180話 布被りのペガサス Ⅷ 3
「いい気分だろ」
赤毛のほうが、笑いながら言った。
「なかなかないぜ? 僕たちをアゴでつかえる機会ってのは」
「そうかも」
フライヤがうなずくと、ふたりは双子みたいに声をそろえて笑った。
彼女らはアイリーンの側近で、身長も大きい。双子みたいだが、赤の他人だ。片方は赤毛で、片方は金髪。ふたりとも一見、男にしか見えないが、赤毛の方は彼氏がいて、金髪の方は彼女がいる。
名前だけで推測すれば、女たちだ。
「ありがとう、ほんとに助かったわ。あたし、二回に分けて運ぶつもりだったの」
フライヤの礼に、ふたりはなんでもないというように、眉を上げた。
「アイリーン様のご命令だからいいんだよ。そんなことより、届け終わったら、穴倉に来るだろ?」
赤毛が言った。心理作戦部の者たちは、みずからの部署を穴倉と言ってはばからない。
「アイリーン様がもう、首をなが~くして待ってる」
金髪が、首をゆらしながら言ったので、フライヤは吹きだした。こわいこわいと最初は思っていたが、意外とひょうきんなふたりだった。
そしてアイリーンを心底、敬愛している。
「僕、こっそり見たんだけどさ、」
赤毛が声を低めて言った。
「今日のケーキは、ホールだぜ」
「マ、ジ、かよ!!」
甘いモノ好きの金髪が、よだれを流さんばかりの声を出す。
「フライヤががんばった記念だって――つうか、がんばりすぎだろ、この箱!」
「どこの部署も箱で出してねえよ」
「アイリーン様にこのこと報告したら、ケーキにろうそく、百本は刺すぜ。いや、ケーキが二段になるかもな!」
「ふたりにも、分け前があるかも」
「それ、最高!!」
赤毛と金髪は声をそろえて叫んだ。
久しぶりだったので、おしゃべりは尽きないまま、作戦立案部に着いた。
赤毛と金髪が「お茶室の資料を持ってまいりました」といって受け付けにどかんとダンボールを置くと、
「ああ、ごくろう――」
と言いかけた受付の軍人の顔が固まった。それを見て、ふたりは吹き出しそうな顔をしたが必死でこらえた。
フライヤは、いまさらだが、小さくなった。
まあ、そうだろう。どこも、箱で提出した部署はない。それだけは言える。
「もしかしてお茶室?」
「はい」
「心理作戦部でなくて?」
「ええ」
受け付けの軍人は、ダンボールの一番上に貼られたサインを見て、
「ほんとうだ……お茶室だ……」
と、呆然とメガネを押し上げた。
「見たか!! アイツの顔!!」
「『ほんとうだ……お茶室だ……』――マジうける!!」
赤毛と金髪は、作戦立案部まえの廊下を、大笑いしながら帰路に着いた。
「聞いたかフライヤ、さっきの! ――フライヤ?」
べちゃっと言う音がうしろから聞こえたので、ふたりは思わず振り向いた。
「フライヤ、どこいった?」
赤毛の疑問は、すぐ解決した――床を見たら、フライヤが顔面から、廊下に激突していた。
すなわち――倒れ伏していた。
「フライヤ! よくがんばったね!」
心理作戦部の隊長室の、重い扉が開いたとたん、アイリーンは両腕を広げてフライヤを出迎えたのだが、入ってきたのは、部下の赤毛の方だった。
「あれ? フ、フライヤは?」
いつもの威厳ある重厚な声も忘れて、地声で聞いてしまったアイリーンだったが、あとから入ってきた金髪がフライヤを背負っているのを見て、「どうしたんだ!?」と叫んだ。
「はあ、たぶん、……寝ています」
アイリーンの形相を見て、赤毛がしどろもどろに説明した。
「……作戦立案部にむかう途中で、ここ一週間で、平均三時間くらいしか寝なかったって言ってましたから、……書類を提出したら安心して、オチちゃったんですね」
「ほ、ほんとうに寝ているだけか!? 病気なんじゃ、」
「大丈夫です、それは。ほんとうに寝ているだけです。ただ、ぶっ倒れたんで、顔面から」
「顔面からだと!?」
「ええ、まあ、したたかに打ちましたよ鼻は。べちゃってすごい音しましたし――」
「なんで貴様ら、支えなかったんだ!!」
「ええっ!? も、申し訳ありません!! 気づかなかったんです!!」
まさか、ふたりで馬鹿笑いをしていて気づかなかったとは言えない。
「フライヤの可愛い鼻がつぶれてしまったなら、貴様らの鼻をつぶしてやるところだぞ!!」
「もっ……申し訳ありません!! お許しを!! アイリーンさまっ!!」
