179話 八つ頭の龍 Ⅱ 2
「シャインに乗るの、ひさしぶりだなあ」
「ホントだね」
リリザと、ハンシックに行っていたとき以来だ。
「それはそうだ。一般船客には利用を許可していない。シャインを使えるのは、株主と役員――あと、緊急時だけ」
五階の廊下端に、トイレのように奥に引っ込んでいる空間があって、その奥にエレベーターとおぼしき扉があった。
「どうして?」
「ン?」
この宇宙船内は、一般船客のシャイン使用が許可されていない。こんな便利な機械を、どうしてふつうに使えないんだろう。ルナがぽつんと漏らすと、
「まあ、使わなきゃいてもたってもいられないような、忙しないヤツはね、この宇宙船に乗ったところで、三ヶ月で降りるさ」
いや、一ヶ月も持たないかも、といってララは笑った。
「そうかも」
ルナは納得したように、「そうかもしれない」とうなずいた。
シグルスが、さっきルナたちに渡したゴールドカードをコンピューターに通すと、『認証、ララ、サマ』と音声が流れて、シャイン・システムのキー画面があらわれた。
カードのシリアルナンバーを打ち込むと、開閉式のドアは、左右にすっと開いた。エレベーターとまったく変わらない様式に見えるが、エレベーターではただの壁であるはずの奥も、開閉式のドアになっている。
四人が入って、シグルスがボタンを押してドアを閉めた。
「では、真砂名神社でよろしいですね」
「ああ」
ララの返事とともに、シグルスが、K05-03のボタンを押す。シュウン――と空気が萎むような音がして、入ってきたドアではなく、向かいのドアが開いた。
「到着しました」
めのまえは、真砂名神社のふもとに立ち並ぶ商店街だ。
「ミシェルが消えた!」
目が充血するほどの集中力で、ストーカー専用GPSの画面を睨んでいたクラウドは、K13区の美術館から愛するミシェルが消えた瞬間、恐慌状態に陥った。
だが、ミシェルのために冷静さを欠いた主より、機械の方は、すぐさま正確にミシェルたちの居場所を特定した。
ミシェルを表すチェリーピンクは、K13区からずいぶん離れたK05区――真砂名神社まえで点滅を始めた。ルナのコーラルピンク、ララのゴールド、シグルスのチャコールグレーもいっしょに。
「シャインをつかったのか?」
それ以外に考えられなかった。K13区から、一気に北の端であるK05区へ。
「おいおいおい、シャインは、役員しか使えねえんじゃねえのかよ」
アズラエルが不満げに酒を呷ったが、カザマがやんわりと訂正した。
「役員はもちろんですが、株主の方もつかえます」
「あっ……そう」
「クラウドよォ、おめーのストーカーっぷりは分かったから、そろそろあきらめて、呑めや」
バグムントが酒瓶をかかげてみせるが、クラウドは絨毯の上に座り込んだまま、画面を凝視している。
アズラエルは酒を呑もうとして、また盛大なくしゃみを、ひとつ。
「……なんか今日は、くしゃみばっかだな」
風邪ひいたかな、と鼻をかむアズラエルに、
「おまえに取りつく風邪なんぞ、あるかよ」
バグムントがからかうように言った。すっかりいい気分である。
「アズは、ルナちゃんが心配じゃないわけ?」
「まぁ、心配は心配だが……」
クラウドとアズラエルの心配は、角度が違っていた。クラウドは無論、ララがミシェルに手を出すことを心配しているのだが、アズラエルは、そのテの心配はまったくしていなかった。
ルナには、ララがぞっこんになる芸術的才能もこれといってなければ、ルックスも中身も、ララの好みではない。それだけは確実にいえた。
アズラエルが心配したのは、あのにぶくてマヌケな発言ばかり繰り返すルナが、ララとまともに応対できるか、ということである。マイペース同士――意外に会話が通じたら、それはそれでいいが、ララの機嫌を損ねでもしたら、めんどうなことになる。
ただ、それだけの心配である。
いまのところ、「ララさんが怒っちゃった!」というルナの電話はかかってこない。真砂名神社に移動したというのも、絵をそちらに持っていくのに、同行しただけの話だろう。
アズラエルの懸念は、すっかりゆるんでいた。
アズラエルは、今日を境に、ライバルが、グレンとセルゲイにくわえて、もうひとり出現するのだとは――微塵も、これっぽっちも、一ミリたりとも思ってなどいなかった。
「アズは呑気だね……あとで泣いても知らないからね」
うらめしげなクラウドの台詞は、予言ではない。
アズラエルたちは結局、ラガーにもマタドール・カフェにも行かなかった。クラウドが追跡装置をかかえて、絨毯に座り込んでしまったせいである。バグムントもカザマも、クラウドを見張る手前、クラウドを残してこの部屋を出ていくわけにはいかなかった。
なので結局、自宅飲みになったというわけだ。
「これうまいな。L03の料理か?」
