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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~ラグ・ヴァダの神話篇~
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185話 ペリドット 2


「ああ――アントニオのやつ、なんか、言ってたっけなあ」


 ようやく思い出した顔で、やはり面倒そうに顔をしかめた。

 もともと彼は、ひとに教える性分ではないと、アントニオも言っていた。アンジェリカは、無論、追い返されることも覚悟していた。おそらく一度目は、断られるだろうことも。だから今日追い返されても、しつこく通うつもりでいた。

 三顧(さんこ)の礼という言葉もあるではないか。

 だが。


「ご教授、ねえ」

 ペリドットはホコリだらけの頭をガシガシとかいたのち、「おまえ、俺になに教えてもらいたいの」と言った。


 逆に問われて、アンジェリカは返事に(きゅう)した。


(なにを?)

「で――ですから――ZOOの支配者としての、」


 心構えとか、秘術とか、と口の中でもごつき――アンジェリカは自身でも、はっきりとした答えを持たないことに気付いて、うろたえた。


 ――何を教えてほしい?


 問われてみれば、アンジェリカの中でもあまりに漠然(ばくぜん)としている。今の自分が、不調をきたしているのは分かっている。それが、おのれの未熟から来るということも。


 だが、何を教えてほしいのだと問われても、具体的な答えは出てこない。

 ZOOカードに異常はない、それはアントニオにもイシュマールにも見てもらったのだからわかっている。


 地球行き宇宙船に乗ってから、ZOOカードがうまく読めなくなった――ほかの占術もそうなるようで、いままで見えていた象意がまるで見えなくなる、それはもしかしたら、母なる地球に近づくからではないか、とほかの占術師も言っていて、姉のサルーディーバにもそういわれてきた。


 サルーディーバも、いままで簡単にできていた、離れた場所へ自分の残像を送る術や、人の心を読む術などが、できなくなってきている。


 母なる地球に近づいていくから、いままでのような見方が叶わなくなるのか――しかし、それだけではない。


 ただ、アンジェリカは、明確に行き詰まりを感じていた。


 わからない。

 わからないことだらけだ。


 アンジェリカは、自分の力量不足を、痛切に感じていた。


「……ZOOカードが、この宇宙船に乗ってから、調子がおかしいのです」

「はあ」

「いままで見えていた象意が見えなくなっ――」

「だっておまえ、仕事はできてんだろ」


 たしかに、仕事はできている。L系惑星群の政府高官相手にする占いは、いままでどおり完璧だ。

 だが、ちがう。

 なにかが、ちがうのだ。

 その不調を説明するすべを、アンジェリカは持たなかった。


 アンジェリカは覚悟を決めて、一度、ギュッと目を(つむ)った。


「わ、わたしは、ZOOの支配者として未熟です!」


 アンジェリカは恥も外聞もなく叫んだ。

 いまさら体裁(ていさい)をつくろっても仕方ない。ペリドットはアントニオ同様、アンジェリカのすべてを見透かしてしまうのだから。


「それは自覚しています。ですから、わたしの未熟な部分を、指摘していただきたいのです!」


 どんな厳しい修行にも耐え抜きます! どんな厳しいお言葉も受け止めます! とアンジェリカは闘志を燃やして言い募ったのだが――。


「未熟どうこうじゃなく、おまえ、ZOOの支配者じゃねえだろ」


 返ってきた言葉に、アンジェリカは硬直した。

 まさか――あまりの未熟さに、マ・アース・ジャ・ハーナの神に、すでに支配権を取り上げられてしまったのだろうか。

 でも、支配権を取り上げられていたなら、占いはできないはずだ。


「アントニオから聞いてるよ。ZOOカードに遊ばれてるお嬢ちゃんがいるってな」

 ペリドットはおかしげに笑った。

「ZOO・コンペもまともに開けやしねえ。他人の干渉にも気づかねえ。おまえは、ZOOの支配者じゃなくて、ZOOカードに支配されてる子ネズミちゃんだろ?」


 アンジェリカは震えた。


「おまえは、“仲間の力”でなんとかZOOの支配者の体面を保ってる、あわれな子ネズミちゃんだ。ネズミ仲間に感謝するんだな。ネズミはZOOカードの中でも一番数が多い。おまえが仲間のいないペガサスあたりだったら、もっと膠着(こうちゃく)状態だったろうに」


