212話 イマリとブレアの罠 Ⅰ 3
(なんてバカなこと考えたの、あたし)
レイチェルは青ざめて、やはり自分が行かなければと、休み場から一歩踏み出したとき、またイマリたちの悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああ」
「なにすんのよあんた!!」
先ほどの演技じみた悲鳴ではなく、本気の悲鳴だった。
レイチェルは、今度こそ妊娠中ということも忘れて、まっしぐらに彼らのもとへ駆けつけた。
なぜなら――猛烈な勢いでイマリたちの服を破いているのは、自分の夫と、その友人だったからだ。
「エド! ジル! ――何やってるの!!」
道路向こうから駆けてくるのは、レイチェルだ。エドワードとジルベールは少し驚いた顔をしたが、すぐに元の険しい顔にもどった。妊娠中の妻を気遣うことさえ、エドワードは忘れているようだった。すなわち、いつものエドワードではなかった。
その気配は、怒りに包まれていた。
「エド、エド……落ち着いて」
レイチェルがそっと彼のそばに寄ると、エドワードはブレアの服を破くのをやめ、ブレアを強く突き飛ばした。優しいエドワードが、こんな真似をするなんて。これほど怒りを露わにした彼を見たのは、レイチェルも初めてだった。
「ごめん。――ごめんね、レイチェル」
エドワードはひどく申し訳なさそうな顔をしたが、後悔はしていないというような、決然とした目をしていた。
「でも、あんまり卑怯で、だまっていられなかった」
エドワードより、ジルベールのほうがもっと黙っていられなかったのだ。先に飛び出したのは、ジルベールのほうだった。
「やめて! やめて、やめて!」
さすがに下着が見え始めて、イマリは本気で悲鳴を上げた。
ジルベールは、イマリの服をビリビリ破き続け、ついに周囲の人間にはがいじめにされて止められた。
「ふっざけんなよこのバカ女!!」
ジルベールは叫んだ。
「だれがてめーなんか好き好んで襲うかよ! おまえらサイテーだと思ってたけど、ここまでサイテーだとは思わなかったよ! くっそ! 離しやがれ!」
だれが呼んだのか――パトロールカーで駆けつけた警官姿の役員に、イマリはここぞとばかりに叫んだ。
「こ、このひとが、あたしを襲ってきたんです!!」
イマリが指したのは、アズラエルだった。警官は車いすの大ケガ人を見やり、一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにジルベールが、「違えよ! あのブス襲ったのは、俺だ!!」と叫んだので、ますます怪訝な表情になった。
ブレアが「あたしのことも襲ってきた」と叫ぼうとしたのも、エドワードに遮られた。
「この人を襲ったのは俺です」
「エド!!」
警官たちは、状況をはかりかねて互いに顔を見合わせた。
「おいおまえら――見てただろ!! この女の服破いたの、俺だって――!」
ジルベールが観衆に怒鳴った。イマリが即座に叫ぶ。
「え、ええっと――そう! コ、コイツもグルだったの! この男といっしょに、あたしを――」
「おい、それは――」
さすがにアズラエルが口を挟みかけたが、最後まで言わせてもらえなかった。
「ジル! あんたなにやってんの!?」
シナモンの声がして、ジルベールは大きく舌打ちした。厄介なヤツがやってきた、説明するのも面倒だという舌打ちだ。
「この女が、兄貴をハメようとしたんだよ!!」
「えっ!?」
シナモンには、すぐに状況が把握できなかった。
「なんなの――なにが起こってんの? レイチェル!?」
「とりあえず、ちゃんと話を聞きたいので、全員中央署に来てください。乗って。――君もね」
警察官に誘導され、手錠さえかけられていないが、エドワードもジルベールも、パトロールカーに乗せられた。――レイチェルは、それを蒼白な顔で見送った。
イマリたちがそのあとを追って、もう一台のパトロールカーに乗った。続いて呼ばれたタクシーに、アズラエルとグレンが乗せられていく。
レイチェルは、貧血でも起こしたように、その場にふらふらとうずくまった。
「あ――あたしが、悪いの――すぐに止めに入っていたら――」
「ちょ、レイチェル!?」
