186話 ラグ・ヴァダの神話 Ⅰ 1
「ルナぁ!!!!!」
駐車場に停めたとたんに、ルシヤの声がした。ハンシックから猛然と走ってくる姿が見える。
「アイツ、足早ぇ!!」
ピエトも驚いて、ぴょんっと背を伸ばした。
「ルナ!!」
「うわぁ」
勢いよく飛びついてきたルシヤを、ルナはなんとか受け止めた。
「久しぶり! ルナ!」
「うん! るーちゃんひさしぶり!!」
「会いたかった! ルナも、こっちに引っ越してくればいいのに――パルキオンミミナガウサギはあれから出てないけど、店でカレーを出すようになったよ! けっこう評判がいいんだ。それから、トラックが壊れたからまた買った! ルナに、ルナに、話したいことが、いっぱいある!!」
すさまじい勢いでそこまでしゃべったあと、ピエトの存在に気づいた。
「おまえだれ?」
「おまえこそだれだよ」
アズラエルもルナも皆――おとなたちは、ピエトに、ルシヤの話はしていなかった。なんとなく、気が合いそうだとは思っていたので。
「わたしは、誇り高きルチヤンベル・レジスタンスの末裔、ルシヤ!!」
胸を張って、草原の向こうまで響き渡る大声でそう叫んだルシヤに、負けず劣らずでかい声で、ピエトも怒鳴った。
「お、俺は、エルトのラグ・ヴァダ族、ピエトだ!!」
「おまえ、ラグ・ヴァダ族なのか!?」
ルシヤは目を見開いた。
「いくつだ」
「えーっと……」ピエトは指折り数えた。「たぶん十一歳」
「わたしより、年上か!!」
ルシヤは忌々し気に唸った。
「しかたない。兄と、敬ってやろう……しかたないけど」
ルシヤは不満気にブツクサいった。大人たちは笑いをこらえ、ピエトは不思議そうな顔をしている。
「なんで俺がおまえの兄ちゃん?」
「おまえ、アズラエルの子だろう。わかるよ」
ルシヤの宣言に、ついに大人たちは吹き出した。
アズラエルだけだ。ピエトと同じ不満気な顔をしたのは。
「ちがうんだよ。俺と血はつながってねえ」
「は!? そっくりだよ?」
ピエトは納得いかない顔で、しきりに首を傾げた。
「おまえこそ、どういう意味だよ。俺の弟はピピだけだ。おまえは俺の弟じゃねえよ」
大人たちは爆笑の渦に頭を突っ込んだ。ルシヤは頭から噴火する勢いで叫んだ。
「わたしは! 女だ!!」
そこからさらに、いくつか悶着があったあと、ルシヤとピエトはハンシックまで競走した――ルシヤがわずかに速かった。ふたりとも、信じられないくらい足が速かったが、僅差でルシヤの勝ちだ。
ピエトは、自分より足の速いヤツがいるとは思っていなかったので、とても悔しげだった――けれど、一気に仲良くなった。
「でも俺、いきなり妹が二人になるっていわれても、よくわかんねえよ」
ルシヤは、「これが、もうひとりの妹だ」と、ルナとルシヤふたりで撮った写真をピエトに見せた。
「だっておまえ、ルナとアズラエルの子なんだろう? だったら、わたしたちときょうだいだよ」
「……まぁいいよ。よく分かんねえけど」
ピエトは首をかしげてうなずき、ジャーヤ・ライスをひと口頬張って、「うめえ!」と叫んだ。
ハンシックは相変わらずのどかだった。以前来たときと変わったところがあったといえば、トラックが新品になっていたことくらいだ。
「中古を買ったら一ヶ月でイカレてな……もう思い切って、新車を買ったよ」
シュナイクルは肩をすくめて言った。
彼らがルナたちのために用意してくれていた昼食は、ジャーヤ・ライスとラグ・ヴァダのスープ、トワエのサラダ。原住民のパンが数種類に、ソーセージやチーズの盛り合わせ。取れたて野菜が丸かじりできるように、ディップが添えられている。
なつかしの味。数ヶ月しか経っていないのに、何年も来ていないような気にさせられる。
「今日は、クラウドとミシェルは別行動?」
いつも通り、サラダばかりモシャモシャ食っているバンビが聞いた。
「うん。ミシェルは、真砂名神社の河原に絵を描きに行ったの」
ルナが答えた。
「絵? あの子、絵なんか描くの?」
「うん! 絵も上手だけど、アクセサリーなんかも上手につくるよ」
「……ああ、うめえ。このソーセージ、久々に食ったぜ」
グレンが、エラドラシスの腸詰肉を感慨深く噛み締めていると、ジェイクが笑いながら背中を叩いた。
むせる。
「そういうならもっと頻繁に来いって!」
「少し遠かったからね。でも、ルナちゃんが、シャインのカードをとある筋からもらったから、これからはもっと頻繁に来られるかも」
セルゲイが、マケロッタの薄切りパンに、こんがり焼いたサラミを乗せ、頬張った。
「ほんとう!?」
ルシヤが満面の笑顔になる。
「話には聞いてたけど、マジでメッチャうまいわ~。シュナイクル……シュンさんだっけ。シュンさんって呼んでもいい? バーベキューに持ってきてくれたお肉も美味しかったけど、このジャーヤ・ライスってのもサイコー」
カレンは親指を立てた。
「そりゃよかった。好きなように呼んでくれ。……ところで、俺もおまえたちに話があったんだ」
シュナイクルが、ルナとアズラエルに向かって言った。
「ええっ!?」
「ルシヤが、ルナのボディガードになっただと!?」
アズラエルの絶叫と、皆の絶句の向こうには、胸を張って自慢げなルシヤ。意味が分かっていないピエト。ルナのアホ面が混在していた。
