187話 ラグ・ヴァダの神話 Ⅱ 2
難解なベッタラの共通語による説明によると、今日のもてなし――食事はアノール人、音楽隊はフィフィ人とのこと。
トマトときのこが入ったシチューに、歯が欠けそうな固いパン、鳥肉(推定)を焼いたものに野菜や木の実。かたい葉につつまれた、ピエトほどもある大きな魚が蒸された料理は、すこしずつ皆に分けられた。
ルナは魚料理がとても気に入って、おかわりをした。
「ルーナさんは、魚をよく食べたり食べなかったりするのですか」
「食べたり食べなかったりします」
ベッタラの調子に合わせてルナはしゃべるので、微妙なカオス空間が出来上がっていた。
「お魚は大好きなのです! いわしも好きです!」
「ルーナさんはまるでキラキラ輝く小さないわしです。ちいさくてちいさくて、可憐な花のようです」
「あたしはお花じゃなくてウサギなので、今日から月を眺めるいわしにするよ」
「ルーナさんの星では、いわしは月を見ますか? ワタシもいわしと月を見たいです」
「シャチと一緒にいわしは月を見るよ!」
「ルーナさんにパコを見せたい。きっとパコは祝福を潔しとします。そしてワタシは、パコと語り合います。イルカも、サバも、イワシも、……ワタシのライバルだったシャチのパコ、元気かなあ……」
「しゃちのぱこ! ライバルだったの!?」
「そうです。それは間違いがない。パコはワタシのライバルで、永遠の友で、強敵で、トモダチです。おおきなシャチです。海のヌシです。まだ決着がついていないのです。別れはつらかった……」
肩を落とすベッタラの背を撫でてあげるルナを見ながら、セルゲイはつぶやいた。
「ダメだ……会話に入っていけない」
「だいじょうぶ。アレに入っていける奴はむしろヤバい」
カレンはセルゲイを慰めた。
肝心のルシヤは、食べものに夢中になってしまっていた。
ベッタラはルナを口説こうとしているのだが、共通語になると微妙な言語になるため、ベッタラの秋波はまるでルナに伝わっていない。結局ふたりの会話はカオスに満ち、どうあっても色気のある会話に聞こえなかったので、グレンとアズラエルもようやく警戒をゆるめた。
どこの何人さんか、何を言っているのかもわからないが、綺麗な半裸の娘さんがルナに赤い木の実のお酒を持ってきてくれたので、ルナはそれもありがたくいただいた。
彼女だけではない。老若男女がそろって満面の笑顔でさまざまな料理を、次から次へと運んでくる。言葉が通じないのに皆、すすめ上手だ。ルナは自分でも驚くほど、たくさん食べてしまっていた。
「なんだか、おいしいものばかりだなあ」
「美味いか? そりゃァ良かった」
皆が食事に没頭して、それぞれ腹がいっぱいになってきたころ、ようやくペリドットがルナに話しかけてきた。
「あ、あれ? ピエトは?」
ペリドットの膝にいたピエトがいない。
「ピエトなら、とっくにガキどもに連れられて遊びに行ったぜ」
アズラエルが親指で差した方向にピエトの姿はなかったが、同い年くらいの子どもの集団に連れて行かれたようだ。
ルシヤもいなかった。ボディガードの話はどうした。
「だ、だいじょうぶかな? 十一時には寝かせたいけど」
ピエトは母星で、夜中にうろついてスリをしていたので、もともと夜型だ。放っておけばいつまでも起きている。ピエトが健康な子どもなら、今日くらいと大目に見たいものだが、アバド病のこともある。
ルシヤにも、まだピエトの病気のことは言っていない。くたびれて寝込まないように気を付けなければ――。
「心配いらねえ。ガキどもの母親は山ほどいる。時間になれば、まとめてベッドに連れてくだろうさ」
ペリドットは、ルナを安心させるように言った。
「ペリドット、さん」
ルナはやっと、聞く気になった。
「あたしがメルーヴァって、どういうことですか? そ、それに――さっきの歌は、」
「歌か。ピエトも言ったが、あれは、ラグ・ヴァダの民に伝わる、マ・アース・ジャ・ハーナの神話だ」
ペリドットは、メルーヴァのことについては触れなかった。
「マ・アース・ジャ・ハーナの神話……」
セルゲイが首を傾げた。
