193話 アストロスの兄弟神 Ⅰ 2
今日、ふたりは朝から奥殿の絵とにらみ合っていたのだが、そこへ三羽烏がやってきて、ナンパをはじめた。話の流れで、ルナの知り合いだと分かって――盛り上がりかけたところへ、真砂名神社の神官が駆けてきた。
石像を抱えた者が、階段を上がって来ようとしている。こんな光景は初めてだ、見ておいた方がいい、と。
ルナは驚いた。気付くと、まわりはやじ馬でいっぱいだった。
階下には、ナキジンやカンタロウたちの姿も見える。
「クラウド助けて! ふたりが死んじゃうよ!」
ルナが涙声で縋ったが、クラウドも、状況を把握しきれていなかった。
「何が起こってるんです?」
クラウドはもう一度聞いた。
「イシュマールじいちゃん、あんた、“リハーサル”は、もうちょい先やいうとったろ」
キスケが困り顔をした。
「“リハーサル”?」
「うん。アストロスの武神が、この階段上がるかもって話は、けっこう前からあったんよ」
いつも綺麗な着物姿のキキョウマルも、冷や汗まじりに石像を見上げた――。
「ペリドットは来とるん? アンジェは? 用意はできとったん?」
オニチヨが畳みかけるようにして聞く。
「アンジェは不調で、お休みや。ペリドットは昨日からこっち来とったんやけど。どうやろ。ミヒャエルも来る予定で――わしも分からん。なんでいきなり……」
おじいさんは、首を傾げた。
「ペリドット、“回帰術”に入っだど!!」
奥殿のほうから、子ども姿のフサノスケが駆けてくる。
「おお、入ったか。よかった」
わずかにほっとした顔を見せるイシュマールに、クラウドが再度聞いた。
「ごめん、俺たちにもわかるように、説明を……」
「おまえさんには、ふたりの上にそびえたつ石像が見えんか」
と問うた。
ミシェルには見えているようだった。「どうしたのあのふたり!?」という台詞は、どうしてあのふたりの背中に石像が乗っかっているのか、分からないから言ったようだった。
クラウドには見えないようだ。
「なにかが乗ってるの?」
とルナにも聞いたが、詳しく話を聞いている暇はないようだと確信した。アズラエルたちのただならぬ様子は、嫌でも分かった。
「ミシェルとルナちゃんはここにいて。様子を見てくるから!」
イシュマールたちは、クラウドを止めなかった。
クラウドはすばやくアズラエルとグレンのそばまで下りて行き、ふたりの首に手を添えて脈を測った。ずいぶん弱々しい。
さすがのクラウドも、この緊急事態に、脂汗が噴き出した。
「なにがあったか――聞いてる余裕はなさそうだね」
アズラエルに肩を貸そうとしたところで、ニックの制止の声が。そこでクラウドはやっと、肩を押さえて座り込んでいるニックと、口の端から血を流しているベッタラの存在に気付いた。
顔を青くして倒れている、尋常でないアズラエルたちの様子に、周りを見る余裕すらなくしていたのか。
「クラウド君、君じゃ無理だ」
「でも、君も無理だよね」
あきらかに、ニックの肩は外からでも分かるくらい変形している。ベッタラも何があったのか、腹を押さえて、立っているのもやっとの状態だ。
そして、アズラエルの周りに倒れ伏している、屈強な男たちの山積み。
「状況説明を求めるのは、あとだな」
「ちょ、クラウド君、待っ――」
クラウドは、アズラエルの腕を持ち上げた瞬間、異変に気付いた。人間の身体が、尋常ではない重さなのだ。まるで強力な接着剤で階段にはりつけたように、アズラエルの身体が動かない。
「ぐっ……っ!」
それでも持ち上げようとしたところで、ふうっと風圧を感じた。頭上にだ。
