206話 思い出のディスク 1
オルドは足早にリビングを過ぎ、玄関につながる廊下についたが、意外な人物に足止めをされた。
「ハトさん、ハトさん、ちょっと待って!」
小さな身体で通せんぼしているのは、さっきの頭の弱そうな女だった。
「俺はオルドだ」
「オルドさん!」
ぴこん! と小柄な身体が跳ねる。
「馳走になったな。帰る」
「あああ! ちょっと待って!」
女はあわててオルドの腕にしがみつき、別の部屋へ連れていこうとする。
「なんだ」
すこしきつく言うと、女の目が潤んだので、今度はオルドが焦る番だった。すぐ泣く女は苦手だ。
「あの……ほんとにすこし、時間下さい……見せたいのが、あるの」
意外にも女は食い下がる。
「……少しだぞ」
泣きだされて、ほかの連中に気付かれ、引き留められでもしたらたまらない。オルドは仕方なくあとをついて行った。
連れて行かれたのは子ども部屋だ。小さなテレビがある。女はその部屋にオルドを誘うと、すぐにテレビをつけた。
パッと映った画面には、若い男が三人、水遊びをしている姿があった。コンビニの駐車場だ。だれかが撮った映像だということはわかった。
「あのね、これ、ユキトおじいちゃん」
「えっ?」
女の口から出た言葉に、オルドは耳を疑った。
「それでね、こっちがね、エリックさん――バブロスカの本書いたひと」
(ユキト――!?)
オルドは、はじめて見たユキトの姿に、目が釘付けになった。オルドは、勝手にもっと大きな人物を想像していた自分に呆れた。ずいぶん小柄だ――エリックも。
成し遂げた業績の大きさは、不思議と、その人物を大きく想像させるものだろうか。
オルドもそう大きい方ではない。ライアンたちと並べば、やはり体格的に見劣りする。ブライアンじいさんも、百六十センチそこそこだった。アーズガルドの人間は、小柄な体格が多い。画面の人間の小柄さは、なんとなくアーズガルドの人間だということを髣髴とさせる。
ユキトの記録は、アーズガルド家からひとつ残らず抹消された。映像も、写真すら残ってなどいない。
もしかしたら、これはユキトの、残存する唯一の記録ではないのか。
「――これは」
「この宇宙船のね、山の中にコンビニがあるの。そこの店長さんがニックさんってゆってね、今日も来てるんだけど――L02のひとなの」
「L02?」
「うん。有翼人種さんでね、寿命が三百年あるの。だからね、店長さんは、ユキトおじいちゃんたちに会ったことがあるの」
「……!?」
オルドは絶句して、ふたたび画面を見つめた。
画面では、自分より少し下くらいの年齢の若者が、水を掛け合ってふざけているだけだ。それが、あのユキトとエリックだと思うと、オルドはなんだか神聖な気持ちになって、映像を見つめるのだった。
英雄としての存在しか知らない祖父の従弟とその相棒は、Tシャツとハーフパンツ姿でアイスを頬張り、無邪気な笑顔を見せている。
オルドたち若者と、なんら変わりない――やがて画面はパッと変わり、桜の散る中で、金髪の男と写真を撮っている。コーヒーを飲み、三人は交代で互いの顔を写して、コンビニを写し、背後に見える山々を映した。
画面は何度か変わった。花火を見ているシーンもあった。コートを着た三人が、コンビニの広い駐車場で雪遊びをしている姿もあった。
第三次バブロスカ革命の首謀者の名誉回復がされた式典は、オルドもこっそり見に行った。二十歳をこえたばかりのころだ。ほんとうはアーズガルドの人間として参加しろと、父から連絡は来ていたが、オルドはアーズガルドの人間としては参加しなかった。一傭兵として、パレードを、群衆の中に交じって見ていただけだ。
間に合わせのように用意された、ちいさな写真を最大限に引き伸ばした、ユキトの画像はあまりに曖昧で――オルドはユキトという存在に、現実味が湧かなかったのを覚えている。ユキトの存在を肉付けしたのは、やはり祖父の語りだった。
彼女は、特に何かを話すことはせず、だまってオルドに映像を見せてくれた。
短い映像が終わると、オルドは「悪い――もう一回、見せてくれ」と言った。
彼女は「うん」と快く承知してくれた。ディスクはふたたび再生される。
最初に現れる、ユキトの、さかさまのいたずら顔を見ながら、オルドは思わずつぶやいていた。となりの女は知りあいでもなく、今日を限りに二度と会わないだろう。だから、何を聞かれてもいいような気がしたのだ。聞いてもらいたいわけではない、ただのひとりごとだ。
「……俺は、グレン先輩を尊敬してた」
女が、小さな顔をオルドに向けた。
「ユキトさんも――それからブライアンじいさんも。――ただ俺は――八つ当たりしちまっただけだな――グレン先輩に」
