201話 回帰術 2
呑気な顔のペリドットが、椿の宿の浴衣を着て、風呂上りの姿を現したのだった。
「てめえ!!」
「なにを呑気に風呂なんか入ってやがる!!」
アズラエルとグレンが牙を剥いたが、ペリドットは、
「温泉に来て、温泉に入って何が悪い」
どかりと座布団の上に座って、缶ビールをあけるふてぶてしさだ。
「謝罪のひとつもねえのかてめえは!!」
「このあいだのことか? 悪かったな」
「「「「「軽い!!」」」」」
ひょいと右手を挙げて謝ったペリドットに、ベッタラとルナをのぞく全員が突っ込んだ。ルナは相変わらずテンポが遅いので、口をぽっかりとあけて終わり、ベッタラはニコニコと笑っているだけだ。
「心配すンな。ニックとベッタラから聞いたろ? ここの温泉で、一ヶ月療養すれば治る」
「そういうことを言ってンじゃねえ……!」
グレンが歯茎を剥き出すまえに――ペリドットが缶ビールをコツン、とテーブルに置いた。
パチン! と指を鳴らすと、急に空間に重みが増す。
ズシン……という重みを感じさせる音が地面から聞こえたかと思うと、一度だけ、グラリと底から突き上げる揺れが起こる。
「地震――?」
ルナが、隣のミシェルにしがみつこうとすると、ミシェルがキラキラ光っていて、ルナはびっくりして手を離した。ミシェルも、ルナと同じような顔でルナを凝視している。
「――!? なに、ルナ? お姫様みたい――!!」
「――え?」
それをいうなら、ミシェルもだ。
ミシェルは、サルーディーバのような衣装を着ていて、髪が長くなっている。ミシェルから見たルナも、王冠やたくさんの宝石でできたアクセサリーをつけたドレスを着ていて、お姫様という言葉はおおげさではない。
「え――何コレ!? なに――」
ミシェルもルナも、周りを見て口をあんぐりと開けた。
セルゲイとカレンは、いつのまにか軍服を着ている。カレンの方は目が覚めるようなブルーで、セルゲイはグレーの――。
みな、自分の変化が信じられずに戸惑っている。
カザマはルナたちと似たような格好になっていて、アントニオは無精ひげが生えて、探検家のような服装だった。ニックとベッタラの衣装も変わっていたが、彼らは、平静なままだ。
ピエトだけ、変化がない。自分が仲間外れにされたような気がして、さらにふて腐れたピエトがそこにいた。
「アズ!? グレン!?」
「……っ、イデデデデ……」
「……!!」
アズラエルとグレンを、陽炎に似た白い光が取り巻いていて、その後ろに二対の石像が見える。このあいだ真砂名神社で見たのと同じものだが、大きさは、ルナくらいの大きさになっていた。
ホログラムのような影が重なっているだけで、アズラエルたちは恰好が変化しているわけではない。だが、痛みを盛大に堪えている顔だ。
「アズ、グレン、だいじょうぶ!?」
「これが“八転回帰”だ」
ペリドットが右手の指を握ると、皆の姿に重なって現れていた幻影は、すうっと吸い上げられるように消えた。
「あっ!!」
「消えた!!」
ルナとミシェルは同時に声を上げて、自分の両手を見つめた。綺麗なお姫様だった自分はあとかたもなく消えてしまった。
ペリドットはビールをぐびりとやり、アズラエルとグレンに言った。
「指動かしてみろ、指」
「指?」
言われた反射で、アズラエルが指に神経を向けると、今までピクリとも動かなかった指先が、わずかに跳ねた。
「!?」
今度は確実に意識を持って動かすと、指は動いた。グレンの方は、しっかりと握りこぶしを作っている。
「おまえ、今なにやった!?」
アズラエルは、絶叫したあと、頭の痛みも取れているのに気付いて、思わず頭に手をやった――やろうとして、あまりの痛みにまた絶叫した。
「なんだ? 頭蓋骨の陥没もいっしょに治ったか? でも、まだ腕は治ってねえんだから、無理に動かすな」
ペリドットは、缶ビールをぐびぐびと一気飲みしたあと、
「こうして、一日一回、おまえたちとアストロスの兄弟神をシンクロさせる。神の自己治癒力は絶大だ。骨が体の中で急激に動く痛みはけっこうなモンかもしれねえが、ふつうの治療を受けるより、早く治る」
と言った。
アストロスの兄弟神は、アズラエルたちの中に鎮まったとはいっても、セルゲイとアントニオのように、いつでも呼び出せるわけではないらしい。
「アストロスの神も、石像の中に閉じ込められてるからな」
ペリドットは、なくなってしまったビール缶を名残惜しげに覗き込みながら、つぶやいた。
