191話 孤高のキリン Ⅱ 2
「生きてるか」
グラディエーターを筆頭に、ぞろぞろと集団で押しかけた病室は、個室。さすがマッケラン家のお嬢様――もといお坊ちゃまだと突っ込みながら、アズラエルは病室のドアを開けた。
「おお、グラディエーター」
「「だれがグラディエーターだ」」
アズラエルとグレンのハモりようが絶妙で、クラウドはついに我慢できずに笑ってしまった。
「あ、ちがった。なんつったっけ。アストロスの兄弟神?」
そこには、いつもどおりのカレンがいた。
「元気そうじゃねえか、え? 心配して損したな」
グレンがこめかみを震わせながら言い、セルゲイが、「心配かけたね」と言って椅子を取りに立った。
「元気だっつの。進行度レベル3の初期段階だから、ほんとはまだ、入院しなくてもいいんだ」
あまり血の気がなかったが、カレンはもともと色白なので目立たない。口調にも張りがある。
「なんであんたまでいるんだよ、クラウド」
クラウドが無言で携帯電話を出すと、カレンもセルゲイも納得して、それから呆れた。
「あんたに内緒ごとってできないわけ」
「俺だっていつもみんなの動向を監視してるわけじゃない。今日は、アズラエルに用があって、どこまで帰って来てるかなって探知したら、分かっちゃったんだよ」
「あっそ……」
だれかがなにか言うまえに、カレンは肩をすくめて言った。
「悪かった、先に謝っとく。アバド病のことを内緒にしてたのは、あたしが病人あつかいされたくなかったから。現に、レベル3の初期段階ってのは、薬はちょっと強くなるけど、無茶しなきゃだいじょうぶなレベルなんだよ」
「無茶しなきゃって、どの程度だ」
グレンが聞くと、
「ひと晩徹夜くらいは、だいじょうぶ――あたしはね。でも、もう一回軍事教練入れって言われたら、ドクターストップがかかるかも。――つまりさ、日常生活送ってる限りじゃ、そう心配することないわけ」
「てめえは、きのう派手に血を吐いたじゃねえか」
俺のTシャツ、ジーンズもスニーカーも、まとめてゴミ箱行きだ、と言うグレンの台詞に、カレンはめずらしく素直に謝った。
「だから、マジで悪かった。――きのうは今までになくごっそり行ったよ。なんであんなに吐いたんだろ」
「お医者さんも不思議がってたよね……」
セルゲイが、ぽつりと言った。
「マジで不思議なんだけどさ、きのう、血と一緒にアバド病の細菌も出てったのかなあ。今朝の検査で、レベル2に下がってんの」
「ええ!?」
ルナたち女の子組とピエトが、大声を上げた。
「吐いたら、出ていくものなの?」
「まさか。そんな話は聞いたことがないよ」
カレンも首を傾げた。
「あたし、うつろに覚えてんの。自分と、自分の周りが真っ赤っかになったの。あたし、血をぜんぶなくしちゃうのかなあと思った。そのくらい、出てった。でもまさか、吐いたからって細菌まで、」
「俺も、いっぱい吐いたら、出てくかなあ……」
ピエトが思いつめた表情で胸を押さえるので、カレンはあわてて言った。
「あたしのは特別! ピエトはふつうに薬飲んで治しな! 薬飲んでりゃ、ふつうは治るんだからさ!」
「よしピエト、時間だ。学校行くぞ」
「ええっ!? もう!?」
多少強引ではあったが、アズラエルは話に割って入った。ピエトがここにいると、これ以上深い話が聞けない。
アズラエルは、学校のことなどほんとうはどうでもいいのだが、(学生時代、じゅうぶんにサボり気味だった男である。)これから聞くカレンの病状によっては、ピエトを怯えさせてしまうかもしれないと思ったためだ。
なんとなく、アズラエルの直感だったが、カレンのそれは、ピエトの病のように、薬を飲めば治るものではない気がしたのだ。
――アズラエルのいやな予想は、的中したが。
「夜はバリバリ鳥のシチューだ。学校いかなきゃメシ抜きだぞ」
シチューを食べ損ねるわけにはいかない。ピエトは観念した。
「バリバリ鳥のシチューって、なんだか美味そうだな」
カレンがつぶやいた。
