199話 目覚め Ⅱ
「メルーヴァと、メルーヴァの軍には、通常の軍隊では太刀打ちできません」
カザマはどこまで言っていいのか悩んでいるようだった。それは、ラグ・ヴァダの武神に知られるから言ってはいけない、というよりかは、ルナの顔色を気にしているようだった。
ルナが、大丈夫ですと口で言う代わりに、精いっぱいのキリリとした顔をしてみると、カザマの目にどう映ったのか――カザマの肩がすこし下がった気がした。
彼女はルナの髪をとかすのを再開させ、続けた。
「どんな形で、メルーヴァが攻撃を仕掛けてくるのか、定かではありません。ですが――ラグ・ヴァダの武神をよみがえらせたメルーヴァの軍は、通常のL20の軍隊では太刀打ちできません。太古の戦いの二の舞になってしまうでしょう。アストロスの弟神と、地球の軍隊が戦ったときのように」
「――!!」
ルナは息をのんで顔を強張らせた。キリリとしたはずの顔は一転、情けないふくれっ面に変わった。
ペリドットの話を思い出す。
地球の軍隊が、アストロスの弟神ひとりに敗れ去った話を。
今回は、アストロスの弟神がラグ・ヴァダの武神だとして――ルナたちが、地球の軍隊なのだ。
「神がやってくるのですから、こちらも神が立ち向かわねばなりません。アズラエルさんとグレンさんの前世、アストロスの兄弟神を、今生きているお二人の身体に蘇らせるには、ZOOの支配者の禁術、“回帰”が必要です」
「かいき?」
「はい。アストロスの兄弟神は、アズラエルさんとグレンさんの八回前の前世。つまり“八転回帰”しなければなりません」
「はちかいまえ……」
ルナは一生懸命、寝起きの頭で理解しようとした。
「ペリドットは、“八転回帰”は可能でした。ですが、“千転回帰”は不可能だということがわかった」
「せんてんかいき?」
「ええ。“回帰”術のリスクは、周囲の、縁の濃いZOOカードも巻き込んでしまうということです。つまり、おふたりをアストロスの兄弟神にしてしまうと、ルナさんは“メルーヴァ姫”、セルゲイさんは“セルゲイ・B・ドーソン”、ミシェルさんは“ラグ・ヴァダの女王”――そしてわたくしが、“アストロスの女王”、アントニオが、“地球から来た調査団の長”といった具合に、その時代の魂が、一斉に蘇ってしまうというわけです」
「それは――なにか――だめなの」
「ダメなんです」
カザマは、深刻な面持ちで言った。
「ミシェルさんはいいでしょう。“ラグ・ヴァダの女王”としての彼女ならば、“百五十六代目サルーディーバ”と同じくらい力がある。けれど、セルゲイさんは、“夜の神”として、そしてわたくしもアントニオも、“昼の神”と“太陽の神”としておかなければ、メルーヴァに対抗できません」
「あ……」
ルナは口をぱかっと開けた。
「アズラエルさんとグレンさんだけは、“八転回帰”、わたくしたち四神は、“千転回帰”しなければならないのです」
「せん……」
ルナが唾を飲んだのを見て、カザマは苦笑した。
「わたくしたちの転生の数は数えきれない。ある数を超えると、まとめて“千”と記される。……“千転回帰”だけ行うと、わたくしたちは四神になりますが、かわりにアズラエルさんたちは、“船大工の兄弟”になってしまう。船大工では、武神に勝てません」
「……」
「つまり、ZOOの支配者はふたり必要なのです。“千転回帰”と“八転回帰”を同時におこなうために」
先日の真砂名神社でおこなわれた儀式では、ペリドットが“千転回帰”を、真砂名神社の力のある神官が五十人もあつまって、“八転回帰”の手助けをしたのだという。
しかし、結果はあのとおりだった。
武神は呼び出せたが、アズラエルとグレンは武神と一体化できずに押しつぶされ、生死の境を彷徨った。神の手助けがあったとはいえ、なんとかアズラエルとグレンが頂上まで持ちこたえたため、武神は彼らを依り代と認めて、ふたりの中に鎮まったのだという。
同時に、アストロスの武神たちの罪も晴れた。
ペリドットは、千転回帰できたはいいが、神を一体ずつしか召喚できず、力も小出しにしか表せなかった。十段ずつ引き上げる力しか出せなかったのだ。
「本番」では、四神を一気にぜんぶ千転回帰せねばならない。それも、数分ではなく、何日もその状態を維持しなければならない可能性がある。
ペリドットは“八転回帰”は余裕でできるが、“千転回帰”はどんなにがんばっても、あれが限界だということがわかった。
「ペリドットは偉大なる力の持ち主です。あそこまでできたのは、ペリドットの力が強大だったためです。ですが、“回帰”術をどれだけ扱えるかは、術者の力の大きさはあまり意味をなさない」
「えっ……」
「どれだけ魂が古いか、によるのです」
ペリドットも古い魂ではあるが、地球時代を千年生きたほどで、ルナたちには及ばない。ペリドットよりももっともっと太古の魂――ルナが月の女神だった頃の前世を呼び起こすためには、同じ時代を生きた魂でないと、呼び起こせない。
「――あ!」
「分かって、いただけましたか」
カザマの笑みに、ルナはようやくわかって、何回も首を縦に振った。
――アンジェ!