オルドは目がチカチカして、鼻が熱くなってきたので、一度しゃべるのをやめた。
「グレン先輩は――レオン先輩と離されたことを、寂しがってた。俺には分かる。それがわかったから――俺には、それでよかったよ――来た甲斐はあった」
「……」
「――寂しがってたのが、レオン先輩だけじゃなかったことが。ブライアンじいさんも、ユキトさんを止められなかったことを、ずっと悔いていた。そばにいてやれなかったことも、反対しかできなかったことも。でもユキトさんのそばに、エリックさんがいたことを、ずっと感謝して――」
オルドはフードを深く被った。涙を見せないように。
「当主になる者は、孤独だ――俺は、それを知っていたはずなのにな。レオン先輩も、ほんとうは、グレン先輩といっしょにいたかったんだ――ずっと」
ルナは自分もぼろぼろ泣いていたので、先にティッシュで鼻をかんで、ティッシュ箱をオルドに差し出した。だが、オルドは、詰まった声程には涙が出ていなくて、ティッシュに手を付けず、だまって映像を見つめていた。
一瞬、一瞬を、食い入るように――見つめていた。
ふたたび、映像が終わると、オルドはやっとティッシュをつかみ、決まり悪げに鼻をかんだ。そして、最初に「頭の弱い女」と思ったことの詫びも含めて、丁重に礼を言いかけると、相手は、包装紙とリボンで包んだ薄い包みを、オルドに差し出してきた。
「これね、今見たユキトおじいちゃんの、ディスク。ニックにね、もう一枚つくってもらったの」
「……ありがとう」
あまりに想定外すぎて、結局、単純な礼の言葉しか出てこなかった。
オルドは、包みをしみじみと見つめた。そして、もう一度、「ありがとう」と言った。
彼女ははにかんで、「うん」と小さく笑んだ。
「あのね、あたしはL77から来たんだけど」
オルドは、彼女の育ちの良さが、L77出身だと分かって納得した。
「あたしの近所にいた、なかよしのおばあちゃんがね、ツキヨおばあちゃんっていうんだけど、ユキトおじいちゃんの奥さんだったの」
「――え?」
「この宇宙船に乗ってね、はじめて知ったの。アズが、ユキトおじいちゃんの孫だってことも。あたしね、ツキヨおばあちゃんに、ユキトおじいちゃんのことよく聞いていたんだよ」
「待て、言うな」
オルドはあわてて、ルナの口に手を置いた。
「ユキトの妻だってことは、隠れて暮らしているんだろう。そんなこと、迂闊に、初対面の人間に話すな」
オルドとしては、平和な星から来た人間の迂闊さを、忠告してやったつもりだった。
「分かってるよ! そういうの、アズにもいっぱいゆわれたから! あたしはね、ハトさんにね、ツキヨおばあちゃんの代わりにお礼を言うの」
彼女は、オルドの手を避けて怒鳴った。見かけに反して、けっこう気は強いようだ。
「ハトさんのおじいさんの、ブライアンさんには、ツキヨおばあちゃんもお世話になったの。おばあちゃんがL18にいた間、ブライアンさんがアパートを世話してくれて、ユキトおじいちゃんが捕まったときも、匿ってくれていたんだって。おばあちゃん、いっぱいのひとにお世話になったんだって。――だから、あたしが、ありがとうって、言いたかったの」
「……」
オルドは、言葉が見つからなかった。
「……俺は、ツキヨ――さんの、居場所は、だれにも言わない……」
目を反らし、ぼそぼそ声で、そういうのがやっとだった。
「うん!」
ルナも、泣きべそ顔で微笑んだ。
薄暗がりのピエトの部屋で映像を見ていたわけだったが、オルドは急に背後に気配を感じて、反射的に銃のホルダーに手をかけた。が、それより先に、太い腕がオルドの首に巻き付き、中腰になるほど締め上げた。ドアが開く音も、聞こえなかった。締め上げてくる男の片手は、オルドの手がホルダーに届く前に手首をつかんだ。
「ぐ……っ、かは……っ!」
オルドはがむしゃらにもがいたが、腕は外れない。
「俺が五体満足だったらな、おまえをあのまま、帰しちゃいねえよ」
オルドは、グレンの声を聞いた。だがオルドを締め上げているのは別の男だ。そうだ、グレンは重傷――オルドを締め上げる力などない。
「俺に“憧れてた”わりには、あまりに素っ気なくねえか。言いたいことだけ言ってトンズラかよ」
「俺をあんなにつれなくフッておいて、あっさり帰すとでも思ったのか」
締め上げている男の正体が判明した。ロビンだ。
男をナンパしたのは生まれてこの方はじめてなのに。俺のプライドはズタズタだ、と薄ら笑うロビンの声が、遠く聞こえた。
オルドは、油断した自分を後悔した。思いもかけなかった映像を見せられて、警戒が緩んでいたことは否めない。
このあいだから、自分らしくない失態ばかりだ――。
(くそ……っ!)
