211話 夢 Ⅶ
ルナは、遊園地にいた。例の、夜だけ運営していて、動物の着ぐるみばかりいるおかしな遊園地。
ああ、そうだ。
黄色と茶のまだらネコを捜さなければ。
ブレアはどこにいるだろう。まだ彼女は、コーヒーカップに乗っているのだろうか。
ルナが園内に入ると、そこには黒ウサギが待っていた。
ジャータカの子ウサギだ。
「行きましょう」
ベンチから立って黒ウサギは言った。ルナは聞いてみた。
「黄色と茶色のまだらネコを知らない? このあいだ、コーヒーカップに乗ってぐるぐる回っていた――」
黒ウサギはうなずいた。
「知ってるわ。あなたより先に、私、見つけたの」
「でもね、あまり寄り道はしていられないの。早く“白ネズミの女王”を助け出さなきゃ」
そうだ。一刻も早くアンジェリカを助け出さなければいけない。
黒ウサギはすぐにルナの手を引いて走り出す。すぐにコーヒーカップのある場所にたどり着いた。
ああ、いた。
黄色と茶色のまだらネコがいた。コーヒーカップの遊具は動いていない。まだらネコは回らないコーヒーカップに乗ったまま、寂しそうに、「にゃあ」と鳴いた。
「チケットを、使い切ってしまったのよ」
黒ウサギは言った。
「チケット……ビジェーテは、無限にあるものじゃないわ。もうコーヒーカップは回らない。行きましょう」
ルナはでも、黙ってここを去るわけにはいかない気がした。
寂しそうなネコ。このまま、ここにいる気だろうか。
ルナはあちこちポケットを探った。胸にはスタッフのパスカードがあり、パスカードのケースには、スタッフであることを示したカード以外、なにもない。ワンピースのポケットにも何も入っていない。
懲りずに探していると、羽織ったカーディガンのポケットに突っ込んだ手が、何かに触れた。取り出してみるとそれは、銀のビジェーテだった。
「ダメよ、ルナ」
黒ウサギは止めた。
「それをあげても、あのまだらネコはまたコーヒーカップを回すわ。同じことよ」
「でも、ほかの乗り物が楽しいのを知らないだけかも」
ルナは言い、まだらネコに近づいた。まだらネコは項垂れていて、まえのようにルナに威嚇してきたりはしなかった。
「ダメよ、ルナ。ダメだったら」
黒ウサギは、意を決したようにルナの前に立ちはだかり、告げた。
「このネコは、真っ赤な子ウサギと組んで、あなたを陥れようとしたのよ」
まだらネコは、急にガタガタと震えだした。――悪さがばれた罪人のように。
「おかげで、どんどん“白ネズミの女王”の救出が遅れて行くわ。こんなやつに、同情することはないのよ」
ルナはでも、ここにまだらネコを置いていくのはかわいそうに感じた。
まだらネコが、というよりは――ナターシャが、だ。
「一緒に来て。さあ」
まだらネコは、ルナに手を引かれて、おずおずとコーヒーカップを降りた。
ルナは、黒ウサギと一緒にまだらネコを連れ、観覧車まで来た。そこには、お坊さんの恰好をしたトラがいる。ルナは、トラに、銀のビジェーテを一枚渡した。
まだらネコは、ルナたちのほうを何度も振り返りながら、観覧車に乗った。ゆっくりと、ネコが乗った部屋が、上へあがっていく。まだらネコは窓に張り付いたまま、ずっとルナたちのほうを見ていた。
「どうして観覧車なの」
黒ウサギは不思議そうに尋ねた。ルナも分からなかった、なぜか、観覧車に乗ればいいんじゃないかな、と思ったのだ。
「……高いところからの見晴らしは、素敵だと思う」
「行かなきゃ」
黒ウサギは、ルナの手を引っ張って行こうとしたが、すぐに、もっふりとしたビロードの羽毛にぶつかった。大きな鳥だ。
濃いグレーの小鳥――ルナたちウサギより大きな小鳥は言った。
「なあ。ボタンを落としちゃったんだよ。見つからないんだ。もしかしたらボタンは盗まれたのかも。大切に箱に入れてしまっておいたのに。知らない? 黒ウサギちゃん、君は知っているだろ?」
「あなたはもうちょっとあとなのよ。ごめんなさい」
「ネズミが先で、俺はあと? 俺の用事だって大切さ!」
見かけは小鳥なのに、とにかく大きい。ルナたち子ウサギの数倍はあるだろう。俺の言うことを聞くまでは通さないぞ! というように羽根を広げて立ちはだかる。
「やめたまえ! どうせ飛ぶこともできないくせに」
