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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~ラグ・ヴァダの神話篇~
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193話 アストロスの兄弟神 Ⅰ 1


 イシュマールの言ったとおり、だいじょうぶではなかった。

 アズラエルとグレンは一歩も動けなくなり、三十段目で倒れ伏していた。


 ――肋骨がみしりと音を立てる。身体じゅうの骨が圧迫されていた。肺も押し潰されそうだ。呼吸すらままならない。ヒューッ、ヒューッとグレンの方から、虫の息にも近い呼吸音が聞こえてきて、アズラエルはガルダ砂漠を思い出して青くなった。


 助けてやりたいが、自分の身体も動かない。アズラエルも似たような呼吸音だ。


 ふたりは生死の境をさまよう寸前まできていた。

 どうして階段を上るだけで、死ぬ目に遭わなければならないのか。


「ひっ……久しぶりだな……この感覚……」


 グレンは掠れた声で言った。戦場では、生きるか死ぬかだった。


「最近……平和ボケしてたからな……」


 アズラエルも、死ぬかもしれない目に遭ったことはある。だが、目に見えない何かに潰されて死にそうになる経験は一度もなかった。

 グレンも同じだ。

 まさか、階段を上がる途中で、人生を終えそうになるとは思わなかった。


 ふたりはさすがに、もう降りる気でいた。死の危険を感じたからだ。だが降りようにも、もはや身体が動かないのだ。それどころか、上から巨大なものにじわじわと潰される感覚で、自分が石の階段にめり込みそうだ。

 あきらかに、前回とは様子がちがう。


「おい……」


 アズラエルは今にも意識を失いそうなグレンを、なんとか小突いた。

 気絶してはダメだ。意識を失ったが最後、終わりだということをアズラエルは認識していた。

 なんとかして下に降りるか、上まで上がるかしなければ、このままでは死んでしまう。


「アーズラエル! グーレン!! 無事でいなければなりません!!」


 ふたりは、頭がイカレそうな共通語を、今生最後に聞く言葉にはしたくなかった。当然だ。


 突っ伏していたアズラエルは、恐ろしく重い荷物でもひっくり返すかのような、だれかの唸り声を聞いた。


「……?」


 仰向けになったアズラエルは、肩を貸そうとしている男の顔をたしかめて、思わずつぶやいた。


「ベッタラ……」


 なんでここにいるんだ? という質問すら出てこなかった。


「アーズラエル、シャチより重いですよ、アナタ! クジラ以上かも……」


 アズラエルに肩を貸したベッタラは呻いて、すぐ膝をついた。


「ほんとだ……! グレン君、すこしダイエットしたほうがいいよ!!」


 グレンの方に手を貸している男を見たアズラエルは、ついに絶叫してしまった。その絶叫でまた体力を消耗した。


「ニック!? おまえ何やってんだ!?」


 見慣れたコンビニエンスストア、グリーン★マートの緑の制服を着たニックが、泣きそうな顔をしながら、グレンに肩を貸していた。


「た、たすけて、あ、あげてるひ、人に、そう、いう、いいぐ、さはな、いよね……!」


 歯茎が見えそうなくらいギリギリ言いながらグレンを持ち上げているニックに、ベッタラが同意した。 

 こちらも、筋肉に血管を浮き上がらせながら立ちあがって。


「そう、ですよ……! ニック、の、意見、同意、します……!!」

 

 アズラエルもグレンも、このふたりが相当の力持ちだということを認識することになった。しゃべり出せば、長文しか話さないおしゃべりなニックが、無言で、客も逃げ出しそうな厳めしい歯茎剥き出しの顔で、グレンを一気に五段上まで引きずった。


 ベッタラも、「クジラより重くない! シロナガスクジラより軽い!」と自らを奮いたたせる言葉を吐きながら、アズラエルを六段上まで押し上げた。


「は、はは……おまえら、すげえな……」


 グレンもアズラエルも、感嘆の言葉しか出てこない。ふたりと同じように顔を真っ赤にし、汗びっしょりになりながら、それでもベッタラとニックは、四十段目までふたりを上がらせた。


