203話 オルド・K・フェリクス 3
クラウドは、オルドのグラスに酒を注いだ。
「今度は、味わって飲めよ」
クラウドの軽口は、肩が強張っていたオルドの姿勢を、すこしだけゆるめた。
「……ララはああいったけど、選択は君の自由ってことに変わりはない」
クラウドも、グラスの酒をちびりちびりとやった。
「俺の気持ちは、君に声をかけたときから変わっちゃいない。今日の話を君が聞いて、どう行動するかは君の自由だと言った」
「……」
「だけど、俺も賭けてる――軍事惑星が崩壊しない方向にさ」
(そう。そして、この宇宙船内で起きる、奇跡に)
クラウドは胸の内だけでそうつぶやいた。
“ヴォールド”が乗っていたことは、奇跡にほかならないのだ。
「軍事惑星の崩壊だって――」
オルドは苦笑しかけたが、完全には笑いとばしきれないようだった。
「軍事惑星群というと、いつもドーソンとロナウド、マッケランの名が出る。三つ巴ってね。みんな、アーズガルドを忘れてる」
「当然だろ――アーズガルドが何をしてきた?」
歴史の中で。
悪いことも、いいこともやっちゃいない。
ユキトの存在は、稀有だった。
オルドは苦笑した。
「軍事惑星群は三つ巴じゃない。車輪は四つ――自動車のタイヤがひとつ欠けるとどうなる。走れない」
「……おまえがアーズガルドをそんなに買ってくれているとは思わなかったよ」
オルドの言葉はただの皮肉だ。だがクラウドは首を振った。
「ちがう。買ってるのは、アーズガルドじゃない、君だ」
オルドの目が見張られた。
「アーズガルドは軍事惑星群の調整役だと思う。だが、調整役たらしめているのは、人だよオルド。アーズガルドの血脈の中に現れる、傑物だ――ユキトや“ロメリア”といった――人間だ。俺とララは、君の才能を買っている」
あの金龍幇の頭領と、元心理作戦部の副隊長が俺を買っている?
オルドは、甘言に乗る気はない。
彼らが、自分の何を知っていると言うのだ。
「くだらねえ――話はそれだけか」
「俺も、君に切り札を見せよう。――さっきの、ララと防衛大臣との会話の意味がわかるはずだ」
クラウドも景気づけに、残った酒を飲み干した。
「ロナウドは、マッケランと計画して、軍事惑星群の大改革を目論んでる。――具体的には、軍人と傭兵の垣根を、完全に取っ払うことさ」
「なんだって!?」
低い声しか出さなかったオルドの口から、はじめて大声が洩れた。ついでに、被っていたフードもぱさりと後ろへ落ちた。寝癖のついた、黒髪が揺れた。
「内容としては、傭兵も自由に軍部に入れること――傭兵は尉官から上にはなれないが、その上限も取っ払う。傭兵出身者でも能力のあるものは、どんどん佐官や将官に抜擢する――ほかには、認定制度をゆるめて、傭兵をすべて認定にする――傭兵の子どもたちへの教育制度の徹底――ほかにもいろいろあるが、とにかく、軍事惑星に根付いた差別を根こそぎなくすってことさ」
「無理だ……」
言葉は簡単だが、そううまくいくわけはない。オルドは思わずつぶやいていたが、それでようやく、さっきの会話の意味が分かった。
「――白龍グループは、その、ロナウドの計画に反対なのか」
傭兵の待遇をよくする政策を、傭兵が反対する?
「反対というか、不十分と感じてるんだ」
クラウドは言った。
「君も傭兵ならわかるはずだ――傭兵を軍部に入れるとか、傭兵をすべて認定にするとか、すべて軍部側から見た、傭兵に対する“譲歩”みたいな提案だ。そんなものに、傭兵が飛びつくものかと白龍グループは言っている」
「……」
「一見、いい提案に見えるが、すべて軍部の上から目線で計画された提案でしかない。ほんとうに傭兵のことを分かっていないと、――まあ、ぶっちゃけいうと、腹を立てている」
――君たちは、傭兵が虐げられてきた歴史をまるで理解していない。傭兵擁護派だのなんだの、それこそが差別だと思ったことはないか。今さら、“軍部の提案”などに乗ると思うか。どこの傭兵が? そんな、上から目線の提案に? 軍部とうまくやってる傭兵はいる。だがな、そんなのは少数だ。傭兵の大多数が、いまだに軍部に恨みを持っている。同じだよ――世間の大多数が、傭兵は野放しにすると危ない存在だって思っているようにね――。
ララの台詞を思いだし、オルドは急に酒が苦くなった。
「これはまだ、白龍グループの幹部と、ヤマト、メフラー商社の幹部内だけに流布してる話だ。これがもっとほかの傭兵グループに伝わったら、抵抗はもっとひどくなるだろうさ――」
