189話 ルナ、ZOOの支配者になる 3
「――クラウド、クラウド起きなよ。こんなとこで寝ないでよ」
ミシェルの声に、クラウドは揺り起こされた。はっと起きて、差し込んだ日の光に目を細めた。
すっかり朝だった。咄嗟に腕時計を見ると、午前七時。
クラウドは、予言の絵のまえで座り込んだまま、いつのまにか寝ていたのだった。
「座ったまま寝るなんて、器用なコトするよね」
ミシェルは呆れた声で言ったが、クラウドは自分の器用な寝姿より、ミシェルのほうが心配だった。
「ミシェルこそ平気? どこも、痛いところはない?」
「やっぱあたし、また気絶したんだね。この絵のまえで」
そういってミシェルは、予言の絵を見上げる。クラウドがあわててミシェルの目を両手で覆った。
「待って。見ないで。また気絶したらどうするの」
「だいじょうぶよぅ。長いこと見てなきゃいいの――たぶん」
ミシェルは鬱陶しげにクラウドの手を払った。
「朝起きたら、あたしだけ椿の宿で寝てて、クラウドはいないし、フロントで聞いたら、クラウドはいっしょに来てないって言われて――もしかしたら神社に泊まったのかなって、来てみたんだ」
「そう……」
ララさんがあたしを連れてきてくれたんだってね、あとでお礼言わなきゃ、とミシェルは言った。
「あたし、おなかすいたよ! 椿の宿で朝ごはん食べよ」
「ミシェル、まだ食べてなかったの」
「うん。ここ来て、いなかったらおじいちゃんのところに行って、いなかったらうちに電話して、それからごはん食べようかと思ってた」
「そう。迎えに来てくれてありがとう」
クラウドが言うと、ミシェルは小さく言った。
「邪魔者あつかいして、ごめんね」
絵のまえで倒れたときに、クラウドたちがいなかったら、自分が朝までここで倒れていたかもしれないのだ。ミシェルがそっぽを向きながら感謝すると、
「……ミシェル!」
感激したクラウドが抱きしめようとしたが、背を向けて伸びをしたミシェルの拳が、綺麗にクラウドの顎に決まった。
「で……っ!!」
「うわごめん! 今のわざとじゃないの! 今回のはわざとじゃない!!」
ミシェルはあわてて謝ったが、(今回のは?)とクラウドは顎を押さえながら涙目になった。
ルナが目覚めると、すでにふたりはベッドにいなかった。
シャワー室の方から水音が聞こえ、悪態と同時に、アズラエルは歯ブラシを口に突っ込んだままルナのまえに姿を現した。起き抜けから口げんかをする相手など、グレンに決まっている。シャワーをつかっているのは、グレンか。
「おはよう、ルゥ」
「――おはよ」
目を擦りながらルナはあいさつをした。
ほどなくして、きのうの貫頭衣だけ着たまま、頭をタオルで拭きながら出てきたグレンも、歯磨き中のアズラエルも、昨夜のくたびれはすっかり吹き飛んでいるようだった。
よく寝たはずなのに、まだ目覚めていないのはルナだ。口をもぐもぐさせながらベッドに腰掛け、ぼーっとあらぬところを見ていると、グレンが、「おはようハニー」と唇に(!)キスしてきたので、アズラエルはグレンの胸ぐらをつかんだ。「あにぼぼずぼば!」歯磨き中に凄むのはよくない。なにをいっているか、さっぱりわからない。
「けんかは、いけません……」
ルナは目をしょぼしょぼさせて言った。すっかり元気を取りもどした猛獣には、子ウサギのぼんやり声など届きもしない。
「ルナ、いる!?」
ルナは今度こそ目が覚めた。部屋に飛び込んできたのはピエトだった。きのういろいろあったのは事実だが、ルナはピエトのことをすっかり忘れていた。
ウサギは、「おはようルナ!」と飛びついてきた子ウサギを膝に乗っけて、「ごめんね、いま起きたばっかり。きのうどこにいたの。どこで寝てた?」と矢継ぎ早に質問した。
「えっと、あのへん」
ピエトは、開け放たれたベランダ側の扉から見えるコテージのひとつを指さした。
「俺と同じラグ・ヴァダ族の奴らの家。ともだちになったんだ! ピピと同じ年! それから、アノールとケトゥインと、フィフィ族のヤツとも!」
「そっか、よかったね」
ペリドットが言っていたように、だれかのお母さんが、ピエトも一緒に寝かせてくれたのか。
「ルシヤは?」
「るーちゃんは今日、お店があるから、昨日のうちに帰ったの」
「そ、そっか……」
ピエトは少し残念そうな顔をしたあと、「また会える?」と聞いた。
ルナは、「うん、もちろん!」とやっと笑顔になった。
「ルナ、俺、薬飲まなきゃ」
「そうだ!」
ピエトは昨夜、薬を飲んでいない。ルナはあわててポーチを取り出すと、中から薬を出してピエトに渡した。ピエトは、ルナの飲みさしのミネラルウォーターで薬を飲んだ。
「あれ? セルゲイ先生と、カレンは?」
