182話 新しい生活 K27区ハッピータウン・ガーデンハイツ・ブランカ Ⅰ 2
それにしても、まあたいした食欲だ。
カレンが持ってきた一升炊き炊飯ジャーで炊いた米がひとつぶ残らず消え、大鍋でつくった味噌汁も消え、ハンバーグは一個も残らず、サラダも野菜くずひとつ残らず消えた。
ルナはあきれてボケウサギだ。
アズラエルが突っ込んだとおり、彼らの本来の目的はルナのメシ――ではなかったかもしれないが、おそらくこの流れでは、これから食卓をいっしょに囲むことになるのだろう。
アズラエルはいろいろとあきらめた。
おそらく、グレンも夜間のバイトや付き合いがあればこの席にはいないだろうし、アズラエルたちも、外食と半々で生活してきた。これからもそうなることはちがいない。
ルナの負担にならないのだったら、目を瞑ってやろうと、このライオンにしては、おおらかにものを考えていた。
なんとなく、彼らが引っ越してきた意図も、分かっていたからである。
「それじゃあ、グレンとセルゲイがお米買ってくる。カレンとジュリとアズが、食材調達ね。ルナちゃんがメモ用紙に書いたものを買ってくること。で、俺とミシェルと、ピエトで、炊飯ジャーとなべを買ってくる。異存は?」
クラウドの指示に、ルナ以外、だれも反対意見はなかったが、一台がご意見を差しはさんだ。
『ちこたんにもお役目をください』
「ちこたんは留守番をしなきゃ」
ルナは言ったが、クラウドが、
「じゃあ、ちこたんは食材を買うグループに」
「おるすばんはだれがするの?」
ルナがいうと、ふたたびクラウドは、「キックに任せたら――」と失言をした。
『キックに任せるくらいなら、ちこたんがお留守番をします!!』
絶叫した。またビームが出そうだったので、クラウドはあわててお盆でガードした。盾にするには頼りない。
「あたしは?」
「ルナちゃんは自由時間でいいよ。それとも、俺たちといっしょに行く?」
クラウドが言った。
ルナがご飯を作ってくれたので、あとの用事は皆に割り振ったのだろう。
「ルゥ、おまえは休んでろ」
アズラエルも言った。午前中の、ルナのパニック状態を見ていたからだ。さすがに、この人数分の食事を作るのは大労働だ。皆が皆、けっこうな量を食べるとなればよけいに。
「買い物はあたしたちに任せといて、ルナは好きなことをしなよ。昼寝でもいいし、お茶に行ってもいいし」
今日はいい天気だよ、とカレンも言う。
「ええ~、ルナちゃん、いっしょに買い物いこうよ」
「ジュリ、ルナに自由時間あげなよ」
「じゃあ、俺と行くかルナ」
「てめえといっしょに行かせるくらいなら俺が連れて行く」
「なんだと……」
「グレン、アズラエル。ケンカするごとにおかわりが一膳ずつ減るっていう罰則はどう」
閻魔大王の容赦ない裁きに、猛獣二頭は口をつぐんだ。
ルナはぽかっと口を開けてボケウサギ面をしたが。
「あ、ううん。じゃあ、あたしはあたしで、おかいものにいってくる」
と同行を断った。
「じゃあ、俺、ルナと一緒にいく!」
「あたしも!」
ピエトとミシェルが手を挙げたので、クラウドが抗議した。
「そうしたら、俺がひとりになっちゃうけど……」
クラウド一人で炊飯ジャーとなべいくつかは、大変だ。
「しょうがねえな。俺が一緒に行ってやるか」
グレンの言葉に、セルゲイが、
「私ひとりで、米袋五つ担いで来いって言うの」
皆の視線は、アズラエルに集まった。おもにアズラエルの筋肉にだ。
「わかったよ! 俺が米買いに行けばいいんだろ!」
結局、米担当はセルゲイとアズラエル、食材はカレンとジュリ、キック、炊飯ジャーはクラウドとグレンになった。
「当分のメシ代、四人分、これだけで足りるか」
「……私たち、食べるからねえ」
