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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~ラグ・ヴァダの神話篇~
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190話 孤高のキリン Ⅰ 1


 ――あたしはキリン。

 白鳥じゃなく、キリンなの。なぜなのか考えたこともない。

 あたしはキリン。


 首が長くて大きいから、遠くの景色までよく見える。

 山の向こうに、海が見える、川も見える、花畑も見える。


 だけどキリンだから、白鳥のみんなみたいに、軽々と山を越えて飛んでいくことなんてできないの。


 みんなが見えているものが、あたしにも見えるのに、みんなのように海まで、川まで、花畑まで飛んでいくことができない。この大きな山を越えるのに、あたしは自分の足で、ゆっくりと歩かなければならないの。


 やさしい白鳥が二羽いて、あたしをいっしょに連れて行ってくれようとするけれど、あたしは重くて、たった二羽きりじゃ、持ちあがらない。


 ほかの白鳥は、キリンなんか放って置きなさいと言っている。あなたとわたしはべつのもの。白鳥とキリンはちがうのだからって。


 あたしはキリン。孤高のキリン。

 白鳥に囲まれて、仲間のいない、さみしいキリン。


 ママキリンは、山にぶつかって死んでしまった。

 それをつめたく、白鳥たちは見ていた。


 あたしを連れて行こうと懸命に羽根を羽ばたかせている白鳥は、あたしのママの、妹だった。


 彼女の涙があふれて、あたしは膝上まで浸かっている。


 ねえママ、きっと、山はすこしずつ歩いていけば越えて行けたんだわ。

 白鳥たちのように、ひと息に飛び越せなくても。

 でもあたしは寂しくて、義母さんの涙に浸かって、もう身動きが取れないの。


 孤高に歩いて行こうとしたけれど、もう一歩も歩けないの。


 だれか、義母さんの涙を止めて。

 あたしも、もう一羽の白鳥も溺れそうなの。

 泣かないで、義母さん。

 もうあたしを置いていってもいいんだよ。

 あたしはひとりでもだいじょうぶ。

 少しずつ、歩いていくから。


 どうか神さま。

 あたしに、孤独でも、一歩ずつ歩いていける力をください――。





 ――アラン・G・マッケランを、懲役三十年の実刑に処す――


『ふざけるな!!』


 ミラは、昔からおとなしいと言われることが多かった。万座のまえで、怒りのままに罵倒することなど、自分自身でもないと思っていた。


 だが、耐えられなかった。心神喪失の状態で、裁判には出られない姉の代わりに、ミラに突きつけられた現実に――ほんの先日まで、姉を持ち上げるだけ持ち上げて矢面に立たせておいて、いざ法廷に出たら、自分は無関係だとでもいうように、最終的にはすべての責任を姉ひとりに被せて、この裁判所を出て行こうとする人間たちが、許せなかった。


 そのなかには、姉の恋人も交じっていた。


『ユージィン!!』


 ミラは叫んだ。一族の者に両手両足を絡め取られ、信じられない力で彼らを払いのけながら、憎しみの籠った声で叫んだ。


『ユージィン!! おまえもか! おまえも姉さんを裏切るのか!!』


 ユージィンは、ミラを振り返ることもしなかった。


『卑怯者め!! 貴様らを、あたしは絶対許さない!!』

 

 ――ドーソン一族を、あんたたちを、あたしは絶対、許さない――!!





 ミラは悲鳴をあげて飛び起きた。

 隣室に控えていた秘書が、ドアを開けて駆け寄ろうとするのを、ミラは息を弾ませながら制した。


「なんでもない――怖い夢を見ただけ――」


 秘書は、ミラの背を二、三度さすり、大丈夫なことをたしかめてから、ドアの向こうにもどった。もう一度ドアを開けた彼女は、水と安定剤をトレーに乗せていた。ミラはだまって用意されたそれを飲むと、時刻を確認した。