土下座の体勢に入った金髪の背からフライヤをかっさらい、アイリーンは優しく――それは優しくソファに寝かせると、自前の鞭をしごきながら、鬼のような顔で、平伏した赤毛の背中を踏みつぶした。
赤毛の声が涙声になり――お許しください、お許し下さいと悲痛の響きを帯びた。
「おい――貴様――覚悟はいいな」
エーリヒですら戦慄する、白目の浮き立つ三白眼で見据えられた獲物は、泣くほかはなかった。背に振り下ろされた鞭の、びしりとしなる音と、赤毛のつんざく悲鳴に、フライヤは目を覚ました。
「う、うわっ! なにやってるのアイリーン!!」
あわててアイリーンの足に飛びついたフライヤの背に鞭を浴びせるところで、アイリーンのほうが泡食って、のけぞりかけた。フライヤもだいぶ大柄なので、飛びつかれると重い。
「フライヤ、君はよけていて。これはお仕置きなんだから!」
「で、でも、泣いてるよ! な、何があったか知らないけど、これだけ泣いてれば、絶対反省してるから許してあげて!!」
「え――ええ? そういうわけには――」
「フ、フライヤあ~、たすけてえ~」
涙声でフライヤに縋りつく金髪と赤毛を、フライヤからむしり取ると、アイリーンは底冷えする声で威圧した。
「フライヤに免じて許してやろう。さっさと出ていけ!!」
「あ、ありがとうございますう~、アイリーン様あああ、フライヤあ~」
退散していくふたりを、フライヤはほっとして見送った。眠気などすっ飛んでいた。
アイリーンが部下にも恐れられているのは知っていたが、部下を叱っているところを見たのははじめてだ。アイリーンの振り下ろした鞭のせいで、赤毛の軍服の布地が破けていた。
一撃で。
フライヤはおそるおそるアイリーンの鞭を見たが、フライヤには見られたくないのか、アイリーンは決まり悪げにさっと隠した。
「フライヤ」
アイリーンは鞭を背に隠しながら、気を取り直して笑顔をつくった。
「おつかれさま。よくがんばったね」
「あ、あり、あり、ありがと……」
フライヤは、照れながら、頭をかきかき、言った。
ふたりはたがいに中途半端な笑顔のまま席に着き、アイリーンは用意していたケーキの箱をあけた。
「うわあ!」
フライヤは、歓声をあげた。
紅茶のシフォンケーキをクリームとベリーでデコレーションしたケーキに、「おつかれさま、フライヤ」の文字が輝いていた。
「ありがとう、アイリーン!」
「お茶室の管理官から聞いたよ。ダンボール二箱分も資料を作ったんだって?」
紅茶をカップに注ぎながら言うアイリーンに、フライヤは「う、うん」とはにかんでうなずいた。
「ちょっと、がんばりすぎたかも――あんまり多すぎても、読んでもらえるかどうか」
あたし、そこまで考えてなかった、というと、アイリーンは笑った。
「いや、君のオタクっぷりは重々承知していたが、すごいよ。きっと、ミラ様も驚かれる」
「ミラ様……?」
「要項を見なかったの。あの書類は、時間はかかるが、ミラ様もすべて目を通される。直接ね」
「ええっ!?」
要項はすべて目を通したはずだったが――あの三枚目の用紙のショックのせいで、すっかり抜け落ちてしまっていたのか。
「ああ――エラドラシスのことか。あれは――ひどい戦だった」
アイリーンの横顔が、削いだように鋭くなった。
フライヤは、言おうか言うまいか迷った。アイリーンはフライヤとちがって心理作戦部の隊長で、戦争にも従事することがある。戦争に行ったこともない、ただのお茶室のヒマ人の見識など一笑に付される――いや、アイリーンはフライヤには優しいから笑いはしないだろうが、気分を悪くしないだろうかと悩んだ。
悩んだのだが、あの資料を作成するとき、フライヤは決めたのだ。
もう、怯えて、口を閉ざすのはやめよう、と。
話す相手は、いつもフライヤの話を親身になって聞いてくれるともだちだ。
フライヤは、勇気を出して、いってみることに決めた。
「アイリーン、あの――あたしの、ただのオタクの、たわごとだと思って聞いて」
フライヤは、三枚目の用紙を見たときの、自分の見解を述べた。あれは、エラドラシスのしわざではなく、ケトゥインのしわざではないかと。
しどろもどろに――アイリーンの顔色を伺いながら。
思いのほか、アイリーンは真剣に聞いてくれた。笑いもしないどころか、だんだん、顔が難しくなっていく。
フライヤの話がすっかり終わると、アイリーンは驚いた顔を隠そうともせず、
「そうかもしれない――いや、そうだ。きっとそうだ。なぜ、だれもそう考えなかったんだ」
