213話 イマリとブレアの罠 Ⅱ 2
「じゃ、私はこれで」
扉が開くと、警察官はすぐに踵を返した。彼は、案内してくれただけのようだった。
彼が帰っていくのを、四人は心細い視線で追ったが、シグルスが「どうぞ、お入りください」とうながした。イケメンだったので、すくなくともシナモンだけは、緊張からときめきに感情がシフトした。
シナモン、ジルベール、レイチェル、エドワード、アズラエル、グレンの順に部屋に入り、最後にルナが入ると、「ルーシイイイイイイイイイ!!!」という絶叫とともにララが飛びついて来たので、ルナは視界が真っ暗になった。
「ふぎ? ふぐ?」
「相変わらずかわいいねえ! わたしの天使! 女神! うさちゃん!!」
アズラエルたちは、今日、ララに抗議する気力はなかった。
レイチェルたちも、目を丸くしてその光景を見たが、部屋の調度品の豪華さと、シグルスの手際よいもてなしに、すぐに気をそらされてしまった。
ララはルナを思う存分抱きしめてスリスリしたあと、ルナを特等席のような一人掛けソファに安置し、自分はジルベールたち四人を座らせたソファの、真向かいにひとりで陣取った。
シグルスは、ララがルナをスリスリしている間に、客人を丁重にソファに招き、紅茶を配置するところまですでに終えていた。実に有能な秘書である。
ララはソファに深く腰掛け、すぐに本題に入った。
「ええっと――ジル、ジルベール――ジルベール・U・キリル? あんた?」
手元の電子端末を見ながらのララの言葉に、ジルベールはひきつった声を上げた。
「えっ? 俺? は、はい……」
さっき、警察署でカッコつけた彼はここにはいない。
今日のララはスーツ姿で、髪も短くなでつけた男性スタイルだったので、醸し出す威厳も大きかった。威圧するつもりはなくても、すっかり四人は委縮していた。あの物怖じしないエドワードでさえもだ。
どうして自分たちがここに呼ばれたのかと、質問をする余裕も、なかった。
「カンファドール音楽院に入る気、ないか」
ララの口から出た言葉に、ジルベールは「!?」の顔で固まった。
「おい、小僧。わたしは忙しい。入るか入らないかで答えろ。今すぐ決めろ」
「えっ!? カンファドールって、あの……」
「そう。カンファドール」
カンファドール音楽院。
L系惑星群の数ある芸術大学のうち、音楽関係に特化した有名校である。音楽院と名はついているが、オーケストラやミュージカル、オペラ、声楽だけではない。演劇から、クラシック・バレエやあらゆるダンス、民族舞踊――講師は音楽に関係するジャンルの、すべてのエキスパートがそろっている。その道を目指すものなら、あこがれの学院――L系惑星群各地から選ばれた人間だけが、その学院で学ぶことができる、推薦か、コンクールの受賞者だけしか入れない特別な学校だ。
「え――俺が――俺が!?」
「入る気ねえのか。推薦してやるって言ってるのに」
ララが会話に飽きてきたところで、ようやくシグルスが助け船を出した。
「ララ様は、L系惑星群芸術協会の理事でいらっしゃいます」
ジルベールには、その説明で十分だったようだ。彼は口を開け――ララが苛立ったように目を上げたところで、即座に返答した。
「は、入ります! 入ります、あの、お願いします!!」
「カンファ、カンファドール!? ……マジかよ」とジルベールが興奮冷めやらぬ様子でぶつぶつ言っているが、ララは興味なさげに次のターゲットに視線を移した。
「シナモン・J・シュガー? 本名かい。面白い名だね」
「え――あた、あたしも?」
「MM・ME社だな」
シナモンは紅茶を吹いた。思い切り不細工な顔で紅茶を吹き、高級ソファを汚した。モデルとしてあるまじき行為だ。しかし、だれも止めなかった。たしなめることもできなかった。隣のジルベールも、レイチェルたちも口をあんぐりと開けた。
MM・ME社は、ルナたち一般市民もよく耳にする、業界最大手だ。そこの専属モデルになれば、世界モデルになる道が開けるし、映画に出演するのも夢ではない。
「え――え――MM――」
「一生、地方紙の雑誌モデルで終わる気かい? それだけキレイな顔持っててさ」
カンファドール音楽院がジルベールにとって雲の上の存在であるように、シナモンにとってもMM・ME社は憧れでしかない場所だ。
信じられなくて、さすがのシナモンも絶句した。
「わたしの女になるか、それともMM・ME社に入るかだ」
「ありがとうございます! MM・ME社に行かせていただきます!」
「さて――エドワードと、レイチェル――ふん、ボガード・カンパニーのご令嬢ね――で、こっちは、ワトソンHD取締役の次男坊」
ララはタブレットから顔を上げて、エドワードを見据えた。
シナモンの、声なき絶叫が急に遠くなった。エドワードの背中に、どっと脂汗が噴きだす。
「おまえ、次男坊だけど、会社を継ぐことになってンの」
緊張してはいたが、ララの質問には、即座に答えることができた。
「いいえ――俺は、レイチェルの家に入ります」
レイチェルが、驚いた顔でエドワードを見た。
「ふうん――シグルス」
ララの合図で、シグルスは、漆塗りの名刺盆に、プラスチックカードのように角までぴんと美しい名刺を一枚乗せて、恭しくエドワードに差しだした。
エドワードは、おずおずと名刺を手に取った。それは、ララの名刺だった。だが、名前の欄には「アイザック・D・ヴォバール」とある。
「ご令嬢の実家の事業を立て直すには、並大抵の努力じゃいかないよ――それでもあんたは、そっちの道を選ぶって言うんだね」
