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キヴォトス  作者: ととこなつ
第六部 ~故郷を想うハト篇~
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210話 布被りのペガサス Ⅹ 1


「――わあ! アイリーン、かっこいい!」


 それは、フライヤの心底から出た言葉だった。思わず出てしまった歓声というやつだ。


「そ、そうかな……私服なんてひさしぶりで。おかしくない?」

「おかしくないよ! あたし、モデルさんかと思っちゃった」


 街ゆくひとびとが、アイリーンを振り返って見る。そのことが、大げさではなくフライヤの言葉を証明していた。


 背の高いアイリーンが着ると、ただの黒いジャケットにパンツ、白いシャツという服装が、おそろしく洒落(しゃれ)て見える。いつもの眼帯は取り払われて、濃い色のサングラスが、彼女の義眼を隠していた。


「フライヤが着てるみたいな、可愛い服は似合わないからね――僕は」

「そんなことないよ。そのシャツ、可愛い」


 フライヤの言葉に、アイリーンがはにかんだ。

 そういいつつも、アイリーンの白シャツは、控えめなフリルがついているのだ。


 フライヤも、そう、可愛いといえる服装ではない。ジーンズにキャミソールにカーディガン。どちらかといえば色合いも地味な格好だ。

 おまけにフライヤも図体がでかいので、可愛いなどと言ってもらえる機会はなかなかなかったが、アイリーンはさらに大きいので、フライヤが小柄に見える。


 今日は、フライヤとアイリーンが初めて軍の外で会うという、記念すべき日だ。

 ショッピングをして、ご飯を食べて、カフェでお茶をする。女友達と遊びに行く定番のコース。

 いままで、何回も計画倒れで終わっていた、休日を一日つかったデートだ。


 アイリーンは忙しいことこの上ないし、せっかく休日が取れても、その日は久しぶりにエルドリウスが帰ってくる日で、フライヤの都合がつかなかったりと、いつも予定が合わなかった。


 だが、ついにアイリーンの方が、むりやり休日をもぎ取って計画を実行させた。

 それには、理由があった。

 

「フライヤ、映画も行こう。服を買って、食事をして、君を連れていきたいケーキ屋もあるんだ」


 アイリーンは、一秒たりとも惜しいというように、フライヤの手を取って歩き出した。


「うん……! 映画って、このあいだ言ってた恋愛モノ?」

「そう――だ、だめかな? 僕は、ひとりで見に行くにはちょっと――でも、部下は、あんな映画に誘えないし――」

「ダメじゃないよ。ほんと、アイリーンとあたしって、趣味似てるっていうか、好きなものが一緒だなって、びっくりしただけ」


 アイリーンが見たいと言った恋愛映画は、ただ甘い恋愛と感動を謳っているだけではなくて、スリルとサスペンスもふんだんに盛り込まれていて、フライヤも見てみたいなと思った映画だったからだ。


「そ――そうだよね! 僕たちは、ほんと、気が合う――!」


 アイリーンの顔が輝く。


(――でも、もう“お茶会”は終わりだ)


 アイリーンは、輝いた笑顔を一瞬で涙目に変える気持ちを、ぐっと(こら)えた。


(これから、フライヤと会える時間も極端に少なくなってしまうだろう)


 今日は、明るく、楽しくいたいのだ。

 フライヤとでかけるのは――きっとこれが、最初で最後。


「じゃあ、フライヤ。どこから行こう?」

「映画の時間が近いから、映画からにしない?」

「そうしよう――映画館は、こっち」


 アイリーンは、フライヤの手を取って、首都の繁華街を進んだ。

 フライヤにとっても、女友達とこんな風に出歩くのは久々のことだった。もともと友達の多いフライヤではないが、学生時代、L20のカペーリヤ傭兵教練学校にいたころは、数少ない女友達と、この首都マスカレードに遊びに来たことが、二度ほどある。


「カペーリヤか。マスカレードの隣町だろう」


 生まれも育ちもL20のアイリーンは、カペーリヤ県の場所がすぐ想像できるらしい。


「あそこは、田舎町だけど環境はいいよね。自然は多いし、海が近いし」

「そうそう――なつかしいなあ」

「あとで、カペーリヤまで出て、海を見に行こうよ」

「ホント!?」

「ああ、行こう」


 フライヤは、卒業してからは実家のあるL18にいたので、L20に来ることは、まるでなかった。

 エルドリウスと結婚してL20に来てからは、軍部と家の往復で――こんなふうに友達と街を歩くのは、初めてだ。


 フライヤは楽しくて仕方がなかった。


 エルドリウスとは家で過ごすことが多いし、外食しても、たまに会う妻に贅沢をさせてあげたいエルドリウスの愛のせいで、高級レストランばかり。ふたりで街中を歩くことなんて、なかった。


