197話 ガルダ砂漠 Ⅰ 1
ルナの視界を埋めたのは、真っ赤な緞帳だ。
(まだ、目が覚めてない)
咄嗟にそう思った。ルナがいるのは、いつかきた映画館。
左の席には軍服を着たトラ、“孤高のトラ”が。右の席にはTシャツにカーキのズボンのライオン、“傭兵のライオン”が座っていて、ルナを見つめていた。ルナは思い立って自身の手を見たが、もっふりピンクではなかった。
ルナは、ルナのままだった。
孤高のトラが、「はじまるぞ」とすこし神妙な顔で言った。
もしかして、ルナがメルーヴァ姫だったころの前世を観るのだろうか。
そう思ったルナが、ドキドキして緞帳のほうを見つめると、L03の衣装を着た黒ウサギがしずしずと壇上に姿を現した。
彼女は、“ジャータカの黒ウサギ”だ。
マイクを持った彼女は、静かに言った。
「はじまり、はじまり」
彼女の第一声とともに緞帳が上がり、ルナはそこから吹き付けてきた、砂の混じった強い風に、思わず目を瞑った。
――砂嵐。
ルナは目をきつく閉じたが、次の瞬間には風の感触が消えた。
恐る恐る目を開けると、ルナが立っているのはさっきの映画館ではない。一面の砂漠だ。めのまえは砂嵐が吹きすさんでいるのに、目が痛くもなければ、口に砂埃が入ってくることもない。
砂漠だった。どこまでも砂だらけ。荒涼とした――。
大きなゲルが、砂嵐にまみれながらバタバタと音を鳴らしていた。
まるで、本当に砂漠にいるようだ。
『……ここは、L03の真北に位置するガルダ砂漠』
ジャータカの黒ウサギの声が聞こえた。
『L03でもっとも広大な砂漠です。夜は気温が零下四十度近くまで下がることがあります。グレンさんが、この砂漠に来たのは、ルナさんも夢で見たから、知っているはずです』
そうだ。ガルダ砂漠――。
グレンが大ケガを負ったっていう。
『グレンさんが来るずっとずっと、もうずっとむかしから、この地にはL18の軍隊が駐屯していました。なんのために? 防衛のために、です。この世界の神様である、サルーディーバさまをお守りするため』
ジャータカの黒ウサギの声が、音声ガイド機器のようだ。ルナの耳に、嵐の音をさえぎって流れ込んでくる。
『さて、L01からL10は、ご存知の通り、辺境惑星群と呼ばれます。それから、L4ナンバーの星々も、辺境惑星群と呼ばれます。L4系は別名“地獄の惑星群”の名もあります。なにが地獄かと言いますと、戦争が絶えず、文明も遅れたまま、ひとびとは飢えと病ですぐ死んでしまうからです。
L4系は、地球人がL系惑星群に移住したとき、原住民が追いやられた星だといわれていますが、ほんとうはそうではありません。地球人と共存したラグ・ヴァダ人だってたくさんいます。もう三千年もたっているのです。ほとんど混血です。
ですからつまり、追いやられたというよりか、地球人と共存したくない原住民が、“本来のラグ・ヴァダはじまりの地”であるL4系の星々だけは死守しようと、立てこもっている――というのが正しいのかもしれません。
そしてL4系同様、L01からL10は、地球人が移住してきたときの“文明の中心地”でした。そう、サルーディーバさまがおられます。L01からL10のなかでも、L03だけは、そういう意味で特別かもしれません』
マリアンヌは一気に話して、それから息をついた。
『このL03も、そういった共存を拒む方々がたくさんいて――それはL系惑星群の民だけでなく、地球から来た人々もいるのです。
ですからそういった方々から平穏に暮らす人々を――地球人、ラグ・ヴァダ人、関係なく――こんな言い方もおかしいですけれど。だって、このL系惑星群に住む以上、みんなエルミネイシュです。そうでしょう?