「……腹を立ててンのは、白龍グループだけか」
「メフラー商社も、ヤマトも同じさ。ロナウドの提案は、わるくはない。受け入れる部分もある、だが、それだけでは不十分だとね」
ララの言い分は、オルドにもよくわかった。ロナウドの提案は、ララの言うとおり、傭兵のことを分かっていない提案だ。
“傭兵が喜んで軍部に入る”と、本気で思っているのが、差別する側の人間の発想だった。
この提案をライアンに話したら、鼻で笑うことが容易に想像できた。メリー辺りは単純だから、「へえ~あたしでも大佐とかになれんのかな?」と能天気に言うかもしれない。
オトゥールは、グレンと同じく傭兵を差別しない人間だった。だが、やはり傭兵のことを分かっていない。軍部と傭兵のあいだにある問題は根深い。差別の象徴と言えるべきバブロスカ監獄が破壊され、傭兵と軍人が手を取り合った瞬間があったのだとしても、それが“すべて”ではないのだ。
「おまえは意外とバカなのか」
オルドはクラウドを、信じられないといった顔で見つめた。
「俺は、まだアーズガルドと完璧に切れたわけじゃねえ――俺は切れたつもりだが、ピーターとは、まだつながってるといってもいい。そんな俺に、ロナウドの計画を漏らすのか? 俺から、ピーターに漏れ、ドーソンに漏れるって可能性を――」
クラウドは、「そうだな」と言った。
「ピーターでなく、レオンからか?」
オルドが、今度ははっきりと、動揺を示した。さっきから続く衝撃的な話のせいで、ポーカーフェイスを保つことが難しくなったのだ。
「レオンから、ドーソンに漏れる。それは確実かもしれない。どの道君は、今日俺から聞いたことを、ライアンには話す。俺は、それを前提で君に話をしてる」
「……」
「だが、おそらくドーソンに漏れたとしても、ドーソンにそれを邪魔する余裕はもはやない。――L11に投獄された連中が、一斉にもどってこない限りは」
クラウドの言葉はハッタリか。それとも真実か。
オルドはクラウドの表情を観察したが、そこには真剣な顔があるだけだ。
オルドは、クラウドと同じ舞台には立っていない。持っている情報量が違いすぎるのだ。軍事惑星の内情も、なにもかも。
クラウドの言葉が真実だとするには、ドーソンはいまだ化け物染みた執念を持って権勢を誇っている。ロナウドたちの計画を妨害できないわけはない。それとも、これはクラウドの言うとおり「賭け」なのか。オルドに心を開かせるために手持ちのカードをさらけ出した――にしては、クラウドの、オルドを見つめる表情は涼し過ぎた。
オルドは知らない。クラウドとて、密かに脂汗をかいていたことを。
オルドの想定はあっていた。気が重くなるような探り合いが続く。
やがてオルドの息が荒くなり、自分を落ち着かせるように両腕を擦った。オルドはしばらくそうして、自分を鎮めることに成功した。
「――そのロナウドの計画には、確実に、ドーソンは邪魔だな」
オルドがつぶやくと、クラウドは笑った。
「話が早くて助かる。さすが、アンダー・カバーを大きくした、やり手のナンバー2だ……」
「ドーソンは、L18から消える――そんな予感はしていた」
「……」
「アーズガルドも同じだ……アーズガルドは蔦みてえなもんだ。ドーソンに寄生して生きてきた、ツタだ。巻き添え食って半分消えたところで、自業自得ってやつだろ……」
しんみりとした口調でオルドは言い、酒を手にしたが。
「それじゃ、済まないんだよ」
犠牲は、半分ではすまなくなるかもしれない。
クラウドは、オルドの耳近くで、衝撃の事実を口にした。
オルドは――絶句の形で固まったあと、「無茶だ!」と叫んだ。
「無茶だ、冗談が過ぎるぞ! そんなこと、できるわけが――!」
「ララが“交渉”していたのは、“それ”をL55に認めさせるためだ」
「……!」
オルドは、もう一度フードを被った。表情を見せないようにするためなのか――もう、何も聞きたくないという意志表示にも見えた。
「てめえ……!! とんでもねえ話を聞かせやがって……!!」
オルドの冷や汗交じりの鋭い視線を、クラウドは受け止めた。
「こんなとこに、ついてくんじゃなかったよ……!」
オルドは心底、そう思った。
「君ももう、他人事じゃいられないはずだ」
クラウドの涼しい顔が、憎たらしかった。クラウドがさっきのララなら、オルドは防衛大臣の立場だ。まるで誘導尋問だ。
「……クソ!!」
(やっぱり心理作戦部の鬼軍曹だよてめえは!!)
