表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
429/944

180話 布被りのペガサス Ⅷ 3


「いい気分だろ」

 赤毛のほうが、笑いながら言った。

「なかなかないぜ? 僕たちをアゴでつかえる機会ってのは」

「そうかも」


 フライヤがうなずくと、ふたりは双子みたいに声をそろえて笑った。

 彼女らはアイリーンの側近で、身長も大きい。双子みたいだが、赤の他人だ。片方は赤毛で、片方は金髪。ふたりとも一見、男にしか見えないが、赤毛の方は彼氏がいて、金髪の方は彼女がいる。

 名前だけで推測すれば、女たちだ。


「ありがとう、ほんとに助かったわ。あたし、二回に分けて運ぶつもりだったの」


 フライヤの礼に、ふたりはなんでもないというように、眉を上げた。


「アイリーン様のご命令だからいいんだよ。そんなことより、届け終わったら、穴倉に来るだろ?」


 赤毛が言った。心理作戦部の者たちは、みずからの部署を穴倉と言ってはばからない。


「アイリーン様がもう、首をなが~くして待ってる」


 金髪が、首をゆらしながら言ったので、フライヤは吹きだした。こわいこわいと最初は思っていたが、意外とひょうきんなふたりだった。

 そしてアイリーンを心底、敬愛している。


「僕、こっそり見たんだけどさ、」

 赤毛が声を低めて言った。

「今日のケーキは、ホールだぜ」


「マ、ジ、かよ!!」

 甘いモノ好きの金髪が、よだれを流さんばかりの声を出す。

「フライヤががんばった記念だって――つうか、がんばりすぎだろ、この箱!」

「どこの部署も箱で出してねえよ」

「アイリーン様にこのこと報告したら、ケーキにろうそく、百本は刺すぜ。いや、ケーキが二段になるかもな!」


「ふたりにも、分け前があるかも」

「それ、最高!!」


 赤毛と金髪は声をそろえて叫んだ。


 久しぶりだったので、おしゃべりは尽きないまま、作戦立案部に着いた。


 赤毛と金髪が「お茶室の資料を持ってまいりました」といって受け付けにどかんとダンボールを置くと、

「ああ、ごくろう――」

 と言いかけた受付の軍人の顔が固まった。それを見て、ふたりは吹き出しそうな顔をしたが必死でこらえた。


 フライヤは、いまさらだが、小さくなった。

 まあ、そうだろう。どこも、箱で提出した部署はない。それだけは言える。


「もしかしてお茶室?」

「はい」

心理作戦部(地下四階)でなくて?」

「ええ」


 受け付けの軍人は、ダンボールの一番上に貼られたサインを見て、

「ほんとうだ……お茶室だ……」

 と、呆然とメガネを押し上げた。


「見たか!! アイツの顔!!」

「『ほんとうだ……お茶室だ……』――マジうける!!」


 赤毛と金髪は、作戦立案部まえの廊下を、大笑いしながら帰路に着いた。


「聞いたかフライヤ、さっきの! ――フライヤ?」


 べちゃっと言う音がうしろから聞こえたので、ふたりは思わず振り向いた。


「フライヤ、どこいった?」


 赤毛の疑問は、すぐ解決した――床を見たら、フライヤが顔面から、廊下に激突していた。

 すなわち――倒れ伏していた。





「フライヤ! よくがんばったね!」


 心理作戦部の隊長室の、重い扉が開いたとたん、アイリーンは両腕を広げてフライヤを出迎えたのだが、入ってきたのは、部下の赤毛の方だった。


「あれ? フ、フライヤは?」


 いつもの威厳ある重厚な声も忘れて、地声で聞いてしまったアイリーンだったが、あとから入ってきた金髪がフライヤを背負っているのを見て、「どうしたんだ!?」と叫んだ。


「はあ、たぶん、……寝ています」


 アイリーンの形相を見て、赤毛がしどろもどろに説明した。


「……作戦立案部にむかう途中で、ここ一週間で、平均三時間くらいしか寝なかったって言ってましたから、……書類を提出したら安心して、オチちゃったんですね」

「ほ、ほんとうに寝ているだけか!? 病気なんじゃ、」

「大丈夫です、それは。ほんとうに寝ているだけです。ただ、ぶっ倒れたんで、顔面から」

「顔面からだと!?」

「ええ、まあ、したたかに打ちましたよ鼻は。べちゃってすごい音しましたし――」

「なんで貴様ら、支えなかったんだ!!」

「ええっ!? も、申し訳ありません!! 気づかなかったんです!!」


 まさか、ふたりで馬鹿笑いをしていて気づかなかったとは言えない。


「フライヤの可愛い鼻がつぶれてしまったなら、貴様らの鼻をつぶしてやるところだぞ!!」

「もっ……申し訳ありません!! お許しを!! アイリーンさまっ!!」


 土下座の体勢に入った金髪の背からフライヤをかっさらい、アイリーンは優しく――それは優しくソファに寝かせると、自前の鞭をしごきながら、鬼のような顔で、平伏した赤毛の背中を踏みつぶした。


