185話 ペリドット 2
「ああ――アントニオのやつ、なんか、言ってたっけなあ」
ようやく思い出した顔で、やはり面倒そうに顔をしかめた。
もともと彼は、ひとに教える性分ではないと、アントニオも言っていた。アンジェリカは、無論、追い返されることも覚悟していた。おそらく一度目は、断られるだろうことも。だから今日追い返されても、しつこく通うつもりでいた。
三顧の礼という言葉もあるではないか。
だが。
「ご教授、ねえ」
ペリドットはホコリだらけの頭をガシガシとかいたのち、「おまえ、俺になに教えてもらいたいの」と言った。
逆に問われて、アンジェリカは返事に窮した。
(なにを?)
「で――ですから――ZOOの支配者としての、」
心構えとか、秘術とか、と口の中でもごつき――アンジェリカは自身でも、はっきりとした答えを持たないことに気付いて、うろたえた。
――何を教えてほしい?
問われてみれば、アンジェリカの中でもあまりに漠然としている。今の自分が、不調をきたしているのは分かっている。それが、おのれの未熟から来るということも。
だが、何を教えてほしいのだと問われても、具体的な答えは出てこない。
ZOOカードに異常はない、それはアントニオにもイシュマールにも見てもらったのだからわかっている。
地球行き宇宙船に乗ってから、ZOOカードがうまく読めなくなった――ほかの占術もそうなるようで、いままで見えていた象意がまるで見えなくなる、それはもしかしたら、母なる地球に近づくからではないか、とほかの占術師も言っていて、姉のサルーディーバにもそういわれてきた。
サルーディーバも、いままで簡単にできていた、離れた場所へ自分の残像を送る術や、人の心を読む術などが、できなくなってきている。
母なる地球に近づいていくから、いままでのような見方が叶わなくなるのか――しかし、それだけではない。
ただ、アンジェリカは、明確に行き詰まりを感じていた。
わからない。
わからないことだらけだ。
アンジェリカは、自分の力量不足を、痛切に感じていた。
「……ZOOカードが、この宇宙船に乗ってから、調子がおかしいのです」
「はあ」
「いままで見えていた象意が見えなくなっ――」
「だっておまえ、仕事はできてんだろ」
たしかに、仕事はできている。L系惑星群の政府高官相手にする占いは、いままでどおり完璧だ。
だが、ちがう。
なにかが、ちがうのだ。
その不調を説明するすべを、アンジェリカは持たなかった。
アンジェリカは覚悟を決めて、一度、ギュッと目を瞑った。
「わ、わたしは、ZOOの支配者として未熟です!」
アンジェリカは恥も外聞もなく叫んだ。
いまさら体裁をつくろっても仕方ない。ペリドットはアントニオ同様、アンジェリカのすべてを見透かしてしまうのだから。
「それは自覚しています。ですから、わたしの未熟な部分を、指摘していただきたいのです!」
どんな厳しい修行にも耐え抜きます! どんな厳しいお言葉も受け止めます! とアンジェリカは闘志を燃やして言い募ったのだが――。
「未熟どうこうじゃなく、おまえ、ZOOの支配者じゃねえだろ」
返ってきた言葉に、アンジェリカは硬直した。
まさか――あまりの未熟さに、マ・アース・ジャ・ハーナの神に、すでに支配権を取り上げられてしまったのだろうか。
でも、支配権を取り上げられていたなら、占いはできないはずだ。
「アントニオから聞いてるよ。ZOOカードに遊ばれてるお嬢ちゃんがいるってな」
ペリドットはおかしげに笑った。
「ZOO・コンペもまともに開けやしねえ。他人の干渉にも気づかねえ。おまえは、ZOOの支配者じゃなくて、ZOOカードに支配されてる子ネズミちゃんだろ?」
アンジェリカは震えた。
「おまえは、“仲間の力”でなんとかZOOの支配者の体面を保ってる、あわれな子ネズミちゃんだ。ネズミ仲間に感謝するんだな。ネズミはZOOカードの中でも一番数が多い。おまえが仲間のいないペガサスあたりだったら、もっと膠着状態だったろうに」
「――え」
「意味が分からないのか? なるほど。おまえ、何も学んでこなかったのか。この宇宙船に乗って何ヶ月たったと思ってるんだ。母なる地球に近づくからZOOカードがおかしくなる? ふざけるな。おかしいのはおまえだよ」
彼はゲラゲラと涙を流して下品に笑い――アノールの民も一緒に笑った。彼らは共通語が分からないから、おかしいことがあったのだと思っていっしょに笑ったのだろうが、アンジェリカはその数分間――笑いがおさまるまでの間、屈辱に耐えねばならなかった。
(――おっしゃるとおりだ)
反論する言葉もない。それほどに未熟だから自分は、こうして彼に頭を下げて、教えを乞いに来たのだ。
「どうか! お願いします。この未熟なわたしにご教授を――」
「ZOOの支配者じゃないやつに、教えることはない」
ペリドットはもう笑ってはいなかったが、厳然と彼は言った。
「なにか教えてほしいんだったら、せめて“ZOOの支配者になってから”来いよ」
最後は、あきれ果てたような声だった。
「わた、わたしは――」
ついに言葉も尽きて、頭を下げたままどもるアンジェリカに、ペリドットは心底面倒くさそうに、大きなため息を吐いた。
「おまえは大分、いい気になっているようだな。金を山と積まれて先生と崇められ、企業の行く末なんかを占って、それで満足なのか? ZOOカードは、そんなことのためにつくったのか?」
アンジェリカは、もっともだと思った。
新しい占術を生み出した者として、サルディオーネの地位を与えられ、その名に恥じぬよう、長老会にいわれるまま、高官や世界の要人たちの占術を行ってきた。
けれど、最初は、姉のためだった。
サルーディーバとして生まれた姉を支えるため。L03を近代化していくため。姉を補佐していく人間になりたいがために、がんばった結果だったはずだ。
決して、長老会の私腹を肥やすためではなかった。
――結果として、そうなっていることは事実だ。
アンジェリカはまだ、あまりにも無力だった。
そして今、一番頼りにし、信じてきた姉が、自分を拒絶している。
アンジェリカは、涙がこぼれそうだった。
「ここまで教えて、何もわからないようなら、とっととサルディオーネの地位も、ZOOの支配者の位も返上しろ」
「……」
「俺は、ZOOカードをつくったZOOの支配者は、若いのにできたヤツだと聞いていた。がっかりだ。ここまでできないやつだとはな」
「申し訳――ありません」
アンジェリカは項垂れるしかなかった。
「おまえが役立たずとなったら、別のヤツをZOOの支配者に選ぶぞ」
「――!!」
「いざというとき、つかいものにならんのじゃ、困る。メルーヴァを相手にするために、ZOOの支配者はふたり必要なんだ――どうしても」
「え?」
アンジェリカははじめて聞く事実に、目を見開いた。
ZOOの支配者がふたり、必要?
