196話 ZOO・コンペティション Ⅱ
ルナは、森の中に佇んでいた。
あわてて後ろを振り返るが、うっそうと茂った木々や草むらが来た道を覆い隠し、ルナはもどれないことを悟った。
アズラエルとグレンが心配なのに。
ふたりはどうしただろう。階段は頂上まであとすこしだったけれども、ルナは最後まで引き上げられずに倒れてしまった。
アズラエルは。グレンは。
夢を見ている場合ではないのに。
だがルナに、もどるべき道はない。
ルナはほっぺたをぷっくりとさせ、険しい顔で前を向いた。そうして、前に続く道を、座った目をしてズンズン歩いて行った。
ルナは以前も、ここを通ったことがある。夢の中で、ペガサスといっしょに、月を眺める子ウサギの後をついていき、フクロウに会いに行った。
あのときは、真っ暗で、道しるべも明かりもないこの森が怖くて、ペガサスと寄り添いながら、必死で前を歩くピンクのウサギにくっついていったのだ。
今のルナは怖くなかった。怖いと思う気持ちすらなかった。
ルナはいつしか走っていた。
助けなければ。
アズラエルとグレンは、自分が助けなければ。
そう思う気持ちしかなかった。
ちっぽけな自分がどうとか、そんなことは微塵も浮かばなかった。
ルナはウサギのように軽やかに走った。真っ暗な道を、ただまっすぐに。
そうしたら、急に明るい場所が見えてきた。ルナはめずらしく――というより生まれてこの方はじめて――ウサギらしく、すばしっこく走っていたがために、急に止まることができなかった。明るい場所に飛び込み、急ブレーキをかけたおかげでつんのめり、顔面から地面に着地した。
夢の中なのに鼻っ柱は非常に痛かった。ルナは涙目で起き上がり、めのまえの光景を見つめて「あっ!」と声をあげたのだが、だれもルナには気づいていない。
ルナが飛び込んだ場所は、いつかフクロウたちとお茶会をした場所だった。
今日、フクロウは一羽もいない。かわりに、大きな長テーブルを囲むのは、さまざまな動物たちだ。
見知った顔ばかりだったので、ルナは「こんにちは!」と大声で挨拶をして仲間入りを果たそうと思ったが、だれも応えてくれなかった。
おそらくルナ本人であろう“月を眺める子ウサギ”――つまりピンクのウサギも出席しているというのに、彼女もこちらを振り返ることすらなく、隣の青いネコ――“偉大なる青いネコ”と話している。
ルナは以前もこういった夢を見たことがある。ルナは夢の中の登場人物ではなくて、夢の中で起こった出来事を他人事のように見ている。今回もそういう夢なのだと悟ったルナは、とにかく、登場人物を確認することに決めた。
しかし、そうそうたる顔ぶれである。
奥、左の席から大きなトラ――“高僧のトラ”――お坊さんの格好をしているから。
その隣には、ルナが初めて見る金色のシカがいた。ルナはその優しげな目元を見て、すぐに正体に感づいた。あれはカザマだ。
金色のシカの隣には、大きな黒いタカがいる。居眠りをしているようだ。
タカの隣にいるのが、パンダだ。“パンダのお医者さん”。
パンダの隣にいるのは、軍服を着た銀色のトラ。“孤高のトラ”だ。
手前の席に、ルナに背を向けた形で座っているのは、メガネをかけたライオン――“真実をもたらすライオン”だ。
その隣に偉大なる青いネコ、そしてルナ自身である月を眺める子ウサギ。
それから一席空けて、“傭兵のライオン”。
両端の席にいるのは――ルナから向って右が、あきらかにペリドットだとわかるトラ。ペリドットと同じ服装をしているからだ。
だとすればあれは“真実をもたらすトラ”。
そしてルナから向かって左にいるのが、ルナが見たことのない――あれは犬?