アズラエルが、見たことのないレタスのような野菜と生ハム、レモンのソースで和えられているサラダをつまみながら言う。
「ええ。わたくしの住んでいた村ではよく作っていた伝統料理です」
小さなテーブルには、ひき肉を半透明の皮で包んだものや、なんの卵かしれない卵と野菜を蒸したものなど、アズラエルには目新しい料理が、五、六品もならんでいる。
「うまいぜ。あとでレシピ教えてくれ」
「喜んで。気に入っていただけて嬉しいですわ」
「クラウドも食えよ、ほら」
「……」
返事はない、ふて腐れたライオンのようだ。
カザマが料理の腕を振るってくれて、アズラエルが家にある酒を持ち出してきた。大人約二名は、うまい肴をつまみに酒を呷りっぱなしだったが、ピエトとカザマの娘ミンファ――カザマが呼んだ――は、カザマがつくったシチューを食べた。
エプロンを外しつつソファにかけたカザマは、勧められた酒は固辞したが、かわりにお茶を飲みつつ、リラックスした様子で、「ルナさんに感謝しなければ」と言った。
隣室の、楽しそうな様子を見つめながら。ふたりは、ゼラチンジャーの映画を見ている。
「こんなにゆっくりした時間が持てたのは、久しぶりです」
「ミンファも、ママの料理久しぶりだって喜んでたな」
バグムントが笑うと、「ほんとうにそうなの」とカザマはくだけた口調になって、苦笑した。
「娘に手料理を食べさせたのも、――かれこれ、半年ぶりよ」
派遣役員が多忙だというのは、アズラエルも知っている。カザマはほんとうに嬉しそうだった。彼女の言うとおり、手料理を作ったのも半年ぶりならば、日中、娘と同じ部屋で過ごすことも、そのくらい久しぶりなのだろう。
ルナが仕事時間を奪った、多少強引な休憩時間。ふたりはすくなくとも、困ってはいなかった。
むしろ喜んでいる。こうした時間ができたことを。
「派遣役員って、そんなに忙しいのか」
アズラエルの質問に、バグムントとカザマは顔を見合わせ、
「忙しいといえば、忙しいですわね。でも、ひとによりけりです」
カザマからは当たり障りのない答えが返ってきた。
「傭兵と変わらねえよ――傭兵だって、ピンキリだろうが。手練れなら忙しくなる、才能のないやつは、ヒマなままだ」
バグムントは肩をすくめた。
「そういや、おまえ、ほんとになる気なのか、派遣役員」
バグムントの言葉に、GPSを注視しっぱなしだったクラウドがやっと顔を上げ、カザマも驚いてアズラエルを見やり、本人――アズラエルは、苦虫をかみつぶした顔をした。
「あれは、あのときの話の流れだ。おまえだって、話続けなかったじゃねえか。べつになりてえ訳じゃ――ただ、派遣役員になるにはどうしたらいいかってのは――単に、興味でだな」
「話を続けなかったのは、オルティスが割り込んできたからだよ」
「派遣役員になるには、まず第一の条件として、この宇宙船に、二年以上乗船しなければなりません」
横道にズレそうになったバグムントを押しやり、カザマが丁寧に説明してくれた。
「……地球にたどり着かなくても、なれるの」
いつのまにかクラウドがアズラエルの隣にいたから、アズラエルはびっくりした。
「ええ。たとえばクラウドさんが、今のご旅行で、最終的に地球にたどりつけずに宇宙船を降りられてしまっても、二年以上乗船しておられましたら、派遣役員の試験を受ける学校の、入校資格は得られます」
「おまえらは、去年の八月入船したから、来年の八月以降まで乗ったら、だいじょうぶだ」
バグムントが付け足した。
「学校で一年の研修ののち、派遣役員の研修生となります。その後、初研修として、ベテランの派遣役員について三年の研修がございます。ベテラン役員と一緒に宇宙船に乗りまして、そのとき地球にたどり着けませんでしたら、もう一度、研修を最初からやり直しです」
「――つまり、研修生になってからにしろ、今にしろ、地球に到達するのが条件になっているのはたしかなんだね?」
「ええ、そうです」
「“自分が地球に着けないのに、どうやって船客を地球に着かせるんだ?”」
バグムントが笑いながら言う。
「オレの初研修のときの、ベテラン役員が言った言葉だ――オレも言われたときは腹が立ってヤツを殴りたくなったが、まさにそのとおりだと思ったよ」
おおげさな身振りで酒を呷った。
「地球に着けないやつは、どこまでも着けない。理由は分からんが、そういうやつもいる」
「……。ええ、そういう方もおられます」
「おまえは、着けなかったのか」
アズラエルは、バグムントに、これを聞くのははじめてだということに気付いた。どうやって彼が役員になったのかを。
「オレは、初めて乗ったときは着けなくて、研修生になってから着いた」
バグムントは簡潔に説明を終えた。
「オレの話をくわしく聞きたきゃ、せめて地球には着くんだな。なかなかねえぞ。傭兵や軍人の初乗りで、地球まで着くヤツってのは」
