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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~盲目のイルカと強気を食らうシャチ篇~
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212話 イマリとブレアの罠 Ⅰ 2


 とんでもない事態を巻き起こすことになる元凶――イマリとブレアは、リズンまえの公園で、木々とベンチの間に隠れて、二時間も前から、目が血走るほど道路を見つめて様子をうかがっていた。


 だだっ広い公園と、公園沿いの道路には高低差がある。ベンチのかげに、身を低めて隠れれば、死角になって、道路からふたりの姿は見えなかった。


 ロビンの情報によると、朝十時に、この道路をアズラエルとグレンが通る。

 いよいよ、「任務」を開始させるときが来たのだ。


「イマリさん……!」

 ブレアの血走った目を、イマリは視界に入れないふりをした。

「成功しなきゃ、あたし、ライアンに捨てられちゃうんだからね!?」


(もう捨てられてるじゃない)

 イマリは、ブレアのことなど、もうどうでもよかった。

「あんたがライアンに捨てられるのはあたしのせいじゃないわよ」


 イマリがそう突き放すと、ブレアはふたたび泣き出した。

 あまり大きな声で泣かないでほしい。だれかに見つかりでもしたら、計画はパアだ。イマリが睨むと、小さなすすり泣きになった。邪魔をする気はないようなので、イマリはほっとした。

 この上、計画まで邪魔をされたら、イマリはブレアがどんなに泣きついてこようが、今度こそ絶交するつもりだった。


 ブレアがライアンに別れを告げられたのは、ブレアのわがままが過ぎたせいだ――とイマリは思っている。


 ライアンの同乗者の女を、嫉妬したせいもあるだろうが、「ブタみたい」とか「白ブタ」とか平気で口にするブレアは、イマリもバカな女だと思っていた。


 ブレアの場合は自業自得だ。それでも、ライアンが、あの同乗者のメリーという、ブレアが「白ブタ」と罵ってバカにしていた女を抱き寄せながら、甘くキスし、「おまえが俺の宝物で、あっちが浮気だ」とはっきりブレアの前で言い切ったときには、すこしかわいそうな気もした。


 でも、バーベキューパーティーのときのように、また唸り声をあげてあたりの物を投げつけはじめたときは正直引いたし、相手が悪かった――メリーは、「うるさい」と言ってブレアを一発、平手打ちした。 


 ブレアは壁に激突して、額に小さなけがをした。

 またいつものように、「役員に言いつけてやる!!」と叫んだけど、メリーという女は怯まなかった。


「やってみれば?」


 おまけに、その場で舌も絡むような濃いキスをライアンとはじめたので、ブレアは号泣しながらその場を去った。イマリも、何も言えずに帰った。ライアンが夢中でメリーの唇を貪るのを見て、イマリでもわかった。ライアンが好きなのはあの小太りの女で、ブレアではなかった。


 ブレアは、宣言したとおり役員に告げ口したけれど、あのバーベキューパーティー以来つめたくなった役員は、「では、降りますか」と言ったきり、ブレアの要求を呑まなかった。

 振られたからといって、相手と女を宇宙船から降ろそうとしても、できるわけがない。


 殴られたのだとブレアが主張したが、

「私どもは何度も警告いたしました! お客様の出入りしておられる区画も危険であり、なにがあっても保証できかねますし、おつきあいされていた方についても同様のことを申し上げました。傭兵は、お客様が想像しておられるよりずっと危険な存在です。ですが、役員はお客様の恋愛にまで干渉は致しません。ご忠告だけは、再三申し上げました。その上でお客様がおケガをされたことに関しては、こちらとしましても、何の保証もできかねます!」


 役員は、あっさり突っぱねた。そして。


「もし、この“勧告”がお客様に伝わらない場合は、強制的に宇宙船をお降りいただきます」


 イマリとブレアは、ほんとうなら、とっくに宇宙船を降ろされているはずだったことを、ようやく思い出した。


 カードがどうとか言っていたが、あの不思議な衣装を着たひとが、イマリとブレアの降船を取り消したのだ。そうでなかったら、ふたりはあの時点で宇宙船を降ろされていたのだ。


 イマリは、ブレアがまたあたりに物を投げつけはじめるかもしれないと、ハラハラしていたのだが、ブレアは唇をかみしめて泣き、ノロノロと席を立った。


 ブレアが暴れなかったことにもほっとしたが、ブレアの執念にも呆れた。自分を棚にあげて。よほど、降りたくないのだろう。


「ライアンと、別れたくない……やだ……別れたくない……」


 ブレアは泣きながらそう言い続けていたが、もう望みはないだろう。


 あのあと、ラガーでライアンを見たとき、イマリは積極的にメリーを愛でるライアンを目にした。メリーしか目に入っていないライアン。ブレアと一緒のときも、彼女に甘い声をかけはしたが、どこか冷静だったのが分かる。差は歴然だった。


