192話 石像かついでリハーサル 2
シャインで一気にK05区に到着し、真砂名神社の階段を上がろうとしたとき、ふたたび異変は起こった。
「うぐおっ!?」
「がっ!?」
またもや、アズラエルとグレンの足が、一段目で膠着してしまったのである。
「ええ!?」
すでに十段目あたりにいたルナはさすがに、振り返ってもどってきた。ルナは数段下りて、グレンとアズラエルの目線と重なる位置まで来て、二人の様子を心配そうに見つめた。
ふたりとも、足が縫い付けられたように一段目から動かない。顔を真っ赤にして、足を持ち上げようとしている。
「ど、どうしたのふたりとも」
この階段は、不思議な階段で、真砂名神社の宮司いわく、初めて上がる人間は、前世の罪が浄化されるため、まるで重い荷物を背負って上がるがごとき状態になる。当然、一番上まで上がれず、途中でくじける人間もいる。
アズラエルとグレンも一番初めに上がったときは、足の裏に磁石でも貼りついているかのように足が重く、上まで上がるのに、一時間も要した。
この階段は、一度上がることができれば、だいじょうぶなのではないのか。クラウドもミシェルも、この階段をすでに何度か上がっているはずだが、ふたりとも、二度目以降はすんなり上れている。
なのに。
「う、ぐおお……! なんだこれ……前よりひでえ!」
「くっそ……重てえ……なんだ、これ……」
グレンとアズラエルは、以前の倍は重い足を、なんとか二段目に乗せた。
「アズ、グレン、平気!?」
「平気……に見えるか?」
「じょ……冗談じゃねえぞ……俺はこんなに重いはずは……」
最近体重が増えたことを、グレンは少し気にしていた。だが増えたと言っても一、二キロのこと、階段が上れなくなるくらい太ったわけではない。
「あたしが邪魔扱いしたからかな!? ふたりについてこないでって思ったから!?」
「そうまではっきり言われると、さすがに傷つくぜ、ルゥ……」
「今すぐ訂正しろ。このままじゃ上がれねえ」
ルナはすぐさま訂正したが――二人の足の重さはちっとも変わらなかった。ルナのせいではないらしい。
「ふたりとも、無理しないで。あたし、宮司さんにちょっと聞いてくるだけにするから、紅葉庵とかで待ってて……」
ルナはあわてて言ったが、ふたりは呻きながら片足を、三段目に乗せた。
「負けるかうらァああああ!!!」
グレンの咆哮に、階段を上がっていた女官三名がびくっと肩を揺らし、逃げるように上がって行った。
「ルゥ、おまえ、俺たちのことは気にせずに先に行って、神主に聞いて来い」
「え? ――でも」
「こんなふうに試されて、引き下がれるかちくしょうおおおおお!!」
アズラエルも最終的に吠え、四段目に上がった。
猛獣二頭の気合の入った雄たけびを聞いたルナは、ぽかっと口を開き、「う、うん! じゃあ、がんばってね!」といって、ぺぺぺっと上がって行った。
「なんで俺たちだけ毎回こんなになるんだ……」
階段を四段上がっただけで、全身汗びっしょりだ。
「ナマってンじゃねえのか傭兵野郎」
「てめえこそいいダイエットになるぜ、銀色ハゲ」
ふたりは同時に、唸りながら五段目に上がり、六段目にもう片方の足を乗せた。
「――百メートルもあるような、石像背負ってる気分だぜ」
グレンのつぶやきが、なんとなく自分が考えていることと一緒だったため、アズラエルは「そうかもな」とつぶやいて、七段目に重々しい足を乗せた。
ふたりは、アストロスのマ・アース・ジャ・ハーナ遺跡にある兄弟神の石像が、百メートル級の巨大な石像であることは、もちろん知らない。
ルナはてってってと走るように階段を上がった。
この階段は、一段一段が、幅広の白い一枚岩のイアラ鉱石でできており、段差は低いが、一段を上がるのに、ルナは二歩必要とする。
運動音痴に運動不足の体育会系ではない子ウサギは、何度か立ち止まり、へふへふいいながらも、大急ぎで百段以上もある階段を上がった。
真砂名神社の拝殿まえに着き、ひと目を気にしながらも、おみくじやお札を売っている授与所の巫女さんに、「真砂名神社のおじいちゃんはいますか」と聞いてみた。巫女が首を傾げたので、ルナはあわてて「イシュマールさんは、いますか」と聞き直した。
巫女の一人が呼びに立ってくれた。拝殿のほうへ上がっていき、ルナにも入ってくるよう促す。ルナは靴を脱いで、すこし遠慮がちに「おじゃまします」といって上がった。巫女は廊下のほうに歩いていき、ルナは拝殿にひとり残された。
(まさなのかみさま)
ルナは、拝殿の奥にある大鏡を見つめながら思った。
(どうやって、このZOOカードをつかったらいいんだろう)
「おお、ルナか。おはようさん」
「あっ、おじいちゃん、おはようございます」
ほどなくして、イシュマールが廊下の奥から姿を見せた。
