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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~ラグ・ヴァダの神話篇~
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184話 迷える子羊 Ⅱ 


 翌日、雨はすっかり晴れていた。

 早朝のリズン店内カウンターには、またもアンジェリカがげんなり顔で突っ伏していた。今日は、辞典のような厚さの本はそばにない。

 

「アンジェ、ひどいありさまだね」


 アンジェリカの目の下には隈ができていたし、髪はボサボサだった。


「もしかして、まだ読んでるの、神話の本」


 彼女は首を振った。


「ミーちゃんには、会えた?」


 今度はうなずく。


「どうだった? 知りたいことを教えてもらえた?」


 アントニオの質問には、鼻を膨らませ、口を尖らせた表情が答えだった。


「……さんざん、叱られたんだけど、あたし」

「叱られた?」

「アンジェリカ様は、今なすべきことがわかってらっしゃらない。マ・アース・ジャ・ハーナの神のことも、ルナさんのこともわかっていらっしゃらない。神話なんて読んだところで、解決はしないってさ。もう、二時間も説教されて、マジ参った……」


 カザマの返答は、アントニオの予想範囲内だったのだろう。アントニオが遠慮なく大笑いしたので、アンジェリカは自分的に最大級の不細工顔でにらんでやった。


「笑わないでよ……あたしはこれでも、真剣だったんだからね。バカなことやってるように見えるかもしれないけど、あたしなりに、一生懸命……」


 アンジェリカの険悪声に、涙がにじみはじめたので、アントニオはやっと笑うのをやめた。


「サルちゃんは、元気なの」


 アンジェリカは涙を見られたくないかのように鼻をかみ、ジャージの袖で頬を拭ったので、アントニオは全然関係ない話を持ち出した。


「姉さん? ――いつもどおりだよ」

 サルーディーバは、真砂名神社と家とを、往復する毎日。

「元気がいいとは言いがたいけど、――静かな暮らしをしてるよ。蟄居生活のときと、おんなじかんじ」


 アンジェリカやメリッサ、カザマが外に連れ出す以外は、部屋に閉じこもりきりだとアンジェリカは言った。あとは、長老会やL03に残った知己に手紙を書いたり、本を読んで過ごしている。


「きのうの朝ごはんのときもさ、あたし、あんたに教わったつくりかたでホットサンドをつくったんだけど……」

「きのう? きのうはアンジェ、俺といっしょに朝ごはん食べたじゃない」

「え?」


 アンジェリカは、顔をしかめた。


「おとつい泊まったから、俺と一緒に朝ごはん食べたでしょ。ここで。ホットサンドとコーヒーとさ」

「え? ――あれ?」


 アンジェリカは記憶を探ってみた。どう考えても、きのうは、自分がアントニオに教わったホットサンドをつくって姉に食べさせたのだ。L03の料理以外はなかなか口にしない姉に、おいしいと喜ばれて――。


「ちがうよ、あたし、きのうの朝は姉さんと二人でごはん食べたよ」

「……俺とだったと思うけど」

「じゃあ、おとついの朝?」

「おとついは、ミーちゃんが朝ごはん作ってくれたって言わなかった?」

「あ、そうだ」


 おとついは、カザマが作ってくれたのだ。L03でよく食べていた、野菜たっぷりの雑炊を。


「ちょっと待て。じゃあこれ、いつの記憶? あたし、いつあれ作ったんだっけ」

「おいおい、だいじょうぶ? アンジェ。やっぱり最近、無理しすぎだったんじゃないの」


「ほんと――そうかも」

 アンジェリカはまた、べったりとカウンターに突っ伏した。

「あたし、やっぱおかしいよね。最近、おかしい」


 アントニオが、今度は心配顔で、アンジェリカの顔を覗き込んできた。


「ZOOカードの調子は?」

「……それはだいじょうぶ。ZOOカードはだいじょうぶってか、仕事でする占いはだいじょうぶなんだけど、メルーヴァとルナに関してね、なんだか、腑に落ちないことが多くて」