ルナは目を凝らし、犬にも似た生き物を眺め、首をかしげた。もう一度しげしげと眺めたが、犬種が思い浮かばない、ブルドッグに似ている気もするが、何かちがう。ルナは頭を抱えて唸っていたが、犬がくしゃみをした瞬間にわかったのだった。
これは、神社の狛犬だ。
真砂名神社の階段の一番下と、拝殿の入り口の両脇にいる狛犬にそっくりだ。
ルナは、この狛犬の正体がだれだか、まったくわからなかった。
そして、なぜだか一席、空席がある。ピンクのウサギの隣だ。
そこにはお茶が置いてあるのだが、だれか来る予定だったのだろうか。
奇妙に思ったのは、テーブルの上に並んでいるのが、とても豪華な中華料理だったことだ。
「まったくもって、不便も甚だしい。話し合いは、ここでしかできんということが!」
狛犬が憤然とした様子で話す内容が、やっとルナの耳にも入ってきた。
動物たちはさっきからなにくれとしゃべっているのだが、ルナの耳には「もにゃもにゃ」とか「もきゅもきゅ」といった音や、猛獣系の唸り声しか聞こえなかった。
「そうおっしゃるな、“犬のご意見番”よ。仕方がない、“ZOOカード”の世界でしか、我々は話あえん。なぜなら、ZOOカードだけが、ラグ・ヴァダの武神が知ることのない占術であるからな」
真実をもたらすトラがそういって狛犬をなだめる。
「ZOOカードは、近年、若きサルディオーネ“英知ある子ネズミ”が生み出したもの。ラグ・ヴァダの武神が生きていた時代にはなかったものでありますから。ZOOカードの世界だけは、ラグ・ヴァダの武神が干渉できない世界ですわ」
金色のシカが上品に中国茶を味わいながら、説明してくれた。
ルナはなるほどとうなずき、ぴーんと伸びきって、話に聞き耳を立てていた。
「しかし、ラグ・ヴァダの武神をその身に宿した“白ネズミの王”も、ZOOカードの存在を知っている」
黒いタカが、寝ぼけ眼で言った。
「白ネズミの王は、ラグ・ヴァダの武神を宿したそのときから、すべてを支配された。白ネズミの王の知識は、すでにラグ・ヴァダの武神のものだ。まったく干渉できぬというわけではないだろう」
「もっともだ」
真実をもたらすトラは言った。
「だが、ZOOの支配者ではないかぎり、ZOOカードの世界すべてを知ることはできない」
「そうだ。だから我々は、こうしてZOOカードの世界でしか、今後のことを話し合えぬのだ! 生きて動いている我らが話すことは、すべてラグ・ヴァダの武神に知られてしまうのだから」
狛犬が言った言葉で、ルナはすべてが腑に落ちた気がした。
そうだったのか。
どうして、アントニオやカザマたちが、メルーヴァのことをほとんど口にしないのかが、ようやくわかった気がしたのだ。
アントニオたちは、きっと、すでにメルーヴァを迎え撃つための計画を立てているとルナは思っていた。ルナたちに知らされていないだけで、極秘に計画は進められている。
アントニオたちを筆頭に、メルーヴァと戦うための組織がつくられていて、それにアズラエルもクラウドも参加したのはルナも知っていた。シュナイクルたちもだ。
だが、具体的な作戦会議は、一度も開かれていないのだと彼らは言った。みんなが、ルナにだけ秘密にしているわけではなかった。ふたりも、不審がっていたのだ。組織に参加したはいいが、作戦会議に呼ばれるわけでもなく、具体的な説明すらない現状を。
当然、ルナにもくわしい説明はない。
ルナは当事者だというのに。
メルーヴァは、ルナをさらいに来るか――殺しに来るのである。
ルナをおびえさせないために、話さないこと、話せないことがあるだろうことも、ルナはわかっていた。
だが、アントニオもペリドットも――そしてカザマも、イシュマールも。
話さないのではなく、話せなかったのだと、ルナはようやくわかった。
具体的な作戦会議は、すべてラグ・ヴァダの武神に知られてしまう。
千年に一度生まれる“メルーヴァ”という改革者は、予言できないことがないとされるほどの予言者だとアントニオは言っていた。すなわち、彼はすべての未来が見えてしまう。
だとすれば、生きているアントニオたちが話し合っている計画は、メルーヴァが知ろうと思えば、知ることが可能なのだ。だから、アントニオたちは、彼に「知られてもいいこと」しか、アズラエルたちには話せない。
ルナはこくりと喉を鳴らした。
――これから起きる、メルーヴァの軍隊との戦い。
メルーヴァは、未来がぜんぶ見えてしまう。だとすれば、こちらが立てた作戦図案なども、すべてメルーヴァに内容を知られているのではないか――。
ルナは、嫌な予感を、頭を振って打ち消した。
生きているアントニオたちは、いったいどうやって、メルーヴァに知られないように、対策を立てているのだろう。ZOOカードの世界の会議だけで、万事整うわけがない。
それに、皆不思議なことを言っている。
ラグ・ヴァダの武神をその身に宿した、“白ネズミの王”?
