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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
512/923

215話 観覧車 1


 ブレアは、観覧車の中で、膝を抱えて泣いていた。

 

 宇宙船の西南、K15区の、海のそばにある遊園地――の観覧車だ。


 この遊園地は、宇宙船に乗りたてのころ、ナターシャとふたりで来た。リリザがあまりにすばらしかったために、リリザに行ったあとは、この遊園地がみすぼらしく思えて、一度も来たことがなかった。


 どうしてここに来たのかと問われても、ブレアは答えられない。

 ただ、役員に見つからないように、ふだんは行かない場所に行こうと思ったのだ。


 次の日の朝、十時という時間が来るまえに、ブレアはアパートを飛び出した。


 しばらく船内のホテルを転々としようと思い、ありったけのお金を下ろし、小さなボストンバッグに着替えや洗面用具をつめ、小旅行にでも出かけるような様子で部屋を出た。


 そして、街をうろつき、いつのまにか海側のほうへ来ていた。


 ブレアは、宇宙船を降りたくなかった。


 こんなふうに逃げ回っていても、いつかつかまって降ろされるだろうが、すこしでも宇宙船にいる時間を引き延ばしたかった。


 宇宙船を降りて家に帰ったところで、ナターシャもいない。田舎にもどったところで、適当な就職口と、退屈な日々が待っているだけだ。


 宇宙船で、素敵な彼氏を作って、結婚して――リリザに住みたい。

 リリザの遊園地に、毎日行けるようになりたい。


 母星にもどったところで、そんな夢を叶えられるはずもない。素敵な彼氏もできるわけがない。


 ライアンとつきあってからは、今まで付き合った男が、すべてゴミのように見えた。


 ライアンは、カッコよくて、クールで、素敵だった。ライアンとクラブに行くと、周りの女が羨ましそうにブレアを見た。最高の気分だった。ライアンが、もう一度自分を望んでくれるのなら、さっきの夢は撤回して、傭兵になって、ずっとライアンのそばにいたいとさえブレアは思っていた。


 傭兵としての生活が、どんなに過酷でも――。


(でも、もうライアンは、あたしのことなんか……)


 ブレアを見捨てたのは、ライアンだけではない、イマリもだ。

 イマリは、警察署で別れてから、一度もブレアに声をかけてくれなかった。昨夜も、どこかへ行っていたし、ブレアが何度もイマリの部屋のインターフォンを押したのに、出てくれなかった。電話にも。

  

 昨夜は、ほんとうに恐ろしい目に遭った。


 ブレアは、宇宙船を降ろされるまえに、どうしてももう一度だけ、ライアンに会いたかった。


 もしかしたら、いままでの冷たい態度は見せかけで、ブレアの顔を見たらすぐさま抱きしめてくれるような気がしていた。もともとライアンは気分屋のところがあって、不機嫌だとそっけなくなることがある。


 任務が失敗したことを謝って、それから、元鞘(もとさや)にもどれるようにお願いしてみるつもりだった。


 ブレアはラガーに向かったが、ラガーに着く途中で、ルシアンによくいる、貧しい星から来た売春婦たちにつかまった。いつも五人でいる、気味が悪いくらい化粧の濃い女たちだ。その女たちに服を破かれ、汚い浮浪者のたまり場に連れて行かれそうになった。


 昼間、演じた出来事が、現実になった瞬間だった。


 泣いて騒いでも、だれも助けてくれないことにブレアは絶望し、はじめて、役員たちが「この地区は危険だ」と言っていた意味が分かった。にごった目の男たちは、ブレアを助けるというよりか、ブレアの服が破れることを楽しんでさえいるようだった。


 もっとゆっくり剥がせという野次が上がった。


 ブレアが恐怖にひいひいという声しか出せなくなっているところで、意外な女が助けてくれたのだった。


 ブレアを助けてくれたのは、――忘れもしない、いつか、ケヴィンたちとリズンで、ルナとはじめて口をきいたときに、ルナにちょっかいをかけてきた、アフロヘアの女だった。


 どちらかというと、ブレアを浮浪者の集団に売り渡そうとしている女たちと同じ種類に見えるのに、なぜかアフロヘアの女は、ブレアをかばってくれた。


「だめ! この子嫌がってるでしょ! 嫌がってるのにだめ!」


 と涙目で怒鳴り、一緒にいた男に、「ジャック、ジャック、助けてあげて!」と大騒ぎしてくれたのだった。アフロヘアの大さわぎのせいで、店の並びのほうから野次馬が集まりだして、結果的にブレアは救われた。