ルナたちの視界が、真っ暗になった。ルナと黒ウサギは、振り返ってびっくり仰天し、腰を抜かした。
巨大な黒いタカが――何メートルもある羽根を広げた大きなタカが、ルナたちを見下ろしているのだ。さらにそのうしろには、鎌首をもたげた巨大なヘビが。
ルナは、この黒いタカが、このあいだの夢で見た、おしゃべりなタカだということに気付いた。あのときは、こんなに大きくはなかったはずだが――。
大きな椋鳥も、さすがにこの、大きなタカとヘビには怯んだ。
「ボタンとはこれのことかね」
タカはくちばしになにかくわえている。椋鳥へ差し出した。
「あっ! おまえが盗んだのか!!」
でかい椋鳥はタカに体当たりしたが、このタカはたいそう大きかった。椋鳥は弾き返されてドスンと尻もちをつく。
「食ってしまうぞ!」
タカとヘビの威嚇に、飛べない大きな小鳥は羽根をバサバサさせながら、大慌てで逃げていった。タカはくわえていた小石を、ぽいと捨てた。
「仕方のないやつだ」黒いタカは言った。「お嬢さん方、おケガはありませんか」
ずいぶん紳士的なタカだったが、黒ウサギはタカに怯えていた。全身がガタガタ震えている。無理もない。ルナだって怖かった。
ルナは黒ウサギを抱きしめた。守ろうとするように。
それを見たタカは羽根をたたみ、なるべくちいさくなろうとした。タカに羽根先で突かれ、ヘビも鎌首を下ろした。これ以上近づいてこないところを見ると、怯えさせないように気を配ってくれているらしい。
「私は、君を食べはしないさ。大変――もうしわけないことをしたと思ってはいるけれども」
私も仕事だったのでね。タカは黒ウサギに向かって言っているようだった。
「椋鳥は、私が何とかしよう。君たちは、君たちの為すべきことをしたまえ。……そこの、ピンクのウサギさん」
黒いタカは、ウィンクした。
「導きの子ウサギは、謎を解いたかね」
ルナはこのあいだのお茶会のことを言っているのだと思って、盛大にうなずいた。やはり彼は、あのときのタカだったのだ。
「あのときはアドバイスをありがとう」
ルナが礼を言うと、タカはその鋭い目つきを和らげて、「よかったね」とでも言っているような目をした。
「ではまた、いずれ! はーっはっは!」
高笑いを残して、黒いタカはばっさばっさと飛んで行った。
「へんなタカ……」
ルナは、思わずつぶやいた。
青大将も、舌をちろちろ出しながらふたりを眺めていたが、「じゃあ、また今度」と言ってうねうねもどっていった。
ルナは、この青大将も見たことがある気がした。
(そうだ)
はじめて、布被りのペガサスに会い、彼女を天翔けるペガサスと出会わせたときに、遊具の影から覗いていた大きなヘビだ。
黒いタカとヘビの姿が見えなくなったとたん、それを待っていたかのように、「やっちまえ!」という声が聞こえた。
「あっ! あの子!!」
黒ウサギが忌々しげに唸った。やっちまえといったのは、真っ赤な子ウサギだった。子ウサギは、たくさんのネズミを引き連れていた。
ルナもさすがに分かってきたが、ZOOカードの世界は、動物の実際の大きさはあまり関係ない。ネズミのはずなのに、ルナたちよりずいぶん大きな灰色や茶のネズミに囲まれて、ルナは怯えた。
黒ウサギが必死でルナを後ろに隠してかばってくれるのだが、その黒ウサギを、ネズミたちが鋭い爪で引っ掻こうとする。
ルナは思わず叫んだ。自分ではない何かが、叫んでいるようだった。
「“真っ赤な子ウサギ”さん! こんなことをしても、何にもあなたのためにならないのよ」
「うるせえ! あんただけ幸せにしてたまるか!」
真っ赤な子ウサギは、口汚く罵った。
「死んでしまえ! あんたなんか、あんたなんか、あんたなんか!」
真っ赤な子ウサギは、なぜだかルナをひどく恨んでいる。逆恨みもいいところだったが、真っ赤な子ウサギが欲しいものを、ルナがすべて持っていることが気にくわないのだ。
ルナはせめて、真っ赤な子ウサギに、素敵な恋人ができることを願った。
彼女の望みは、“お義兄さん”のような、素敵な軍人なのだ。
だけれども、真っ赤な子ウサギは、まだらネコの比ではなく、罪を重ねすぎている。
このままでは、恋人ができるどころか――。