「腑に落ちないことって?」

「メルーヴァがマリーを愛してて、それでルナを逆恨みして命を狙うっていうのはさ、ZOOカード的には納得なんだけど、――やっぱり、あたしのどっかが、なんかちがうんじゃないかと」


「はあ!?」

 アントニオが素っ頓狂な声を上げた。

「は? なんで!? どうして、そんな結論になったの!?」


「アントニオに見せたよねあたし。マリーとメルーヴァを結ぶ、真っ赤な糸――」

「いや、俺見てない! なんだって? そんなのが出たの?」

「見せてなかったっけ?」


 アンジェリカがZOOカードボックスを引き寄せ、指をパチリと鳴らすと、メルーヴァの「革命家のライオン」と、マリアンヌの「ジャータカの子ウサギ」のカードが出てきた。


「ほら、赤い糸――」


 アンジェリカがぼんやり顔でカードを指さしたが、カードのあいだに、アンジェリカが見たような真っ赤な糸はなかった。兄妹愛を示す、さわやかな緑色が輝いているだけだ。


「え?」

 焦ったのはアンジェリカだ。

「え? ――あれ? いやマジで、あたし見たの。あんたと料亭の二階でヤッて、帰ったとき――」


「だまされたね、アンジェ」


 アントニオは何を思ったか、宙に浮かぶ二枚のカードを引っつかむと、マッチを擦り、火をつけた。


「な、なにすんの! アントニオ!!」


 アンジェリカは驚いて止めようとしたものの――カードがあっけなく、火に包まれて燃えていくのを見て、今度は顔を青ざめさせた。


 これは、ZOOカードではない。


「本物」の、アンジェリカのカードではない。「本物」であれば、アンジェリカ以外に、カードに「干渉」はできないからだ。つまり、触れない。いくらアントニオであっても、アンジェリカの許可なしに、カードには触れられないはず。


