194話 アストロスの兄弟神 Ⅱ 2
L05首都アミターバでは、そのころ、気温が五十度を越し、緊急避難指示が出されて、すべての民は屋内に籠っていた。
「太陽の神も、真昼の神も、大いに動かれておられる……」
太陽の神、真昼の神双方を祀った寺院で、ごうごうとうなりを上げて燃え盛る神火を、僧たちは緊張の面持ちで見つめていた。
この二神がみずから動くことは滅多にない。妻神、真昼の神の火はすでに鎮まっているが、太陽の神のほうの火は、今まさに、かの神が動かんとする証のように燃え盛っている。
この猛烈な暑さも、二神が動かんとする証。
ひとたび動けば、天地をひっくり返すような神の力を調整するために、祈祷していた僧たちは、暑さにやられてばたばたと倒れた。
「ええい! この程度の暑さで倒れていては、“本番”を乗り切ることはできんぞ!」
大僧正たちの怒号が飛ぶ。
「ついに、メルーヴァとの対決が?」
若い僧たちの声に、寺院を預かる、最高齢の大僧正は首を振った。
「いや、アストロスに着くのはまだ先じゃ。これは本番ではない、予行練習とでも思うとれ」
「予行練習……」
「神の力をようよう知るときじゃ。ラグ・ヴァダの武神を倒すには、地球の四柱の神と、アストロスの武神を動かさねばならぬ。だが、この神々は、ひとたび動けば天地を揺るがす。神の力をはかりかねれば、アストロスは滅ぶ。神を動かさんとするは、人じゃ。じゃから、ひとは、神の力の巨大なるを知らねばならぬ。つかいかたを誤るまえに」
「ご教授、ありがたく頂戴いたしまする」
僧たちは、この暑さの中で汗ひとつかいていない大僧正に畏怖しながら、お辞儀をして下がった。
(イシュマールよ、“真実をもたらすトラ”に、“真実をもたらすライオン”よ。神の力を見誤るでないぞ)
「――え? 今日、マホロさん、いらっしゃらないの」
「いることにはいるんですが、今日は大事な祈祷があって、外には出られないんですよ」
L77新興住宅街ローズ・タウン――ルナたちが住んでいた街である。
その名の通り、バラで有名な土地だが、神社にも、今や満開のバラ園があった。
リンファンは、心配ごとに沈んでいた目元を伏せた。バラの香りに慰められるようにして、お参りを済ませたあと、社務所に寄った。だが、この真月神社の神主であるマホロは、祈祷のため、今日は出てこられないのだという。
「そうなの……残念だわ」
残念だが、仕事ならば致し方ない。リンファンは気を取り直して、マホロと食べるつもりだった手製のゼリーを神官に預け、もう一度お参りをするために、参道を、社の方に向かった。
(どうか神さま、ツキヨさんの心臓病が、治りますように)
リンファンの心中は、いまや混乱を極めていた。
心臓病で入院しているツキヨ――そして、彼女から聞いた衝撃の事実――。
まさか、宇宙船で、ツキヨの孫であり、大親友だったエマルの息子であるアズラエルと、ルナが出会い――いっしょに暮らしているだなんて――。
(アズ君と、ルナが)
リンファンは、幼いころのアズラエルをよく可愛がっていた。おとなしい子で、エマルもアダムも、この子は傭兵には向かないかもしれないと心配していた。あまりにおとなしいから、アズラエルが無口なドローレスの子で、ルナの兄であったセルゲイが、アダムの子だと、勘違いされたこともあったくらいだ。
リンファンは参道の途中で足を止め、顔を覆った。
真月神社の女性神主マホロは、リンファンと同じくらいの年ごろで、エマルのように豪快で、気さくな人柄だった。だがその豪快さとは真逆に、ひとの話をよく聞いてくれ、うわさ話も悪口もぜったいに口にしない。それゆえ、彼女を相談相手に、長々と話をしていく近所の住人は多かった。
リンファンも、この土地に来てから、何度彼女に助けられたかしれない。
彼女と、話がしたかった。
(どうしたらいいの)
アズラエルを厭うわけではない。だがリンファンは、ルナを軍事惑星に連れて行ってほしくはなかった。ツキヨには悪いが、ルナとアズラエルの仲を応援する気には、とてもなれない。
(病気のばあちゃんの、最期の願いだと思って聞いておくれ)
ツキヨはリンファンとドローレスにそう願った。二人の仲を認めてほしいと。ツキヨが倒れたのは、このことを自分たちにどう話したらいいか、それを悩んだゆえの、心労であっただろう。
リンファンもドローレスも、すぐにうなずくことはできなかった。
(――ルナ)
あの子だけは、もう軍事惑星群には関わらせたくないのだ。L7系のおだやかな、ふつうの人と結婚して、死の危険のない生活をしてほしい。
(わたし――どうしたら)
リンファンは、苦悩を抱えたまま、参道に佇んでいた。
――アントニオが、燃えている。
ルナとミシェルは、思わず、「消火器!」と叫ぶところだった。
真砂名神社の拝殿から出てきたアントニオは、猛火につつまれていた。
高僧の姿の彼は、錫杖をついた状態で、真っ赤な火の塊と化していた。
何メートルも離れているルナたちでさえ、炙られる熱気に目を開けているのもつらいのに――。
だが、火の中心にいる彼は燃えてはいない。
一歩ずつ進むたびに草を燃やし、火の道を作っていくアントニオは、まさに太陽が地上に降りてきたようだ。