 午前九時。――三時間も眠っただろうか。


「今夜は、ゆっくりお休みいただけますから」


 最近のミラの不調を慮ってか、秘書は今日の仕事を調整し、十九時には自宅にもどれるようにしてくれた。

 最近、寝ただけでは疲れがとれなくなってきた――年だろうか。


「悪いね。あと一時間で支度する。今朝は果物と水だけにしておくれ。報告も、一時間後。会議には出るから。昼食は、ペルテのレストランで十一時半からだったね、大臣と――あ、会議にコーヒーを。カフェインなしにして」

「かしこまりました」


 ミラはさっとベッドから下りて、シャツを手に取った。


 ――身体がくたびれているせいか、夢見が悪い。

 今日は、極めつけに嫌な夢だった。


 ドーソンや、姉に罪をかぶせた連中への憎しみだけで、がむしゃらにがんばれたのは、たった十年だ。でも、それでよかったとミラは思える。憎しみは、長く(かて)にすることはできない。やがて自分の心も歪んでくる。


 十年で、糧を憎しみから、身内への愛情に転換させてがんばってこられたのは、アミザとカレンがいたからだ。ミラは、母になれて、ほんとうに良かったと思っている。


 愛したひとは、夫にはなれなかったけれども。


 ミラは着替えを終え、剥いたばかりのみずみずしい桃のかけらを口に運びながら、ふと思い立って机の引き出しを開けた。鍵つきのその引き出しを開けたのは、久しぶりだ。


 中には、トランプ程度の大きさのカードが、丁寧に絹のハンカチにつつまれて眠っている。ミラは、ハンカチを広げた。


(――あれ?)


 ミラは、違和を感じた。一枚のカード――それは、ミラのカードである“嘆きの白鳥”ではなかったが、様子がおかしい。


(このペガサスのカードは、布を被っていなかったかな)


 かつて、サルディオーネという占い師からもらったカード。その中にペガサスのカードがあった。


「布被りのペガサス」という、不思議な名前のペガサスは、ミラがこのカードをもらったときは、文字通り、大きな麻の布を被っていたのだ。それこそ、ペガサスだということすら分からないくらい、身体をほとんど覆ってしまうくらいの大きな布を。


 なのに、いまでは、このカードをくるんでいるような、小さなレースのハンカチを、頭にちょこんと乗せているだけだ。美しいペガサスの姿形が、はっきりとわかる。


(あたしの、勘違いだったかしら)


 ミラは首を傾げた。カードを引き出しから出したのは、本当に久しぶりで、もらった以来だと言っても過言ではないので、記憶も怪しい。


 ミラは、ゆっくり、反芻(はんすう)した。

 カードをもらったときに聞いた、サルディオーネの言葉を。

 マッケランの、不確かな未来への、メッセージ。

 ――今となっては、それだけがミラの支えだった。


 本来なら、マッケランの当主は、長女である姉アランであって、ミラではなかった。だから、アランの娘であるカレンが当主を継ぐ。それが正当だ。


 ミラは、カレンを当主にするつもりで育ててきた。アミザもそれは(わきま)えている。カレンとアミザを実の姉妹のように育ててきた。アミザはカレンを慕っている。そして、アミザはおのれの性質も弁えている。 


 アミザはミラと同じ――本来ならトップを支えていくことに手腕を発揮する性質である。


 そしてカレンは、紛れもなくトップの器。


 姉アランもそうだったと、ミラは確信していた。そのあふれるばかりの才気が、若さゆえに誤った方向へ進んだのだとしても、アランにカリスマがあったから、人々はアランについていったのだ。


 ――アランは、アランのカリスマを危ぶんだドーソンに消されたといっても、過言ではないだろう。


 アランの死の顛末を、カレンに教えるべきではなかった。


 だが、自分が教えずとも、考えなしのだれかが、カレンに漏らす恐れはあった。全然関係ないところから、無神経な説明で教えられるより、自分が教えた方がマシだとミラは思った。