 なのに、こうも簡単にカードをとらえ、火をつけることができるなんて。


「メルーヴァとマリーの赤い糸? 冗談じゃない」


 アントニオは、瞬く間に火の中に消えていくカードを見ながら、けわしい顔で言った。


「あのふたりは、正真正銘、仲のいい双子のきょうだいだよ。禁断の愛なんて、冗談じゃない」

「――え?」

「メルーヴァがマリーに恋しているなんて、冗談も過ぎるよ。メルーヴァがほんとうに想っているのは――」


 アントニオは言いかけ、やめた。


「アンジェはだまされたんだ。目をくらまされたんだよ」


 アンジェリカは、絶句していた。


「あたし――間違ったものを、見ていたの?」


 アントニオは携帯電話をエプロンのポケットから出すと、押し慣れた番号を押した。


「あ、イシュマールじいさん? 今神社にいる?」

 相手は、真砂名神社の神主だ。アンジェリカにも分かった。

「いまからZOOカードそっちに送るから、チェックお願いしたいんだけど、いい?」

『ダメといっても寄越すんじゃろ』


 いつもの、面倒そうなおじいさんの声が、アンジェリカにも聞こえた。

 アントニオは電話を切ると、ZOOカードボックスを、電子レンジの扉を開けて押し込もうとした。


「ちょ、アントニオ! チンしないで!!」

「これ、物品運搬専用シャインだよ」

「そ、そうなの……?」


 アンジェリカが戦々恐々としてアントニオのしわざを見ていると、アントニオは扉を閉めてキーを押す。


「い、いまチーンって言った! チーンっていったよ!? あっためたわけじゃないよね!?」

「だいじょうぶ、ほら」


 アントニオが扉を開けて見せると、ZOOカードは跡形もなかった。真砂名神社に送られたのか。


「なんで、電子レンジの形にしたかな……」


 心臓に悪いよ、と青ざめたアンジェリカに、アントニオは軽快に笑った。


「オーブンのほうがよかった?」





 アンジェリカは、アントニオに連れられて、K05区にもどった。現在の居住地である、城に。

 広い城をふたりで駆けた。「サルディオーネさま、お帰りなさいませ」の声に返事をするのももどかしく。

 サルーディーバは、彼女の自室で、本を読んでいた。


「――どうしました、ふたりとも。血相を変えて」


 アントニオはいつも通りだったが、アンジェリカは文字通り蒼白だった。


「姉さん、あたしの記憶いじった?」


 ZOOカードも、もしかして――。

 アンジェリカの矢継ぎ早の質問に、サルーディーバは悲しげに目を伏せた。


「気づかれてしまいましたか……」

「ど、どういうことなの、姉さん……!」


 アンジェリカは、敬愛している姉のしわざが信じられず、大きく動揺していた。

 自分だけは、姉の一番身近な存在だと思っていた。なんでも話してくれるはずだと、そう思っていた。

 不都合なことを覚えさせておかないために、記憶を弄るなど――そんなことを、姉が自分に、するはずはない。


 なのに、姉は認めた。認めてしまった。アンジェリカの記憶を変えたことを。

 あまりにも、あっさりと。


 おそらく、アンジェリカの記憶をいじったその時間に、サルーディーバは、アンジェリカに知られたくない、なにごとかを行っていた。


 ZOOカードもなぜ――メルーヴァとマリーの間の糸が、赤いものに挿げ替えられていたのか。


 アンジェリカがそれを見たのは、アントニオと関係をもったその日だ。その日は、サルーディーバも糸を変える余裕はなかったはず。


 もうずっとまえから、糸は変えられていたのか。

 いや、いくらサルーディーバであろうと、 ZOOカードには干渉できないはず。

 だとすれば、アンジェリカの「目」のほうを変えられていた。

 ――なぜ。

 

「“正しい”メルーヴァの糸を、アンジェに知られちゃ、何か困ることでもあったのかい?」


 アンジェリカは、苦笑いにも見えるアントニオの横顔を、困惑した顔で見つめた。

 サルーディーバは立って、窓際に向かった。窓の外に一度目をやってから、肯定もせずアントニオを見つめた。


「君は、――どうあっても、グレンとルナちゃんを結び付けようとしているんだね。だから、“ルナちゃんと赤い糸で結ばれている人物”は、すべて排除したい――」

「――え?」

 

 アンジェリカは姉の為したことに動揺しすぎて、アントニオの言葉を上手く受け取れなかった。


 サルーディーバはうろたえている妹のほうではなく、アントニオに向かった。今度は以前のように、アントニオの目を見られない、というおびえた様子ではない。


 そこにある種の強い決意を見たのは、アントニオだけではない、アンジェリカもだ。


「アントニオ――申し訳ありません。あなたの意にそぐわないかもしれませんが、わたくしは、やはり、ルナとグレンさんが結ばれるよう、最大限の努力をしてみます」


「サルちゃん……」

 アントニオの声に、ため息が混じった。


「わたくしは、サルーディーバです」


 サルーディーバは一瞬だけ目を伏せたが、ふたたび上げた目に、ためらいはなかった。


「あなたのおっしゃることもよくよく考えてみました。ミヒャエルもメリッサも励ましてくださった。ふたりの心も、ありがたいと思います。無論、あなたの真心も――あなたの温かい気持ちに気づけずにいたわたくしをお許し下さい――でもやはりわたくしは、サルーディーバなのです」

「……」

「ほんとうならわたくしは、L03に残るべきでした。残って、長老会のなくなったL03の、近代化に力を尽くすべきでした。いくら長老会に疎まれていたからとはいえ――自分のちっぽけな恋心を解決するために――ルナと出会うためだけに、この宇宙船に乗った自分の浅はかさを、今ではひどく後悔しています」