ピエトは今気づいたように聞いた。ルナは一瞬、言うべきか詰まったが、口をすすいでいるアズラエルにかわって、グレンが言った。
「カレンは昨夜、病院に行った。帰りは見舞いに寄って、帰るぞ」
「びょうき?」
「ああ。――宴会の最中に倒れてな。昨夜のうちに、セルゲイが病院に連れて行った」
グレンが病名を伏せてくれたことは、ルナにとって助かった。ピエトとカレンは同じアバド病――ペリドットが昨日言ったことがたしかなら、カレンのそれは、「治らない病」なのだと。
ピピを失ったことで絶望していたが、ルナたちと暮らすことでやっと生きる希望を見出し、今は一生懸命アバド病を治そうとしているピエトの前で、治らない病の話などしたくない。
だがピエトは、ミネラルウォーターの瓶の口を齧りながら、おずおずとグレンに聞いた。
「なあ――もしかして――カレンって、アバド病?」
大人たちは、一瞬でも動揺してしまった。洗面所からもどってきたアズラエルもだ。ピエトは言ってから、大人たちの顔色を見て、やはり言ってはいけないことだったかと決まり悪げにうつむいた。
「どうして、おまえはそう思ったんだ」
グレンが、怒ってないぞという声で聞くと、ピエトはためらいがちに告げた。
「このあいだ、メシ食ったあと、俺と同じ薬飲んでた……」
ルナとグレンは、顔を見合わせた。子どもというものは、大人が見落としていることをけっこう見ている。
「カレンも病気なのかって聞いたら、カレンは、これは――えいよう? ほじょ? なんとかだって」
「栄養補助食品?」
「そういう感じの名前。カレンはすぐ隠したけど、薬の袋とか、色とか、俺のアバド病の薬と同じだった」
俺、まちがってなんかねえもん、とピエトは口を尖らせた。
「でもおまえは、だれにもそのことを言わなかった」
アズラエルが言うと、ピエトはうなずいた。
「……カレン、あんまりみんなに知られたくないのかなって思った。俺たちの故郷でも、アバド病にかかると隠すヤツがいるよ。俺の集落はそうでもないけど、近くのエラドラシスのところなんか、黒い悪魔の呪いだっていって、閉じ込められちまうから。だから、かくしたい気持ちもわかるよ」
「……よく内緒にしたね、いいこ」
ルナが頭を撫でると、ピエトは嬉しそうな顔をした。
ピエトがアバド病だと言うことは、皆は知っている。セルゲイたちが引っ越してきた日に、ピエトの自己紹介とともに告げていた。だがカレンは、そのときも、不自然な様子は見せなかった。ピエトがアバド病と聞いても、セルゲイたちと同じく「大変だね……あんな小さい子が」と言い、「でも治る病気だ、心配ないよ」とピエトを励ましていたのだ。
カレンのそれは――治らない、病なのに。
「よし、じゃあ朝メシ食って、バリバリ鳥を買って、カレンの見舞いに行くぞ」
アズラエルが伸びをし、ルナはピエトに言った。
「バリバリ鳥を買って、シチューを作ろうね」
「うん! バリバリ鳥の血は、アバド病にいいんだ!」
ピエトが嬉しそうに叫ぶ。
「カレンも良くなるよ! 俺も!」
ルナは、いつものように元気よく「うん!」とは言えず、「そうだね」とピエトの手を握ることしかできなかった。
さて、そのころ、クラウドとミシェルは。
椿の宿の食堂で、ミシェルは、朝定食とわかめうどん、親子丼とデザートに白玉あんみつまで食べてクラウドを怯ませたあと、またふたりそろって真砂名神社の階段を、わき腹を押さえながら上がり、ギャラリーに来ていた。
「なんだかやたら、おなかが減るのよ」
ミシェルが困ったように言った。
「あたし、あとわかめうどん三杯食えるかも」
「それは食べ過ぎだな――でも、ミシェルが百キロになっても、俺は君を愛するよ」
「シャレじゃなく、クラウドの体重越したらどうしよう」
ミシェルは、待望のギャラリーの絵を見て回りながら、そうぼやいた。ひとつひとつの絵を、じっくり眺めては満足のためいきを吐き、やがてミシェルは再び――例の、予言の絵のまえに到達した。
ミシェルは直視しないように気を付けながら、隣に並んだクラウドに聞いた。
「クラウドはなんともないの――よね」
「なにが?」
「この絵を長い間見ていても」
クラウドは、昨夜、この絵とにらめっこして夜を明かしたのだ。
「そうだね、俺はなんともない。――ところでミシェル、これは、マ・アース・ジャ・ハーナの絵でもあり、予言の絵でもあるっていったけど、どういう意味?」
「そういう意味だよ」
ミシェルはきっぱりと言った。
「でも、地球の神話の神まで描かれてる。それはなぜ?」
「だから、予言の絵だからなのよ」
ミシェルの解説はシンプルすぎて、要領を得ない。クラウドは質問を変えようと思ったが、ミシェルが告げた。