としばし絶句した。
「ご、ごめんね? でもこれは、あたしの、ただの想像で、」
「いや、その可能性はある」といきなり立って、部屋中を歩き出した。
「バカな――ケトゥインだと――いや、でも、そう考えればすべてがしっくりくる――あの場所は――だが――アノールは――ではアノールはどう動いた――」
「アノールは動かない、と思う」
フライヤの言葉にアイリーンの足がぴたりと止まる。
「アノールは、原住民部族の中でも、考えかたが柔軟よ。地球人の文明をいちはやく取り入れたのもアノール。だから、アノールは惑星間の部族交流も多いの。L03のアノール族は、あの地区のは特にだけど、L8系にいるアノールとも連絡を取っている――だから、L20の軍隊には友好的。L87では、ラグ・ヴァダの過激派から、何度も助けられたことを知っているからアノールではないと思う。あたしの考えでは、エラドラシスに見せかけた、すべてケトゥインの――」
フライヤはまた、調子に乗って言いすぎたとでもいうように、声の音量を低めていった。
「フライヤ――君は」
アイリーンは、フライヤの見識に舌を巻き、言葉を失った。
だがまたすぐに、なにかぶつぶつ言いながら、あちらこちらと部屋じゅう歩き回って、ようやくソファにもどってきた。
「僕は、君が、頭がいいことは知っている――でも」
意味深なことを言いかけて、アイリーンはまたフライヤに背を向けてぶつぶつと何か言い、頭を抱え――「僕は、よけいなことをいったかも」としょんぼりと、肩を落とした。
「アイリーン?」
やはり気分を害したのだろうか。フライヤが謝りかけると、アイリーンのほうが先制した。
「謝らないで。僕は、気分を害したわけじゃない」
「――ほんと?」
「ああ――ただ、君の才気を見誤ったと、思っただけだ」
フライヤが首をかしげるのを見、アイリーンは嘆息した。
「――君、僕に教えてくれた今のことを、レポートには書いた?」
アイリーンの問いに、フライヤはおずおずとうなずいた。
「は、恥ずかしながら……書きました」
「……」
アイリーンは、今度こそソファに腰を落ち着けると、やっとケーキを切り分けて、フライヤの皿に置いた。
けれどその顔は、ひどく沈んでいるように、フライヤには見えた。
「アイリーン?」
フライヤが恐る恐る顔色を伺うと、アイリーンは「なんでもないんだ……ほんとうに」と、ようやく笑みを見せた。だが、その目は潤んでいるようにも見えた。
アイリーンは気分を害したのではなさそうだったが、急に元気がなくなったので、フライヤは心配した。
「どうしたの――だいじょうぶ? アイリーン」
「うん――だいじょうぶ」
そう言いつつも、彼女はぽろぽろと涙を流し始めてしまったので、フライヤはあわててアイリーンの肩を抱いた。
「ちょ、ほんとに、気分悪いの? だいじょうぶじゃないんじゃない? アイリーン」
(きっと、フライヤはミラ様に連れて行かれることになるだろう)
アイリーンは予測し、自分の予測したことはたいがい外れないということに、怒りすら覚えた。
フライヤの提出書類は、大いにミラの目を引くだろう。
アイリーンは、フライヤを心理作戦部に入れ、そばに置きたいと願っていたことは、微塵も口にしなかった。ミラがフライヤの才能を認めたならば、アイリーンは進言し、フライヤを自分の秘書官としてそばにおくつもりだった。
フライヤは元傭兵だが、エルドリウスの妻でもあるし、ウィルキンソン家の肩書もある。エルドリウスの承諾があれば、それは叶うだろう。アイリーンが、フライヤを戦争に出さないと約束すれば、エルドリウスもきっとうなずく。
彼女の才能を、お茶室などで埋もれさせておくのは惜しい。けれど、戦争には出したくない。自分のそばに置けば、それができる。
フライヤの才能を生かし、尚且つ戦争には出さない、そう、したかった。
だが、フライヤの見識と推察力は、アイリーンの予想をはるかに上回っていた。
もし、さっきアイリーンに告げたような事柄が、提出書類にいくつも書かれているとしたならば、フライヤの行く場所は――。
(僕は、失敗した)
アイリーンは、ミラへの進言を、心から後悔した。
フライヤの未来を広げたい――でも、戦争には行かせたくない。
その望みは、かなわないかもしれない。
(お茶会の終わりだ、アイリーン)
ミラと話をしたあの日に。
――フライヤの未来は、僕の手から、離れたんだな。