「そんなんじゃ……そんなんじゃないんだよ、サルちゃん」


 恋を、ちっぽけなことだなんて言うなよ。

 アントニオは言ったが、サルーディーバは首を振った。


「もう、わたくしは、L03にはもどれません。――先日、現職のサルーディーバ様から、完全なる追放の通知をいただきました。わたくしは、二度とL03にもどってはならぬと」

「彼だって、君の幸せを願って」

「いいえ。わたくしが欲しかったのは、もどって来いという言葉でした。もどって、L03の近代化に尽力せよと、今こそ、L03とL系惑星群の民のためにその身を捧げよとのお言葉が――わたくしは――欲しかった――」


 サルーディーバの美しいオッドアイが潤み、声は震えた。


「もはやわたくしにできることなどなにひとつない――そう思っていました。でもちがう、わたくしが、この宇宙船に乗ったことに、意味がある」


 そう言ったサル―ディーバの声は確信に満ちていた。

 もうだれも止められない。どんな説得も効かない。彼女の声は、すべてを拒絶していた。


「今のわたくしにできることはただひとつ――イシュメルの生誕のために、尽力すること」


 アントニオは一度顔を覆い、なんとか笑顔をつくった。


「それが君の――決意なの」


 サルーディーバは、深くうなずいた。


「アントニオ、あなたの望むことではないかもしれない。ルナはアズラエルと結ばれることが幸せなのかもしれない。でも、ルナはグレンさんと結ばれて不幸になるというわけではない。ルナとグレンさんの糸もまた、アズラエルとの糸ほど、太く赤いのです。グレンさんも、地球に住めば、ドーソン一族に(わずら)わされることもなくなる。アズラエルも、彼も幸せになれるのです。深い痛みをともなう恋に、煩わされずに――」


