186話 ラグ・ヴァダの神話 Ⅰ 3
「妻!? ――つまり、」
「ああ、俺の妻。奥さん。ワイフ。――意味わかるか?」
「アーズラエルの妻ですか!?」
ショックを隠せない顔だ。だいたい、毎度のごとく妹だと思われていたのだろうとみんな思ったが、ちがった。
ベッタラは急にショボンとし、高すぎたテンションは急速に落ちた。
「アーズラエルの、妻ですか……」
膝をかかえてうずくまった筋骨たくましい男は、かなしげにつぶやいた。
「てっきり、アーズラエルがワタシにお嫁さんを連れてきてくれたのだと……」
「どんだけ都合のいい思考回路なんだてめえは」
アズラエルのツッコミは無理もなかった。
「だってアーズラエル、ワタシがお嫁さんをもとめますと言ったら、お嫁さんをつれてくると決意したではありませんか……!」
「え? ――え? そんなこといったっけ」
「言いました! アーズラエルは嘘を決意しますか!?」
「あ、いや……決意はしねえよ。ま、あれだ、そのうち紹介してやるよ。アノールの女じゃなくていいんだろ?」
「そうです。そうです。ワタシは、イルカのように元気なお姫様がいいです」
「イルカな……」
アズラエルは元より、イルカのようなお姫様の図を、だれも想像できなかった。
アノールの脳筋オトコは、すっかり元気をなくして、最初とはずいぶんテンションが変わったが、やがて立ちあがって、ふつうの声量でアズラエルに聞いてきた。
「そもそも、みなさまがたは、ウーマに乗ることが叶いますか?」
「うーま?」
ルナが聞くと、ほころぶような笑みを見せてベッタラが言った。
「ウーマです。アーズラエルの奥方は、ウーマに乗って、でかけられますか?」
「馬に乗れるか、だとよ」
アズラエルが通訳したが、聞くまでもない。ルナとピエト以外の全員は、乗馬ができる。
シュナイクルたちも大丈夫のようだ。「バンビは、わたしが、乗せてやる!」とルシヤが勢いよく返事した。
「皆さま方は、それが叶いますか。では、この先はウーマで走ります。ミンナ、ワタシについてきてください」
「あ、ちょっと待てベッタラ。俺たちはまだホテルの手配が」
アズラエルが言いかけたが、ベッタラはセルゲイとグレンと自己紹介しつつ抱き合っていて、アズラエルの話は聞いていなかった。
「アーズラエルの奥方はワタシが運びます」
ベッタラがエスコートしようとルナの手を取るので、「ちょっと待て」とアズラエルとグレンの両方が止めた。
「なんでおまえが」
ベッタラは不思議そうな顔をして、
「トモダチの奥方をもてなすのは、アノールの男のたいせつな決まりです。ワタシはアーズラエルの奥方を歓迎します」
と言った。その顔に邪気はなかったので、しぶしぶふたりは手を離した。
「あっもしかして!」
ベッタラは急に顔を真っ赤にした。
「もしかして、アーズラエルもグーレンもワタシをあやしみましたか!? ワタシは、だれかの奥方をひどい盗みはしません! ひどい盗みは!!」
「わ。わかった、わかったすまん!」
唾が飛ぶほど顔を近づけられて、グレンはあわてて謝った。
「たしかに! アーズラエルの奥方は、ちいさくてちいさくて、ちいさくて、ちいさな花の様です! でもベッタラは、アノールのベッタラはアノールの誇りにかけてひどい、ずるい真似には至りません! ちいさな、ちいさなこの花は、」