「あたしが、悪いの――」
「ね、マジで何があったの? いったい、何が――」
吠えるように泣き出した親友を支えながら、シナモンは、パトロールカーの後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。
「それで――ようするに、君たちの前に、ぼろぼろの格好の彼女たちがいきなり飛び出してきた、そういうことだね」
さすがに十回以上も繰り返せば、うんざりもしてくる。アズラエルとグレンは同時にうなずき、互いに顔を見合わせて、さらにうんざり感を共有した。
取調室で拘束されながら、アズラエルは妙な居心地の悪さを感じていた。学生時代、何度この類の部屋に入ったかわからない。だが、L18の取調室にくらべたら、ここの快適さは異常だった。
警官は、ふたりがどれほど動けるのかをたしかめるために、お茶まで出してくれたので、なんだか歓迎されている気分だった。
「食事はできるけれど、まだ腕をふつうに動かすには至らない、と……。パンフレットも持てないんですねえ。足も動かない――うん、歩けない」
「そうだよ! 何度いや分かる……イデデデ! 動かすな!!」
「すいませんねえ。一応取り調べなもんで」
アズラエルたちの腕や足を容赦なくつかんでくる警官たちに文句を言いながら、ふたりはようやく、ペリドットの言葉を思い出していた。
一時間遅れて来い、というあの忠告だ。
ペリドットは、このことを予測していたのだろう。だから、「家を出る時間を一時間遅らせろ」といったのだ。
忠告を忘れず、あの道路を通る時間を一時間遅らせていたなら、不安になったイマリたちは、計画を取りやめにしていただろう。
腕や足を治療しなかった理由も腑に落ちた。腕と足を治療済みだったら、ここまでストレートに信じてもらえなかったかもしれない。
腕と足が動かないから、イマリたちを襲えない、という証拠ができたようなものだ。
ふたりは面と向かってペリドットに礼を言う気はなかったが、心の中だけでちょっぴり感謝した。
警察車両でここに運ばれてくるまで、この当事者たちは、いったい自分たちの身になにが起きたのか、判断しかねていた。
それは、彼らが鈍いせいではない。あまりにお粗末すぎ、バカらしく、かつアホらしかったからだ。
全身骨折して動けない男が、白昼堂々、あんな人気のあるところでどうやって女を襲おうとするのだ。
子どもだって、こんなまずい作戦は立てまい。
イマリたちは、だれかの手先だったのか――ユージィンにやとわれて、グレンを降ろすために雇われた刺客ではとまで考えたほどである。裏の裏をさぐりにさぐったが、不穏な側面など出てくるわけもなく、ふたりは「ご兄弟ですか」という警察の勘違いに、「違えよ!」と怒鳴る気力も絞り出さねばならぬくらい脱力していた。
朝、アズラエルたちは、いつもどおりリズンの裏側に回り、公園に設置されたシャイン・システムでK05区に飛ぼうとしていた。
リズン裏手の道路に来た瞬間、公園のほうからイマリたちが飛び出してきたのだ。中途半端に破れた服を着て。たしか、ブレアのほうは泣いていた気がする。今となっては、それも用意された顔だったのかと疑いたくなるほどだ。
いきなり女ふたりが飛び出してきて、アズラエルとグレンは呆気にとられ、最初は、彼女たちがだれだったかも思い出せなかった。そうしていたら、ふたりが悲鳴を上げ始め、リズンのほうから、悲鳴を聞きつけた観衆が押し寄せた。
ハメられた、とわかった瞬間、今度はジルベールが走ってきて、すでに十分破れているイマリの服を破き始めた。続いてエドワードが。
アズラエルたちはワンテンポ遅れて、ジルベールたちが自分たちを庇おうとしているのだと悟り、止めようと思ったが、ジルベールの怒りがあまりに激しすぎて、「やめろ」という声も届かなかった。
そうこうしていたら、レイチェルが駆けてきて、シナモンが来て、警察が来て、という顛末だ。
「なあ、あいつらは、俺たちの身代わりになろうとしたんだ。頼むから、宇宙船を降ろしてくれるなよ」
あいつらとは、ジルベールとエドワードのことだ。
グレンは神妙な顔で言ったが、警察官はコワモテ顔に人のいい笑みを浮かべるだけで、「降ろしません」とは言ってくれなかった。