 だから教えた、カレンの十五歳の誕生日に。


 激情家だった姉の性格を受け継ぎ、カレンもまた激しい気性の持ち主だ。一度崩壊すれば、あとは止められない。カレンの不安定さは、実の母の死の真相を知ったことによって、輪をかけてひどくなった。


 あれでは、当主にはなれない。当主の激務と重責は、カレンを押しつぶすだろう。カレンの繊細な神経が、今度は本当に崩壊してしまうかもしれない。


 だが、そんなミラの心労に、さらなる重しが乗せられた。

 カレンの心が崩壊するまえに、寿命がカウントダウンを刻み始めた。


(どうして神は、あの子にばかり、過酷な運命を科すの)


 本来なら治るはずのアバド病は、カレンの身体の中で不治の病と化した。


 ――地球行き宇宙船のチケットを落札したのは、最後の頼みの綱が切れたあとだった。カレンを見せていた、難病を専門とする主治医に、「カレンさんは、あと四年ほどしか生きられないでしょう」と言われた、その日。


 ミラは悩み、迷いあぐねた末に、サルーディーバのことを思いだした。


 折りしも、アリシアから椋鳥の紋章の話を聞いたあとだった。なにかアドバイスがもらえないかと、まるで(わら)にもすがる気持ちで、サルーディーバに謁見(えっけん)を申し込んだ。だが、今のサルーディーバは、アリシアの話に出てきた大昔のサルーディーバとはちがった。


 ミラの願いは、長老会にすらたどり着くことなく、拒絶された。


 人づてで、なんとか、L03の占い師だというサルディオーネ――L03を代表する占い師だという――に会えることになった。たった三人しかいない、新しい占術を生み出した者なのだという。


 そのサルディオーネすら、人を何人も介して、さらに数千万にもおよぶ金を積んで、ようやく会うことを許された。


 ――たったの、一時間だけ。


 さすがにミラはあきらめかけたが、人を何人も介している以上、後戻りはできなかった。


 ミラは、占う人物のすべての人生を映し出すという、水盆の占いをする、老女のサルディオーネに会いたかったのだが、彼女はL03から出られないのだと。


 ホロスコープのL系惑星群盤、宇宙儀の占いをする男性も、L03から出られない、直接会うことも禁止されているから、ミラ自身がL03に赴いても会えない――なんともまあ、閉鎖的な星だと呆れていたミラの元に来たのは、ZOOカードという、おもちゃのような占いをする、子どもにしか見えない娘だった。


 ミラは、内心がっかりしたのだが、それでも彼女は星賓(せいひん)に値する。


 仕方なく、彼女はZOOカードの占いを受けることにしたのだが、彼女が星賓だと実感することになったのは、占いが始まってすぐだった。


「“孤高のキリン”」


 サルディオーネが差し出したカードに、ミラは目を見開くことになった。


「これが、あなたの姪御さんのカードですね」


 童話の挿絵のような、イラストのカード。


 刑務所を背景に、キリンが泣いている。全体的に色合いも暗く、寂しげな絵だった。ミラは、この絵に描かれた刑務所に覚えがあった。 

 忘れようとて、忘れられない。姉アランが投獄されていた、L11の監獄だ。


 震える手でカードをつかみ、それを食い入るように眺めた。


「こ――これは、あなたが、描いたのかい?」

「いいえ。マリアンヌという女性です」


 サルディオーネは、小さな手でカードの束をシャッフルし、トランプのように並べた。

 五枚のカードが、ミラの目の前に並べられた。


 “嘆きの白鳥”

 “パンダのお医者さん”

 “月を眺める子ウサギ”

 “布被りのペガサス”

 “残虐なフクロウ”


「この五枚のカードが指し示す人物は、これから、姪御さんの一生に、深く影響を及ぼす人物です」


 ミラには、カードを見ただけでは、何者かさえ見当がつかなかった。


「では、順番に」


 サルディオーネは、“嘆きの白鳥”をミラに差し出した。


「これがあなた」

「――あたし?」


 ミラは、カードを見つめた。自分の涙の海に溺れそうになっている、白鳥。


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