「今日は、思い切り楽しもう!」

「うん!」


 アイリーンとフライヤは、手に手を取って、映画館へ直行した。


 映画は期待していた通りにおもしろくて、いつもふたりでお茶の時間に軍事惑星群のことを話すくらいに熱狂して感想を言いあい、おなかもすいたし喉も乾いたので、バールに入って昼食を取った。おすすめのパスタセットを注文し、フライヤはいつもどおり紅茶を、アイリーンはビールを注文した。


「昼間からビールが飲めるなんて最高! 最高の休日!」


 アイリーンがおいしそうに飲むので、フライヤは、「あたしにもひとくち」と言って飲ませてもらったが、やはりビールは苦かった。あまり酒が得意ではないフライヤだ。フライヤのしかめっ面にアイリーンは大笑いし、結局二杯ビールを飲んで、バールをあとにした。


 アイリーンが「ビールは水だ」といっていたのは本当のようで、二杯も飲んだのに、まるで酔ったふうには見受けられなかった。


 ふたりは繁華街をあちこち歩き、服やバッグ、靴を見て、雑貨店をのぞいた。

 そしてふたりは、「お茶会」の時間につかうティーカップを、お互い、気に入りのものをプレゼントしあった。


 午後三時も過ぎたころだ。ふたりはショッピングセンターの南端にある、カフェを併設(へいせつ)したケーキ店のまえにいた。


「あ、ここ」

「分かる?」


 “ケーゼクーヘン”と名のついた店舗のロゴは、いつもアイリーンがお茶の時間に買ってきてくれるケーキ店と同じだ。

 チーズケーキが、とんでもなく美味しい――。


 カラン、カランと扉の鈴を鳴らし、にぎやかな店内に入った。日曜日ということもあって、オープン・カフェも中の席も、客でごった返している。フライヤは、ケーキを並べた冷蔵ショーケースのわきに、牛乳やチーズ、ヨーグルトを並べたコーナーを見つけた。


(ここが、アイリーンの実家の、酪農家(らくのうか)さんがやってるケーキ屋さん……)


 アイリーンは、何度も来慣れているようすで、さっさとショーケースのまえに行き、ケーキを物色し始めた。


「ここでお茶していこう。フライヤ、ケーキは何にする?」


 フライヤはチーズやヨーグルトを置いた棚に見惚れていたので、あわててショーケースの方へ向かった。


「あ、新作だ。かぼちゃのチーズケーキ。僕はこれにしようかな」

「じゃあ、あたしも」

「かぼちゃのチーズケーキふたつ。ドリンクは――フライヤ、どうする? いつもの?」

「うん」

「じゃあ、ダージリン二つ」

「かしこまりました、あとで席にお持ちしますね。いつもありがとうございます、アイリーンさん」


 ショーケースから顔を上げたフライヤは、従業員の女の子の顔を見て、思わず声を上げるところだった。


 十七、八歳くらいの女の子――アイリーンにそっくりな顔立ちの彼女は、まるでアイリーンの妹か娘かというくらい、顔だちがよく似ていた。


 垣間見ただけのフライヤでさえ、“わかって”しまうほど。


「もしかして、親戚のひとですか?」

「フライヤのこと? 僕の友達だ」

「そっかあ……部下の人とはちがう雰囲気ですもんね」

「僕だって、連れてくるのは部下ばかりじゃないさ――やはり、日曜は混むね」

「そうですね、おかげさまで繁盛しています」


 親しげにアイリーンと話しながら、ケーキを皿に乗せている彼女は、長い髪をアップにしている以外は、まるでアイリーンそのものだ。

 サラサラの黒髪も、背の高いシルエットも――女性にしては立派な、いかり肩も。


「じゃあ、僕たちはあの窓際の席にいるから、よろしく」

「は~い」


 フライヤは、アイリーンに促されて、窓際のあいた席に腰を下ろしながら、今思ったことをそのまま口にしていいものか悩んだ。


 ふたりが席について、ほんとうにすぐ、紅茶とケーキをトレーに乗せた、さっきの彼女が現れる。彼女は、「お待たせしました!」と品物をふたりのまえに並べ終えると、なぜかフライヤの方をじーっと見た。


「あ――あの?」


 不思議に思ったフライヤが首をかしげると、彼女はいたずらっぽい顔つきで言った。


「なんにも思いません? あたしの顔」

「え?」

「おかしいなあ。あたし、アイリーンさんにそっくりって言われるんですよ。必ずと言っていいほど」


 フライヤはどきりとし、アイリーンを見つめたが、苦笑しているだけだった。


「僕なんかに似たって、いいことないよ。君は女の子なんだから」

「そんなことないですよ~! ねえ? アイリーンさん、かっこいいもん!」


 フライヤは、返事に困った。アイリーンがかっこいいことは認めるが。そっちではなく。


「アイリーンさんの部下さんも、はじめてきたとき間違えましたし! アイリーンさんが来られたとき、あたしと話してるの見て、ぜんぜん関係ないお客さんが、兄妹かって聞いてきたこともあるくらいなんですよ?」