ペリドットが、ルナにアンジェリカを助けてくれといった意味が、ルナはようやくわかった。
おそらく、アンジェリカが、“千転回帰”ができる、唯一の術者なのだ。
だけれども、いったい、アンジェリカになにが起こっているというのだろう。
ルナが最後に会ったのはいつだったか。電話をしたのは、いつだったのか。
ZOOカードをつかえなくなっているというのは、本当なのか。
「本当です」
カザマも肩を落として言った。
「わたくしも悪かったかもしれません。あの子は助けを求めて来たのに、叱ってしまった」
カザマは嘆息した。
「あの子のように、若い身空でサルディオーネとなるのは、大変なことだと思います。サルディオーネとしてのひとことが、どれだけ人の人生を左右してしまうか――あの子の口数の多さには、ハラハラさせられることがよくあります。努力家なのですが、よけいなことをしすぎるところもある。ユハラムの苦労がしのばれます。だからといって、わたくしまで怒ってしまって、……心労が、積み重なってしまったのかもしれません」
「……落ち込んじゃったのかな」
「アントニオに聞いたところによると、ペリドットにもきつい言葉を投げかけられたようで――アントニオとペリドットがケンカしたところなど初めて見ましたわ、わたくし」
「え!? け、けんかしたの!?」
あのアントニオが怒るところなど、ルナには想像できなかった。
「ええ。ペリドットは、当然のことを言ったまでだと譲らない。アンジェリカも追い詰められているところにつめたい言葉を掛けられて、傷つかないはずはないと――アントニオは優しいですから――でも、ペリドットは、アンジェリカがZOOカードを使えなくなったのは、心労とか、落ち込んだせいではない、と主張するのです。別の原因だと」
「べつのげんいん?」
「アンジェリカさまは、わたくしやペリドットの言葉くらいで、落ち込むような子ではない――もっとほかの要因があるはずだと。――アントニオには失礼ですが、わたくしも、そう思いました。彼女は強靭で賢い子です。叱られて落ち込みはするでしょうが――ZOOカードがつかえなくなるほどの心的外傷を負うほどのことは、ないとわたくしも思います。それ以上の修羅場は十分乗り越えてきていますから」
でも、いくら勝気なあの子でも、ひどく落ち込むことはあるでしょう、とカザマは、自身が落ち込んだような声で言った。
「……やっぱりまだ、原因は分からないんだ」
カザマはうなずいた。
「ええ。ZOOカードといっしょに、リズンの二階に閉じこもったまま、出てこないそうです。アントニオが毎日差し入れている食事は取っていますし、真砂名神社の方に出たりもしているので、顔は見ていますが――」
ルナが、ぷっくりほっぺたを、ぱん! と両手で叩いたので、カザマは飛び上がるところだった。
「ど……どうしたの、ルナさん」
「あたしがんばるからね! カザマさん!!」
ルナなりの気合いだったのだ。カザマは綺麗な目を思いっきり見開いて、それからくすりと笑い、「……頼りにしています」と小さく頭を下げた。
「元気が沸き起こっていますか! アーズラエル、グーレン!!」
「わ! 元気そうだねえ、よかったよかった!!」
「この格好のどこをどう見て元気だと判断した!? おまえら!!」
アズラエルの掠れた怒鳴り声に、車いすを押して病室にやってきたベッタラとニックは、ふたたび全開の笑顔で笑った。
「冗談が言えるなら元気じゃないか!」
「なんでおまえらが来るんだよ。ルナの顔を見せろ! てめえらのむさくるしい面より先に!!」
「僕、むさくるしいなんて言われたの、初めてだ!!」
ニックが顎のあたりを擦りながら、嬉しげに言った。
「小さなころは、男かどうかも怪しいって言われてたし、むさくるしいは褒め言葉だね!」
ニックには皮肉も悪口も効かない。グレンは忘れていた自分を憎み、枕でも叩きたい気持ちだったが、全身複雑骨折では指先も動かない。
「なんなんだ、おまえらは! なんであのとき、真砂名神社に来てたんだ。その車椅子はなんだ!」
「おまえらだってケガしてただろ。どうした、ケガは」
話題から確実に逸れゆくニックのマシンガントークがはじまるまえに、アズラエルとグレンは、一週間まえ、重みで聞けなかったことをこれでもかと聞いた。
たしかにあのとき、ニックは肩を、ベッタラはろっ骨を折ったはずなのに、今目の前にいるふたりは健康体そのもの。包帯も巻いていなければ、怪我をしたはずの肩をニックはぐりぐりまわしている。
「まだ完治とはいかないけど、全治三ヶ月が、十日間に短縮されたことはたしかだよ」
「十日だと!?」