 ブレアのことは、遊びだったのだろう。


「あんたさあ……自分がわがままだって、思ったことある」


 イマリははっきりと言ったが、ブレアは、泣きながら叫んだ。


「あたしはわがままかもしれないけど……運命の相手って、あたしを、そのままのあたしを愛してくれるんじゃないの」

「限度があるわよ!」


 腹に据えかねて、イマリは怒鳴った。ブレアの言い分にも、勝手さにも。ひとりでは不安だというから、中央役所についてきてあげたイマリに感謝の言葉もない。


「あたしだって、ロビンが運命の相手だって思ってるけど、我慢してることだっていっぱいあるのよ!?」


 ロビンの浮気も、イマリは見て見ぬふりをしている。ロビンがイマリを連れ込むマンションは、ロビンの「本宅」ではないことも知っている。でも、我慢してきた。

 イマリも、ロビンに捨てられたくはないから。


「あんたみたいな性格じゃ、どんな理想の相手が出てきたって、すぐ終わるわよ!」


 イマリはブレアを突き離したが、ブレアは泣きながら、よろよろとついてくる。


 ブレアはわがまますぎる。周りの人間が、彼女の暴れように怯むから、たいていのことを思い通りにしてきたのだろう。自分の望みが叶わないということを、ブレアは思ったこともないようだった。


 おそろしくできた姉に比べて、空気扱いに育ってきたイマリは、自分とは正反対だと思った。イマリは自分の望みが叶ったことなんて一度もない。わがままを言おうが暴れようが、皆はイマリをそこにいないものとして扱ってきた。


「……ブレア、あんたもう、宇宙船降りて家帰ったら」


 イマリもブレアには、振り回されてきた。イマリはブレアの勝手にもはっきり言う方だったが、これ以上面倒を見きれなかった。イマリも、宇宙船を降りる気なんてない。ロビンと別れる気もない。イマリにも、ロビンに捨てられてしまったらという不安は、いつでもあるのだ。


 でも、これ以上このメチャクチャな女に関わっていたら、いつか巻き添えを食って、宇宙船を降ろされてしまうかもしれない。そもそも、あのバーベキューパーティーのときだって、この女が暴れて、あの偉い人(?)にカレーを投げつけなかったら、宇宙船を降ろされる降ろされないの話にはなっていなかったのだ――とイマリは都合よく考えた。

 イマリの中に、自分がパーティーに乱入したという意識はない。


「……ねえっ! イマリさん!!」


 ブレアはイマリの言うことなど聞いてはいない。必死で(すが)り付いてくる。


「お願い! このあいだ話した任務、あたしひとりでやるから、成功したら、ロビンさんから言ってもらえないかな……もう一度、ライアンと話したいの」


 虫が良すぎると思ったが、イマリは、このままブレアを見捨てるのもかわいそうだと、すこし思った。


「あたし、がんばるから……なんとか成功させてみせるから……だから、」


「あんたの気持ちは分かった。ロビンには話してみるけど、任務はあたしがやる」

 イマリはきっぱりと言い切った。

「あたしだって、プライドがあるの! 傭兵の恋人なんだから、あんな任務くらいできなきゃ、あたしがロビンに捨てられちゃう。だから、あんたはやんなくていい」


「イマリさん……」


 ブレアは、なんだか感動した目でイマリを見ていて、イマリは気恥ずかしくなったのか、ブレアの手を振り払った。


「それよりさ、あんたは少し、我慢するってこと覚えなよ! あんなふうに、すぐ物投げないでさ!」


 ブレアは、それに対して返事はしなかった。ただ、項垂れただけだった。でもイマリには分かっている。ブレアは反省もしていなければ、それを直す気もないのだ。今はただ、ライアンと話がしたいばかりに、イマリの機嫌を伺っているに過ぎない。


 どうせイマリがロビンに話して、幸運、ライアンともう一度話せることになったとしても、復縁は無理だということは、イマリにも分かりきっていた。


 さめざめと泣くブレアがとてもうっとうしい。まるで世界中の悲劇が自分にだけ集中したような泣き方だ。


 いったい、アズラエルたちはいつ来るのだろう。

 否が応(いや おう)にもイマリの緊張は高まっていた。十時は過ぎた。すこし遅すぎる気もする。


 ほんとうに、この時間に彼らはここを通るのか。

 イマリは、眼球が乾くのも忘れて、道路を凝視し続ける。


 隣でぐずぐず泣き続けるブレアに、苛立ちが頂点に達し、「泣くならとっとと帰って! 邪魔なだけだから!」と突き飛ばそうとしたとき、ようやくターゲットが姿を見せた。


「……来たわ!」


 リズンの陰から、目に見えて体格のいいふたりの男――だが。


 イマリとブレアは、一瞬、身がすくんだ。予想外の姿が、視界に飛び込んできたからだ。


「え――なに? アレ――ケガしてんの?」

「……なんで車椅子なの!?」


 ふたりは小さな声で動揺を口にしたが、たしかに彼らはアズラエルとグレンだった。顔は、もう包帯が巻かれていないため、だれかははっきりとわかった。

 イマリは、うっとりとアズラエルに見とれた。


(やっぱり、かっこいい)