ルナは、ポケットの中に手を入れた。ビジェーテの最後の一枚を、真っ赤な子ウサギのために使おうとしたのだ。
黒ウサギは青ざめた。
「ダメよ! それだけはダメ! ルナ!!」
「やめろ!!」
ルナと黒ウサギを助けてくれたのは、二匹の犬だ。ネズミたちよりずっと大きかった――ゴールデンレトリバーと、真っ黒なボルゾイ。二匹は、ワンワンと鋭く鳴いて、ネズミや真っ赤な子ウサギを追い払ってくれた。
「そのビジェーテは、“白ネズミの女王”を助け出すために取っておくんだ」
レトリバーが言った。
「俺たちは、あんなやつどうでもいいけど、月を眺める子ウサギさんに免じて、見逃してあげる」
真っ黒なボルゾイも言った。
「仕方がないから、あたしたちの“幸運”を、あげるわ。あたしたち四人分の“幸運”があればきっとなんとかなるんじゃないかしら――あ、勘違いしないで。あのウサギのためじゃない、“あんたのためよ”ルナ。あんたが、さっき、パティシエの子ネコのために、ぐるぐる回る子ネコにビジェーテをあげたことを、真砂名の神様が見ていたのよ。だから、あたしたちにそうしろと言ったの」
真っ赤なプードルが、口紅を塗りながら、「あのウサギは、何を言っても変わりゃしないわ」とぼやいた。
大きな犬たちは、頭に、プードルを一匹ずつ乗せていた。プードルたちは女の子だ。
ルナは、にこにこ笑う彼らがだれか、ほんとうは知っている気がした。
「だいじょうぶ。俺たちは、“地球に行けなくなったけど”もっとすごい幸運をいただいた」
レトリバーと真っ黒なボルゾイは、声をそろえて言った。
「“白ネズミの女王”さまには、俺たちも、とてもお世話になったから」
「わたし、わたしね、ルナ」
レトリバーの頭に乗った、茶色の可愛いプードルが、目にいっぱい涙をためて言った。
「わたしたちはね、あなたと一緒に、地球に行きたかったわ。ほんとうよ」
ルナは、プードルの名を呼んだ。だが、四匹の犬たちは、すうっとかき消えてしまった。
「――!!」
この“四人”は、地球に行けるはずだったのに。
ルナは、涙をこらえた。
(あたしも、いっしょに地球にたどり着きたかった)
「ルナ、ビジェーテを軽々しく人にあげないで。……そのビジェーテ一枚を手に入れるのに、どれくらいの“幸運”が必要だと思っているの」
黒ウサギは、必死な形相でルナに言った。
「そのビジェーテはあなたの“幸せ”。それもとても大きな幸運なのよ。あなたががんばって積み重ねてきたたいせつな幸運を、簡単に人にあげてはだめ」
ビジェーテとは、いったい?
ルナは思い返した。
さまざまなビジェーテがあるが、中でも銀と金は、特別なビジェーテなのだということは、だんだんルナにもわかってきていた。
――一番はじめは、時の館に入るときにつかった。
夜のメルカドでは、ルナが持っているビジェーテを奪うために、たくさんの亡者が押し寄せた。ルナが持っていたものは結局使わなかったけれど、他の動物になれるチーズマフィンを買うのに、銀のビジェーテが必要だった。
次は、老ヤギが経営していた、美術館に入るためにつかった。そこでルナは、「船大工の兄弟の絵」を老ヤギからもらった。
次は、コーヒーカップの陰で泣いていたチワワにあげた。あのチワワは、ロイドの兄だった。
そして、さっきは、ぐるぐる回る子ネコにあげた――観覧車に乗せるために。
白ネズミの女王を助け出すために、もしかしたら、たくさんのビジェーテが必要なのかもしれない。
「急ぎましょう」
黒ウサギはまだ震えていたが、それでもルナの手を取って小走りに走り出した。
シャチが大きなプールから顔を出して、ルナに声をかけていたが、ルナは立ち止まれなかった。
しかしふたたび、ルナたちは大きな動物に通せんぼされてしまう。
巨大なサイだった。しかも、黒スーツを着た。
「つ、月を眺める子ウサギさん、お願いがあります。お、俺に、恋人を紹介してください」
サイは、大きな図体に似合わず、おずおずと言った。
「あなたと同じウサギがいいんです。気が強くて、可愛い――」
「お願い、私たち急いでいるの。ここを通して」
黒ウサギがまるで懇願のように言ったが、サイは吠えた。
「おまえには聞いていない! 俺は月を眺める子ウサギに頼んでいるんだ!!」
ルナが、悲鳴をあげる暇もなかった。