ろっ骨は、十日でくっつきはしない。骨まで見えていた複雑骨折の肩もだ。
「ワタシはもう、すっかりだいじょうぶです!」
ベッタラに至っては、折れたはずの肋骨がある場所を、でかい拳でガツンと叩いた。
「……おまえらはなんだ。化け物か」
「アノールの兄弟神とか言わねえだろうな」
二人の冗談はめずらしくスルーされたので、ふたりのニックに対するいらだちは増した。
「僕たちの治療期間が短縮された場所に、君たちも連れて行こうと思って来たんだよ」
「行きますよ、グーレン」
ベッタラは、ニックの話が終わるまえに、さっさとグレンのベッドに寄って、肋骨を折っていた男とは思えないほどの力強さで、あっさりグレンを持ち上げて車いすに乗せた。
相変わらず、人の意見はガン無視の奴らだ。
「どこに連れてく気だ! 全治三ヶ月が十日だと!? バカを抜かせ、もう摩訶不思議はゴメンだ!」
グレンの心の底からの叫びだった。だがニックは、腰に手を当てて、おじいちゃんが孫をたしなめるように恐い顔をしてみせた。
「君たちがそれでいいならいいよ」
ベッタラは、グレンに続いて、アズラエルもさっさと持ち上げて、車いすに乗せた。
「真砂名神社で君たちの身に起きたできごとの、理由も聞かずに寝ていられるとは思えないけどね。君たちは入院七ヶ月。完治までにはもっとかかる。それでいいの? 七ヶ月もおとなしくベッドに縛り付けられてるつもり?」
それを言われると、アズラエルもグレンも返す言葉がない。
「僕たちは、全治七ヶ月を一ヶ月に縮めてあげようといってるんだよ。摩訶不思議がいらないっていうんなら、それでいいけど?」
「グーレン、聞きわけなければなりません。アナタのケガは、明日にも治る見込みがないのですから」
「意味が分からねえのに、腹が立つのはなんでだ……」
グレンは負け惜しみをつぶやいたが、ベッタラはさっさとグレンの車いすを病室の外に出そうとした。
その隙間から、天使がぴょこたん☆と顔を出した。ニックのように生態系が天使の天使ではなく、アズラエルとグレンが心から癒されるラブリー☆エンジェルというやつである。
「アズ! グレン! おはよう!」
一週間の昏睡状態からよみがえったあととしては、あまりにも呑気な第一声ではあったが、ベッタラとニックが、「「おはよう!」ございます!」とアズラエルたちより先にあいさつを返したので、さっそく出鼻をくじかれたふたりは、苦々しげな顔で生態上天使と、自分たちをお姫様抱っこした共通語が残念な男を睨まねばならなかった。
たしかに、今のままでは、ルナを抱っこして頬ずりするどころか、ベッタラにお姫様抱っこされる屈辱に耐えなければならない。ニックにまでされたらそのまま死ねるレベルだ。
「ルゥ、気分はどうだ」
ルナは、アズラエルとグレンの様子を目にしたとたんに、目にいっぱい涙をためはじめた。
「あたしより、ふたりのほうが重傷だよ!!」
ルナは、アズラエルとグレンのケガに触れないように、ふたりの膝に手を置いた。
「あたしは寝てただけだもん。ふたりこそ、だいじょうぶ?」
「ああ。たかが全治一ヶ月だ」
アズラエルは笑った。
「二週間かもな」
グレンも肩を竦めて笑った。ルナを安心させるように。ふたりとも包帯に隠れた、引きつり笑いだったが。
「ルナさん、わたくしたちも一緒に参りましょう。ピエトちゃんも連れて――あら? さっきまでここにいたはずなのに」
廊下を覗いて、不思議な顔をしたカザマは、すぐにもどってニックに言った。
「椿のお宿ですわね。傷が治る、秘湯の」
「さっすがカザマさん。ご名答!」
「秘湯!!」
ルナだけは意味が分かって、ぴーんと飛び跳ねた。
「傷が治るおんせんだ!!」
「傷が治る温泉だって?」
グレンは不思議そうな顔をしたが、アズラエルは以前ルナが温泉の話をしたとき、怪我や病気が治る鉱泉があるようなことを話していたのを思い出した。
「それが椿の宿にあるってのか」
「ええ。普段は一般に提供していません。けっこうきつめの成分の温泉なのです。肌がピリピリしますから」
「……それ、だいじょうぶなのか」
グレンの顔に影が差したが、ベッタラは鼻歌を歌いながらグレンの車いすを押し始めた。ニックが、アズラエルの車いすを押す。
「じゃあ、行きましょう! 椿の宿で、アントニオさんたちも待ってます!」
だれよりも明るい声で言ったニックだったが、兄弟神の顔は凶悪にゆがんだ。
「……おう」
「納得いくまで、とっくり説明してもらおうじゃねえか……」
コワモテふたりの凶悪顔に、ニックだけはぶるっと震えて、このふたりが満身創痍であったことを心底感謝したのだった。




