186話 ラグ・ヴァダの神話 Ⅰ 2
アズラエルが運転する車は、ハンシックからK40区方面へ向かい、K33区の区役所側から入れるように向かった。先導するのは、ハンシックの新品トラックだ。
結局、バリバリ鳥の肉はハンシックでも切れていたので、いっしょにK33区で買うことになった。
K03区からK33区にいたる山道の光景は、真砂名神社近くの山の風景とは、趣きがちがっていた。木々や道路わきの草花は、ルナが見たことのない形が多い。
針葉樹林の中に、白樺のような、白い木肌のまっすぐにそびえたつ木々が交じっていたり、人の顔ほどもある、あざやかな色彩の花の群生があったりした。
ピエトは窓の外を眺めながら、「……俺の住んでたところに、風景が似てる」とつぶやいた。
「ピエトの、故郷に、似てる?」
「うん」
「ハンシックのある土地も、ルチヤンベル・レジスタンスの、故郷に似てる」
ルシヤは、ピエトと一緒にアズラエルの車に乗った。かわりにグレンがハンシックのトラックだ。
午後三時ころ、ようやくK33区の標識をすぎた。
「やれやれ、この調子じゃ今日は一泊だな」
アズラエルが言うと、ルナは、「あたしお泊りの用意してこなかった!」と叫んだ。
「まさか、原住民の宿に泊まるんじゃないよね?」
セルゲイも不安な顔つきだった。アズラエルが言った。
「心配するな。K33区にもホテルはある。コテージタイプだが、ちゃんと綺麗な風呂もトイレもついてるよ。区役所内にもたしか、ホテルがあったはずだ」
「心配するな! K33区の原住民は、いいひとばかりだ」
ルシヤも叫んだが、セルゲイとカレンは苦笑した。
「そりゃ、ハンシックに来る人たちはそうだろうけど」
やがて、集落の入り口である、K33区の区役所が見えてきた。アズラエルの言ったとおり、コテージタイプの高級ホテルが何軒か見える。
「あの先は、車では行けねえ」
アズラエルは、役員の誘導に従って、区役所の裏にある広大な駐車場に車を停めた。
近代的なのは区役所と駐車場のあたりだけで、周りは大自然そのものだ。背の高い木々と、草木を編み込まれてつくられたような家がぽつぽつと見える大草原。
つると木でできた橋が森の方にかかっているところを見ると、川があるのだろうか。
ルナは車を降り、ぐるっとあたりを見渡した。
「ここは、L85のピエトが住んでいた場所がモデルなのかなあ?」
「俺が住んでたところに似てるよ!」
ピエトが叫ぶと、誘導してくれた役員――オレンジのダウンパーカと、トレーナーとジーンズ姿だった――彼が、
「見ない顔だね。どこの出だい? 俺はケトゥインだ」
と共通語で話しかけてきた。
「ケトゥイン……」
ピエトの顔がさっと青ざめて、アズラエルのうしろに隠れる。それを見て、駐車場誘導係の彼は眉をへの字に曲げた。
「おっと、何もしやしないさ。俺はL47のケトゥインの出だ。過激派とは無縁の、平和主義者さ。君はどこの子? 顔だちからいってアノールかな? ラグ・ヴァダかな」
「……お、俺は、ラグ・ヴァダだ!」
ピエトがアズラエルの腰につかまりながら叫ぶと、
「そうか。俺にもラグ・ヴァダ人のともだちがいる。――ついでに言うと、ここはL03区のラグ・ヴァダ居住区をモデルにつくられてるよ。それぞれの居住区にいけば、独自の文化が見られる」
と、教えてくれた。
アズラエルは、ついでに聞くことにした。
「俺たちは、バリバリ鳥を買いに来たんだ。このあたりで、売ってるところはねえか」
「バリバリ鳥か! なら、明日の朝市にするんだな。新鮮な肉と、血が手に入る」
「朝市か――おまえらがふだん食ってる、めずらしい食材もあるのか」