「――っ、ご、ごめんっ!」


 四十段目でニックは転んだ。グレンは投げ出されたが、文句を言うことはなかった。言えるものか。ニックは全身で息をして、階段にうずくまった。


「さ、さすがに……重いな」


 グレンたちから手を離せば、ニックたちには重さは来ない。ベッタラも四十段目で手をついた。はあっ、はあっと息を喘がせてひっくり返った。声も出せずに目を(つむ)って、仰向けになっている。


「ペリドット君から頼まれたんだ、君たちを助けに行けって」


 アズラエルもグレンも、事情を聞く気力など残っていない。ニックも荒い呼吸を整えながら、頂上を睨むようにして言った。


「こりゃ、きついや……」


 ニックは、胸を抑えてぼやいた。心臓が破裂しそうな重さだった。


「きついのは、決定しています……まるでそびえたつ塔のようです……顔が見えない」


 ベッタラが途方に暮れてつぶやくのをアズラエルもグレンも聞いたが、なんのことを言っているのか分からなかった。ニックが苦笑する。


「君たちには見えないんだね……見ない方がいいよ」


 ニックもベッタラも、アズラエルたちふたりを押し潰している、巨大な石像を見上げた。ベッタラの言うとおり、石像の顔は雲に隠れて見えない。


「一段ずつでも、確実に上がって行こう! ベッタラ君!」

「はい!」


 ほんとうなら、休憩を挟みたいところだが、あまり長く休んでいると、グレンとアズラエルの身体が持たない。ニックとベッタラは、呼吸が落ち着くと、すぐさまふたりに肩を貸した。

 ――だが。


「ぐふっ!」


 ベッタラが、アズラエルを支えた瞬間、血を噴いて膝をついた。バキリという、骨が折れる音は、ニックの耳にも届いた。


「ベッタラ君! 手を離して!」


 ニックの叫びに、アズラエルは残り少ない力でベッタラから離れた。ニックはすぐさまグレンを階段に座らせ、倒れ伏したベッタラを抱き起こす。

 案の定、彼の肋骨は折れていた。

 ニックは階段の頂上に集まっている野次馬に向かって、すぐさま叫んだ。


「すいません! 救急車を!」


 上から、屈強な体躯の神官が、わらわらと下りてくる。L03の衣装の者もあれば、L05の僧兵も、原住民の衣装を着ている者もいる。

 彼らがベッタラを抱えて降りようとしたが、


「ま、待ってください! ワタシは、最後まで彼らが、上がるを、見届けねばなりません! ワタシは戦士ですから!」

「しかし、骨が折れて、」

 内臓に刺さっているかもしれません、と僧兵が言うのに、

「故郷では、こんなケガ日常ちゃ飯事でありました! ワタシはすぐなおります! でも、アーズラエルもグーレンもたいへんです! オトモダチが、今ここを離れてどうしますか!」


 断固として降りようとしないので、僧兵は仕方なく、ベッタラに肩を貸すだけにした。


「す、すみません……ニック」

「だいじょうぶだよ、僕がグレン君をまた五段目まで引き上げたら、次はアズラエル君を運ぶ。ゆっくり、確実に上がれば大丈夫だ」





「こりゃあ……」

「おいおい、いつのまに来とったんじゃ」

「気づかんかったわ」


 真砂名神社の階下には、ナキジンやカンタロウ、近所の住民が集まってきていた。


「おぉーいい!! “アストロスの兄弟神”がお出ましじゃ! みんな出てこぉい!!」


 ナキジンの、大路に向かっての叫びは、拝殿には届かなかったが、アズラエルたちの耳には届いた。


「――アストロスの、兄弟神?」


 グレンのつぶやきは、汗に流れて消えた。


 階段の一番上で下を伺うルナには、何が起こっているのか見当もつかない。

 いつのまに、ベッタラとニックが来たのか。ふたりは、アズラエルたちを助けてくれているようだが――。


 アズラエルもグレンも突っ伏したまま、ピクリとも動かないし、ベッタラがアズラエルを担いだとたん、倒れてしまった。


「いったい――なにが、どうなってるの――」

 あれは、なんなの。

 