 赤毛の声が涙声になり――お許しください、お許し下さいと悲痛の響きを帯びた。


「おい――貴様――覚悟はいいな」


 エーリヒですら戦慄する、白目の浮き立つ三白眼で見据えられた獲物は、泣くほかはなかった。背に振り下ろされた鞭の、びしりとしなる音と、赤毛のつんざく悲鳴に、フライヤは目を覚ました。


「う、うわっ! なにやってるのアイリーン!!」


 あわててアイリーンの足に飛びついたフライヤの背に鞭を浴びせるところで、アイリーンのほうが泡食って、のけぞりかけた。フライヤもだいぶ大柄なので、飛びつかれると重い。


「フライヤ、君はよけていて。これはお仕置きなんだから!」

「で、でも、泣いてるよ! な、何があったか知らないけど、これだけ泣いてれば、絶対反省してるから許してあげて!!」

「え――ええ? そういうわけには――」

「フ、フライヤあ~、たすけてえ~」


 涙声でフライヤに縋りつく金髪と赤毛を、フライヤからむしり取ると、アイリーンは底冷えする声で威圧した。


「フライヤに免じて許してやろう。さっさと出ていけ!!」

「あ、ありがとうございますう~、アイリーン様あああ、フライヤあ~」


 退散していくふたりを、フライヤはほっとして見送った。眠気などすっ飛んでいた。


 アイリーンが部下にも恐れられているのは知っていたが、部下を叱っているところを見たのははじめてだ。アイリーンの振り下ろした鞭のせいで、赤毛の軍服の布地が破けていた。


 一撃で。


 フライヤはおそるおそるアイリーンの鞭を見たが、フライヤには見られたくないのか、アイリーンは決まり悪げにさっと隠した。


「フライヤ」

 アイリーンは鞭を背に隠しながら、気を取り直して笑顔をつくった。

「おつかれさま。よくがんばったね」


「あ、あり、あり、ありがと……」


 フライヤは、照れながら、頭をかきかき、言った。

 ふたりはたがいに中途半端な笑顔のまま席に着き、アイリーンは用意していたケーキの箱をあけた。


「うわあ!」


 フライヤは、歓声をあげた。

 紅茶のシフォンケーキをクリームとベリーでデコレーションしたケーキに、「おつかれさま、フライヤ」の文字が輝いていた。


「ありがとう、アイリーン!」

「お茶室の管理官から聞いたよ。ダンボール二箱分も資料を作ったんだって?」


 紅茶をカップに注ぎながら言うアイリーンに、フライヤは「う、うん」とはにかんでうなずいた。


「ちょっと、がんばりすぎたかも――あんまり多すぎても、読んでもらえるかどうか」


 あたし、そこまで考えてなかった、というと、アイリーンは笑った。


「いや、君のオタクっぷりは重々承知していたが、すごいよ。きっと、ミラ様も驚かれる」

「ミラ様……?」

「要項を見なかったの。あの書類は、時間はかかるが、ミラ様もすべて目を通される。直接ね」

「ええっ!?」


 要項はすべて目を通したはずだったが――あの三枚目の用紙のショックのせいで、すっかり抜け落ちてしまっていたのか。


「ああ――エラドラシスのことか。あれは――ひどい戦だった」


 アイリーンの横顔が、削いだように鋭くなった。


 フライヤは、言おうか言うまいか迷った。アイリーンはフライヤとちがって心理作戦部の隊長で、戦争にも従事することがある。戦争に行ったこともない、ただのお茶室のヒマ人の見識など一笑に付される――いや、アイリーンはフライヤには優しいから笑いはしないだろうが、気分を悪くしないだろうかと悩んだ。