食費用の財布に、グレンが札束を詰め込もうとしているのを見てルナがあわてて止めたが、子ウサギの手が届かないところでそれは決行された。
「アズ! アズ、なんかいっぱい入ったの! いっぱい!」
「いいから、金持ち坊ちゃんには貢がせとけ」
アズラエルは取り合わない。
「騒がせ賃だと思っとけ。迷惑の度合いを考えたら、それじゃ足りねえよ」
「ンだとコラ……」
「グレンとアズラエル、ごはんマイナス二膳ね。それともふたりの頭上に雷落とせば、すこしはおとなしくなるのかな」
セルゲイの笑顔にもだんだん黒雲が差してきたので、ふたりはケンカを正式にやめることにした。
「そんじゃ、ルナ、ごちそうさま! 買い物に行ってきます!」
カレンたちがバタバタと立ち、食費用の財布を受け取って、部屋を出て行った。
ルナとミシェルとピエトは、「いってらっしゃーい!」と声をそろえて見送った。
「よし、じゃあ、片付けるかな」
残ったセルゲイが腕まくりし、グレンとアズラエルもいがみあいながら皿をキッチンに運び出す。そのテーブルをせっせと拭くのはキックだ。
「あたしもやるよ」
ルナがあわてて言ったが、
「料理は作れなくても、片付けくらいできるさ。ルナちゃんたちは座っていて」
セルゲイがいい、クラウドも目配せしたので、ミシェルがルナの袖を引っ張った。
「じゃあ、買い物行ってこようよ」
「いってらっしゃい。四人と二台いれば、すぐすむさ」
クラウドの言葉にシンクのほうを見ると、グレンが袖を捲ったたくましい腕をシンクに突っ込んで、皿洗いをはじめていた。
「じゃ、じゃあよろしく! 行ってきます!」
ルナはピエトを連れて、ミシェルといっしょに部屋を出た。
『行ってらっしゃいませ』
ちこたんとキックの、お見送り電子音が響いた。
「なんかさ、あの四人がキッチンに立ってるのって」
「うん、冷蔵庫がよっつあるみたいだったね」
ルナとミシェルとピエトは、でかい図体が四人もキッチンにひしめいていた光景を思い出して、笑いあった。広いキッチンが、妙に狭く感じた。
「俺もあれだけ大きくなる!」
セルゲイくらいおっきくなるんだ! とピエトは主張した。
「ピエトはなるかもね。よく食うもん」
ミシェルは、「ほんとにあんた、病気なの」と呆れた声できいた。
「たぶん俺、病気なんだよな」
ピエトも、よく分からない顔で言った。
「でもよ、ルナのところに来てから、ぜんぜん胸がいたくならねえし、咳もあんまりでなくなった。まえは、腹がへらねえこともあったけど、今はへる。ルナのメシが美味いから!」
ピエトはまた母親泣かせの台詞を吐いたが。
ピエトの病気がよくなっているのはたしかだと、ルナも思った。顔色もいいし、だんだん肉付きも良くなってきた。太ったというのではなくて、やせて骨と皮だった身体が、通常の体躯にもどりつつあるのだ。
ルナたちと暮らすようになってから、ルナが見張っているので、薬も一日三回、決められた時間に飲むし、毎日、遅くなっても十時には就寝の、規則正しい生活もさせている。お風呂も毎日入らせて、清潔にし、完璧にとはいかないが、ルナもちこたんも、なるべく栄養バランスを考えて食事を作っていた。
ピピが亡くなったころや、ルナたちと出会うまえは、さみしかったせいで、食欲も落ちていたのだろう。でも今は、ピエトの笑顔を見ることが多くなった。友達もできたそうだし、ルナが心配した、学校生活も悪くはなさそうだ。
「そういえば、もうすぐ定期健診だね」
「うん」
ピエトは道端の石を蹴りながらつまらなそうに言った。
「俺、もう病気治ったんじゃねえかなあ」
「よくなってるとは思うよ。でも、お医者さんには診てもらわなきゃね」
「だいじょうぶだよ。あんたは、どう見ても病気には見えないから」