「ああ。この先のアノールの集落に、K33区に住んでいるすべての部族の食材がそろう。うまい朝メシもある。ケトゥインの辛い朝粥を、ぜひ食ってくれ」
「そうか。ありがとう」
「エデメットラ!」
車を誘導してくれた彼は、そう言ってルナたちを見送り、自分は駐車場の入口へもどっていった。
「あのひと、なんて言ったの?」
ルナの質問に、隣にいたシュナイクルが教えてくれた。
「ケトゥインの言葉で、“どうぞ、ごゆっくり”って意味だ」
アズラエルたちはまず区役所に入った。明日の朝市をのぞくためには、やはりここに一泊しなければならないので、宿泊の手配が必要だ。
コテージに泊まってみたいルナと、危険だから区役所内のホテルにしようという皆の意見とに割れたが、ルナがほっぺたを膨らませても、今回はだれも譲ってくれなかった。セルゲイでさえもだ。
「そんなに、心配しなくても、いいのに」
ルシヤはまた言ったが、軍事惑星の人間は、そういうわけにはいかないようだ。
そのルシヤは、さっきから不安そうなピエトと手をつないでいる。これでは、ルナでなく、ピエトのボディガードみたいだった。
区役所内は、外の風景とはがらりと変わって、ふつうのホテルのように近代的な内装だった。受付はスーツ姿の男女が三人、pi=poが二台いたが、ロビー内にいる人間は、皆が皆、独特の民族衣装を着た人間ばかりだ。
「ひさしぶりだな……この緊張感」
グレンが小さな声でつぶやき、カレンもうなずいた。
「ああ。周りが原住民ばっかだってのはね」
セルゲイの顔も心なしかけわしい気がした。
もと軍人だった彼らには、原住民しかいない区画に来るのは、相当の覚悟がいったようだ。
セルゲイが先ほど、「この地区に泊まるのか」とアズラエルに聞いたのも、ルナのようにまともなホテルがあるだろうかという心配ではなく、敵地で泊まるのか、という心配があったからにちがいない。
原住民といっても、領土を奪い取ることに情熱をかける過激派と、地球人と共存していこうという穏健派――ほんとうは、もっと複雑な事情やさまざまな思想によってふり分けられるが、おおざっぱに分ければその二派――に別れる。しかしどちらにしても、原住民の八割がたは、地球人に悪感情を持っていることは間違いなかった。
地球人がL系惑星群を侵略し、原住民たちのすみかを奪い取った。
原住民たちの中に共通する、その意識は三千年たってもかわることはないし、原住民同士でも戦争は繰り返されている。
ハンシックの彼らのように、友好的な方がまれなのだ。
ピエトはラグ・ヴァダ族だが、同じラグ・ヴァダの過激派に、何年も苦しめられてきた。ピエトのコミュニティーはケトゥインの過激派の集落にも近かったので、ピエトにとって、ケトゥインは恐怖の対象だ。
駐車場の役員がケトゥインと聞いたとたんに、顔色を悪くしていたピエトは、さっきからルシヤに寄り添って、離れない。怖いのだろう。
目だけはキョロキョロ、辺りを見回し、ラグ・ヴァダ族の衣装を見つけると、それをじっと目で追った。
ルナは、原住民とはまったく縁のない生活をしてきたものだから、原住民に対する恐怖の意識はあまりなかった。過激派と出会えば別だろうが、さっきの駐車場の誘導員も、おだやかなふつうの人だ。ケトゥイン族だと言われなければ、わからない。
見かけは、ルナと同じ人間にちがいなかった。
最初に出会った原住民が、シュナイクルたちだったこともあって、悪感情は皆無だ。
ただ、なんとなくルナは思った。グレンのいう緊張感という意味も分かる気がする。