「そして、君はどうなるの」

 アントニオは哀しげに言った。

「君はどうなるの。――君の考えたそのゆくすえに、君の幸せは、あるの?」


 サルーディーバは黙って微笑んだ。もう、彼女にはなんの言葉も響かないことが、アントニオにも分かった。

 アントニオの答えは、怒りではなく、ただ、悲しい表情だった。


「アントニオ――アンジェリカを、妹をよろしくお願いします」


 アントニオの言葉を待たずに、サルーディーバは深々と頭を下げた。


「しばらく、その子をこちらには寄越さないでください。わたくしは彼女に悪影響でしょう」

「姉さん!」

「わたくしは、L03の教義からは、逃れられないのかもしれない」


 サルーディーバは、深い慈しみを込めてアンジェリカを見つめ、頬に触れた。

 あまり人に触れることないサルーディーバ――それは姉妹間でも同様だった。アンジェリカは、姉に触れられたのは、幼いころの一度きりだということを思い出した。

 アンジェリカは、何も言えなくなった。


「わたくしで最後です。最後にしましょう――あなたは、アントニオのそばにいて、必ず、L03の近代化のいしずえとなるのですよ」

「ね――」


 アンジェリカの言葉は、突然部屋に入ってきた複数の男たちによって遮られた。十人ほどもいるだろうか。王宮護衛官たちである。


「アンジェリカさま、アントニオさま、サルーディーバさまは、我らにお任せください」

「一難あるときは、必ずや、この身にかえてサルーディーバさまはお守りいたします!」


 男たちの目にも、強い決意と輝きがあった。


「ありがとう、皆さん」


 サルーディーバは、慈愛の籠った眼差しで彼らを見つめ、また、彼らも母親を見るような目でサルーディーバを見つめた。


「アントニオ、わたくしのことはご心配なく。こんなにも、わたくしを守ってくださる戦士がいます」

「……」

「アンジェリカ。では、さようなら。――地球に着くまで、あなたと会うことは、ないでしょう」


 サルーディーバは彼らとともに、部屋を出ていく。


「姉さん!!」


 アンジェリカの叫びが彼女を追ったが、サルーディーバは一度も振り返ることはなかった。

 重厚な扉が、アンジェリカとサルーディーバを完全に隔てるように、音を立てて閉まった。





 アンジェリカは涙を拭いながら城を出た。


 ユハラムは止めなかったのか。ナバは、ヒュピテムは。

 あの場に彼らはいなかった。


 混乱で頭が弾けそうだったが、めのまえのアントニオの背中が、アンジェリカの混乱を落ち着かせてくれた。


 サルーディーバは出て行けとは言わなかった。だが、きっと、サルーディーバがどこかへ移るか、自分がこの城を出ることになるのだろう。


(姉さん、もうほんとうに、あたしに会わない気なの)

 涙が次から次へと溢れてくる。

(どうして、ひとりで抱え込んじゃうの。戦士がいたって、姉さんの心は? だれが支えるの)


 アンジェリカは、混乱が完全におさまったわけではなかったが、以前とは違い、身の置き所がなくなるような感じはしなかった。冷静な自分もいた。

 それは、決して口に出しては言わないが、アントニオのおかげでもある。彼の背中を見ているだけで、安心できた。

 姉の決意のことを、メリッサは知っているのだろうか。ミヒャエルは。

 ふたりなら、必ず止めるはずだ。


「――俺のせいだな」


 城を出てから、アントニオは、一度もアンジェリカを振り返ろうとしない。


「サルちゃんを放って置きすぎた。――そっとしておいてあげようとしたのが、裏目に出たか」


 アントニオの肩は、いくばくか落ち加減だ。


「アントニオのせいじゃない」

 アンジェリカも歩きながらつぶやいた。

「アントニオのせいじゃないよ。でも、あたしは姉さんの気持ちもわかる。あたしは、あんたにL5系の学校に入れてもらわずに、ずっとL03での暮らしを続けていたら、きっと姉さんみたいになっていたと思う。姉さんみたいな考え方しかできなかったと、思う……」