「その調子じゃ、今日帰れるんだろ?」
「いや。一週間検査入院」
残念そうに、カレンは言った。
「なんで急に数値が下がったか、検査してえんだって」
「……そうか。バリバリ鳥は逃げねえよ。それにまた、K33区に行くから、買ってくるよ」
「また行くの? 近く?」
「ああ――ペリドットが、おまえのことが落ち着いたら、来いって」
ペリドットは、朝、ルナたちが帰るのを見送りながら、アズラエルとグレンに向かって言った。話があるから、また来いと。カレンの具合が落ち着いたら――。
一週間後くらいか、と彼は言っていたが。
「一週間の検査入院ね……」
アズラエルは顎を掻いた。
ペリドットも、アントニオと似たようなヤツだった。笑いながら、ふつうに不可思議なことを捻じ込んでくる。
「あたしも行くよ。ベッタラに礼を言わなきゃ」
「ベッタラに?」
「あいつすげえよ。馬駆るのうまいっていうか――あいつがあたしたちより先に区役所行って、病院に連絡して救急隊呼んでくれたんだ。あたしがセルゲイに運ばれて区役所着いたときは、もう救急隊が待ってた。ホント助かったよ」
「ベッタラ?」
クラウドがだれだというように聞いたが、その話はあとだ。
「じゃあ、安静にしてろよ。病院で酒飲もうとするなよ」
「グレンじゃあるまいし、しねえよ、じゃあね」
「……俺だって、病院で酒は呑まねえよ」
「カレン、ちゃんと寝るんだぞ!」
「はいはい、ありがとピエト。また一週間後ね」
カレンは心配そうな顔のピエトに、安心させるよう、笑顔で手を振った。
アズラエルがピエトを連れて病室を出ていくと、さっそくグレンがカレンの頭を小突いた。
「オイ、なんでいわなかったんだ」
「あいた! なにすんだよ」
「分かってる。君が病人あつかいされたくないっていう気持ちもね。でも、俺個人の気持ちとしては、機会を見つけて話して欲しかったな」
クラウドは言った。
「家族とまでは言わないでも――俺たちはいっしょに暮らしてる。――その前からも、ともだちだろ?」
カレンが急に顔をゆがめた。ピエトがいなくなって、強がる必要がなくなったからか――鼻の頭が真っ赤になっている。
「――ごめん」
グレンは小突くのをやめ、カレンの肩を揺さぶった。
「いつからなんだ」
「二十一の年。――L85の、ラグ・ヴァダ過激派の討伐で、長期滞在してたんだ。咳き込むようになって、熱が出て、なんかおかしいなって検査受けたら、もうレベル2の初期だった」
「二十一? 七年経っても、治らないの?」
クラウドが、不審な顔で聞いた。
「アバド病は、早期発見で薬を飲み続ければ、一年くらいで治るはずだ。重い状態でも、手術と投薬で治った例はいくらでも――」
「あたしのアバド病は、治らない」
「――え?」
「医者が、もう匙投げたんだ。治らないって。進行する一方だって――あたしの命は、あと三年しかない」
カレンは、すべてをぶちまけるようにしてしゃべった。アバド病だということを告げてしまったのだから、いっそすべて言ってしまえと。セルゲイも、止めなかった。
「おまえ、だから――」
グレンの、カレンの肩に置いた手が力を増した。
「この宇宙船に乗ったのか?」
カレンは小さく、うなずいた。
グレンは絶句した。クラウドもだ。ルナは目を真っ赤にしてうつむいて、ミシェルも状況が信じられないのか、戸惑い顔で椅子に固まっていた。
セルゲイも、無言でうつむいたままだ。
「カレン」
グレンが、ぐいとカレンを、自分の肩口に引き寄せた。
「悪かった――俺が悪かった。言いたくないことを、言わせて、悪かった」
カレンが、ぎゅうとグレンの肩口をつかんだ。
「おまえ、ずっと耐えてたんだろう。言いたくなかったんだろう。悪かったよ」
カレンの身体が小刻みに震えだしたのが、グレンには分かった。
「でも俺たちが、いっしょにいるからな。――おまえをひとりにはしない」
その言葉が、決壊の合図だった。グレンの肩に顔を押し付けて、カレンは泣いた。
静かな、静かな嗚咽が、病室を満たした。