この地区にいる人間は、皆が皆、身体ががっしりしている。女も男も体格がいい。それはルナたちのように文明的な生活をしてきたもののそれではなく、日常を、農耕だの戦だの、常に全身をつかう仕事に従事しているものの引き絞られた体格だ。
さまざまな言語が飛び交うなかに、ぴんと張りつめた緊張感はある。
(あ、そうか)
アズラエルや、グレンたちとおなじだ。
ルナのように、日常が「平和」ではないところで暮らしてきたもの特有の――。
「ルナ、あまりキョロキョロしないで」
目を合わせちゃダメだ、とカレンがルナをかばうようにうしろに隠した。それを見て、シュナイクルたちも、しかたないといわんばかりに苦笑いだ。
ルナが口をもぐもぐさせたときだった。
「アーズラエル! アーズラエル! アーズラエル!!」
発音のおかしい、アズラエルの名がフロント中に響き渡った。
額に水色の鉢金をつけ、白い貫頭衣に大判ストールを首に巻き、編上げのサンダルをはいた、緑色の髪の男が、両腕を広げて飛び上がり、こちらに突進してくる。
無論、ルナたちは全力でアズラエルから離れた。
「アーズラエル!! ワタシを忘れてはタイヘンに不名誉です! ワタシを覚えていますか! ワタシです!」
「ベッタラじゃねえか」
全力で抱きついてきた筋肉隆々の男――身長も、アズラエルとおなじくらい――を受け止めたので、アズラエルは当然よろけた。
「そうです! ワタシはベッタラです! アノールのベッタラです! ワタシはあなたを忘れない! それはとても懐かしい! はげしく求愛します!!」
そのままとれば、誤解されそうな言葉の羅列に、グレンやカレンが疑わしそうな視線でアズラエルを見たが、彼は「誤解だ!」と叫んだあと、男を引き剥がした。
男の満面の笑みがそこにある。自分と同い年の、顎髭持ちの、むっさい男の笑みが。
「おまえ相変わらずだな。まだ共通語、まともに覚えてねえのか」
「大変に勉強しましたがワタシはさりげなく未熟です! ミンナ教えてくれますが、まちがった方法が多くて少ない! ワタシは真剣ですがミンナ大きなまちがいをおかす! ふざけた性格がたのしくそうします! つまりワタシはさみしい……」
「わ、わかった。――なんとなくわかった」
「これは! ハンシックの英雄たちではありませんか!」
「よう」
ジェイクが代表して手を挙げた。ベッタラもハンシックの常連らしい。ルナたちはかち合ったことがないけれど。
「アズラエル、だれ、コイツ」
カレンが笑いを極限までこらえた顔で言った。
「ああ、コイツは――」
「ワタシ、アノールのベッタラです!」
カレンを抱きしめようとしたので、カレンは条件反射で避けた。ベッタラの、不思議そうな顔。
「ワタシを歓迎しませんか? ワタシはあなたに求愛します」
「それ困る。あたしはジュリって彼女が」
「コイツの“求愛”はそのまんまの意味じゃねえ。だいたい、歓迎されてんだよ俺たちは」
「わかってるよ! でも抱きしめられたら骨が折れそうだ!」
カレンの本音だ。ベッタラはアズラエルと同じようなガタイで、しかも力の加減を知らなさそうだった。
アズラエルが彼に何か耳打ちすると、ベッタラは輝くような笑顔で言った。
「抱きしめるのは知ることになりました! 抱きしめるのは注意を必要とします! ワタシはあなたを抱きしめることを拒みます! あなたの救いのために!」
「よ、よくわかんないけど……とりあえず抱擁はなしの方向でいいんだね」
「ワタシはアノール最強戦士です! あなたを喜びます!」
「最強戦士……かっこいい、ゼラチンジャーみてえだ!」
ピエトが興奮して叫ぶと、ベッタラも興奮した。
「アナタ、ゼーラーチンジャー見ていますか! ワタシも求愛します! はげしく求愛します!」
「はげしく……求愛?」