(メルーヴァは、ペリドットさんの話によると、ラグ・ヴァダの武神の生まれ変わりで――)
L03の民が祀っている、偽物のマ・アース・ジャ・ハーナの神とは、ラグ・ヴァダの武神?
ルナはそこまで考えてはっとした。なぜそんなことを自分が知っているのか、わからなかった。ペリドットはそんなことまで教えてくれなかったはずだ。
その武神の生まれ変わりが――メルーヴァ?
(あれ……? ちがう)
ルナは何かおかしいことに気付いた。
(ちがうよ。ラグ・ヴァダの武神は、生まれ変わっていない)
アストロスの遺跡と、L03(ラグ・ヴァダ星)の遺跡に封じられたから、“生まれ変わることができない”のだ。
そうだ。
ペリドットから聞いた神話は、完全ではなく、そして間違った部分がある。
ペリドットはわざと間違った話をしたのか?
完全な神話は、ルナたちしか知らない。あの時代を生きたものか、あるいは、あの時代に生き、それを書き残した人物しか。
ルナが前世の夢を見るか、書き残した書物があれば、それを読むしかない。書物は、あるのかどうかすらわからない。
それに。
(メルーヴァは、“革命家のライオン”だよ?)
だがルナは知っていた。あのテーブルの空席は――メルーヴァの座る席だ。
メルーヴァ。
そう――彼は、“白ネズミの王様”。
そうだ、メルーヴァのほんとうのZOOカードは“白ネズミの王様”だ。
どうして“革命家のライオン”に?
ルナは気づいた。気づいてしまった。
ペリドットの言ったことは、一部間違っている。ペリドットは本当の歴史を知らないのか、それとも、――わざとちがう話をルナたちに聞かせたのか。
メルーヴァは――今“革命家メルーヴァ”として生きている彼は、ラグ・ヴァダの武神の生まれ変わりではない。
(メルーヴァ、あなたに何があったの)
“白ネズミの王”よ。あなたはなぜ“ライオン”を選んだ。
――ガルダ砂漠で出会ったアズラエルが、メルーヴァの願う、つよさの象徴だったのね。
ルナの頭の中に、透き通った声が響いた。月の女神の声。
(あたしは、なにを聞いたんだった)
ルナは、思い出そうと、額に手を当てた。
(むかし、ラグ・ヴァダの武神から、なにを聞いたの)
――メルーヴァ姫よ。私とともに行こう。あなたをラグ・ヴァダの女王にしてあげるから。そう、邪魔な女王と一族は私が始末する。私はラグ・ヴァダの王、そしてあなたが女王だ――。
ラグ・ヴァダの武神には、ラグ・ヴァダに残してきた妻がいた。
身重の妻をあの男はどうするといったのだった? そもそもあの妻の名は。
ラグ・ヴァダの武神が見初めてむりやり奪い、婚約者を殺されて、武神に犯されて身ごもった哀れなひと――。
“白ネズミの女王”。
メルーヴァ姫が武神とともにラグ・ヴァダにもどっていたなら、子どもごと殺されているはずだった、哀れな姫君。
(ほんとうの歴史は、なんだった)
なぜラグ・ヴァダの武神とアストロスの兄神は戦った?
ラグ・ヴァダの武神のおそろしい本性を知ったメルーヴァ姫は、ラグ・ヴァダに向かうことを拒絶した。姫を守るために、アストロスの兄神は戦った。だけれども、その戦いで、アストロスが滅びかけたから、メルーヴァ姫は戦を止めるために、身を――。
ルナがはっと気づくと、月を眺める子ウサギが、こちらを見ていた。
ルナはびっくりしてまたぴーん! とのけぞったが、ウサギは小さく笑って、またルナに背を向けた。
「会合は中華料理が一番だ! “舵を取る黒龍”のさ」
タカがお酒の入ったカップを掲げてひとり乾杯した。
中華料理? ルナはますます眉間にしわを寄せた。舵を取る黒龍?