「ベッタラ。その辺にしてやってくれ。ルナは小柄なの、けっこう気にしてるんだ」
「はい?」
そんなにルナは小さな方ではないと思うのだが、ここまでちいさな、を連呼されては。
ベッタラが視線を下げると、ウサ耳をぺったりと垂らして「ちいさい……」とお口をとがらせているアーズラエルの奥方がいた。
「なかなか、いい馬だな」
「そうでしょう、ウーマを調教したいがうまい、ダルダの民が育てています」
アズラエルはピエトを前に乗せて、馬の毛並みを撫でた。
軍事惑星でも乗馬の訓練はあった。ベッタラが引いてきた馬は、名馬ばかりあてがわれてきたカレンやグレンお坊ちゃまたちも感嘆するほど大きく、美しい馬たちだった。
「オエエ……」
バンビは馬にも酔っていた。しかたがないので、バンビはシュナイクルが乗せてやり――ルシヤより、まだ揺れが少ないからだ。ルシヤは「わたしも乗れるのに!」と叫びながら、ジェイクの前に乗せられていた。馬の数が足りなかったのだ。
アズラエル一行は、ルナを乗せたベッタラを先頭に、山道をパッカパッカと進んでいた。
「結局、ホテルの予約をしないで来てしまったんだけれども」
最後尾のセルゲイのつぶやきを、どんな耳をしているのか、先頭のベッタラがひろった。
「心配はなくしますセールゲイ! 今夜は、眠らせません! 泊まらせません!」
「……夜通し宴会をやるって意味にとっていいのかな……?」
セルゲイは微妙な表情で了承した。
結局、ベッタラのペースに巻き込まれたアズラエル一行は、ベッタラの言うままに馬に乗り、行先も分からずあとをついていく羽目になった。どうやらベッタラは、今夜開かれる盛大な宴に、アズラエルたちを招待したいと思っているらしいのだが、何分彼のアヤシイ共通語、そのままの意味にとっていいものかどうか。
もともと、シュナイクルたちは招待されていたので、彼らがついていくのだからいいのだろう。
「ベッタラさん」
「なんでありますか」
ベッタラは、ルナに随分好意的だ。ベッタラの馬にルナが乗るとき、アズラエルとピエト以外の皆――特にセルゲイがハラハラした顔をしていたが、ルナは、みんなが思っているほどベッタラは怖くないと思った。
「ベッタラさんは、イルカみたいな彼女がいいの?」
「はい! イルカは元気で美しくて賢くて、素直です」
ベッタラはうれしそうに言った。
「ワタシは海の民です。ペリドット区長がいうには、ワタシはシャチだそうです。ですから、妻も海の民がいいと言いました」
「――え?」
まるでZOOカードの話をしているようだ。
「ベッタラさんは――シャチなの?」
「はい。ワタシは、“強きを食らうシャチ”と申します」
ベッタラの言葉は、ZOOカードの名称であることを確定づけた。
まさかベッタラの口からZOOカードの名が出てくるとは思わなくて、ルナは驚いた。アノール族にも、ZOOカードをあつかう人間がいるのだろうか、まさか。
(アンジェだけだよね? ZOOカードの占いをするのは)
しかし、ずいぶん怖そうな名前のZOOカードだ。めのまえの無邪気なベッタラの笑顔からは、想像もできない。
「ルーナさんは、キラキラと輝く、イワシのようですね。ちいさくて」
「いわし!」
ルナは青魚に例えられたことははじめてだ。
「あたしはウサギだよ。月を眺める子ウサギ」
「ウサギですか! ウサギならば、鍋か丸焼きと決まっている次第なのです!」