「――!?」
クラウドも目を疑った。落ちてくれば確実に即死確定の大きな剣の先が、自分めがけて落ちて来るではないか。
「うわあああああ!!!」
クラウドは絶叫し、アズラエルを庇って頭を抱えた。
――だが、剣は落ちてこない。
クラウドは恐る恐る目を開け――剣が、だいぶ上の方で、バチバチと音をさせる稲光に包まれているのを見た。――何度も、目を擦りながら。
「俺――正気かな」
クラウドも目を擦る。電光を引き起こし、剣を空中で止めているのはミシェルだった。
「――ミシェル」
ルナは、親友が、剣の方に向かってまっすぐに右腕をのばしているのを見た。ミシェルの目は焦点が合っていない。
ルナは、ミシェルそっくりの青年がミシェルと重なるようにして現れ、右腕につかんだ錫杖を剣の方に伸ばしているのを見た。彼はミシェルそっくりの顔で、ルナに向かってウィンクした。
――手伝ってあげるのは、三段だけ。まだミシェルには、私との同化は、難しいだろう――
ルナははじめて彼をはっきりと見た――百五十六代目サルーディーバ。
ルナは、サルーディーバに向かってこくりとうなずき、クラウドに向かって叫んだ。
「クラウド、三段だけ! アズをグレンと同じ段に運んで!!」
クラウドにも、ミシェルの様子は見えただろうか――彼はうなずくと、アズラエルを抱えて、重そうに、一段ずつ上がった。
アズラエルが四十三段目に来たところで、ふっと剣を止めていた光が消えた。それと同時に、ミシェルも崩れるように倒れた。
「ミシェル!!」
あわてて駆け寄ったルナだったが、ミシェルが止めていた剣はまた、まっすぐに落下してくる。
「またか!!」
クラウドの絶叫が、ルナのところまで聞こえた。
だがふたたび、剣は空色の光に包まれて制止し――ガラスが割れるように、破片を散らばせて砕け散った。
「ミヒャエル! やっと来おったか!」
おじいさんが、階段を下りはじめた。
「ええか、ルナ。おまえさんは最後じゃぞ。出番が来るまで、絶対にここを動いちゃならん」
「動けるモンは集まれ!」
「ウワバミボウズ! 今日は大人の格好しとけや」
「うっせえなカラスども!!」
キスケの号令で、三羽烏と、フサノスケが大人の姿になって、階段を駆け下りていく。
ルナは、まばゆい空色の光が、石像を浮き上がらせているのを見た。アズラエルとグレンを押し潰している石像が、持ち上がっているのだ。
「すごい……」
周りから感嘆の声が洩れ、ルナも思わず、見惚れていた。
ルナは、階段をゆっくりとあがってくる、L03の衣装を着た美しい女性がだれなのか、最初は分からなかった。だが石像を持ち上げているのは彼女で、ルナが、カザマだとわかったのは、彼女がアズラエルたちの近くまでやってきてからだ。
――わたくしがお手伝いできるのは、十段だけです――
グレンを、オニチヨとキキョウマルが、アズラエルを、キスケとクラウドが支えた。
カザマが石像を持ち上げてくれているので、ふたりとも生来の重さにもどっている。それでも重いことに変わりがなかったが、四人は、ゆっくりとだが、グレンを背負って階段を上がった。
「よいしょ、……重いんやこの筋肉ダルマ!」
「さっきはもっと重かったよ」
クラウドとキスケは、苦笑しあった。
「ミヒャエルさま……! すごいお力……!」
キラキラと空色の光に包まれたカザマは、その容姿も相まって、ほんとうに神のようだ。
野次馬の女官たちが、感動の声を上げるのを聞いて、ルナもミシェルを介抱しながら、自分の担当役員を呆然と眺めていた。
(ほんとにすごいよ、カザマさん……!)