ミシェルの言葉はもっともだった。
「あんたもだけど、グレンたちの食欲もはんぱないよ」
「このあいだララさんからもらった五億デルが、食費で消えそうだね」
ルナのつぶやきに、ミシェルが驚き顔で言った。
「いや、消えそうだけどさ。まさかアレ、食費につかおうと思ってんじゃないよね?」
ルナのつぶやきがあまりに深刻だったのでミシェルはあわてて聞いたが、ルナもあわてて首を振った。今のは冗談だ。あの五億デルを今つかう気はない。
「まさか! あれは、よくよく考えてから……。第一、あれはあたしだけがもらったものじゃなくて、ミシェルにもくれたものでしょ。あたしが勝手に使えないよ」
「え? べつにあたし、いらないよ?」
「ミシェルはそういうと思ったよ。でも、たぶん、きっといつか、必要になる日が来るんだよね」
「必要になる日かあ」
「あたしね、一瞬だけ」
ルナはぼそぼそと言った。
「ツキヨおばーちゃんに、宇宙船のチケット買ってあげようかと、思ったの」
ミシェルが、手を叩いた。それだ! とでもいうように。
「それいいわ! それ、いい考えじゃない?」
「ツキヨおばーちゃんってだれ?」
ピエトの質問は当然だった。ピエトは、ツキヨのことを知らない。
「えっとね。あたしの家の近所に住んでるおばーちゃん」
「ルナのばーちゃん?」
「ううん。あたしのほんとうのおばあちゃんではないけど、ほんとのおばあちゃんくらい、仲がいいおばあちゃんなのはたしかだよ。ツキヨおばあちゃんは、地球生まれなの。一度地球を出ちゃって、この宇宙船に乗らないと帰れなくなっちゃったから、チケットを……」
「じゃあ、そのツキヨばーちゃんっていうのは、純粋な地球人なんだ」
「え?」
思いもかけないことを言われて、ルナとミシェルは顔を見合わせた。
「L系惑星群にいる地球人は、もう純粋な地球人は一部にしか残ってねえってじっちゃんが言ってた! ルナたちは、だいたいアースロイドとラグ・ヴァダと、アストロイのミックスなんだろ」
「アストロイ?」
「ルナたちって知らねえこと多いんだな。ルナたちの先祖は、メルーヴァがラグ・ヴァダの戦士と結婚したから、イシュメルはみっつの惑星ぜんぶの血を引いて……」
「ちょ!? ピエト、なにその話!?」
ルナがピエトの肩をつかんで身を乗り出したので、ピエトはびっくりしたが、得意げに胸を張った。
「マ・アース・ジャ・ハーナの神話、知らねえの? ルナ。知らねえなら、俺が教えてやるぜ?」
「マ・アース・ジャ・ハーナの神話?」
ミシェルが不思議そうにつぶやいた。
「あたし、マ・アース・ジャ・ハーナの神話読んだことあるけど、メルーヴァとか、イシュメルなんて神様が出てくる話は、読んだことないよ」
メルーヴァって、あのメルーヴァ? とミシェルが不可解な顔をする。
ルナはわたわたと落ち着きなくぺたぺたし、手をぱたぱたさせてミシェルとピエトを交互に見つめ――やっと身動きをやめた。
「ちょ、ま、うん――ピエト。あとでその話教えて。ピエトが知ってるやつ、ぜんぶ教えて。できれば、クラウドもいるときに」
「え? クラウドも知らねえの?」
あの、ものすごく頭がよくて、物知りのクラウドも知らないことを、自分だけが知っている。ピエトは、とてもうれしげな顔になった。
「いいぜ! 俺、ちゃんと覚えてるからな、教えてやる!」
「う、うん――お願いね!」
「そうと決まったら、はやく買い物行こうぜ! はやく帰って、お話しするんだ!」
「そうしよう!」
ルナとピエトとミシェルは、リズン公園入口のシャイン・システムで、一気にK12区に飛んだ。ピエトもシャインには初乗りであり、一瞬でついたK12区のビル群を見て、口をぽかっとあけたことは、言うまでもない。