唐突に、ベッタラのでかい声が最後尾にまで響き渡った。カレンとグレンは見合って首を傾げた。ルナとベッタラが、なにか話をしていることは伺いしれたが――。
「ウサギ鍋は非常にうまい――どうしましたか!?」
セルゲイにも聞こえた。ベッタラの焦った声が。
「さみしいですか!? かなしみに満ち溢れていますか!? ルーナさん! なぜ涙がこぼれるのですか!?」
「……ルナ、鍋にされちゃったみたい」
カレンのどこか遠いつぶやき。
「アノール族の前でウサギの話をする方が間違ってんだ」
グレンの台詞は正しかった。
ウサギ鍋にされそうだったルナが、ようやく涙をひっこめたころ、人がずいぶん集まっている開けた場所が見えてきた。中央で、大きな井桁を組んで火が焚かれている。
ここが、宴の会場だろうか。
アズラエルがふざけて、
「ウサギ鍋の用意でもしてるのかもな」
と後ろで笑うと、ルナはやっと引っ込んだ涙を、また目にいっぱいためてベッタラを見上げた。
「きょう……ウサギ鍋なの……?」
「ち、ちがいます! ちがいます!!」
やっと泣き止んでくれたのに、またルナが泣いてしまった。ベッタラは大いに焦り、
「ウサギ鍋は許さないことにします! ウサギをワタシは愛します! ええとぉ、は、腹の中で!」
「おなかのなか!!」
ルナはぴーん! とのけぞった。
「やっぱりたべるんだ!!」
「た、食べます! ウサギはいつも、食べたり食べなかったりします!! だって、われわれ海の民には、ウサギは、めずらしく貴重で、」
「うぐっ……ひぐっ……」
「泣かないで!」
ベッタラが泣きそうだった。
「いつまで漫才やってんだ。降りろルナ。着いたぞ」
区役所の駐車場と同じくらいの広さの草原だ。男も女も、こどもも合わせて百人はいるだろうか。全員が原住民だ。アズラエルたちの存在を見つけると、物珍しげに見つめてくる。
この地区に、一度でも来たことのあるアズラエルは平気そうだったが、グレンたちの顔が強張るのは致し方ないことだった。
ここでは、ベッタラだけが頼みの綱だが、肝心のベッタラはひどく暗い顔をして落ち込んでいた。
「ワタシ――アノールの戦士失格です――ともだちの奥方を、二回も泣かせてしまった――」
「気にすんな。俺は気にしちゃいねえ」
アズラエルはあっさり言ったが、ベッタラはそのたくましい肩を丸めて、
「アーズラエルではなくワタシが気にします。ともだちの奥方ももてなせない男など、アノールではサイテイです……」
ルナに泣かれたのが相当ショックだったようだ。
力のない声に、ルナは逆に申し訳なくなってきて――ルナは、なんとなく自分が食べられそうで怖かっただけなのだが――。
「ご、ごめんなさい、あの、ベッタラさん、」
「ルーナさん、ウサギは美味しいのです……わかってください……」
「食べたらだめ!!」
「おまえら、いい加減ウサギの話題から離れやがれ」
グレンの呆れ声が、ようやくふたりのウサギ論争をやめさせた。
頬をぷっくりさせたままのうさこは、アズラエルの隣ではなく、グレンの横でもなく、ピエトとルシヤの間に挟まって、一番後ろを歩いた。
井桁の炎の向こう――三人の老人といっしょに、たき火を囲んでいる男がいた。
金髪の、がっしりした体格の男。琵琶の形をした、弦のある楽器を抱えている。彼が指先を弦にすべらせると、ポロン、ポロン、と音が鳴った。
(あれ?)