 アズラエルたちの上にそびえたつ、灰色の大きなもの。

 これが、さっきおじいさんが言っていた“石像”なのだろうか。


 ルナはひどく後悔した。ふたりをあっさり置いて行ってしまったことを。


 前回は、苦しそうではあったが、ふたりとも一時間程度で上まで来て、そのあともすこし休んだだけで起き上がれたのだ。


 ――巨大な石像がふたりを押し潰しているなんて、ルナは想像もできなかった。

 あんなものを背負って、階段を上がれるわけがない。


「お、おじいちゃん、どうしよう、どうしたらいいの!?」


「落ち着きなさい」

 おじいさんはルナを宥めるように、言った。

「いったん階段を上りはじめたら、上に上がりきるか、下に下りるか、じゃ。あれは、あのふたりの背負った荷じゃし、おまえさんが肩代わりしてやるわけにはいかん。手助けはできてもな」


「あたし――どうやって、助けたら――」


 こんな時に何もできない。ZOOカードも動かなければ、ルナにはベッタラたちのようなバカ力もない。ルナは落ち込みそうになったが、落ち込んでいる場合ではなかった。


「おまえさんの手助けは最後じゃ。もうすこし待っておれ。手助けしてくれる奴はナンボもおるでの」


 ベッタラの代わりに、十人にも及ぶ神官たちが、アズラエルを上に引きずるか、押し上げようと頑張っていた。だが、ビクともしない。ベッタラはひとりでアズラエルを支えて十段上がったが、ベッタラより屈強な体格の神官たちが、アズラエルを一ミリたりとも動かせないのだ。


「いいか、次の合図で持ち上げるぞ。せーの!」

「せーの!!」

「いけません! 皆、離れなさい!!」


 ベッタラが叫んだ。

 ニックにもはっきりと見えた。巨大な石像から、大きな刀剣がまっすぐに降りてくるのが――。


 階段の一番上で、ハラハラと様子を見つめていたルナは、恐ろしい地響きと揺れに、思わず叫んだ。


「なに――地震!?」

 ここは宇宙船だ。地震など起こるはずは――。


「アズ! グレン!」


 一度はコロンと転がったルナが、すぐに立ちあがってアズラエルたちのもとに駆け寄ろうとするのを、おじいさんが止めた。


「最後の手助けが、まだ行っちゃならん!」


 アズラエルもグレンも、ニックもベッタラも、呆然とそれを見つめた。

 武神の石像から巨大な剣が落ちてきて、それが階段に突き刺さったのをたしかに見た。

 だが、階段には傷ひとつついてはいない。

 ――そのかわり、神官が、全員倒れ伏していた。


「なに……してやがるんだ……てめえは……」


 アズラエルは、頭上を睨みあげた。突っ伏したままで。無論、睨みあげたところで空があるだけで、石像の姿などみじんも見えない。


「俺を助けようと、した、奴らを……」


 頭上には青い空があったはずなのに、暗雲を(ともな)って曇ってきている。


「アズラエル君、仕方ないんだ」

 ニックはグレンに肩を貸したまま、うめくように言った。

「武神は、強き者にしか肩を預けない。武神の剣をかわすことすらできないものを、肩を預けるものとは認めないんだ」


 アズラエルもグレンも絶句した。


「だいじょうぶ。彼らは武神の試練に遭っただけだから、死んではいない。――これも慈悲なんだよ。ベッタラ君をごらん」


 ふたりは鳩尾(みぞおち)を抑えて、荒く息をしているベッタラを見た。


「武神に認められた者でも、あの有様だ。下手な人間が武神に肩を貸せば、身体は粉々に砕け散るか、押し潰される」


 そういって、グレンを担いで三段あがったところで――ニックも悲鳴をあげて倒れた。

 グレンは聞いた。ニックの肩が壊れる音を。


「はあっ……はあ、ごめ……、僕も、これが限界かも……」


 一緒に倒れたニックに、グレンは「すまん、ありがとう」というのが精いっぱいだった。


 グレンは四十三段目、アズラエルは四十段目でストップだ。


 みしみしと悲鳴をあげる骨の音を聞きながら、アズラエルは何度死ぬと思ったかしれない。グレンも、放り出されるたびに、もう死んだ、と何度も思った。


「――何が起こってるの!?」


 ルナは涙目で、その声を聞いた。その姿が救世主に見えるほどだった。


「クラウド!!」


 奥殿の方からかけて来たのは、クラウドとミシェルだった。そのうしろに三羽烏――キスケとオニチヨ、キキョウマル。


「ちょ、え? どうしたのあのふたり!」


 ミシェルも、何が何だか分からない、という顔で階下を見ていた。



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