 悩んだのだが、あの資料を作成するとき、フライヤは決めたのだ。

 もう、怯えて、口を閉ざすのはやめよう、と。


 話す相手は、いつもフライヤの話を親身になって聞いてくれるともだちだ。

 フライヤは、勇気を出して、いってみることに決めた。


「アイリーン、あの――あたしの、ただのオタクの、たわごとだと思って聞いて」


 フライヤは、三枚目の用紙を見たときの、自分の見解を述べた。あれは、エラドラシスのしわざではなく、ケトゥインのしわざではないかと。

 しどろもどろに――アイリーンの顔色を伺いながら。


 思いのほか、アイリーンは真剣に聞いてくれた。笑いもしないどころか、だんだん、顔が難しくなっていく。


 フライヤの話がすっかり終わると、アイリーンは驚いた顔を隠そうともせず、

「そうかもしれない――いや、そうだ。きっとそうだ。なぜ、だれもそう考えなかったんだ」

 としばし絶句した。


「ご、ごめんね? でもこれは、あたしの、ただの想像で、」


「いや、その可能性はある」といきなり立って、部屋中を歩き出した。


「バカな――ケトゥインだと――いや、でも、そう考えればすべてがしっくりくる――あの場所は――だが――アノールは――ではアノールはどう動いた――」


「アノールは動かない、と思う」


 フライヤの言葉にアイリーンの足がぴたりと止まる。


「アノールは、原住民部族の中でも、考えかたが柔軟よ。地球人の文明をいちはやく取り入れたのもアノール。だから、アノールは惑星間の部族交流も多いの。L03のアノール族は、あの地区のは特にだけど、L8系にいるアノールとも連絡を取っている――だから、L20の軍隊には友好的。L87では、ラグ・ヴァダの過激派から、何度も助けられたことを知っているからアノールではないと思う。あたしの考えでは、エラドラシスに見せかけた、すべてケトゥインの――」


 フライヤはまた、調子に乗って言いすぎたとでもいうように、声の音量を低めていった。


「フライヤ――君は」


 アイリーンは、フライヤの見識に舌を巻き、言葉を失った。

 だがまたすぐに、なにかぶつぶつ言いながら、あちらこちらと部屋じゅう歩き回って、ようやくソファにもどってきた。


「僕は、君が、頭がいいことは知っている――でも」


 意味深なことを言いかけて、アイリーンはまたフライヤに背を向けてぶつぶつと何か言い、頭を抱え――「僕は、よけいなことをいったかも」としょんぼりと、肩を落とした。


「アイリーン?」


 やはり気分を害したのだろうか。フライヤが謝りかけると、アイリーンのほうが先制した。


「謝らないで。僕は、気分を害したわけじゃない」

「――ほんと?」

「ああ――ただ、君の才気を見誤ったと、思っただけだ」


 フライヤが首をかしげるのを見、アイリーンは嘆息した。


「――君、僕に教えてくれた今のことを、レポートには書いた?」


 アイリーンの問いに、フライヤはおずおずとうなずいた。


「は、恥ずかしながら……書きました」

「……」


 アイリーンは、今度こそソファに腰を落ち着けると、やっとケーキを切り分けて、フライヤの皿に置いた。

 けれどその顔は、ひどく沈んでいるように、フライヤには見えた。


「アイリーン?」


 フライヤが恐る恐る顔色を伺うと、アイリーンは「なんでもないんだ……ほんとうに」と、ようやく笑みを見せた。だが、その目は潤んでいるようにも見えた。

 アイリーンは気分を害したのではなさそうだったが、急に元気がなくなったので、フライヤは心配した。


「どうしたの――だいじょうぶ? アイリーン」

「うん――だいじょうぶ」


 そう言いつつも、彼女はぽろぽろと涙を流し始めてしまったので、フライヤはあわててアイリーンの肩を抱いた。


「ちょ、ほんとに、気分悪いの? だいじょうぶじゃないんじゃない? アイリーン」


(きっと、フライヤはミラ様に連れて行かれることになるだろう)


 アイリーンは予測し、自分の予測したことはたいがい外れないということに、怒りすら覚えた。


 フライヤの提出書類は、大いにミラの目を引くだろう。


 アイリーンは、フライヤを心理作戦部に入れ、そばに置きたいと願っていたことは、微塵も口にしなかった。ミラがフライヤの才能を認めたならば、アイリーンは進言し、フライヤを自分の秘書官としてそばにおくつもりだった。


 フライヤは元傭兵だが、エルドリウスの妻でもあるし、ウィルキンソン家の肩書もある。エルドリウスの承諾があれば、それは叶うだろう。アイリーンが、フライヤを戦争に出さないと約束すれば、エルドリウスもきっとうなずく。


 彼女の才能を、お茶室などで埋もれさせておくのは惜しい。けれど、戦争には出したくない。自分のそばに置けば、それができる。


 フライヤの才能を生かし、尚且(なおか)つ戦争には出さない、そう、したかった。


 だが、フライヤの見識と推察力は、アイリーンの予想をはるかに上回っていた。


 もし、さっきアイリーンに告げたような事柄が、提出書類にいくつも書かれているとしたならば、フライヤの行く場所は――。


(僕は、失敗した)


 アイリーンは、ミラへの進言を、心から後悔した。

 フライヤの未来を広げたい――でも、戦争には行かせたくない。

 その望みは、かなわないかもしれない。


(お茶会の終わりだ、アイリーン)


 ミラと話をしたあの日に。


 ――フライヤの未来は、僕の手から、離れたんだな。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