208話 出立 Ⅰ 1
「――どうしたの!? クラウド、その顔!!」
叫んだのは、ミシェルとルナだけではない。カレンとセルゲイもだ。
早朝、オルドの見送りに行ってきたクラウドは、まさに顔が「半壊」していた。
「し――心配はいらない、よ。あとで、病院、行って、くるから」
クラウドは、まともにしゃべることができないのか、時間をかけてやっとそれだけ言い、――「あんたの顔に、それだけ容赦なく拳突っ込めるとはね」とカレンが呆れながら救急箱を持ってきた。
だれも聞かなくても、クラウドが何も言わなくても、クラウドの顔を半壊させたのはライアンであることは、皆が分かった。
オルドが宇宙船を降りて、アーズガルドへ帰るきっかけをつくったのは、クラウドだ。
クラウドもなかば覚悟していたことだったのだが、オルドの見送りに行った宇宙船のホームで、ひとがいないのをいいことに、クラウドはライアンに思い切り殴られた。メリーはクラウドの腹に一発。女とはいえ、傭兵の拳は重いなんてものではない。クラウドは、だれにも気づかれないように、傷む腹を押さえた。
オルドを見送りに来ていたのはふたりだけで、クラウドは、それ以上暴力をふるう人間がいなかったことに感謝した。
「今日は、これで許してやる――ホントは、ぶっ殺してえところだがな」
ライアンもメリーも、そう吐き捨てて、オルドがいなくなったステーションをあとにした。
ライアンとメリーの怒りは十二分に効いたが、クラウドは後悔していない。オルドをアーズガルドへ送ったことを。
(オルド、元気で)
オルドは、クラウドが見送りに来たことに驚いてはいたが、腹を立てても、警戒してもいなかった。ホーム・パーティーから帰るときのように、短く「じゃあな」と言っただけだった。
オルドは荷物も持っていなかった。荷物は恐らく、すでに担当役員とともに、帰路の宇宙船で待っているのだろう。
ライアンとメリーと、オルドは固く抱き合い、メリーは終始泣きじゃくっていて、それでもオルドの身体を、自分から離した。ライアンはなかなかオルドを離さず、L系惑星群行きの宇宙船出立のアナウンスが鳴っても、離さなかった。
オルドも、自分から離れようとはしなかった。メリーが泣きながら、「もう離れなよ」と言って、ふたりを引き離した。ライアンは、呆然としているようにも見えた。
「さよなら」
オルドの言葉に、メリーが「オルドォ!」と号泣した。オルドは振り切るように、駆けて行った。メリーが崩れ落ちる。ライアンは、言葉もなくオルドの背を見送った。
オルドの姿が見えなくなってからだ。肩を落としてうつむいていたライアンが振り向きざま、クラウドを殴り倒したのは――。
「おれはてめえを殺してえ!!」
クラウドの胸ぐらをつかんでライアンは吠えた。
「だけど、今は殺さねえ。いつも恐怖に怯えていろ!! てめえを殺したがってるヤツが同じ宇宙船に乗ってるってことにな――」
ライアンの顔も、メリーの顔も本気だった。クラウドは、オルドを軍事惑星にもどした引き換えのリスクを覚悟はしていた。
命を狙われる危険性も、想定内に入れていた。
ライアンとメリーとオルドの絆は深い。――それを、絶ち切るような真似をしてしまったのだから。
クラウドは、予言者でもなければアーズガルドの人間でもない。オルドがこの先、アーズガルドの人間となって、どんな働きをするかなど、予想さえつかない。彼がアーズガルドにもどったところで、あとは口出しすることもできない無責任な立場だ。
ただ、アーズガルドの人間が宇宙船に乗っていた――彼は、クラウドだけではなくロビンもララも、一目置くほどの、見事な補佐役の実績を持っていた。
彼が、アーズガルドの有力な地位についたなら、きっと軍事惑星群の混乱期に一躍買ってくれるはずだと、まるで雲でもつかむような不確かな可能性を、賭けたのだ。
たったそれだけの理由で、クラウドはオルドに接触し、軍事惑星の現実を見せた。
選んだのは、オルドだ。だが、そこに導いたのはクラウドで、クラウドはオルドの降船に確信を持っていた。オルドとピーターの、切っても切れない仲に付け込んだのは事実だった。
(これで済んだことに、今は感謝しなきゃ、だな)
ミシェルが冷やしたタオルを、頬に当ててくれる。頬よりも、胸が痛んだ。
(俺が、ミシェルと離されることを考えたら、心臓が潰れそうだ)
軍事惑星群の未来のためとはいえ――すまなかった。
クラウドは謝罪の言葉を飲み込み、深くため息をついた。
「――なァ、ペリドット。腹はいいから、腕と足を先に治してくれねえか」
アズラエルとグレンは、椿の宿にいた。
こうして、椿の宿で湯治と、アストロスの兄弟神とシンクロさせる治療を施し始めて、五日が経とうとしていた。
本日もとどこおりなく、アストロスの兄弟神が石像顔でふたりの背後に現れ、アズラエルたちは胸と腹のあたりがギシギシいうのを感じていた。痛みもけっこうなものだが、治療をはじめて五日目、骨もだいぶくっつきかけているのか、痛みはだいぶ落ち着いてきた。
いまは脂汗をかくだけで済んでいる。本格的に治療を始めた初日の痛みは、尋常ではなかった。
「イッテエー!!!」とガルダ砂漠でもあげたことのないような叫びをあげるくらいで、さすがのふたりも、「ストップ! ちょっとストップ!」と弱音を吐きかけた。