「ああ。つい、おとといの話でな。今日、おまえたちが来るって連絡がなかったら、今度の休みにでも会いに行こうと思っていた」
シュナイクルの話を要約するとこうである。
一週間前、ルナの担当役員の、ミヒャエル・D・カザマから、電話があった。
用件は、ハンシックでの事件の概要を聞くためだったが、それだけでは終わらなかった。
大事な話があるから、長く時間をもらえないかということだったので、シュナイクルは休みの日を指定した。
来たのは、一昨日の午前。
アンディの事件の概要を四人から聞いたあと、調書をまとめたカザマは、席を立たず、今度は自分が語りだした。
話は、午後にまで及んだ。
L03の革命家メルーヴァが、ルナを襲うかもしれないという話から、マ・アース・ジャ・ハーナの神話の話に至るまで――ずいぶん壮大な話を聞かされた。
そして、最終的に、ルシヤにルナのボディガードをお願いしたいという結論に落ち着いた。
当然だが、前後の話を整理するだけでも、シュナイクルたちには大変だった。なにせL03の君主にして生き神のサルーディーバ、稀代の占術師サルディオーネ、革命家メルーヴァが関わってくる内容である。
カザマは、返事は急がない――しかし、なるべく早く。ダメならダメで、次を当たらなければならない――と言ったのだが、ルシヤには迷いがなかった。
その場で、二つ返事で引き受けたのだという。
シュナイクルには、ルシヤが決めたことに反対する理由はなかった。
「ミヒャエルさん――には、不満があったそうだ」
シュナイクルは言った。
「九庵のことも、それ以前も、ルナにはボディガードが付けられていた。だが、それはミヒャエルさんにも知らされていない人物だったそうだ」
「カザマも知らなかった、だって?」
アズラエルが不審な顔をした。
彼にも覚えがある――ルナと出会ったばかりのころ感じていた、ひとの気配。あれはやはりボディガードだったのか。どうりで殺意はないと思っていた。
しかし、カザマも知らなかったとは。
結局、その気配はいつのまにか消えていた。アズラエルとルナが同居し始めたころはもうなかった。
ルナはもしかしたら、タキおじちゃんではないかと思っているのだが、それはここでいってはならないことなので、だまっていた。
「そこで彼女は、自分の信用が置ける人間をルナのボディガードにしたいと言った――それも、女性のほうがいい。九庵もトイレにまでは付き添えないからな。それから、なるべくルナのストレスにならない人物、ということで、うちの孫にスポットが当たったそうだ」
「――おまえは、いいといったのか」
アズラエルが困惑顔で聞いた。ルシヤではなくシュナイクルに。シュナイクルは真剣な顔でうなずいた。
「実際に任務に就くのも、緊急時のみということだ。ふだんは普通の生活を営んでもらってかまわない。……メルーヴァがL系惑星群内で逮捕されれば、もとよりこの話はなしになる」
「心配、いらない!! メルーヴァだろうが、何だろうが、ルナに、わるものは近づけさせないから!!」
そういって、ゼラチンジャーのポーズを決めたルシヤに、ピエトが笑顔になった。
「おまえも見てんの!!」
「わたし、ゼラチンブルーだ!!」
「じゃあ俺ゼラチンレッド!!」
「ジェイクは、粉寒天! 秘密の組織のナンバー2だよ!」
「ウィッス」
ジェイクが大人枠から外れた。全員、困惑よりの表情になったので――ゼラチンジャーのせいではない――シュナイクルは言った。
「このとおり、ルシヤがその気なんだ。止めても無駄だ」
「……危険があるかもしれないんだぞ?」
「このあいだの事件より、上の危険か」
だれもその質問には答えられなかった。メルーヴァのことは、アンディのとき以上に、まだまだ不確定要素が多すぎるのだ。
バンビが考え込む顔で、つぶやいた。
「どっちにしろ、一筋縄ではいかない案件のようなのよね……だから、すこしクラウドと話してみたかったんだけど」
今日、クラウドは同行していない。
「それに、俺たちも、メルーヴァ討伐軍のメンバーに入れてもらったからな」
「は!?」
アズラエルがシュナイクルの言葉に、口を開けた。
「水臭いぞ! まぁ、俺だって、不思議はもう真っ平だけど、いっしょにアンディとルシヤちゃんを助けた仲じゃねえか!」
ピエトとルシヤがふたりで盛り上がり始めたので、粉寒天役はもどってきた。
「おいおい……本気か?」
呆れているのはアズラエルだけで、カレンやセルゲイ、グレンは大歓迎といった顔だった。
「いやどう考えても頼もしいだろ。もとルチヤンベル・レジスタンスにレンジャーに、科学者だって?」
カレンが笑いながら歓迎する。
「ミヒャエルさんに聞いた話の中でも、興味深い話がいくつかあった。特にマ・アース・ジャ・ハーナの神話の話」
バンビが人差し指を立てた。
マ・アース・ジャ・ハーナの神話と聞いて、ピエトとルシヤもゼラチンジャーごっこをやめて、興味を示した。
「どうやら、K33区にペリドットさんがもどってるらしいのよ」
「なんだと?」
「宴会に招待されてるの。よかったら、あんたたちも行かない? 彼はラグ・ヴァダの王族らしいから、マ・アース・ジャ・ハーナの神話で、本に載っていないことも聞けるかもしれない」
シュナイクルは微笑んでいるだけだ。
「バリバリ鳥の肉なら、うちで仕入れてるぞ。持っていくか?」