ええ、そうです。きっとL5系から7系の方々はそう思っていらっしゃるはず。
そのエルミネイシュを守るための軍が、軍事惑星群の軍隊なのです。
そもそも、地球人がこのL系惑星群に移住してきたときから、L18の軍は、この地の治安を守るため、首都トロヌス近辺や、ガルダ砂漠の一部に駐屯しておりました。
しかしさまざまな利害関係もあり――サルーディーバさまを直接ご守護する王宮護衛官や、L03の政治を担っている長老会などとの関係や、それぞれの思惑もありましたので、L18の軍が大きく動くことはありませんでした。必要なのは抑止力。
とくにサルーディーバさまは、平和を望む方でおられます。ですから、小競り合いはあれども、大きな戦争などはなかったのです』
マリアンヌがうつむいた。
『不穏な気配があらわれはじめたのはいつから……?』
きゅ、と強くマイクを握りしめた。
『私の弟、メルーヴァが生まれてから?』
だれにともなく尋ねたマリアンヌは、答えなど返ってこないことを知っていた。
『革命の星メルーヴァが誕生し、そして奇しくも、次期様と予言されたサル―ディーバ様が女性であられた――これは、L03に変革の予兆を示すには、じゅうぶんなものでした』
マリアンヌはつづけた。
『長老会が私腹を肥やし、徐々に歪んでいったのはいつのころだったのか。歴史をひもとかねば分かりません。ですが、発端は――おだやかな平穏を踏みにじったのは、長老会です』
突然、地図が出てきた。マリアンヌは地図を指しながら説明した。
『北のガルダ砂漠には、原住民の聖地が多くあります。でも、ガルダ砂漠には、私たちの祖先の聖地もある。
私たちと共存していこうという民族は、両者の聖地がガルダにあるのを認めて、お互いにつかず離れずの距離を保っています。でもそれを認めずに、私たちをこの星から追い出そうという民もいます。
そのため、L03は、何度もL18の軍隊に反乱を鎮めてもらってきた。話し合いを続けてきたけれど、好戦的な種族は戦争を繰り返す。そのたびに、互いの犠牲者は増え続けていくばかりです。
ですから、あのとき、長老会が決断を下したのです。禍根を断たねば、半永久的にこの争いは解決しない、と』
マリアンヌはまた沈んだ顔を見せた。
『それも、もしかしたら、メルーヴァが生誕したためかもしれません。革命の星が出ているときに――長老会は、そう考えたかも』
ゆっくりと、緞帳が上がっていく。物語のはじまりだ。
『長老会から依頼されたL18は、ガルダ砂漠駐留の軍に命じました。ドネルコトとの戦争を。このとき、ガルダ砂漠の駐屯地における最高指揮官は、ディゴィ・R・ザッカリー。“ドーソン家につらなる”名家の者です。三年前からこの地を任されていました』
ライオンとトラが、そろって苦い顔をした。まるで、かつてのことを思い出すかのように。
緞帳は、みるみる上がっていく。
砂の匂いが強くなった。
『なにやら、ガルダ砂漠の駐屯地近辺がきな臭くなっている――そのために派遣され、三ヶ月前にこの地に来られたのが、グレンさま』
「――さて? どのタイミングで攻め込みますか?」
聞き覚えのある声がして、ルナは振り返った。
ルナは、天幕の中にいた。奥にごうごうと火勢の強い暖炉があってなお、集う軍人たちは厚着をしている。ここがひどく寒いのだとわかる。簡易な長机をふたつ中央に据えて、十人ほどの軍人たちが会議をしていた。
末席にいる、一番年若い将校は、グレンだ。
気づけば、“孤高のトラ”と“傭兵のライオン”もルナの隣に佇んでいた。ライオンは無表情だったが、トラのほうは、ずっと苦々しい顔をしていた。
ルナは、すぐにトラの苦い顔の理由がわかった。
「いま、私が説明しているさなかでありますが――グレン中尉」
宙に浮いた液晶画面を指しながら、説明していた将校が咳払いをした。だがグレンはまったく意に介さなかった。
「俺が聞きたいのは、いつ、どのタイミングで、すみやかに敵拠点に攻め込むかだ。本日の軍事教練の日程じゃない」
末席にある軍人の一番偉そうなことといったらない。ルナもびっくりしたが、ここにいる全員がそう思っていることだろう。グレンの発言に鼻白んでいた。
貫禄のある将校たちが並んでいるのに、グレンが最高指揮官のように見えた。ルナは目をこすったが、やっぱりそう見える。
威圧感も威厳も、だれより抜きんでていた。
だれもがグレンよりずっと階級の高い将校たちなのに、みんなが背を丸めて、グレンの機嫌をうかがっているのだ。
「お若い方は、どうも性急すぎる」
「そうそう――裏工作が進んでおりますでな、もうしばしお待ちを」
