおっさんだった。


「今日は定休日だよ」

「ンじゃコーヒーひとつ」


 マイペースにかけて人後(じんご)に落ちない彼は、カウンターに座りもせず注文した。


不肖(ふしょう)の弟子は元気か」

「元気だったら、君のとこへ行ってるはずだと思わない」

「話がある。コーヒーは三人分だ。アンジェリカは二階か」


 ペリドットがカウンターに座らなかった訳が分かった。アントニオが止める間もなく、ペリドットは勝手に二階に通じる部屋のドアを開け、階段を上がっていく。


「ったく、アイツは」


 アントニオも舌打ちはしたが、仕方なくコーヒー二杯と、ノンカフェインの紅茶を入れて、二階へ上がった。


 二階は、アントニオの住宅になっている。勝手知ったる様子でペリドットは廊下を歩き、今はアンジェリカの私室になっている部屋の前までたどり着いた。申し訳程度にノックし、アンジェリカの返事が聞こえる前に、「入るぞ」と言ってドアを開けた。


「ペ、ペリドット、様……!」


 ベッドに座っていたアンジェリカが、あまりにも意外な訪問者に驚いて、ベッドから転げ落ちかけた。ペリドットは黙って不肖の弟子を支えると、ベッドにもどしてやった。


「おまえ、ずっとねたきりなのか」

「……」


 アンジェリカが悔しげに唇をかみ、それから絶望した顔つきになったので、ペリドットは嘆息した。だが、その嘆息は、アンジェリカには重く響いたようだ。


「す、すみません――私は、」

「俺は、おまえを責めに来たわけじゃねえ。――話をしに来た」


 ペリドットの言葉と同時に、アントニオが入室した。小さなテーブルを引き寄せて、コーヒーと紅茶を置く。ペリドットは待ってましたと言わんばかりにコーヒーを喫し、前置きもなく話を始めた。


「あれから、俺もかなり調べてみたんだが、結局のところ、まだ確信はつかめない」


 具合はどうだという挨拶もなく、前置きもないために、アンジェリカは、ペリドットが何のことを言っているのか、分からなかった。きょとんとした顔のアンジェリカに、ペリドットは、「おまえがZOOカードを使えなくなった理由だよ」と、やっと説明した。


 アンジェリカはふたたび驚いた。まさか、ペリドットが調べてくれていたとは思わなかったのだ。


 アンジェリカが礼を言う前に、ペリドットは言った。


「ZOOカードは、おまえが作ったモンだ。L03の、どの文献にも前例がなく、新しい。だから、正直、おまえが分からんモンを、俺が分かるわけはないんだ」


 ペリドットの言葉は真実だった。だからこそ、アンジェリカは悔しげにうつむいた。

 連日、神社に赴いても、真砂名の神からの答えはなく、ZOOカードも動かないままだ。


 自分の精神状態も、ZOOカードが使えなくなったことに関係があるのだろうかと考えてもみたが、まだはっきりとはわからない。


 ZOOカードのことは、製作者のアンジェリカが分からなければ、だれも分からない。

 せめてマリアンヌがいれば、相談できたかもしれないが、彼女は故人だ。


「そういうわけで、おまえがカードをつかえなくなった理由を考えても、埒が明かないからな。俺は、別の角度から、考えてみることにした。俺は、まがりなりにも、“真実をもたらすトラ”だからな」


 アンジェリカははっとした。


「考えたところでまだ――推測の域を出ないが――まァ、今日は話に来た」


 アンジェリカは、真剣な顔で、紅茶を手に取った。夏だというのに、手はずいぶん冷えていた。あたたかいカップに、ほっとする。


「ひとつは、ルナに、ZOOカードが渡った件からだ」


「ルナに!?」

 アンジェリカは、紅茶を落とすところだった。

「ルナ!? ルナが、ZOOの支配者になったんですか!?」


 ペリドットもアントニオもうなずいた。アンジェリカは、そのことを知っていたのに話してくれなかったアントニオをにらんだが、彼は肩を竦め、

「……アンジェには、余計なことを考えずに休んでほしかったんだよ」

 と言い訳がましく言った。


「マ・アース・ジャ・ハーナの神は、ルナをZOOの支配者に任じた。だが、正式なZOOの支配者ではないから、自由には使えんらしい――最初は、箱の中からカードが出てこなくて、ずいぶん苦労したようだ」

「……」

「結局、今はルナの母星にある真月神社の肌守りを箱の上に置いて、月を眺める子ウサギを呼び出して、動かしているようだ」

「真月神社……」


 アンジェリカも一度行ったことがある。月の神のおわす拝殿。ZOOの支配者になったものは、四柱の神の神社を回らなければならない。

 姉のサルーディーバが、ルナから真月神社のお守りをもらって、不足した力を補っていた。


「ルナは、月を眺める子ウサギに教えられた範囲でしか、ZOOカードを扱えん。すなわち、おまえの代わりにはならんということだ。それなのになぜ、ルナにZOOカードが渡ったのか」


「――もしかして」

 アントニオは、なにか気づくところがあったようだ。


「月の女神の象意は、“愛”“癒し”“縁”“革命”。――ルナにZOOカードが与えられたことではなく、“月を眺める子ウサギ”が、ZOOの支配者になったことに、意味がある」


 さすがにここまで説明されれば、アンジェリカにも、見当がついた。


「もしかして――ZOOカード自体に、革命の象意が訪れようとしているってことですか? 変革が?」



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