「長居はしてもらうよ、オルド」
クラウドの不敵な声も聞こえる。ロビンの腕の力が増し、(まずい……オチる)と思った瞬間に、急に解放された。
「かは……っ」
ストン、と床に膝をつく。背を丸めて何度か咳き込み、周囲を睨みあげた。車いすのグレンに、ロビン、クラウドがドアを開けて立っている。
(俺を、どうするつもりだ――こいつら)
アズラエルとグレンが満身創痍で、ほかの傭兵たちは酔っぱらっているのが救い――クラウドは、体格差はあるが一発で気絶させられる自信はあった。だがロビンは無理だ。ロビンの膂力を考えると、取っ組み合いで勝ち目はない。オルドはルナをちらりと見たが、ディスクをくれた彼女を人質にして、ここを出ることは避けたかった。
ライアンへの緊急信号のシステムを、ポケットの中で起動させようと思ったそのときに、カレンが呑気な顔を、部屋に出した。
「オルド、あんたビール飲み残してる」
「……は?」
オルドは、呑み残しビールと同じくらい、気の抜けた返事を返した。
「だから、ビール飲み残してる。飲み残し禁止」
「なんだおまえ、下戸かァ? ジュースがいいのか」
ロビンの、からかうような声が続く。
「ピエトと一緒にジュースでも飲んでろお子ちゃまが」
グレンもニタニタ笑いながらからかってくる。
「あたしといっしょに、りんごとかカシスのカクテル飲む? あるよ? アルコールひくいやつ」
と、ルナまでが真剣な顔で聞いてくるので、オルドは思わず青筋を立てながら、
「ビールでいい!!」
と叫んでしまった。
「よしよし、呑むぞ! 宴会はこれからだ!」
ロビンがオルドのパーカーのフードをつかんで立たせ、背を叩いてリビングへ連れて行こうとする。オルドは困惑しながらも、引きずられるように連行され――。
「あ! 可愛い!!」
「やっと顔見れた! 可愛いじゃない! 寝癖ついてるよ! こっちおいで~! オネーサンが直してあげるから!」
「キャー可愛い! かわいい、マジかわいい! こっちおいで!! こっち! いや~、今まで見ないタイプ! いくつ!? ルナちゃんたちと同じくらい!?」
ジュースしか呑んでいないはずなのにすっかり出来上がっている、迫力と威力しか持ち合わせない妊婦ふたりに、オルドはぎょっと引いた。
そして、さっきロビンに締め上げられた拍子に外れていたフードを、あわてて被ろうとしたが。
「オールド! ワタシと飲みます! アーンダカーヴァの傭兵は、ワタシとお酒のつよさを比べ合います、それが正しい!」
「そ……それが正し……?」
今度は、ベッタラに腕を引っ張られて、オルドはつんのめってダイニングテーブルに頭から滑り込むところだった。
「オルド君彼女いるの!? いるよね!? 女の子って僕みたいなおしゃべりなタイプより、君みたいなクールなタイプ好きだもんね!? なんで君には彼女がいるの~! なんで僕には彼女がいないの!!」
ニックが泣きながら絡んでくる。
「おっ!? アンダー・カバーの! オジサンのこと、覚えてるか。もとブラッディ・ベリーの傭兵でーす♪ バグムントおじさんで~す♪ ブラッディ・ベリーのアリシアはァ~♪」
バグムントは、見たことがある気がする――酔っ払いでも、コイツが一番マシだ――オルドは、自分と同じ背丈くらいのバグムントの方に、自然と逃げようとしたが、(オルドは百七十三センチだ。)意外と大きいニック(百八十五センチ)と、上にも横にも大きいベッタラ(百八十五センチ)に阻まれて、身動きが取れなくなった。しかもアルコール漬け。
「アーンダカーヴァは酒を浴びますか!? 酒の海に浸かるが本望の心は! 忘れてはいませんね熱き酒まんじゅう!!」
「オルドく~ん!! 百歳未満でいいから、五十歳以上の恋人紹介してえ!!」
「……! ……!?」
オルドの処理能力は、リミットを超えた。
混乱の極みに陥ったオルドの腕を引っ張って助けてくれたのは、なんとルナだった。
「ハトさん、このひとが、ディスクをつくってくれたニックさんだよ」
小声で耳打ちする彼女に、オルドは目を見開いて酔っ払いを見、感謝を告げようとしたが、ニックとベッタラは、次の瞬間にはふたり肩を組み、意味不明な歌を歌いながらキッチンに消えて行った。
「……」
「ハトさん、だいじょうぶだよ。あたしがいっぱい、お礼を言ったからね」