「――え」


「意味が分からないのか? なるほど。おまえ、何も学んでこなかったのか。この宇宙船に乗って何ヶ月たったと思ってるんだ。母なる地球に近づくからZOOカードがおかしくなる? ふざけるな。おかしいのはおまえだよ」


 彼はゲラゲラと涙を流して下品に笑い――アノールの民も一緒に笑った。彼らは共通語が分からないから、おかしいことがあったのだと思っていっしょに笑ったのだろうが、アンジェリカはその数分間――笑いがおさまるまでの間、屈辱に耐えねばならなかった。


(――おっしゃるとおりだ)


 反論する言葉もない。それほどに未熟だから自分は、こうして彼に頭を下げて、教えを乞いに来たのだ。


「どうか! お願いします。この未熟なわたしにご教授を――」


「ZOOの支配者じゃないやつに、教えることはない」


 ペリドットはもう笑ってはいなかったが、厳然(げんぜん)と彼は言った。


「なにか教えてほしいんだったら、せめて“ZOOの支配者になってから”来いよ」


 最後は、あきれ果てたような声だった。


「わた、わたしは――」


 ついに言葉も尽きて、頭を下げたままどもるアンジェリカに、ペリドットは心底面倒くさそうに、大きなため息を吐いた。


「おまえは大分、いい気になっているようだな。金を山と積まれて先生と崇められ、企業の行く末なんかを占って、それで満足なのか? ZOOカードは、そんなことのためにつくったのか?」


 アンジェリカは、もっともだと思った。

 新しい占術を生み出した者として、サルディオーネの地位を与えられ、その名に恥じぬよう、長老会にいわれるまま、高官や世界の要人たちの占術を行ってきた。


 けれど、最初は、姉のためだった。

 サルーディーバとして生まれた姉を支えるため。L03を近代化していくため。姉を補佐していく人間になりたいがために、がんばった結果だったはずだ。


 決して、長老会の私腹を肥やすためではなかった。

 ――結果として、そうなっていることは事実だ。


 アンジェリカはまだ、あまりにも無力だった。

 そして今、一番頼りにし、信じてきた姉が、自分を拒絶している。

 アンジェリカは、涙がこぼれそうだった。


「ここまで教えて、何もわからないようなら、とっととサルディオーネの地位も、ZOOの支配者の位も返上しろ」

「……」

「俺は、ZOOカードをつくったZOOの支配者は、若いのにできたヤツだと聞いていた。がっかりだ。ここまでできないやつだとはな」


「申し訳――ありません」

 アンジェリカは項垂(うなだ)れるしかなかった。


「おまえが役立たずとなったら、別のヤツをZOOの支配者に選ぶぞ」

「――!!」

「いざというとき、つかいものにならんのじゃ、困る。メルーヴァを相手にするために、ZOOの支配者はふたり必要なんだ――どうしても」

「え?」


 アンジェリカははじめて聞く事実に、目を見開いた。

 ZOOの支配者がふたり、必要?


「アントニオはおまえに話していないのか――だろうな。今のおまえには話せねえよなァ」


 アンジェリカは唇をかみしめた。

 あの話の流れでは、やはりアンジェリカが頼りないから、ペリドットを呼んだのだと言われているような気がした。


「(ほんじゃ俺、ウチ帰るから。今日は午後から客が来るんだ。宴会になると思うから、おまえらも来ていいぞ)」


 おそらくアノール語と思われる言葉で、ペリドットは仲間たちに話しかけ、つどいをあとにした。

 アンジェリカには一瞥(いちべつ)もくれなかった。


 アンジェリカはこの場に残ったアノールの民に礼をし、そのまま区役所まで走った。彼らのひとりが、アノール語でアンジェリカを引きとめたような気がしたが、気づかず、その場をあとにした。

 さんざんに言われたが、不思議と泣きたくもならないし、逆に胸は熱かった。


(あのひとは――ペリドット様は、あたしを認めてくださっていたんだ!)