アントニオを覆う火が真砂名神社に燃え移り、神官たちが泡食って、燃えるそばから水をかぶせて、消している。
アントニオは、階段の手まえで、止まった。そして、左手で持ち上げるようなしぐさをしたかと思うと、アズラエルとグレンの身体が宙に浮きあがった。
「うおっ!?」
アズラエルたちの唸り声が、ルナのところまで届いた。
石像も、みるみる火炎に包まれて炎上した。
アントニオが、二人の身体を、手繰るように引き寄せる。
「――おお!」
群衆から、歓声があがった。
アズラエルたちも火に包まれたので、ルナは一瞬焦ったが、彼らもアントニオ同様、燃えてはいないようだ。石像は業火の中で、超然とふたりを見下ろしている。
宙に浮いた状態で浮遊していたアズラエルたちは――十段目に当たる位置で、見えない壁に阻まれた。
アントニオが手を下ろすと、二人の身体は階段に着地する。
ふたりは、久方ぶりに、自分の足で立った。
「見て! ルナ、立ってる!」
「う、うん……!」
ミシェルとシグルスと、三人でしがみつきあって、ルナはその光景を見ていた。
まるで熱くないのが不思議で――アズラエルとグレンは、火に包まれた自身の両手を眺めたが――。
「イデッ!」
「くっそ……!!」
ふうっと火が消えた途端に、ふたたび重みがのしかかってきて、膝をついて倒れ伏した。
グラリとアントニオの身体が揺れ――すべての火が、彼の身体に吸い込まれるようにして消える。
「きゃああ!」
ルナとミシェルは、火が吸い込まれるのと同時に起きた風圧で飛ばされそうになり、木の幹につかまった。シグルスが、彼女らとおじいさんを庇うように上から腕で覆ってくれた。さらにその上から、三羽烏とウワバミが守っていた。
ルナたちが恐る恐る顔を上げると、あたりを燃やし尽くしていた火はすっかり消え、焦げ臭いにおいと煙が立ち上っている。尻もちをついていたアントニオが、「イテテ……」とうめきながら立ちあがった。
「あいてて……くそ、少し動かすだけでこの被害かあ……」
アントニオは周囲を見渡し、困ったように頭を掻く。
アズラエルとグレンは、七十三段目に到達した。
アントニオが立ちあがったのを合図に、灼熱の太陽は空から消え――みるみる、商店街の雨雲が、階段と真砂名神社上空も覆い出した。
残り火を消すように、雨がしとしとと降りだした。
あとすこし――。
ルナもミシェルも、駆け出した。
ルナたちに引きずられるようにして、やじ馬も階段前に殺到する。
――殺到したはずだったが、ルナたち以外は、階段をのぞき込んだあと、皆逃げるように拝殿の近くまであとずさった。
(――死んだ)
(これは俺、死んだな)
かろうじて意識が残っているアズラエルとグレンは、自分を見下ろす魔王の様な男を見て、そう感じた。
金色に、らんらんと輝く双眸――身体中から、漆黒のオーラが立ち上っている。
ポロシャツに、スラックスと革靴という姿に、これほど恐怖を感じたのははじめてだ。
どの神かはわかった。一発で分かった。
眉は鋭く跳ね上がり、炎のような金色が目尻から揺らめき、口から青黒い瘴気が漂っている――覗く牙が。
肉食獣も真っ青なほど、鋭く大きい。
さっきの鬼の、比ではない。
「こっわ!!」
「おめ、ひとのごど言えだ義理か!」
キスケとフサノスケが突っ込みあっている。
セルゲイにいろいろオプションを加えると、こんなに怖い見かけになるのか。
すくなくとも、助けてくれそうな容姿はしていなかった。
「……ラスボスだ」
かなりヤバい系の。ミシェルがつぶやき、
「わたしが敵にしたくないのはあっちだね」
ララも同意した。
だが、夜の神は、見かけに反して実に親切だった――アズラエルとグレンを、手を使わずに浮き上がらせると、そのまま、両肩にかついだ。そして、ずしん、ずしん、と重さを響かせるような足音で、十段、上がる。
十段目でやはり彼も立ちどまり、それ以上上に行けないことを不思議がるように、見えない壁を押していたが――やがて無駄だとわかると、ふたりを下ろすために片膝をついた。
八十三段目で、ふたりを階段に降ろすしぐさも、セルゲイの名残が残っていた。彼は少なくとも、重さにかこつけて乱暴に落としはしなかった。ふたりを階段に座らせ、ゆらりと離れる。
(おいおいおい――足が、地面から離れてるぜセルゲイ)
突っ込む勇気は、グレンにはなかった。
黒雲のなかに漆黒の煙が立ち消えるように、夜の神がセルゲイの身体から抜けて行った。
夜の神の黒い煙は、一度ルナの周囲を取り巻き――キラリと光って、真砂名神社の拝殿へ吸い込まれていく。
同時に、夜の神の塔の火も消える。
「……」
助かったけど、怖かった。
アズラエルもグレンも――ついでにクラウドとニックとベッタラも、鬼たちも、セルゲイには逆らわないことにしようと、固く心に誓ったのだった。
セルゲイが、グレンとアズラエルに被さるように倒れる。
「ぐおっ!?」
「重い!!」
「あっ、ご、ごめん……!」
意識が飛んでいるわけではなかったらしい。セルゲイはあわてて立ちあがった。
「ああ――なんかすごかった――」
セルゲイはぐったりくたびれたように嘆息し、
「ふたりとも、いったいどうし……、」
二人に理由を聞くまえに、セルゲイはララとクラウドに促されて、階段を上がらせられた。次の手助けが待っている。