ルナは、なんだか彼の周囲が光っているような気がした。目の錯覚だろうか。
たき火の炎が、彼の姿を浮き上がらせているからか。
ルナは、すでに周囲が暗くなり始めているのにやっと気づいた。それにとても寒い。ルナは寒さに一度震え、身体を縮めた。火の暖かさが冷えた身体に沁みるようだった。さっきまでは、ベッタラがその身でルナを覆っていてくれたから、寒くなかったのだ。
金髪の男の太い指が、弦をかき鳴らした。ポロン、ポロンというか細い音から、ジャラン、ジャラランとメロディーを奏でていく。
男がやわらかなテノールで弾き語りを始めると、周囲の老人たちが調子を合わせた。
“はるかな昔 神々が地にあった
ラグ・ヴァダの神よ サルーディーバよ“
ベッタラも彼らの隣に座り、あとを追うように、アズラエルにも似た低く太い声で歌いだす。
腹に沁みるような男性の歌声に、近くの子どもたちのソプラノが交じった。
歌声は外へ。輪唱が、ひろがっていく。
“サルーディーバはむかえた ラグ・ヴァダと同じ青き星よりの使者を
迷い人を
彼のねがいを叶えたまえ 迷い人をすくいたまえ
マ・アース・ジャ・ハーナの神はかなえた
戦士を送り出した
ラグ・ヴァダの戦士を もっともつよき武神を“
合唱は、伝播するように周囲を飲み込んでいく。
“ラグ・ヴァダの名を持つつよき神よ
神はアストロイの武神を 弟神を打ち破る
つよき神よ おお! ラグ・ヴァダの武神よ“
ルナは気づいた。ピエトも同じ歌をうたっているのを。
“されどラグ・ヴァダの武神も アストロイの兄神のまえに敗れ去る
おお! ラグ・ヴァダの武神よ つよき神よ 偉大なる神よ“
ルナも――アズラエルもグレンも、セルゲイもカレンも聞き入っていた。言葉もなく。
シュナイクルたちも黙って聞いていた。
地の底からわき上がるような、人々の歌声を。
“捕らえられたラグ・ヴァダの戦士 偉大なる戦士
アストロイの姫メルーヴァが救いたもう 青き星の民とアストロイの女王の子よ
平和をもたらす姫よ うるわしき姫メルーヴァ“
“メルーヴァはラグ・ヴァダの戦士の子を産む
その名はイシュメル
三つ星に平和をもたらす子ども
ラグ・ヴァダの戦士は散った 青き星のまがつ神のために
アストロイの兄神は散った 青き星のまがつ神のために
メルーヴァは散った 散り散りに砕けた
ラグ・ヴァダの戦士とアストロイの兄神のたたかいによって
イシュメルは守られた 青き星の偉大なる神によって
イシュメルは守られた われらラグ・ヴァダの王サルーディーバによって
偉大なる王 サルーディーバよ
戦士はアストロイに眠る“
“やがてまがつ神はやってきた ラグ・ヴァダにも
アストロイを滅ぼしたように
まがつ神はやってきた ラグ・ヴァダを支配する
されどイシュメルはマ・アース・ジャ・ハーナの神が守る
マ・アース・ジャ・ハーナの神よ
三つ星を繋ぐまことの神よ!“
大合唱が終わった。
森を震わせるような盛大な合唱が終わり、井桁の炎が天をつき爆ぜる音だけが、しばらくこの地を支配した。
ルナは、歌声が嵐となって、身体を通り過ぎて行ったような気がした。身体の細胞がぜんぶ目覚めたように、胸が高鳴り、急に身体が大きくなった気さえした。
(――今の、歌は)
やがて、あちこちでグラスのかち合う音が聞こえた。さまざまな言語で交わされる、乾杯! の声。
ルナがはっと気づくと、温かい飲み物が入った金属製のカップが、めのまえにさしだされていた。カップを差し出しているのは、笑顔のベッタラ。
ルナは、「あ、ありがとう……」と言って、カップを受け取った。
あたりは真っ暗だった。ルナがつめたい風にぶるりと身を震わせると、ベッタラが「暖かいですよ」といって、大きなストールを肩にかけてくれた。
ルナがピエトを見ると、すでにピエトとルシヤも毛布にくるまれて、カップの飲み物を啜っていた。
アズラエルもグレンもカレンも、セルゲイも、シュナイクルも、ジェイクもバンビも、老人たちと、ベッタラといっしょに火を囲んでいる。
みんなが、ルナを見ていた。
楽器を弾いていた金髪の男も、じっとルナを見据えていた。その目は強く、あたたかかった。
――なつかしい気がしたのは、なぜだろう。
「K33区へようこそ」
男は、ルナの方に手を差し伸べた。
「会えるのを楽しみしていたぜ。“メルーヴァ”」