「でも、マ・アース・ジャ・ハーナの神話は、ずっとずっと昔のものでしょう? どうして、アストロイとか、ラグ・ヴァダなんて、惑星の名が――アストロイって、もしかして、惑星アストロスのことですか」
――あの、地球行き宇宙船が最後に立ち寄る、観光惑星。
セルゲイの質問に対する、ペリドットの答えは、肯定だった。
「ああ、そうだ。アストロイってのは、“アストロスの民”って意味だ」
「じゃあ――真砂名神社のおじいちゃんは、アストロスのひとなの」
「なんだって?」
ルナの問いに、アズラエルが聞きかえした。
「アズもグレンも会ったでしょ? いっしょに真砂名神社の階段のぼったとき、麦茶を持ってきてくれた神主おじいちゃん」
「あいつか」
グレンも思い出したようだ。
「そうだ。彼の名は、イシュマール・アストロイ・マ・アース・ジャ・ハーナ・サルーディーバ。アストロス出身だ」
ペリドットが言った。
「マ・アース・ジャ・ハーナ……」
ルナがつぶやく。
「その名前にも意味があるの? もしかして、おじいちゃんもアストロスの王族の人だとか――」
「その辺を、順番にだな」
混乱し始めたルナを落ち着かせるように、アズラエルがさえぎった。
「説明を頼めるか? ――ペリドット――様?」
「様だけはよしてくれ」
嫌そうに顔をしかめたペリドットの表情に、王族の近づきがたさはなかった。
「さて――時間はたっぷりある。何から行こうか。――マ・アース・ジャ・ハーナの神話?」
「そうね――ラグ・ヴァダにも、つまり、ラグ・ヴァダ族にもマ・アース・ジャ・ハーナの神話があるとは知らなかった。しかも内容はちがうが、マ・アース・ジャ・ハーナの神、という存在は、ラグ・ヴァダにもあるわけですね?」
バンビが、先を促すように質問を足した。クラウドがいない今日、質問役はバンビのようだった。
「アストロスに伝わるマ・アース・ジャ・ハーナの神話もある。そっちも、ラグ・ヴァダの神話を補完するものであって、地球のマ・アース・ジャ・ハーナの神話とはちがう」
「アストロスにもあるんですか?」
「ある。地球の神話と、アストロスとラグ・ヴァダの神話はまるでちがうが、三つの神話に共通するのは、“マ・アース・ジャ・ハーナの神”と、“サルーディーバ”」
「……」
「アストロスとラグ・ヴァダの神話は、同じ出来事を歌っているが、地球の神話はまったく別のものだ。同じ神の名が出てくるから、いっしょにされちまっただけで。ちがうものだっていうのは当たり前なんだ。地球の神話は、おまえたち地球人にとっては神話だろう。だが、アストロスとラグ・ヴァダの神話は、おまえたちにとっては、ただの“歴史”にすぎない。“神話”ではない」
「――どういうことです?」
セルゲイが首を傾げた。
「言葉どおりだ。地球の神話と、アストロスとラグ・ヴァダの神話は、時期がちがう。地球の神話は、おまえたちが地球の外に出なかったころの、何万年も前の歴史――神代の時代の出来事だから、神話とされる。だが、文明が爛熟し、地球の外に出るほどの科学の時代をむかえて、そのころの歴史を“神話”とは呼ばんだろ? つまり、おまえら地球人にとっては、その文明と科学の力を持って地球外に出たころの時代の話が、アストロスとラグ・ヴァダの神話なんだよ」
途方もない話に、たき火を囲んでいた皆そろって、絶句した。
「え、ええと――そういう話となると、もしかして、さっきの歌の、まがつ神というのは」
バンビがあわててメモをする。
「そうだ。“まがつ神”っていうのは、アストロスとラグ・ヴァダを侵略しに来た、地球人の軍隊のことを言ってるんだ」
ペリドットは、酒で喉を湿らせてから話を続けた。
「おまえら地球人が、ラグ・ヴァダ、つまりL03に来てから、L系惑星群としてラグ・ヴァダ太陽系を束ねるまで、千五百年あまりの年月を経ている。原住民たちが「L歴」を認めるまで、それだけの月日が経っているんだ。いまはL歴1415年だが、そのL歴を始められるほど統治するまで、千五百年。はじめて地球人がラグ・ヴァダを訪れてから、いまは三千年経っているんだ」
「三千年……」
つぶやいたのはカレンだった。
「さっきの歌を、わかりやすく物語調にしてやろう」