「……覚悟はしてます」
レイチェルが涙ぐんだのを、ルナも見た。
「その意気だけ、買収してやるよ――にっちもさっちもいかなくなったら、その名刺をもって、L55のエドモント銀行へ行け。低金利で、望み通りの金を借りられるようにしておく」
エドワードとレイチェルの身体が動揺に震え、エドワードは手の名刺を落としかけた。
「ただし、貸し付けるのは一回だけだ――いいかい? よく考えて、その名刺はつかうんだよ。借りるタイミングを間違えるな。あそこに返せないとなったら、もうどこの銀行も融資には応じないし、信用も地に落ちる」
「――はい!」
「おまえはバカじゃなさそうだ。わたしの信頼を裏切るなよ」
レイチェルの頬もエドワードの頬も紅潮し、涙ぐんでいた。さっきまでの涙とはまるで違う――光明が差してきたことに対する、うれし泣きだ。
「話はそれだけ。じゃあ、しっかりやりな」
ララはさっさと立った。隣室に消えていこうとするその背に、エドワードとレイチェルが、声をそろえて「本当にありがとうございます!」と叫んだのが精いっぱいだった。
ジルベールとシナモンは、驚きと興奮のせいで、礼を言うタイミングをすっかり逃してしまった。
「皆様方はこちらへ。ご自宅までお送りします」
品のいいスーツを着た女版シグルスが現れて、レイチェルたち四人を部屋から出した。
四人は降ってわいた幸運のせいで、ルナたちだけが部屋に残されたことに、疑問を感じる余地もなかった。
部屋に残ったのは、ルナと、アズラエルとグレンだ。ルナは終始、口をぽかっと開けっ放しだった。この部屋に入って、十五分と経っていないのではないか。レイチェルたちに出された紅茶は、まだ湯気を立てている。
隣室に引っ込んだはずのララがまた舞いもどって来た。
「なんて顔してんだい、ルーシー」
ララは、手にブランデーとグラスを抱えていた。ララが酒を男どもに配るまえに、シグルスが、カラフルなマカロンが盛られた皿と、アールグレイのティーカップを、ルナの前に置く。
「ラ、ララさん……」
「うん?」
「あ、ありがとう……」
事態は、ルナが追いつけないほどのスピードで進んだので、それだけ言うのがやっとだった。
「あ、わかるかい? それ、美味いんだよ。リリザの有名店のマカロンを取り寄せたのさ。あとでミシェルにもお土産に持って行っておくれ。あなたがいつ来てもいいように、毎日最高級の菓子を用意してるんだよ。船内のショコラ・ブティックからも毎日チョコレートを取り寄せてる。シグルス、チョコレートも何個か選んで、つつんでやって」
「かしこまりました」
「おひゃああ!」
ルナはマカロンを口に運びながら悲鳴を上げた。わざわざリリザから取り寄せたとは。
「あのね! マカロンも美味しいけど、ジルベールたちのこと!」
「ああ、それなら、礼はアンジェのほうにお言い」
「――え?」
「あの子たちが、宇宙船を降りることになるかもしれないってことは、アンジェがずいぶん前から予想してたことだったのさ――降船のきっかけが、アズラエルたちをかばっての結果になるだろうこともね――そのときは、できるかぎりのことをしてやってくれって、わたしは頼まれていた」
アンジェリカが。
ルナは、輸送代だけで目が飛び出るだろう高級マカロンから、視線をララに移した。
「バーベキューパーティーで仲良くなった友達だからってねえ。……ま、わたしだって、友人の頼みとはいえ、簡単に金を貸したり、カンファドールに推薦したりなんかしないよ。あの子たちの素性は、調査済みだ。そのうえで、あれが妥当だと判断したのさ」
「……」
「地球行き宇宙船のチケットが当選するくらいだ。強運は持ち合わせているさ。わたしは、ただ後押しをしただけだ。ストリート・ダンスの坊やも、雑誌モデルのあの子も、素材はいいが、経験が足りない。この宇宙船なんかで時間を食いつぶしてるのがもったいないよ。原石は、磨かなきゃ原石のままだ、ルーシー。あなたもよく、そういっていた。オレンジ頭の子も、意気込みと覚悟はいいが、斜陽の企業を再生させるってのは、そう甘くはない。わたしのおせっかいは、キッカケにすぎないよ。これからの道を切り開いていくのは、あの子たちの力だ」
ルナは、いつも明るくて、泣きごとなど言わないエドワードの事情を垣間見た気がしたが、深くは聞かなかった。
「アンジェは、……まだ、ZOOカードをつかえないままなの?」
「なんだ、聞いていたのかい」
シグルスがやっと、ブランデーをララの手から受け取って、アズラエルとグレンと、そして主のグラスに注いだ。
「まだ不調は続いているそうだよ。まァ、無理もない。あの子も、宇宙船に乗ってから、いろいろあった。人生の根幹から揺さぶられるような出来事が次々とね――医者は、軽い鬱だと言ってる。本人は認めてないそうだが」
アズラエルとグレンは黙って、上等なアルコールを摂取した。
ルナが、アンジェリカのことを聞こうとしたが、ララが遮った。
「ルーシー、ごめんね。アンジェの話はあとでゆっくりしよう――。先に言っておかなきゃならんことがある」
ララはグラスを持った手の指を立てた。
「さっきの子たちには言うなよ? 話がややこしくなるからね」
「いったいなんだ」
アズラエルが、久しぶりの強い酒に至極満足し、おかわりを要求しながら聞いた。
「あのブレアって子は、強制的に、一週間以内の退去になるが、イマリって子は、降ろされない」