サイの巨大な角に、黒ウサギが弾かれてしまったのだ。黒ウサギの悲痛な悲鳴が響き渡り、遠くに飛ばされたその姿は見えなくなった。
「なんてことするの!!」
ルナは思わず怒りに震えたが、前をサイ、うしろをシャチに阻まれて、身動きが取れなくなってしまった。
「約束だったはずだ。君に協力する代わりに、美しいイルカを。私はなんなら、君でもけっこう」
「可愛いウサギがいい」
「あの――お、俺も、ウサギがいい――可愛かったなら、ネコでも、子犬でも――」
さらに、さっきの巨大な青大将までが便乗してきた。
(どうしよう)
ルナは進退窮まった。
(ど――どうしたら、いいの――)
焦るルナをさらに追い詰めるように、大きな椋鳥までもがもどってきた。
「俺のボタン! ボタン、ボタン! ボタンの行方を探して!!」
ルナが四匹もの動物に囲まれて、万事休すといったときだ。
煌々と輝く、目を開けていられないくらいの眩しい光が、四匹の大きな動物を追い払った。
「うわあ! なんだ、眩しい!!」
「龍だ! “八つ頭の龍”だ! 逃げろ!!」
ルナは、龍の大きな前足に抱えられて頭のひとつに乗せられ、やっとほっとしてわんわん泣いた。恐ろしかったのだ、怖かったのだ。
「もう心配いらないよ。まったく、“月を眺める子ウサギ”、君も悪い。ボディガードなしでうろつくのは自由ではあるが、いいことばかりとはかぎらない」
八つ頭の龍の、隣の頭に乗っかっているのは、“偉大なる青いネコ”と、このあいだの動物会議で見た狛犬だった。
「あんたは、個人行動が多すぎる」
狛犬も不満気に鼻を鳴らした。
彼らが助けに来てくれたのか。ジャータカの子ウサギも、助け出されて、八つ頭の龍の頭のひとつで眠っていた。
「ありがとう――すごくこわかった」
ルナは泣きべそをかきながら、礼を言った。八つ頭の龍は、優しくルナを見つめた。
「“牢獄”のある場所まで、わたしが連れて行ってあげよう。だが、そこから先は、わたしは助けられない」
「八つ頭の龍は大きすぎて、城に入れないのさ」
偉大なる青いネコが、解説してくれる。
「さっきの動物どもに、君の居場所を知らせたのもネズミだ。ネズミどもが邪魔しているのさ、君が“白ネズミの女王”を牢獄から解放しようとしてるから」
「真っ赤な子ウサギのことは、気にすることはない」
狛犬が、至極冷静に言った。
「人の幸せとは――分からぬものだよ、ウサギさん。どんなことを幸せに思うかは、人それぞれだ。たとえそれが、我らから見て幸いには見えなくとも、真っ赤な子ウサギにとっては、幸いなのかもしれぬ」
ルナには意味が分からなかった。だが、ルナは、かつて“導きの子ウサギ”――チョコレート色のウサギが言っていたことを思い出して、妙な不安に駆られた。
『それでも彼女は、“あんな結末”になっても、恋ができたから幸せなんだろうか……』
やがて、リリザの遊園地にあった、ジニー・キャッスルのような大きな城が見えてきた。
「わたしはここまでだよ。ここで待っていてあげるから、行っておいで」
やはり、この城も遊園地のアトラクションだ。城の入り口には、ジェットコースターのように連なったトロッコがあり、先頭に傭兵のライオンが乗っていて、一番後ろに孤高のトラが乗っていた。
偉大なる青いネコが前から二番目、狛犬が後ろから二番目に乗ったので、ルナはちょうど真ん中に座った。
魚の姿をしたきぐるみが手を出すので、ルナはポケットを探った。そこには、金のビジェーテが一枚。
「出発進行!」
魚が甲高い声を上げると、トロッコはギコギコと音を立てて、ゆっくりと城の中に入って行った。
いよいよだ――ルナが固唾をのんで身を強張らせていると、トロッコはカタカタと音を立てて、城をくぐりぬけ――そして、城の周りを一周して、八つ頭の龍がいるところまでもどってきてしまった。
「おかえり――もう終わったのかい?」
龍がキョトンとして言ったが、終わったわけはないのだった。
「え? なんで?」
ルナもまた、キョトンとして叫んだが、この城の遊具の管理者――魚は立札をガンガンガン! と叩いた。
ルナたちは、目をいっぱいに見開いて、その立札を見つめた。
※このアトラクションは、金のビジェーテが五枚必要です。