ペリドットが目配せすると、ベッタラが歌いだした。ベッタラはいい声をしているし、歌もうまいと、ルナは思った。
“はるかな昔 神々が地にあった
ラグ・ヴァダの神よ サルーディーバよ“
「ラグ・ヴァダの星は、三千年前、神代の時代だった。アストロスもだ」
「神代だって?」
グレンが復唱し、ペリドットはうなずいた。
「そう。サルーディーバという、女神にして、女王が、ラグ・ヴァダを治めていた」
ラグ・ヴァダ星の女王――地球の神話に出てくる、何百年も年を取らない、不死の象徴とされる船大工、サルーディーバとはまったく別の存在だ。
アストロスの女王もまた、サルーディーバという名だった。
「地球はそのころ、人口過密状態になっていて、太陽系外に地球と同じ惑星を求めていた。地球人が居住できる惑星をな。そして、それは見つかった。見つけた場所に行けるだけの科学技術も発展していた。地球から遠く離れた太陽系――アストロス太陽系に向かって、五基の宇宙船が旅立った。乗組員は皆、調査団だ」
みんな、驚くほど真剣に、聞いていた。
「五基の宇宙船は、予定では一ヶ月後にはアストロスに到着しているはずだった。だが、どの宇宙船からも、着いたという報告はなかった、三ヶ月、半年、一年経っても――。
地球のメディアは、調査団の派遣は失敗だったと語った。だが、宇宙船は、一基だけ、アストロスに到着していた――それがわかったのはなんと三十年後だ」
「三十年後……」
「調査団は、無事アストロスに迎えられていた。それどころか、調査団の団員のひとりが、アストロスの女王との間に、子までもうけていた。その娘が、メルーヴァ王女だ」
「――メルーヴァ王女は、地球人と、アストロスの女王サルーディーバとの間の子ってわけだね」
カレンが、確認するように言った。ペリドットはうなずき、「おまえは、この話を知っていそうだな」と言った。
カレンがためらいがちに肯定すると、セルゲイたちは驚きの顔でカレンを見た。
「知ってんのか、カレン」
ジェイクが聞いた。カレンはもう一度うなずく。
「先々代のマッケラン当主――あたしのひいばあ様は、マッケラン家にたいそう誇りを持っていてね」
現実主義のカレンにとって、その話は、現実からは遠い冒険譚と、真実の歴史のあいの子だ。言い難いことのように、唸りながらカレンは説明した。
「戦争と政治活動で忙しくって、当主ってのは、本を読むヒマもないくらいなんだが、このひいばあ様はかなりのインテリだった。というか、ドーソンにも多分あるだろうけど、あたしらの家には大概書斎ってもんがある。うんざりするほどの量の本を抱え込んだ――ひいばあ様はなにがすごいって、若いうちにその書斎の本をぜんぶ読んじまって、九十歳になってもほとんど内容を覚えてたってこと」
「それは――傑物だね」
セルゲイが誉めると、カレンは苦笑した。
「あたしは、そのばあ様が大好きでね。小さなころ、よくそのばあ様に語り聞かせをしてもらっていた。そのなかに、メルーヴァ王女の話があった」
びっくりしたよ、今、その話をここで聞くなんて、とカレンは驚きあきれて、肩をすくめた。
「おまえのばあさんは、今の歌を知っていたのか」
アズラエルが聞いたが、カレンは首を振った。
「歌を知っていたんじゃないと思う。だけど、あの書斎の膨大な本の中には、マッケラン家始祖が書き残した本があったわけで。――おそらく、アストロスかラグ・ヴァダを侵攻した軍隊の中に、マッケランの始祖がいたんじゃないかな」
あたしはきっと、その話を聞いたんだ。うろ覚えだけど、とカレンは言い置いた。
「それはいたと思うぜ」
グレンが肯定した。
「それくらいなら俺にもわかる。俺もドーソンの始祖が残した記録なんぞ読んではいねえが、軍事惑星をつくったのがドーソンとマッケランと、ロナウドとアーズガルドなら、確実にその四家は、侵攻軍の中にいた」
「そういやここには、軍事惑星の二名家の嫡男がそろってるんだった……」
ジェイクが信じられないといったふうな、奇妙な顔をした。
「不思議な縁だな」
シュナイクルも苦笑した。
どことなく、奇妙な緊張の空気が、たき火の火を揺らす。
「……話をつづけるぞ」
ペリドットが言った。