「いいお友達ですね。彼らも同じことを言っていましたよ。あなた方ふたりを降ろすなってね――でも、まあ、あなた方を庇うにしたって、ちょっとやりすぎましたね。相手は女の子だし、止めるだけにしておけばよかったんじゃないかな」
「……」
「彼らを降ろすか降ろさないかは、我々の判断では決められません。今日の調書を、上層部に提出するだけです。でもね、この宇宙船は、ちょっとしたもめ事にも神経質なところがありますから、覚悟はしておいてもらったほうがいいです」
アズラエルとグレンは嘆息した。
「オレンジ色の髪の――エドワード君か、あの子の奥さんは、身重だっていう話だから、いきなり降りてくださいということにはならないんじゃないかな。エドワード君がひとりで降りるにせよ――こういう場合は、たいてい奥さんも一緒に降りちゃうけどね――ちゃんと船内で産んでもらって、母子ともに体調を見て、長旅に耐えられそうになったら、降りてもらうって形で。すぐ追い出そうってンじゃないから、心配しないで」
最近元気がないレイチェルを心配したエドワードは、ジルベールを伴って、リズンの外でレイチェルの帰りを待っていたのだった。
もちろん、リズン前を通ったアズラエルたちと朝のあいさつを交わした。
レイチェルの帰りを今か今かと待ちかまえ、道路のほうにもひっきりなしに目をやっていたので。
ふたりは、イマリたちがアズラエルの前に飛び出してくるのも、自分で破れた服に手をかけて、さらに破き、悲鳴を上げる瞬間まで、一部始終を見ていた。
バーベキューパーティーの当事者だったふたりは、すぐに理解したのだ。イマリたちが何をしようとしているのかを。
バーベキューパーティーをあれだけ引っ掻き回しておいて、イマリたちは降ろされなかった。謝罪は当然ない。自分たちはまったく悪くないという顔で、ルナやミシェルの悪口を言い触らし、それをかばうレイチェルやシナモンの悪口も言いだし、平気な顔でリズンやマタドール・カフェにも顔を出す。
ジルベールもエドワードも、堪忍袋の緒が切れた、という怒り方だった。
「しかし、さすがに軍人さんは丈夫ですね。こんな大ケガなんだから、もうすこし入院していてもよかったんじゃないですか」
「そうだな、おとなしく入院してたら、こんなことには巻き込まれなかったかもな」
グレンの軽口に警官は笑った。
「結局、その、――バーベキューパーティーのことが原因かな」
「ほかに思い当たる節がねえ。それ以外に接触はしてねえし」
「うん。ジルベール君か――男の子たちに聞いても、話が一致してますからね。――彼女たちの逆恨みによる犯行、といったところが、正しいでしょうね」
警官は、イマリたちは、確実に降ろされるだろうことをふたりに告げた。
バーベキューパーティーのことがきっかけで、彼女たちが、ルナという少女を恨んでいた、という裏付けも取ってある。ルシアン、レトロ・ハウス、ラガーの店長がそろって証言したそうだ。下手をしたら彼女にも危害を加えたかもしれないが、もうその心配はないと言った。
「もともと、バーベキューパーティーの事件で、降ろされるはずが、株主の方の配慮で降船は取り消しになっていたようですしね――今回の件で、もう情状酌量はないでしょう」
「おい――俺たちは、どうなる?」
アズラエルがすこし不安げに聞いたが、警官は電子手帳をいじりながら、
「大丈夫ですよ。あなた方は、前にもK05区で問題は起こしてますが、今回のことは巻き込まれた形ですから――降船にはなりません」
そう言って、ふたりを安心させたあと、
「でも、彼女たちの証言にもよくわからない箇所があってね。最初は、どこまでもあなたたちに襲われたんだって、同じことを繰り返してばかりだったんですが、宇宙船を降りてもらいますってはっきり言ったら、急に態度が変わってね。こうなるとまた話は別で。ふたりは、これは任務だったって言うんですよ」
「任務?」
さすがに聞き返した。
「ええ。――その様子だと、おふたりに、心当たりはなさそうですね。あのふたりは恋人が、傭兵だったみたいでね。彼らがやれって言ったんだって。そういうんですよ」
「――なんだと?」