「ZOOカードのことか。今、おまえさん、神さんに聞いたじゃろ――まあ、こっち来て、茶でも飲め」
「あっ、いえ、あの、でも、」
ゆっくりもしていられないのだ。なにせ真砂名神社の階段で、アズラエルとグレンが、また死にそうになりながら上っているのだから。
「あの兄弟のことは心配せんでええ」
おじいさんは、あっさりと言った。
「そのうち助けが入るわい。たしかに、今回は、ふたりとも自力で上がるんは、無理かもしれんの」
ルナは、おじいさんの言葉にすこし肩の荷が下り、おじいさんのあとをついて廊下を進んだ。たしかにルナが助けに行っても、あのふたりを背負ってあげることもできないし、できることといえば、声援してあげることぐらいだ。
前回も、ふたりは一時間くらいで上がってきた。たいそうくたびれはしたが。
今度は、二時間ぐらいかかるだろうか。
ルナはたいして心配はしていなかった。
――それが大いなる誤算だと知るのは、三十分後だが。
「なんだか、まえよりひどいの。まえはね、うおおとか叫びながら数段上って、ちょっと休んで、重いことは重いし、疲れたみたいだけど、その繰り返しで上れたの。でも今回は、もっと重そうなの。一歩上にあがるだけでも、辛いみたいで」
ルナはおじいさんのあとについていきながら、言った。
「そりゃそうじゃろう。あいつらが運んどるのは百メートル級の石像じゃから」
「ひゃくめーとる!?」
「本当に百メートルの石像抱えとるわけじゃないぞ。たとえじゃ、たとえ。それくらいの重さじゃ――まあ」
おじいさんはぴたりと足を止め、拝殿廊下から見える階段の方に目をやって、言った。
「普通の魂では、“あれ”が乗っかっただけでつぶれてしまう――さすがじゃな」
ルナは、おじいさんの声色が真剣に褒めている口調だったので、思わずいっしょに階段のほうを見た。
(――アズ、グレン。がんばって!)
アズラエルとグレンは、二十段目でついに膝をついた。太腿と膝が壊れそうだ。全身の筋肉疲労と骨の軋みに、ついに耐え切れなくなったのだ。
アズラエルが膝をついた直後、「ぐあっ!」と叫んでグレンが倒れ伏した。アズラエルは手を伸ばすこともできなかった。腕が震えて、いうことを聞かないのだ。
(いったい、何だってンだ……?)
さすがに、様子がおかしいことに、アズラエルも気づき始めた。
前回とはちがう。
四捨五入して三十年の人生で、ここまで体を酷使したことはない。一番過酷な任務のときでも、ここまで身体がやられたりはしなかった。もはや声も出ない。膝をついたまま起き上がれない。それどころか、みしりみしりと背骨が悲鳴をあげている。このまま、大きななにかに押しつぶされそうだ。
さすがのアズラエルも挫けかけたとき、グレンが、声も出さずにぐぐっと自分の身体を起こした。
「おい、傭兵野郎」
滝のような汗を流しながら、グレンは口の端を歪めた。
「ダウンか? 情けねえな」
アズラエルもグレンも、人生上もっとも起きてはならないことは、隣の男に負けることである。
「俺はまだ、てめえみてえに這いつくばっちゃいねえ」
「何をおおおゥ!?」
どこにそんな余力があったのかと思わせるほどの力で、グレンは腕を使って這ったまま、階段をよじ登った。
「うがああああ!!!」
アズラエルも絶叫しながら、まるで四足動物のように、腕を前に出した。足が動かないなら腕も使う。
二頭は絶叫しながら上りはじめたが、その姿はトラとライオンというより、ワニが這っているようだった。
そんな猛獣二頭の苦悶も知らず。
ルナは拝殿の奥の、休憩所に通され、そこで小さなちゃぶ台を囲んだ。おじいさんは、お茶と花の形をしたくずもちを出してくれ、自分もそれをつまみながら、ルナのZOOカードボックスを、ためつすがめつ、眺めた。
「これはちゃんと、おまえさんのじゃな。おまえさんの“気”がすみずみまで行きわたっておるし、錠も月の印――月の女神の印章じゃ。おまえさんは、ちゃんとZOOの支配者じゃ。真砂名の神の認証を得ておる」
「でもあの――どうつかったらいいか、分からなくて」
ルナは、中の藤色のカードボックスを取ろうとしたら、手が弾かれたことを話した。
おじいさんは無言で箱の蓋をあけ、カードボックスを手に取った。おじいさんは触れるようだ。おじいさんが、その小箱をルナの手に乗せようとすると、またキランと玉虫色の光を弾いて、ルナの手を拒絶した。
「ううん……」
おじいさんはちょっと考える顔をしてから、
「あのな、おまえさんは、真砂名の神も認証したZOOの支配者じゃ。それは間違いない」
と言い置いた。
「このZOOカードの箱は、おまえさんの“気”の色。だから白銀色なんじゃ。ウサギの文様も描かれとるし、錠も月の紋章じゃろ?」
おじいさんはひとつひとつたしかめるようにして、ルナに見せた。ルナも、自分の気の色は白銀色なんだとわかり、勉強になったとうなずいた。