「しばし? しばらく? 老人どもにそう時間があるとは思えんがな。貴公らのしばらくはどのくらいだ。すでに一年以上経過しているが?」
グレンのあからさまな嫌味に、皆押し黙った。
「サルーディーバ様は、平和主義にあらせられる!」
やがて、黒板の前にいた将校が、盛大な咳ばらいをしつつ言い訳をした。声は裏返っていた。緊張のせいか――。
「一に交渉、二に交渉、三四がなくて、五に交渉! この地に駐屯する軍は、そうやって今までやってきたのでございます」
グレンは、容赦なく最後通牒を突き付けた。
「……それで、長老会が納得するのか?」
あまりにわかりやすく、皆の肩が揺れた。一番目立つ黒板前の将校が派手に動揺してくれたので、だいぶわかりやすかった。
「いざとなれば金か? ドネルコトから多額の金を受け取っているのは知っている。――なるほど、“交渉”でおさめたのは褒めてやる。だがここは、L03の土地だ。貴公らが“勝手に売却”していいものではなかろう」
証拠らしき書類をグレンが机にぶちまけただけで、何人かがビクついた。
「おまけに、その金はどこへ消えた?」
ゲルの中は一気に汗臭くなった。将校たちのかきたくもない冷や汗のせいで。
「ドネルコトは“商人”だ。ほぼ軍事力はない」
性質的にアクが強いし、独自の神を信仰しているので、地球人との混血は拒みがちだが、経済協定は結んでいる。
「なぜ長老会が今回、ドネルコトを名指しでせん滅せよと言ってきたか。ドネルコトが長老会への献金を拒んだからだ。あれは裕福な民なのに、なぜサルーディーバさまに多額の献金をしないのか。ドネルコトは知っている。その金が長老会の私腹になることをな。――なぁ、ザッカリー少将」
一番の上座にいた、恰幅のよい将校が、真っ青になってぶるぶる震えはじめた。
「ま、長老会としても、おまえでよかったんだろう。おそらく脅すつもりでそういっただけ。本気でせん滅するつもりなどなかった」
グレンは、だれも見る気がなさそうだったので、書類をまとめて、トントンと端をそろえて封筒にしまった。
「よかったなぁ。ここにきてたのがライベンかイオレの軍勢だったら、ドネルコトの有力者の首が、ていねいに王宮の入り口に並べられていたところだぞ。『長老会の依頼』って看板までたてられて」
「ひいっ!?」
だれかがちいさく悲鳴を上げた。グレンが椅子から立ち上がっただけなのに。
「お――お待ちください!!」
ザッカリーがグレンを止めた。だが、グレンは彼の言い分を聞かなかった。
「俺は金で口止めはできない」
そういって、封筒を振った。
「俺を始末するか? このガルダ砂漠で?」
今にも食らいつきそうな顔で封筒に手を伸ばしたザッカリーだったが、上座から末席は遠かった。銃に手をやったつもりはなかろうが――懐に手を当てた将校を見て、グレンが笑った。ほがらかに。
「くるか? 俺ひとりで、この場の全員を“口止め”できるが」
「……! ……!!」
「爆破も毒も、慎重に扱えよ? 貴公が古い名家なら、“ドーソンの伝説”は知ってるだろう」
ザッカリーの青黒い顔は、今にも爆発しそうだった。
「沙汰を待て」
そういってグレンはゲルを後にした。どこから現れたのか、ふたりの将校が出てきて、グレンに付き従って消えた。
ドーソン由縁の将校が減ったということは、今まで「役立たず」だったものをつかわなければならなくなる。
それが、この結果だ。
首脳の集まったゲルからだいぶ離れたところで――たまりかねたように左側の将校が吹きだした。
「――ふごっ! マジでドンピシャかよ!」
「おい、笑うな。ゲルまで我慢しろ」
そういう右側の将校も、頬の片方がヒクついていた。
「……ドンピシャってことだ。世も――いや、軍事惑星も末か、こりゃ」
グレンもポツリとつぶやいた。
「末ですな」
右側の将校が、同意した。
「ところで、伝説ってなに?」
左側の将校が、右にいる将校に、小さな声で聞いた。将校にしてはずいぶん口調が緩い。
左側と違い、歩き方まで由緒正しい軍人の右側が、淡々と言った。
「……ドーソン家の嫡男は、代々暗殺の危険にさらされることが多い」
「まぁ、そうだろな」
「いつだったかの代で、毒を盛られた嫡男が半死半生。助かったのは、ふだんから毒慣れしていたからだ。で、毒殺しようとした一族が逆に郎党まとめて毒殺された」
「……」
「あとは、館に押し込めてまとめて爆破しようとしたヤツがいたが、親族の肉の盾で嫡男だけは無事だった、とか……」
「……」
「あとは……」
「いや! もういい!」
左側の将校が、泣きそうな顔で止めた。
今度はグレンが「ふごっ」と吹き出しかけた。