 でも、アズラエルはルナの男なのだ。それを思い出すと急に怒りがこみあげて、アズラエルを陥れることになんの後悔もなくなった。


 ブレアはブレアで、アズラエルよりも隣の男に見とれた。ブレアは、グレンのほうが好みだった。ルシアンで、私服警備員をしているかっこいい人だ。

 ブレアも、かつては彼にナンパされることを夢見ていたが、一度も声をかけられたことはなかった。


「え、ど――どうしよう――腕とかもケガしてるっぽいよ? こんなんじゃ――」


 ブレアが、予定外だという声でたじろいだが、イマリはきっと口を引き結んで、立ち上がった。


 彼らがめのまえを過ぎていこうとしている。リズンにも、客が集まり始めている。自分たちの「悲鳴」が観衆に聞こえるこのあたりでないと、意味がない。


「もう、あとには引けないじゃない!」


 イマリは羽織っていたカーディガンを脱ぎ捨てて、立ち上がった。





 朝、レイチェルは、いつもより少し早く病院に行って、あわただしく帰ってきた。朝早くルナの家に行けば、まだルナがいるのではないかと思ったのだ。


(今日こそ、いっしょにリズンに行って、お茶したい)


 以前は、ルナといっしょに夕飯の買い物に行っていたのに、最近は会うこともなくなっていた。


 購入する食材の量が多すぎるのか、ルナではなく、セルゲイやカレンたちが買い物に来ていることが多い。あるいはpi=poか、通販か。セルゲイとカレンは平気だが、レイチェルは、グレンがすこし怖かった。だから、グレンがいると、話しかけづらい。


 言いたくはなかったが、彼らに、ルナを取られたと思っているのも事実だ。


 もしかしたら、自分はマタニティ・ブルーなのかもしれないと自覚したが、彼らを招いたのがアズラエルかもしれないと思うと――レイチェルは、セルゲイたちを、アズラエルの友人だと思い込んでいた――アズラエルが嫌いになってしまいそうで、ひどく落ち込んでしまうのだった。


(落ち込んでちゃダメ。おなかの子にもよくない)


 アズラエルだって、ケーキを焼いてくれるし、レイチェルがつわりでひどかったとき、レモネードを作ってくれた。優しいアズラエルを一度でも悪く思ってしまったことに、レイチェルは謝りたい気持ちでいっぱいだった。


(きっと、前みたいに、ルナとお茶すれば、気分は晴れるわ)


 元気も出る。

 そう思って、すこし興奮気味に、リズン近くの公園に差しかかったところだった。


「キャーッ!!」


 つんざくような、女の悲鳴。リズンの反対側から来たレイチェルは、遠目でその光景を目にした。


 車いすのアズラエルとグレン。

 そのまえにいるのは――イマリと――ブレア?


 レイチェルは驚いて、思わず公園の休み場の陰に隠れてしまった。


(――え?)


 耳にも聞こえるくらい、心臓が、バクバクと大きな音を立てていた。


(なに?)


 木陰から、そっと道路のほうを覗くと、ふたりの悲鳴がレイチェルのほうにもはっきり、届いた。


「助けてえー! だれか、助けてえー!」


 イマリとブレアの絶叫。イマリの服が破けている。ブレアもだ。レイチェルはどうしてふたりがあんな状態になっているのか、さっぱりわからなかった。


 わらわらとリズンのほうから野次馬が集まってくる。「どうしたの」「なにあれ」などと、遠巻きに様子をうかがう声と、「だいじょうぶ!?」という、イマリたちを助けに入る声。


 人ごみに紛れて、アズラエルたちの様子はあっという間に分からなくなってしまった。


(え? ――ええ?)


 レイチェルは、めのまえの出来事が信じられなかった。

 まさか、アズラエルとグレンが、あのふたりを襲った?

 どうして?


(あのふたりが? そんなこと、するわけないじゃない)


 レイチェルにはすぐわかった。イマリとブレアの嫌がらせだ。

 イマリたちが公園のほうから、アズラエルのまえに飛び出してきたのだ。

 アズラエルたちは車いすから動いていないし、イマリの服は、最初から破れていた気もする。


 反対側の道路からまっすぐ歩いてきたレイチェルは、見ていた。


 アズラエルたちは大ケガをしていて、動けない。あのふたりを襲うことなどできないし、第一、アズラエルたちに、あのふたりを襲う理由が見当たらない。


(まさか――バーベキューパーティーで通報されたこと、うらんでるの?)


 それにしても、こんな手の込んだ嫌がらせをするなんて――。


(早く、ルナに知らせないと――ダメよ。それより先にあそこに行って、アズラエルとグレンさんをかばうべきだわ)


 レイチェルの足は動かなかった。膝が震えた。レイチェルは、お嬢様然とはしていても、友人の危機には駆けつける、そんな気丈さは持ち合わせていた。いつもなら、即刻あの人ごみの中へ入って行って、アズラエルたちの身の潔白を証明するはずだった。


(――でも)


 レイチェルは、ふっと思った。


(アズラエルが宇宙船を降ろされたら、ルナはまた前みたいな生活にもどれる?)


 また、ルナと毎日お茶をしたり、買い物に行ったりできる、生活に――。



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