「あたしもね、わかるから。嫌なのに、ああいうやつらに、ひどいことされそうになったときがあるの」


 アフロヘアは、そういって、ブレアを安心させるように抱きしめてくれたが、酒の匂いがすごすぎて、ブレアは()せ返ってしまった。警官崩れだというジャックという男は、あいつらは追い払ったから大丈夫だとブレアに言ったが、ブレアは、警官という語句すら今は聞きたくなかった。


 アフロヘアにも、ジャックという男にも、礼を言うのもそこそこに、逃げ出した。


 ブレアは、昨夜のことを思い出して、身を縮めた。


(降りたくない)


 あんな目に遭ったというのに、ブレアは宇宙船を降りたくなかった。


(降りたくないよ……ライアンに、会いたい……)


 ライアンの住処(すみか)だったはずのK35区のアパートの部屋は、今朝がた行ったら、すでに無人だった。引っ越してしまったのだろう。もう、ライアンには会えないのだとわかって、ブレアは号泣しながらタクシーに乗り込み、この遊園地まで来たのだ。

 

(ナターシャも、もういない)


 ナターシャは、宇宙船を降りてから、電話もメールもくれない。ナターシャの連絡先を教えてほしいと親に電話したが、教えてもらえなかった。


 ケヴィンに振られたのを皮切りに、何人に振られたかわからない。最後のとどめがライアンだった。


 イマリも親友だと思っていたのに、昨日から無視され続けている。


(あたしなんか……)


 生きていたって、しかたがないんだわ。


 観覧車がゆっくりと動く。ブレアは初めて、外の光景に目をやった。ブレアの乗ったゴンドラはゆらゆらと、一番高いところまでたどり着こうとしていた。


(あたしが死んだら、ナターシャは悲しんでくれるだろうか)


 ブレアは、安全装置に手をかけた。こういったものは、内側からは開かないようになっているはずなのに、なぜか外れた。


(あたしが死んだって、だれも悲しんでくれる人なんて、いないわ)


 親にも持て余されてきたことを、ブレアは知っている。


(あたしは、いらない人間なのよ。だれにも、必要とされてない――)


 ブレアは、外の高さに息をのんだ。怖かったが、悲しみのほうが強かった。


(死んでやるんだから)


 そのまま、空中に身を躍らせた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


(――夢?)


 なぜか、ブレアを乗せたゴンドラは、スタート地点にいた。これから、上に上がり始めるところのようだ。ブレアは観覧車に乗ったばかりだった。


 さっき、たしかにこの観覧車から飛び降りたはずだった。しかも、一番高い地点で。


(あたし、寝てたのかな)


 ブレアは、ベンチに背を預けて、足を向かいのベンチにつけた。


(夢でもなんでもいいわ。もう死にたい)


 夢の中で飛び降りたときと、何ら気持ちは変わっていない。


 ブレアは呆然と窓から外を見、ライアンやナターシャ、イマリのことを思い出した。

 ケヴィンとアルフレッド、ナターシャと行ったリリザは本当に楽しかった。

 思い出せば思い出すほど、今の自分がみじめで、死にたくなった。


 ブレアは、観覧車が頂点に着くころ、かなしみも頂点に達し、ふたたび飛び降りていた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


(――!?)


 ブレアが乗ったゴンドラは、また一番下にいた。これから上がり始めるところだ。

 さすがに、なにかおかしいことにブレアは気づいた。


(――夢?)


 夢の中で、二回も飛び降りたの?

 たしかに、ほんとうに飛び降りたい気はしていたけれど、まさか、夢の中で二回も飛び降りるなんて。


(あたしが寝てたあいだに、一周終わったのかな)


 だが、観覧車は、下につけば、客は一度降りなくてはならない。乗ったまま、もう一度回ることはない。ちゃんと降ろされるのだ。客を降ろしたゴンドラに、新しい客が乗る。


(でもあたし、ゴンドラが一番上にあったときに飛び降りたわ)


 ブレアが当惑しているあいだに、観覧車は回る。ブレアを乗せたゴンドラも、上に上がっていく。


(へんなの……)


 ブレアが安全装置に手をやると、やはり、開いた。


(ナターシャ)

 あんたのせいよ。あんたが、あたしを見捨てたから!


 てっぺん近くで、ブレアは、ふたたびドアを開けて、飛び降りた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


 ブレアは、さすがに腰を浮かして、周囲を眺めた。


(なんなの)


 ゴンドラは、またスタート地点にいる。気味悪く思ったブレアは、ゴンドラの安全装置を外した。今度もあっさり開く。上がり始めたところで、外に飛び出した。――飛び出した、つもりだった。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


「なんなの」


 さすがに、声に出していた。これは夢なのか。どうして、何度も同じ夢を?