「アストロスの、マ・アース・ジャ・ハーナ遺跡の入り口にある、巨大な二対の石像に封印されてる。おまえらがそこにたどり着くまでは、封印は解けない」
アズラエルとグレンは無言で手指を動かし、「一日一度きりか?」と聞いた。
「ああ。あまり一日に何度も下ろせば、この宇宙船の運行システムに異常をきたすってンでな。一日一回しか許可が下りなかった」
ルナたちは、またしてもここが宇宙船の中だということを忘れていたようだ。
さっきも、真砂名神社での儀式のときも、アストロスの兄弟神が動いたときに起きる地震。
宇宙船が揺れているのだ。宇宙船の計器に不具合が出るのだろう。
「それに、ここの温泉は良く効く。外傷も、はやく治るだろう」
ペリドットは言いたいことだけ言うと、さっさと立った。
「俺の見立てでは一ヶ月。それより早く治ったらもうけモンってやつで、まあのんびりやれ。一ヶ月以内にメルーヴァが来ることはねえ。どうせ椿の宿で療養するんだろ? 毎日この時間帯に来るよ、じゃあな」
座布団から立って、飲み干した缶を持ち、襖に向かい、開けて出て閉めるまでのあいだにそれだけ言って、ペリドットはいなくなった。
「なんてマイペースなヤツだ……」
苦々しいアズラエルの声に、アントニオの呆れ声も重なる。
「ほんとにな。だから俺、アイツ苦手なんだよ……。でも、今回の件に関しては、アイツがいないとどうにもならないからなあ……」
アントニオは、天然パーマの頭をガシガシとやり、
「とりあえず、温泉入ったら? いきなり秘湯のほういかなくてもさ、ここの温泉はぜんぶ、傷にいいから」
と思い出したように言った。
「足の指は治ったが、歩けねえよ」
グレンは器用に足の指だけ動かして見せた。
「足湯とかする? お湯を汲んできてあげようか?」
ルナが言うと、アズラエルも言った。
「まあ最初はそれしかねえだろ。――なにしてんだベッタラ」
ベッタラが、自分の衣装を脱ぎ始めていた。
「なにって――ワタシが入れてあげます。まかせてください」
「あァ!?」
グレンとアズラエルが絶叫した。
「足湯だけじゃだめだ。全身湯につからなきゃいけないんだろう? じゃあ、私も手伝う」
セルゲイも上着を脱ぎ始めた。本気で介添えするつもりらしい。
「私は介護の経験もあるから、心配しなくていいよ」
「そういう問題じゃねえ!!!!!」
グレンの絶叫。
「ベッタラさん、セルゲイさん! ここには女の子がふたりいらっしゃるのよ!」
カザマのあわてた声がして、やっと気づいたベッタラとセルゲイは、決まり悪げな顔でルナとミシェルを振り返った。ルナは真後ろをむき、ミシェルは手で顔を覆いながら、二人の上半身裸をチラ見していた。
「ルナさん、ミシェルさん、ええと――カレンさんも! わたくしたちは一度出ましょう」
「え!? あたしもかよ!」
カザマはさっさと女の子ふたりと、どっちともとれる約一名を追い立てて、部屋を出た。
「ちょうどいいや! 男同士で親睦でも深めよう!」
ニックは大賛成といった喜色満面の顔で、いそいそと入浴セットを持ち出してくる。
「俺も温泉に入る!!」
ピエトは瞬く間に全裸になって、室内露天風呂に飛び込んでいった。
「お、俺はいいよ……風呂、狭そうだし……」
アントニオは引き腰で遠慮した。一番大きな家族風呂が備わった部屋を予約しておいたが、その風呂だって、アズラエルとグレン、ベッタラとセルゲイと入ったら、いっぱいいっぱいだ。彼らは体格が良すぎる。
「ええ~アントニオ君も入ろうよ~」
「あっ! 俺用事思い出した! コーヒー豆仕入れてこなきゃ!」
「おい待てアントニオ、逃げんな!!」
こいつらを止めろ! アズラエルが叫んだが、アントニオはすたこらと逃げ出した。
「おい……ちょ……待て!」
「病院から介護ロボット連れてきてたろ!?」
「人一倍でかくて重い自分たちの体格を忘れてない? 介護ロボット二台きりじゃ、君たちを支えられないよ」
「ウソだろ!?」
「医者の言ってることがウソだとでも?」
セルゲイの手厳しい指摘にミイラどもは青ざめたが、もっと青ざめるのに、あと五分とかからなかった。
襖の向こうから聞こえてくるミイラたちの絶叫に、ルナとミシェルはアワアワとしていたが、カレンは、「コーヒーでも飲みてえな」と鼻歌を歌いだし、カザマも呑気に、「では、食堂にパフェでも食べに行きましょうか」と誘うのだった。