「のんびりかまえてないで、そろそろあんたも動けばいいんじゃないかね」
ルナが思考からもどされたところで、タカが、メガネのライオンに向かって言った。
「今回のことで、彼も目が覚めたんじゃないかな。重い腰を上げることになるだろうね。クラウドはああ見えてのんびり屋だからね。本気を出すには、なにかキッカケが必要なんだよ」
まるで他人事のような言い方だ。
「それより犬のご意見番、月を眺める子ウサギと話していたがね、やはり我々の協力が必要なようだよ」
青いネコが、狛犬に重々しく言った。
「“白ネズミの女王”を助け出すには、相当の人員がいる。ZOOの世界で一番多いネズミを圧倒するには、次に多いネコと犬の協力が不可欠。ウサギは優しく自己犠牲的だが、戦うことには慣れていない」
「タカは! タカの出番はないかね!?」
黒いタカが勢い込んでいったが、「あ、そういえば私は人づきあいが下手でね」とすぐさま否定して椅子にもどった。タカは終始この調子のようなので、みなは特に何も言わなかった。
「犬のご意見番と、偉大なる青いネコは、多くの仲間を動かせる。ぜひとも協力してもらいたい!」
真実をもたらすトラが叫んだ。タカがガチャガチャと食器を鳴らして、うるさいからだ。
「“白ネズミの女王”が牢獄から助け出されたあかつきには、“強きを食らうシャチ”と、“天槍をふるう白いタカ”の力を強化せねば――」
「ああそうそう! 天槍をふるう白いタカ! 彼は人づきあいがうまいから仲間も」
「これはこれ、それはそれだ。君は少し黙っていろ!」
真実をもたらすトラと、ライオン両方に怒られたタカは、仕方なく椅子に引っ込んだが、懲りてはいないようだった。
「ああ、それから、ウサギさん」
真実をもたらすトラは、咳払いして言った。
「シャチがな――今回の手助けの条件としてだな――そのう、まったく、シャチってものは欲張りで現金だ――だが――素直に味方になってくれれば、これほど頼もしいものはいない――だから、その――」
「わかっているわ。可愛いイルカの彼女ね」
ピンクのウサギは、ほがらかに笑って承知した。
「うん。彼は大切にすると誓っている。けっして食べたりはしないそうだ」
ルナは、食べられちゃったらたいへんだと呑気に思ったが、シャチとイルカも、ライオンとウサギも、トラとウサギもそう変わらないことに気付いて口を尖らせた。
「“白ネズミの女王”が助け出された暁には、私もまた蘇るだろう。“ラグ・ヴァダの女王”が」
偉大なる青いネコが深々とうなずいた。
「そうすれば、L03から予言の力はなくなる――長かった」
「L03の民に予言の力を与えていたのは、ラグ・ヴァダの女王だ」
真実をもたらすライオンが言った。
「せっかくアストロスで封印された武神の亡骸を、地球人がラグ・ヴァダに持ってきてしまったために、女王が、自らの命と引き換えに、ラグ・ヴァダの武神をふたたび封印せねばならなくなった。だが、武神の力は、年老いた女王の力を圧倒した。女王の力だけでは封印できなかった。だから女王は武神に“取引き”を持ちかけた」
ルナはますます耳を伸ばした。
「武神を永劫に、ラグ・ヴァダの王と奉らん。――つまり、武神が欲しがっていた王権を譲った。そして女王もともに封印され、神となり、民に予言の力を与えた。ラグ・ヴァダの武神を奉るラグ・ヴァダの民が、永遠にL系惑星群の先駆者となさしめんことを――」
「そのために、L03は“予言師”でつくられた星となった」
狛犬が髭を擦りながら、うんうんとうなずいた。
「今のL03は、女王の願った星ではなくなった。女王は予言というものの危うさを知っていたのだ。けれども、民に予言の力を与えることは、ラグ・ヴァダの武神が鎮まるために必要な条件だった。武神がそれを望んだから」
「女王も辛かっただろう! ラグ・ヴァダの武神に支配され続け、本意ではなく民に予言の力を与えねばならなかったことを!」
タカはオイオイと泣いたが、次の瞬間には、ポットから直接、くちばしにお茶を注いでいた。
「女王の気持ちを思うとやけ酒だ! いや、やけ茶というべきか……」
「では、次の会合は」
タカは綺麗に無視され、真実をもたらすトラが会合の終了を告げた。
「白ネズミの女王が救出されたあとにでも」
「では、散会!」
トラがそういった途端に、テーブルは黒いタカを残してすべてが空席になった。食べかけの中華デザートが乗った皿と、湯気を立てた紅茶や中国茶が、まだテーブルにある。
「さて、皆は肝心なことを言い忘れた」
黒いタカはカップを回しながらひとりごとのように言った。
「ここで聞いたことは、起きてから、だれにも話しちゃいけない」
ルナは自分に言われているのだと悟って、こくりと首を縦に振った。そして自分も、ひとりごとを言ってみた。
「ZOOカードがつかえないの。どうしたらいいんだろう……」
黒いタカは席を立たなかった。あさっての方向を向いたまま、やはりひとりごとを言った。
「導きの子ウサギが、近くにいるはずなんだがね……」