 ほんとうは。

 けれども、その信頼を裏切ってしまったのは自分だ。

 いざというそのときに、ZOOの支配者がふたりいなければならないその瞬間が来たとき、ペリドットはアンジェリカを、背を預けるものとして認めてくれていた。

 なのに、今の自分の、このていたらくはなんだ。


(あたしは、アントニオに甘えすぎていたのかもしれない)


 アンジェリカは、猛省した。最近、アントニオに頼り過ぎていた自分を。


(――三晩でも一週間でも――一ヶ月でも、ZOOカードと向き合ってやる)


 そう鼻息を荒くし、リズンの二階の部屋でZOOカードを広げはじめたアンジェリカを見たら、「分かってねえなあ」と呆れ顔をするペリドットがいたはずである。

 この上ないやる気に満ち溢れて、ZOOカードに向かったアンジェリカの決意と気負いが崩落するのは、五分とかからなかった。


「――え?」


 ZOOカードが、ぴくりとも動かなくなってしまったのである。





 ルナはくちゅん! とくしゃみをした。

 ルナがキョロキョロしだしたので、「どうしたの、ルナ」と隣のピエトが聞いてきた。


「うん――なんか――」

(だれか、うわさしてるよ?)


 だからといって、車内をキョロキョロ見回しても、うわさをしている人物などいない。


「どうしたの、ルナちゃん」

 突然挙動不審(きょどうふしん)になったルナに、セルゲイも声をかけたが、

「だれかあたしのうわさをしてた!」

 ルナが叫んだので、セルゲイは自分のカーディガンを、ルナの膝にかけてやった。


 自動車は七人乗りのワンボックスカー。セルゲイの車だ。彼は先日、車検がきたので、車検まえに新しい自動車に買い替えた。

 運転手はアズラエル、助手席にはセルゲイ。一番後ろの席にカレンとグレンが乗っている。


「だれかがうわさすると、くしゃみが出るの?」


 ピエトが不思議そうに聞いたが、ルナは「うん。風邪ひいたときも出るよね」といった。

 だが、風邪ではなさそうな気もした。熱っぽくもないし、ルナは元気だ。


「ミシェルたち、いまごろギャラリーかな」

「あ? 無理だろ。午後になればつくだろうけど」


 グレンの台詞に、ルナは、バッグからゴールドカードを取り出した。


「シャインがあるよ?」

「はあっ!?」


 ピエト以外の大人たちは、みな驚いてルナの手元に集中した。


「たぶん、ミシェルたちはシャインで行ったよ?」


「ちょ、ルナ、それどこで手に入れたの!」

 カレンが叫んだ。


「ララさんにもらった!」


 ルナは正直に告白したのだが、運転手はじめ、車内のおとなたちはいっせいに叫んだ。


「なんで出発する前に言わねえんだそれを!」

「それ、最初に言おうね? ルナちゃん」

「ルナはボケウサギだとわかってはいたが――わざとか? わざとなのか?」

「ルナあ……あんたって子は……。もう、どっからツッコもう……」


 K33区は、ヘタをしたらK05区より遠いのだ。しかしルナはほっぺたをぷっくりと膨らませ――、


「シャインもいいけど……ドライブは楽しいのです……」


 シャインを使わずにいられないせわしない人は、一ヶ月で宇宙船を降りるのです……とぶつぶつ言いだしたルナに、おとなたちはあきらめた。シャインは元からなかったものとして、ルナのバッグに収納された。





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