 あんたに愛してもらわなかったら、もっと変わらなかった、とアンジェリカは口の中だけでつぶやいた。


「……ごめんね、アンジェ」

「なんで、あんたが謝るのさ」

「いや、完全に俺の力不足さ。……お恥ずかしいかぎりです」


 声は中途半端におどけていて、力がなかった。


「アントニオ……」


 アンジェリカは励まそうとしたが、彼は携帯電話を取り出した。


「もしもし? じいさん? ZOOカードどうだった?」

『ああ、わしが診る限り、別にどうということはなかったぞ。何かあったんか』


 会話は、アンジェリカにも聞こえた。


「そうか……。よかった。ペリドットは?」


 アントニオの口から聞きなれない名が出てきて、アンジェリカは顔を上げた。


「帰って来てるって連絡は?」

『きのうあったわい。そうじゃな、わしが診るより、ペリドットに診させたほうがいいかもしれんな』

「俺もそう思った」

『わしも今日明日は忙しいもんでなあ。今日の午後からは、わかい娘とデートじゃし』


 ピタリと、アントニオの足が止まった。


「デート!? だれと!? 若いコって!?」

『教えん』


 電話向こうから、おじいさんの高笑いが聞こえてきた。


『冗談はおいといて、明後日ならいいよ。ペリドットも帰ってきたばかりじゃし、そのほうがええのとちがうか』

「うん――それでいいよ、俺も。オッケー……」


 アントニオはあまり元気のない声で電話を切ると、ぶつぶつとぼやいた。


「イシュマールって、ジジイのくせに若いコにモテるんだよな……なんでだろ。どうしてみんな、あんなジジイに……」

「アントニオ――ペリドットって、だれ?」

「え? あ、うん」


 今のアンジェリカは、アントニオの冗談に乗ってはくれなかった。

 アントニオは、携帯電話をエプロンのポケットにしまいながら、歩調をゆるめた。やっと彼は、アンジェリカの顔を見てくれた。いっしょに横に並んで歩く。


「アンジェ、ペリドットと会ったことは?」

「ない」

「そうか。じゃ、彼が真砂名の神が任命した、本物の“ZOOの支配者”ってことは?」

「えっ……」


 アンジェリカは立ち止まってしまった。アントニオも、一歩進んだところで立ち止まった。


「真砂名の神が最初に選んだZOOの支配者は、ペリドットだ。彼は半永久的に、ZOOの支配者であることが認められている」


 そんな人がいるなんて知らなかった、とアンジェリカは正直に言った。


 アンジェリカは、マリアンヌとZOOカードをつくったが、最初の「ZOOの支配者」は彼女たち二人ではなかった。


 なぜなら、ZOOカードは、すべての占術の中で、一番難解といわれるものだからだ。


 アンジェリカたちは、若すぎたのだ。かの占術を咀嚼(そしゃく)するには、人生経験も知識もまだまだ浅かった。


 アンジェリカが、実際に、ZOOカードで占術ができるようになったのは、高校卒業後である。


 ふたりは若い純粋な感性で見事な占術を練り上げたが、最初につかうことを認められたのは、もっと年かさの男、そして、老齢の女性だった。


 そこまではアンジェリカも知っていたが、名を聞いたのは初めてだ。

 男のほうの名が、ペリドット。


「うん。ペリドットは、最初のZOOの支配者なんだけど――放浪癖があってね。ひとところに落ち着かない。自由気ままなもんだから、アンジェみたいに、サルディオーネとしての仕事はできないだろ」

「放浪癖があるなら、そうだろうね」

「だけど、ZOOカードの咀嚼力と読解力は、君は彼の足元にも及ばない。彼がZOOの支配者である理由が、君にもわかるはず――うがっ!!」

「なんでそういうひとがいるってこと、早く教えてくれないんだよ!!」


 アントニオはアンジェリカに飛びつかれていた。ガクガクと首をつかんで揺さぶられて、ゲホゲホと噎せこんだ。


「あたしだって、教えを乞いたいよ! 最近ただでさえ行き詰まってるのに!!」

「お、俺も、アンジェがZOOの支配者になったころ、ペリドットに頼んだんだよ! アンジェを指導してやってくれないかって!」


 アントニオも涙目になって叫んだ。


「でもあいつは、そういうのは柄じゃないっていって断ったんだ! ていうか、面倒くさかっただけだろうけど……うほっ」


 アンジェリカはやっとアントニオの首を解放した。


「なんだ……アントニオに放浪癖足したようなやつか……」

「お、俺の方がマシだよ! 奥さんや子どもを放って、遠くまで出歩いたりしないし」

「どっちもどっちだよ」


 いつもどおりの、アンジェリカの冷めた目がアントニオを見据え、アントニオは肩をぜいぜいさせながら、よろめき立った。


「今回は、しばらく宇宙船内にいてもらうことになるからね。アンジェも教えを乞いに行くといい。面倒くさがりだけど、面倒見はいいから、たぶんアレコレと教えてくれるはずだ」

「しばらくは?」

「ああ、星々を放浪してるとこを呼びもどした。――メルーヴァ対策のためにね」


 アンジェリカの顔が引きしまった。


「メルーヴァの?」

「ああ、俺の代わりに、定期的に真砂名神社に入ってもらうことが決まってる」

「あんたの代わりは、神官が百人から二百人以上はいなきゃ務まらないんだよ!?」

「ペリドットは神官千人分だ」

「――!!」

「じゅうぶん、足りるだろ?」


 アントニオの笑顔にアンジェリカは絶句したが――今度は真剣に聞いた。


「ペリドット――さんは、どこにいるの? 真砂名神社?」

「いや、K33区」


 アントニオは、ふたたび道を真砂名神社に向かって歩き出した。


「あいつ、K33区の区長だからさ」




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