「アントニオはおまえに話していないのか――だろうな。今のおまえには話せねえよなァ」
アンジェリカは唇をかみしめた。
あの話の流れでは、やはりアンジェリカが頼りないから、ペリドットを呼んだのだと言われているような気がした。
「(ほんじゃ俺、ウチ帰るから。今日は午後から客が来るんだ。宴会になると思うから、おまえらも来ていいぞ)」
おそらくアノール語と思われる言葉で、ペリドットは仲間たちに話しかけ、つどいをあとにした。
アンジェリカには一瞥もくれなかった。
アンジェリカはこの場に残ったアノールの民に礼をし、そのまま区役所まで走った。彼らのひとりが、アノール語でアンジェリカを引きとめたような気がしたが、気づかず、その場をあとにした。
さんざんに言われたが、不思議と泣きたくもならないし、逆に胸は熱かった。
(あのひとは――ペリドット様は、あたしを認めてくださっていたんだ!)
ほんとうは。
けれども、その信頼を裏切ってしまったのは自分だ。
いざというそのときに、ZOOの支配者がふたりいなければならないその瞬間が来たとき、ペリドットはアンジェリカを、背を預けるものとして認めてくれていた。
なのに、今の自分の、このていたらくはなんだ。
(あたしは、アントニオに甘えすぎていたのかもしれない)
アンジェリカは、猛省した。最近、アントニオに頼り過ぎていた自分を。
(――三晩でも一週間でも――一ヶ月でも、ZOOカードと向き合ってやる)
そう鼻息を荒くし、リズンの二階の部屋でZOOカードを広げはじめたアンジェリカを見たら、「分かってねえなあ」と呆れ顔をするペリドットがいたはずである。
この上ないやる気に満ち溢れて、ZOOカードに向かったアンジェリカの決意と気負いが崩落するのは、五分とかからなかった。
「――え?」
ZOOカードが、ぴくりとも動かなくなってしまったのである。
ルナはくちゅん! とくしゃみをした。
ルナがキョロキョロしだしたので、「どうしたの、ルナ」と隣のピエトが聞いてきた。
「うん――なんか――」
(だれか、うわさしてるよ?)
だからといって、車内をキョロキョロ見回しても、うわさをしている人物などいない。
「どうしたの、ルナちゃん」
突然挙動不審になったルナに、セルゲイも声をかけたが、
「だれかあたしのうわさをしてた!」
ルナが叫んだので、セルゲイは自分のカーディガンを、ルナの膝にかけてやった。
自動車は七人乗りのワンボックスカー。セルゲイの車だ。彼は先日、車検がきたので、車検まえに新しい自動車に買い替えた。
運転手はアズラエル、助手席にはセルゲイ。一番後ろの席にカレンとグレンが乗っている。
「だれかがうわさすると、くしゃみが出るの?」
ピエトが不思議そうに聞いたが、ルナは「うん。風邪ひいたときも出るよね」といった。
だが、風邪ではなさそうな気もした。熱っぽくもないし、ルナは元気だ。
「ミシェルたち、いまごろギャラリーかな」
「あ? 無理だろ。午後になればつくだろうけど」
グレンの台詞に、ルナは、バッグからゴールドカードを取り出した。
「シャインがあるよ?」
「はあっ!?」
ピエト以外の大人たちは、みな驚いてルナの手元に集中した。
「たぶん、ミシェルたちはシャインで行ったよ?」
「ちょ、ルナ、それどこで手に入れたの!」
カレンが叫んだ。
「ララさんにもらった!」
ルナは正直に告白したのだが、運転手はじめ、車内のおとなたちはいっせいに叫んだ。
「なんで出発する前に言わねえんだそれを!」
「それ、最初に言おうね? ルナちゃん」
「ルナはボケウサギだとわかってはいたが――わざとか? わざとなのか?」
「ルナあ……あんたって子は……。もう、どっからツッコもう……」
K33区は、ヘタをしたらK05区より遠いのだ。しかしルナはほっぺたをぷっくりと膨らませ――、
「シャインもいいけど……ドライブは楽しいのです……」
シャインを使わずにいられないせわしない人は、一ヶ月で宇宙船を降りるのです……とぶつぶつ言いだしたルナに、おとなたちはあきらめた。シャインは元からなかったものとして、ルナのバッグに収納された。