 ブレアは、脱出を試みた。もう一度安全装置を外して外に出たが、結果は同じだった。ガタン! とゴンドラがスタート地点で動くところで目覚める。


 ブレアは怖くなった。


「やだ……なに、これ」

 ついに彼女は叫んだ。

「あの! あたし、降りたいんですけど!」


 ブレアの声はだれにも届かないのか、外の人間がブレアのほうを向く気配はない。


「なんなのよ! 降ろして! 降ろせよ!!」


 ブレアは暴れた。暴れてもどうにもならなかった。外にいる、トラの着ぐるみを着た遊具のスタッフも、客も、ブレアの声に気付かない。

 さすがに、気味が悪くなってきた。


「起きて! 起きなさいよ、あたし!!」


 夢なのか。夢でなかったら、これはなんなのだ。

 ブレアは早く夢から覚めたいと思ったが、一向に覚める気配はない。


「なんなのよ! この観覧車! 開けてよ! 下ろして!!」


 ブレアはガンガンと扉をたたいたが、だれも気付いてくれなかった。バッグを振り回し、中身をゴンドラ内にぶちまけ、それにも腹が立って、バッグをさんざんに打ち付ける。


「あっ!」


 安全装置が外れた。ブレアは、暴れた拍子に、外に飛び出してしまった。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


(どうしたらいいの)


 バッグをつかんだまま、ブレアは真上に近づいていたゴンドラから落ちたのだ。ブレアの手にバッグはなく、バッグの中身が、ゴンドラ内にぶちまけられたままだった。


 ブレアは、ゴンドラが中くらいの位置までくるのを待った。そして、リップを手にして、ゴンドラから飛び降りてみた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


 手に、リップはなかった。バッグもリップも、どこへ行ったのだろう。ブレアは下を覗いたが、ブルーのバッグが地面に落ちている気配はなかった。


 ブレアは今度、キャミソールの上に羽織っていた、レース地の上着を外へ投げ捨てた。

 ひらり、ひらりと舞ったそれは、観覧車の(はり)に引っかかった。


 ブレアは投げるものを間違えたと思い、サンダルの片方をつかんで、投げ捨てた。それは、ちゃんと地面に落下した。地面に激突した音は聞こえなかったが、ちゃんと落ちた。


 だが、だれもそれに注意を払わない。どうしてなのだ。


 ブレアはやけになって、自分のサンダルのあとを追うように、もう一度飛び降りた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。


 ――何回、同じことを繰り返したか分からない。

 少なくとも、百回は超えた気がした。


(どうして――)


 何度も飛び降りては、スタート地点から始まるのを繰り返している。観覧車からは出られない。何度飛び出しても、どの位置で飛び出しても、また最初から始まってしまう。


 万策尽きて、ブレアは天井を仰いだ。


 時間が過ぎた気がしない。それなのに、一年も乗っているような気がした。


 ブレアは、時計代わりにつかっている携帯電話を見てぞっとした。

 時間は、ブレアが遊園地に入った時間から、十五分と経っていないのだ。


 たしかに、遊園地に入ってすぐ、観覧車に乗った。ジェットコースターもほかの遊具も、乗る気はなかったし、観覧車はすいていた。


 でも、これだけ時間がたっているのに、デジタルの数値が十五分しか刻んでいない。


「なんなのよおおおお」


 ブレアは携帯電話を外に放り投げ、自身も叫びながら飛び降りた。


 ガタン!

 ゴンドラが大きく揺れた音に、ブレアは目覚めた。

 

 ――もう、わからない。どうしたらいいのか、わからない。


 ブレアは、携帯電話を投げ捨てたことを後悔した。あれで、外に助けを求めればよかったのではないのか。


 ブレアは自分の浅はかな行動を悔い、さめざめと泣きだした。

 なんという悪夢だ。

 もう何回飛び降りたかわからない。


「助けてえ――助けて! だれか、ここから出して!!」


 喉がいたくなるまで叫んだが、だれもブレアには気付いてくれない。観覧車はゆっくりと上昇を続けるだけだ。


 ブレアは暴れ、わめいて、知る限りの悪態を吐き続けた。

 でも、だれも助けには来ない。

 絶望してドアを開け、飛び降りる。

 スタート地点から始まる。

 それを繰り返すばかりだ。


 やがて、ブレアはぐったりとベンチに横になった。

 

 だれか。

 だれか、助けて。


(ライアン……イマリさん、……ケヴィン……ナターシャ)


 だれか助けて。


 いっそ、きのう家に来た役員でもいい。こんな宇宙船などもう降りてもいいから、この終わらないループから、早く助けてほしかった。



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