「クラウドはね、この絵のことは、あんまり考えなくていいの」
「――え?」
「クラウドの“真実をもたらすライオン”は、こっちの役目じゃない。――『君は、L18の滅びを見届ける役目を追っている。こちらの絵は、“真実をもたらすトラ”にまかせたまえ。ふたつのできごとは繋がるが、君はL18、こちらはL03。役割がちがうのだよ。でも、一度“真実をもたらすトラ”には会いに行った方がいい。そうすれば、君の役割がおのずと分かるはずだから――』」
ミシェルの声は、だんだん男性の声になっていった。クラウドも聞き覚えのある、百五十六代目サルーディーバの――。
「“真実をもたらすトラ”? それはどこのだれ?」
クラウドはあわてて聞いたが。
「イデデデ……」
ミシェルは頭を抱えてうずくまってしまった。
「だ、だいじょうぶ――ミシェル?」
クラウドもしゃがんで、ミシェルの肩を抱いたが、ミシェルははっと気づいたように顔を上げた。
「――分かった! 大食いなのはコイツだ! 青いネコ!!」
「あおいねこ?」
「コイツが出てくるまえは、あたし大食いになるんだ! アンジェラの講習会行った日も、あたし、なんだかおなかすいておなかすいて……」
クラウドは、あの日、ミシェルが普段にはないくらい、朝ごはんをがっついていたことを思い出した。
「勘弁してよぅ! あたし、百キロになったらどうすんのよ!!」
ミシェルの絶叫に、さらりと風が吹いた。ちりん、ちりんと灯篭の鈴が鳴った。ネコの鈴のようだ。
“偉大なる青いネコ”が、笑っているような気がした。
「ダメだ。今日はもうやめよ」
ミシェルはくるりと絵に背を向けた。
「また来るわ。あたし、まだまだこの絵には、秘密がかくされてると思う」
ミシェルはそう言って、ギャラリーから下りてスニーカーを履いた。
「きのう、おじいちゃんからアストロスのマ・アース・ジャ・ハーナの神話を聞いたんでしょ」
帰り道、ミシェルはその話をクラウドから聞いた。
「うん。――ラグ・ヴァダの神話もあるらしいんだ。そっちも知りたいところだけどね」
どこに、知っている人間がいるのか――。
「イシュマールは、『K33区に行ったらどうじゃ』と言っていたけど。俺にラグ・ヴァダ人の知り合いなんていないし、ピエトの故郷のだれかか、今K33区に行っているアズラエルに、だれか知っている人がいないか聞いてもらおうと思っていたところ」
クラウドが言うと、
「ピエトが知ってるのよ、それ」
とミシェルはあっさり、クラウドの悩みを解決した。
「ええ!?」
クラウドの絶叫。
「ピエトが!?」
「あたしも忘れてたんだけど、そういやこないだ、K12区に行く途中でそんな話になって。ラグ・ヴァダっていわゆるラグ・ヴァダ人のことでしょ? ピエトが、あたしたちの知らないマ・アース・ジャ・ハーナの神話を知ってたの。あとで教えるって言って――そう、ルナが、クラウドがいるときに教えてっていってさ。でも、ゼラチンジャーの変身キットのせいで、たぶん忘れたんだよ」
「……!! じゃあ、うちに帰れば、それが聞ける……!」
クラウドは拳をぎゅっと握った。
「そうと決まれば、家に帰って待とう!」
クラウドとミシェルは、シャインをつかってすぐにK27区にもどり、自宅に帰った。ルナたちは、まだ帰っていない。
やはりシャインではなく、自動車で行ったのか。ミシェルは腰を落ち着けて待とうと言ったが、落ち着かないクラウドが、今ごろ、どのあたりまで来ているかと、GPSでアズラエルたちの居場所を検索した。
――すると。
「え? 病院?」
アズラエルとルナと、グレンとピエトが、中央区の病院に向かっていることが判明した。自動車に乗っているのは、この四人。――セルゲイと、カレンがいない。
「病院って――ピエトがどうかしたの」
病院という言葉から真っ先に連想されるのは、ピエトのアバド病だ。ほかに、大病を患っている人間はいない――はずだった。
車に乗っていないセルゲイとカレンはどこに。クラウドがさがすと、やはり四人が向かっている中央区の病院にいた。画面を見つめていると、動いているのはセルゲイ。カレンのカラーは、一ヶ所に留まったまま、動かない。
「カレンが――」
クラウドは思わずつぶやいた。
「え? カレン?」
ミシェルも驚いて、GPSをのぞき込んだ。
「まさか、K33区でひと悶着あって、怪我でもしたのか」
K33区は原住民の地域だ。なにかあっても、おかしくはない。
「ミシェル、病院へ行こう! アズたちももうすぐ病院に着くから、事情を聞こう」
「う、うん……!」
帰ってきたばかりだったが、ミシェルもバッグを持って、クラウドとともに部屋を飛び出した。