オルドは、クラウドが言わぬまでも、アーズガルドの役割は知っている。
調整役――これほどハマった言葉に出会ったことはないが、オルドはその通りだと思った。
オルドは、アンダー・カバーに所属して初めて、自分が恐ろしく父親と似ていることを自覚した。
ああなりたくはないと思っても、為すことは結果、同じだった。「アンダー・カバー」のためなら、簡単に手のひらを返すことができた。日和見にも気弱にも化けることができた。
アンダー・カバーのために潰した傭兵グループのボスは、オルドを「なんて狡猾な奴だ」と罵った。
狡猾。
褒め言葉だと思ったその瞬間に、父と似ているのを自覚したのだ。
あくまで傭兵グループを潰したのは自衛のためだった。大きくしかけたアンダー・カバーの大多数を、やつが引き抜こうとしたから。
アンダー・カバーを大きくしたのはオルドだ。最初、ライアンとオルド、メリーだけで始めたグループを、三十二人態勢の、大きな組織にしたのは。
ライアンのカリスマの陰で、オルドはうまくアンダー・カバーを調整している。オルドなしでは、アンダー・カバーの組織は終わりだろうと、いつもライアンは言う。
そして言うのだ、彼も。
「おまえはやっぱり、アーズガルドの人間さ」と。
オルドが嫌がるのを知っていて言う。だがオルドは、ライアンに言いかえすことができない。ライアンに、そんなふうに思われているのが哀しかった。
“ララの提案”がL55に通ってしまったら、軍事惑星群がどうなるか、オルドには容易に予想がついた。ついてしまった。
(そんなにうまくいくわけがねえ……でも)
通ってしまったら、今度はアーズガルドが危ない。
大勢のドーソンの人間がL11に更迭されたことで、アーズガルドの人間も半分が巻き添えを食った。だが、ドーソンに関わっていない人間は無事だ。
――嫡男である、ピーターも。
アーズガルドは「半分」残っている。でも、ララの提案が成し遂げられたら――おそらく。
(アーズガルドは、傭兵たちに潰される)
最悪のシナリオだった。
あの老舗傭兵グループ三社相手に、アーズガルドの代表となるピーターが太刀打ちできるわけはない。
ピーターの命も、危なくなるかもしれない。
(いや――そんな大それた提案を、ロナウドとマッケランが呑むか? ヘタをしたら、軍事惑星そのものが崩壊するぞ)
防衛大臣が、あれほど冷や汗を拭いながら、ララの進言をくつがえそうとしていたわけが、ようやくわかった。
オルドは将校の子として十二年間、傭兵として十四年間暮らしてきたのだ。両方の視点を持っている――どちらの側から見ても、危うい“提案”だった。
(交渉が決裂すりゃ、傭兵連合と、ロナウド、マッケラン、アーズガルドの戦争になりゃしねえか?)
ピーターはL22の軍事学校を出て、今はアーズガルドの後継者として奔走しているが、一度も戦争に出たことはなく、軍事関係には疎い。彼の性格も、軟弱とは言わないが、ロナウドのオトゥール、ドーソンのグレン、マッケランのカレンやアミザに比べて、カリスマも覇気も足りない。器も圧倒的に劣るだろう。
ピーターは優しいが、優しい分、平凡と言ってさしつかえない人間だった。
(ピーターじゃ、傭兵グループと交渉はできねえ……負ける)
今現在、動けないドーソンの穴埋めのために、マッケランのL20が辺境惑星群に駆り出され、そのマッケランの穴埋めに、L4系の一部の戦乱を止めているのは、ララの言った通り――傭兵グループなのだ。
アーズガルドも軍を出しているが、とても、ドーソンの穴埋めができるような勢力ではなかった。もともと強い一族ではないのに、半分に削られてしまったのだ。
今に始まったことではない。アーズガルドは縁の下の力持ちで、調整役だった。ほかの三家のような大きな軍事力はなくても――。
(ピーター)
オルドがアーズガルドの家を離れるとき、泣いて別れを惜しんでくれた。学生時代も、するなというのに電話をかけてきた。オルドがアンダー・カバーに在籍してからも、よく仕事を寄越してくれた。
会いにもきた。オルドが迷惑がって追い返しても、ピーターの気弱な、悲しそうな顔を見るたび折れていた自分を思い出す。気弱な笑顔はアーズガルド家の十八番であることを、オルドは分かっていながら騙されてやった。
(俺は――ピーターを見捨てられるか?)
ほかの人間はどうなってもいいが、ピーターは。
「アーズガルドが嫌なら、もどって来なくてもいいんだ」
ピーターは優しい。頼りないけれども。
「でも、俺が、ブライアン叔父の代わりに、ヴォールの故郷になるから。俺のところには、いつ帰ってきてもいいんだ」
――ピーター!
オルドは、しっかりとフードを被って、立ちあがった。
「……もう、話は終わりだな?」
クラウドは、今度はオルドを止めなかった。だが、最初に声をかけたときと同じ口調で誘った。
「明日、もしよかったら、パーティーに来ないか」
「パーティー?」
反射で聞きかえしてしまった。
「グレンと、話ができる。来るつもりなら、K27区のリズン前で待ってる。十九時に」
「……」
オルドは顔を反らし、ポケットに手を突っ込んで、赤いレザーのドアを押した。
「……そっちは、ボスに相談してみる」