なんて力持ちなんだろう、と見当違いの感動を覚えながらルナは、その様子を手に汗握って見守った。
しかし、五十三段目で、昼の神の手助けは終わった。
「うわっ!?」
「おおう!」
クラウドたちは、そのままアズラエルとグレンの下敷きになって、べちゃっと階段に突っ伏す。
「もうすこし、待たんかい!!」
せめてふたりを降ろすまで待たんかとキスケは叫んだが、カザマは申し訳なさそうな顔で謝るだけだ。
「すみません、でも、ほんとうに十段だけの約束でして」
カザマはそのまま、四人には目もくれずに、ふわふわと踊るように階段を進む。
「えっちょっ待ちい!!」
「……っ! なんとかならんか! つぶれるつぶれる!!」
「重すぎじゃろ!?」
「ちょ、助けて!」
四人の悲鳴に、ベッタラとニックがあわてて駆け寄ったが、けが人ふたりではどうすることもできない。
「おんどりゃ」
フサノスケが、周辺の倒れた人間を片付けたあと、アズラエルを抱え込んだが、ビクともしない。
カザマはふわりと舞い上がり、ひといきにルナの前まで来ると、微笑んだ。
「真昼の神様……!」
やじ馬の神官たちがうっとりと眺め、伏し拝むのをルナは見た。
ルナは、カザマのようでいてカザマでない――昼の神をはじめて見た。
野次馬が、畏れるようにさぁっと道を開ける。ルナに微笑んだ昼の神は、そのまま吸い込まれるように、まっすぐ真砂名神社の拝殿内へと姿を消した。
ルナは思わずそれを目で追い――口をあんぐりと開けたまま、固まった。
昼の神が拝殿内へ姿を消したとたん、ゴゴゴ……と雷の音がした。一気に、黒雲が空を覆っていく。ぽつ、ぽつと雨が降り出したかと思うと、一気にバケツをひっくり返したような大雨になった。
ルナはあわてて、ミシェルを引きずって、拝殿へあげた。雨の当たらないところへミシェルを寝かせ、濡れるのもかまわず階段までもどった。
やじ馬たちも、雨に濡れても、この場を移動しない。息をのんで、この“儀式”を見つめている。
「だいじょうぶですか!? 今そちらへ向かいますから!」
不可思議な世界に現れた、突如現実に引きもどすようなサイレンの音。ルナは階段の下に救急車が到着したのを見た。やはり先ほどだれかが救急車を呼んだのか。
担架を持った救急隊員が、階段を上がろうとしたが――。
「ちょっと待って! 階段からは来ないで!」
ニックが必死の思いで叫んだが、間に合わなかった。救急隊員は一歩、階段に足を踏み入れた途端に、それ以上先に行けないことを知った。
足が、石畳にはりついて動かなくなってしまったのだ。
それ以上の侵入を拒むように、救急隊員のすぐ隣にあった樹木に雷が落ちた。バリバリと木肌が裂けて、階下のやじ馬から悲鳴が上がった。
いかずちの衝撃を受けた救急隊員ひとりが卒倒し、残りふたりが大慌てで、彼を救急車に担ぎ込んだ。
「なんとかしてくれ! 足が動かない!!」
びしょぬれになりながら悲鳴をあげ、無茶苦茶にはりついた足を取ろうともがいているのは、先頭に立った救急隊員。
「なっ……なんなんだよ、これは!!」
三人がかりで彼の足を階段から剥がそうとしても、外れない。
「やめてくれ! 足がもげそうだ!」
「あんた、この階段上がったことないのかい!?」
ナキジンが駆け寄って叫んだが、意味の分からない救急隊員は、がむしゃらに足を動かすだけだ。ほかの救急隊員も、この非常事態に、一気にパニックに陥った。
「そんな……むりやり剥がしちゃいかん!」
「いったい、何が起こったんだ!?」
「あんた、K05区のもんじゃないだろう! どっから来た!? この階段じゃなくて、裏道から上がったらよかろうに!」
やじ馬も加わって、パニックが倍加した状況で――どうあがいても階段から剥がれないその足を、片手でひょいと持ち上げたのは、たった今やじ馬に加わった、スーツ姿の男だった。
「――!?」
三人がかりで剥がそうと思っても剥がれなかった足が。
その男が右手で乱暴に持ち上げただけで、すっと離れた。
「あ、ありがとうございます!! ありがとうございます!!」
平伏しかねない勢いで感謝の涙――雨にまみれてどっちかわからない――を流す救急隊員に、ララは怒鳴った。
「一度もこの階段を自力で上がったことがないやつが、人を助けになんぞあがるな! 面倒ごとを増やすだけだよ!! ――なにやってんだ? あいつらは」
ララには、石像のすがたは見えなかった。だが階段の中腹に怪我人が何人もいて、その中には見知った顔もいる。
おそらくこの階段の洗礼を受けたのだろうが、ここまで大ごとになっている状況に出くわしたのは、ララも初めてだった。
ララは、シグルスにこの場で待っているようにいい、階段を上がって行った。
「必要になったらすぐ呼ぶから、ここにおいで」
「はい。承知しました、ララ様」