 アイリーンは苦笑するばかりで何も言わない。だが、その態度は、女の子の言葉を嫌がっている感じには見受けられない。


 女の子は、アイリーンに似ていると言われるのが嬉しいのだろうか。かっこいい、は、ふつう、女性に対する褒め言葉ではない。アイリーンを見て、まず女性だと思う人間はいないだろう。それはフライヤにも断言できた。アイリーンは体つきも顔つきも、まったく男性的だ。


「アイリーンさんとあたしって、同い年だったらほんとにそっくりなんじゃないかなあ。世の中には、同じ顔の人が三人はいるっていいますけど」


 女の子のおしゃべりがまだまだ盛り上がろうとしたそのときに、ショーケースのほうから声がした。


「リュカさーん! レジお願いします!」

「あ、はーい! それじゃ、アイリーンさん、フライヤさん、ごゆっくり!」


 リュカと呼ばれた彼女は、慌ただしく戻っていく。彼女がショーケースの裏に入って、客の相手をし出したのを確認し、アイリーンはようやく、苦笑とともにつぶやいた。


「おしゃべりでごめんね――だれに似たんだか」

 アイリーンの口調からも、フライヤの予想は当たった。

「だいたい分かっただろ。あの子は、僕の娘」


 フライヤは、驚いた顔をしようとして失敗した。


「そんなに気をつかわなくていいんだよ。僕の部下なんか、もっと過激なことを口にする。僕がだれに産ませた子だとか、部下同士で、おまえが産んだんじゃないかとか言いあってる。僕は、部下のだれにも手は出しちゃいないし、睾丸をつくってないから精子はつくれないってのに」


 フライヤは、紅茶を吹くところだった。


「ごめんごめん、下品な話を。――言っとくけど、真相は、僕がだれかに産ませたんじゃなく、僕が産んだんだよ。まだ、フライヤくらいの年にね」


「えっ!? アイリーンが産んだの」


 フライヤは、驚きのあまり、ついに口にしてしまった。そして、言ってから思い出したのだった。

 アイリーンとケーキをいっしょに食べたその日に、隊長室で見た写真立てのことを。


「僕だって、生まれたときは女だったんだから、産むさ」


 アイリーンは当然のように言った。気を悪くしてはいないようだ。


「僕が男性になったのは、彼女を産んで、夫が死んで、僕も片目と右足をなくして。――そのあと。僕の身体の半分以上は、夫の血肉でできている」

「――!?」

「ごめん、ケーキなんか食べてる最中に。――つまり、僕の今の身体は、六十パーセントくらい、夫からもらったものなんだ。足りなかったのは、右足と片目。そいつはふたりでなくしてしまったから、義足と義眼で補うしかなかった」

「……」

「そんな神妙な顔をしないで。話すタイミングを間違えたな――僕はただ単に、君に、リュカを会わせたかっただけなんだ。君に、リュカを見て欲しかった」


 アイリーンは、愛しいものを見る目で、ショーケースの方を見た。そこではリュカが、つぎつぎと訪れる客の相手をしている。


「リュカ……さんは、アイリーンが母親だってことは知らないのね?」


 よく見れば、リュカは、アイリーンと彼女の夫の容姿を、半々ずつ受け継いでいるような気がした。まるで今の、アイリーンの「身体」のように。


 アイリーンと似ていることを、リュカは喜んでいるようだが、彼女が自分の母親だということは知らないのだろう。先ほどの会話は、あくまで、親しい常連客との会話だった。


 アイリーンはうなずき、

「産んですぐ、酪農家のほうの実家に預けた。僕の養父母も、夫の家族も代々、心理作戦部の隊員を輩出している家だ。説得するのは大変だったけれども、――僕も夫も、自分の娘を心理作戦部に入れたくはなかったのさ」

「……」

「リュカはまだ学生だけど、こうして学校が休みの日に、このケーキ屋でアルバイトしている。僕は、親だということを明かさないことを条件に、毎週、顔を見に来ている」


 フライヤは、ごっくんと口の中のケーキを飲み干して、聞いてみたかったこと聞くことにした。

 このタイミングなら、聞いてもいいのではないかと思ったのだ。


「――アイリーンの伴侶さんは」

「ああ、彼は、グレイヴっていうんだ」

「グレイヴさんは――その、」


 フライヤは、勇気を振り絞った。


「あたしに、似てる?」



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