「ZOOカードはな、これとおんなじ箱があと十個はある。じゃがな、箱はただの鉄箱で、中の小箱も透明なプラスチックケースなんじゃ。ZOOの支配者が決まったときだけ、箱はZOOカードとなって、持ち主の色に決まり、模様も浮かび上がる。そうなったら、はじめてZOOカードとしてつかえるんじゃ。ZOOカードにならなければ、これはただの、絵のついたカードをしまっておく箱じゃ」
「う、うん」
「アンジェの箱を見たことがあるかの」
「あ――あります」
アンジェリカの箱は、紫色で、中の小箱は綺麗な模様がちりばめられた、半透明の小箱だった。
「アンジェのもんは、紫色で、ネズミの模様がついとったじゃろ。錠は黒で星がちらばっとる。アンジェの箱は、夜の神の支配下にある」
「夜の神?」
「うん。アンジェのZOOカードは“英知ある灰ネズミ”いうてな、ネズミはあまり明るいところにはおらんじゃろ。どぶや、家の天井裏なんかに住みよる。陰に隠れるものの存在は、夜の神か月の神の支配下じゃ。ヘビや水中にすむワニなんかも、そうじゃな。クジラやシャチは昼と太陽の神の支配下じゃがな――おまえさんの“ウサギ”は“月の神の使者”ゆえに、月の神の支配下にある。だから、錠は“月”」
ルナは、日記帳を持ってくるべきだったと思った。
「アンジェは、ネズミさんだったんだ……」
「ペリドットはトラじゃから、太陽の神の支配下にある。あやつのZOOカードの箱は、黄金色でトラ模様。錠は太陽のマークじゃったろ」
「トラ!?」
ルナは、うさ耳がぴーんと立った。もしかして、というルナの直感が働いた。
「……おじいちゃん、ペリドットさんのZOOカード、知ってる?」
「しっとるよ。あいつは“真実をもたらすトラ”じゃ」
「見つけた!!」
ルナは叫んだ。
「探してたの! “真実をもたらすトラ”さんを!」
「あいつ、教えんかったんか」
おじいさんは苦い顔をした。
「ほんとに、言葉の足らん奴じゃのう……」
呆れ声で言ったが、ペリドットに言わせれば、「だって聞かれなかったから」と言い訳が返ってくるに決まっていた。おじいさんも、似たようなことをクラウドに言ったことはすでに忘れている。
「ところで、ZOOカードの箱は、真砂名の神がZOOの支配者を任じて、箱のすがたを変えるわけだが、ZOOの支配者になったら、人間様の方もしなければならんことがある」
「はい!」
ルナはかしこまって正座した。
「この真砂名神社の奥宮に行って、真砂名の神に、礼を尽くさねばならん。ZOOの支配者に任じられたことへの感謝と、悪しきことに使わぬという誓いをたてにな――」
「あ、じゃあ、あたしも行きます!」
ルナは、そうしなければならないと思ったのだが、おじいさんは首を振った。
「悪いが、奥宮は、おまえさんのような世俗の者は入れん」
ルナは、奥宮と奥殿を勘違いしたようだ。ルナはギャラリーのあるところだと思ったのだが、それは違った。奥殿は、ギャラリーの回廊に囲まれた、太陽の神と昼の神、夜の神と月の神、四柱の神をまつる神殿であり、奥宮とはちがう。
奥宮は、この里宮である真砂名神社よりもっと山の奥。山頂にあるのだ。
「それを済ませてはじめて、ZOOカードがZOOの支配者の色に変化するんじゃ。じゃが、おまえさんのは、それをせんでも、すでにおまえさんのZOOカードになっておる」
首を傾げて、ルナのカードボックスを眺めた。
「ペリドットは、おまえさんを、期間限定のZOOの支配者にしろと真砂名の神から受け取ったようじゃが、――やはり特例あつかいじゃし、本来のつかいかたとは異なるのかもしれん」
「――え?」
「おまえさんは神官ではない。正式なZOOの支配者ではない。じゃから、通常通りのつかいかたはできんのかもしれん。真砂名の神か、月の女神が必要としたときにしか、このZOOカードは動かんし、つかえんのかも」
「そ、そんなあ……」
“真実をもたらすトラ”はだれかわかったが、ルナはペリドットから、アンジェリカを助けてくれと言われているのだ。おそらく、彼女を助けるために、ペリドットはルナにZOOカードを託した。
つかえないのならば、どうやって助けたらいいのだろう。
「ううむ――それは困ったのう」
おじいさんも気難しい顔をしてカードボックスを睨んでいたが、突然、はっとしたように顔を上げた。
「おお、いかん。これはまずいわい……」
小柄な体がひょいと飛び上がって、廊下に飛び出した。
「おまえさんもおいで」
ルナも慌てて後を追った。
「ミヒャエルは間に合わなんだか」
おじいさんが向かっているのは拝殿の外だ。その先は階段――ルナは心配になって叫んだ。
「アズとグレン、だいじょうぶですか!?」
「……だいじょうぶではないかもしれん」
「ええ!?」