ピエトがヘンな顔で首をかしげると、アズラエルが呆れた口調で言った。
「ピエト、コイツに共通語教えてくれるか。ベッタラ、コイツはL85のラグ・ヴァダ族で、ピエトっていうんだ。すくなくともおまえよりはずいぶんまともに共通語話すぞ」
「ピエト! ワタシ、ベッタラです! アノールのベッタラ!」
「わ、わかった、わかったよ!」
骨が軋むほどの勢いで抱きしめられ、ピエトは悲鳴をあげた。ピエトのその様子を見、カレンはやはり拒んで正解だったと思った。
ルシヤはだいぶ距離を取っていた。
「ラグ・ヴァダですか! ペリドット区長と同じくちがう部族ですかもしれない。おそらくそうでしょうかもしれない。ワタシはそれをみとめます!」
「アズラエル、どうしたらいいの」
「ニュアンスで理解しろ」
ピエトの進退窮まった苦悩顔に、アズラエルのアドバイスは投げやりだった。
「あらためて、紹介しとくよ。ベッタラは、ギォックの同乗者だ」
「コイツが……」
ようやくまともに紹介できたアズラエルだったが、反応したのはグレンだけだった。
ベッタラは、なんでもアノール族最強の戦士(いまのところ自称)らしい。
故郷の島では、彼が一番で、ギォックが二番目。
ギォックは、ハンシックの事件でアンディに火だるまにされ、一命はとりとめたが、船を降りた。彼らは任務で宇宙船に乗ったため、ギォックの代わりに、アズラエルが任務に入ると約束したのだ。
彼らは、アズラエルが以前、K33区に遊びに来たときに、いの一番に声をかけ、宴会に誘ってくれた友人だという。アズラエルはアノールの民の集落で、一晩中語り合い、酒を呑んで、そのまま三人で原っぱに寝っころがって朝を迎えた――というベッタラの話。
ニュアンスで理解すれば。
「ギォックも、アーズラエルと楽しく飲むべき日が必要、またふたたび、と思っていたことを認めると誓います」
アズラエルがここへ来た二番目の目的は、ベッタラに会うためでもあった。
ベッタラはギォックの同乗者である。
ギォックの代わりに任務を請け負うと約束したはいいものの、具体的な話はなかった。
アズラエルがこっそりそのことを話すと、彼はニコリと笑い、「(その話はあとで)」とアノール語で返した。
「アーズラエルは酒が大いに進みます! またいっしょに呑んで寝ます! 夜明けのコーヒーはおいしいでしたね!」
「ベッタラ、そのセリフは誤解されるからやめてくれ」
「ベッタラは誤解を恐れません!」
「だから、ちがうんだよ! 理解しろ! 俺の言ってることを!」
グレンたちは、この話が妙に通じない相手と、アズラエルが何を話してひと晩飲んだか、それが気になってしかたがなかった。
「そして、アーズラエル」
いきなりベッタラは、でかい図体をもじもじとさせて、アズラエルの隣で囁いた。ルナをちらちらと見ながら。
「この、ちいさくて、ちいさなお姫さまは、いったい何者でありましょうか!? ワタシは自己紹介をもとめます」
「あ?」
頬を染めた髭面の男は、気持ちが悪い。グレンとアズラエルの意見が合致しためずらしい瞬間だった。
アズラエルは、「俺の妻だ」ときっぱり言った。
反射で、グレンがアズラエルにつかみかかろうとするのを、なんとかセルゲイとカレンふたりがかりで止めた。原住民ばかりの地で仲間割れなどもってのほかだ。
ルナの「つきあってません!」の決め台詞は、バンビが阻止した。手で口をふさぐことによって。
ルナとアズラエルはまだ結婚してはいないが、ピエトは、ルナとアズラエルは夫婦だと思い込んでいる。したがって、ピエトとルシヤはなにも言わなかった。シュナイクルたちは言わずもがなである。
だがベッタラはちがった。