「胴体よりも、腕を――いや、先に足を治してくれりゃ、とりあえず歩けるから、ひとりで風呂にも入れるんだが」
グレンも便乗して言ったが、ペリドットは考えるそぶりをして、右手は「八転回帰」を促す状態のまま、左手は顎に動いた。
アズラエルたちの方を見ているのだが、顔が向いているだけで、目は、彼らの後ろを見ている気がする。
アズラエルたちの腕は、ビール缶くらいは持てるほどに回復しているが、まだ思ったように動かせない。車いすは自動で動くが、リモコンを落としたら、拾うこともできない。
だから、常に介添え人が必要だった。手や指は、最初の日に完治してもらったので問題ないが、足はといえば、まったく治療されていないので、車いすのお世話になったままだ。
早く、セルゲイと介護ロボットに介護される日々から脱却したいふたりだった。
「おまえは兄弟神を呼び出すだけで、治す場所は指定できねえのか?」
こたえがないので、アズラエルは聞いたが、ペリドットは、「……そういうわけじゃねえ」と言葉を濁し、首をひねった。
「そうか、そういうことか」
自分だけ納得した顔をし、「あと二日、我慢しろ」ペリドットは言った。
「二日?」
「ああ――それからおまえら、明日は、椿の宿に来る時間を、一時間遅らせろ。家を出る時間を、一時間遅らせるんだ。いいな?」
ペリドットの指示に、アズラエルとグレンは顔を見合わせたが、「……分かった」とうなずいた。
まったく、コイツも素直になったもんだと、アズラエルとグレンは、互いが自分をそう思っているとも知らずに、また同じことを考えてシンクロしていた。
いつもどおり治療が終わると、アズラエルはすぐに、「すまん、カレン、送ってくれ」と言った。
「え? 温泉に入って行かないの」
「ああ。今日は用事がある」
腕が治れば、車いすも自分で動かせるのに、とブツブツ言いながらアズラエルは、椿の宿まで連れてきてくれたカレンをもう一度促した。
「頼む。悪いな」
ちなみに、今朝はミシェルも一緒に来たが、ミシェルはそのまま真砂名神社へ直行。グレンの帰りは、ルナかセルゲイが迎えにくるという約束になっていた。
グレンは、先日オルドと会ってから、口数が激減した。
相変わらず冗談には乗るし、ルナにちょっかいを出すし、食欲も失せてはいないのだが、どこか虚ろだった。
今日も、ひとりにしてほしい顔をしているので、グレンを椿の宿に置いていくことにしただけだ。
顔を突き合わせていてもケンカしかしないのに、最近はただでさえ、ふたりでいる時間が多い。アズラエルもそうだが、グレンもストレスが溜まっているはずだ。
「ぜんぜん、パソコンのメール見てねえ。メフラー商社からの業務連絡がたまりまくってる」
「ああ」
帰り道、シャイン・システムのボックスまで歩きながら、カレンとアズラエルはぼんやり会話した。
蝉の大合唱と、強い日差しが、すでに夏であることを証明している。
包帯だらけのアズラエルは、二言目には「暑いな」とこぼした。
真砂名神社の大路につらなる商店街は、どの店も軒先に提灯を飾っていた。燃え尽きていたはずの家屋は、すっかり元通りだ。
このあいだの大惨事がまるで幻だったかのように、あっというまに日常の風景を取りもどしている。
朝、ミシェルが提灯を見て、「お祭りが近いんだ!」とはしゃいでいたのを、アズラエルもカレンも思い出した。
カレンはふと思った。
(お祭り、ルナやミシェルたちと、いっしょに来れるかな)
そのときまで自分は、宇宙船に乗っていられるだろうか。
「どうした? カレン」
カレンが黙ったので、アズラエルは包帯だらけの顔をすこし、動かした。
「なんでもないよ――つうか、あんた、まだルナのこと、メフラー商社やアダム・ファミリーのだれにも言ってないんだって?」
「……」
「だまってたって、E353で顔合わせたら、言わなきゃいけないんだしさ――もう観念して、言っちゃったら? それとも、サッサと結婚しちゃうとか」
「……」
カレンは言ってから、「あ~……でも、それじゃグレンがだまってないか。アイツ、まだルナに未練があるもんね」と思い出したように笑った。
「セルゲイも、いざあんたとルナが結婚するってなったら、ヘコみそう」
「……」
アズラエルは、今まで気になっていて聞けなかったことを、この際、思い切って聞いてみることにした。
「おまえとセルゲイは――男女の仲じゃねえのか?」
「は?」
カレンは、五オクターブは高い声で聞き返し――それから、ぴたっと足を止めた。
「うおおおお! 車いす止めろ!」
「うあっ!? ゴメンゴメン!」
カレンが一時停止したのに、アズラエルだけが進行していく。あわててカレンはリモコンの停止ボタンを押した。
「あんた、どっからそんな発想が――や、いや――見えるか。そんなふうに」
カレンは、困っているふうにも悩んでいるふうにも見えなかったが、足を止めてしまったので、アズラエルは言った。
蝉の声がうるさい。
「メール見るのは午後からでもいい。どうせ一日かかる」
「うん?」
「……コーヒーでも飲んでくか?」
カレンは、赤褐色の暖簾の下がった茶店から、香ばしいコーヒーの香りがすることに気付き、「賛成」と言った。