アズラエルも、それはそうかもしれないと思った。よほど、あの生活から抜け出したいと願っていたヤツなら別だろうが――。
退屈を持て余す生活を、傭兵や軍人が、耐え切れるわけがない。これが任務だと言われたら乗っていられるかもしれないが、任務ではないのだ。
アズラエルもクラウドも、ルナとミシェルという理由がなければ、とっくに降りていることは明白だった。
「軍人や傭兵で、地球に着いたひとは、だれかいる?」
クラウドは、パンフレットには、軍人と傭兵の感想はひとつもなかったと言った。
「いるよ」
バグムントはうなずいた。クラウドが身を乗り出す。
「オレが知ってる限りでは、退役軍人で足悪くしたじいさん、あと、のたれ死に寸前を助けられた傭兵だったか」
バグムントは、それがオルティスだとは言わなかった。クラウドが、いかにもがっかりという様子で肩をすくめ、ソファにもたれた。
「……つまり、まともに健康で、はたらき盛りの軍人や傭兵が、地球に着いたためしは、ないと」
クラウドが嘆息する。
ユキトとエリックのことは、今は話題に出さなかった。
エリックの著書には、「我らは、地球にたどり着く道程のうちに、革命への決意をかためた。しかし、私もユキトも、ほんとうは逃げたかった。地球に着いても、もうL18にはもどらず、革命のことも忘れて暮らしたいと願っていたのも事実である」と書かれていた。
つまり、彼らは大きく迷っていたのだ。L18にはもどりたくない、けれど、革命への想いも捨てきることもできなかった。その迷いが、彼らの身動きをとめ、地球までつかせたのかもしれないとクラウドは思っていた。
「そりゃあ、千年も前までさかのぼれば、もしかしたらあるかもな。だが、オレが知ってる限りでは、少ないよ。ものすごくな」
クラウドとアズラエルが腕を組んで沈黙してしまったのを見て、カザマがバグムントをたしなめた。
「バグムント、敷居を高くするのは、いいことじゃないわ」
「高くなんかしてねえよ。事実をいったまでだ」
バグムントは、ふたりが地球に着けるとは、思っていないようだった。
当然だ。かたや老舗の傭兵グループ、メフラー商社の稼ぎ頭で、片方は心理作戦部の副隊長。ほんとうなら、こんなところで油を売っているはずのないふたりである。
L18は政変があるかないかの噂があり、激動の時期をむかえている。
このふたりがたとえ、どんな強固な意志を持って地球にたどりつきたいと望んでいても、激動のL18がふたりを放っておかないだろう。メフラー商社にであれ、心理作戦部にであれ、呼びもどされるのは間違いない。
まして、L系惑星群でメルーヴァの所在がはっきりしたら、アズラエルは逮捕を見届けるために、その場に赴くと言っている。
そうなれば、アズラエルが地球に着く可能性は、万に一つもないだろう。今メルーヴァが見つかったとしても、宇宙船を降りてL系惑星群までいき、ふたたび宇宙船にもどるのにかかる期間は、早くて六ヶ月。
地球行き宇宙船を三ヶ月離れたら、乗船資格はなくなる。それは、いかなる特殊な状況下でも同じだ。
どんなに地球に行きたいと望んでも、不意の事態で降りねばならぬ船客を、バグムントも少なからず見てきたのである。
「まあ、心配すんじゃねえよ」
バグムントは、二人を励ますように言った。
「ルナちゃんもミシェルちゃんもな、おまえらが宇宙船を降りるときは、ちゃあんと着いてきてくれるって。あの子らは、けっこう骨があるぜ? 傭兵の奥方にもなれるし、心理作戦部の奥方にだって、」
「バグムント!」
カザマが憤然として叫んだ。
「もってのほかよ! 船客を地球までたどり着かせるのが仕事の役員が、もうあきらめていてどうするの!」
「オレは、常識の話をしてんだよ!」
バグムントも、負けずに怒鳴り返した。
「バーガスとレオナはな、オレも行けそうな気がする。あいつらはガキができたし、バーガスはのんびりしたヤツだからよ、船内の暮らしも楽しくやってるよ。だけどな、こいつらは別だ。ほんとなら、いまごろ宇宙船に乗ってるようなご身分じゃねえんだよ!」
「それはあなたが決めることじゃないでしょう!? すべてはマ・アース・ジャ・ハーナの神のご意志よ!?」
「あ~やだやだ。これだからL03の奴らは。なにかあればすーぐマサナのカミ! カミサマがなんだってんだよ! カミサマがほんとにいるなら、こいつらを地球に着かせてみろってんだ!」
「……言ったわね、バグムント」
背後に火炎でも背負っていそうなカザマの仁王立ちに、怯んだのはバグムントではなくクラウドとアズラエルだった。
「ルナさんが、“月を眺める子ウサギ”であるかぎり、彼女とその周辺の方はかならず地球にたどり着きます! そうなっているの! 見ていなさいバグムント! アズラエルさんとクラウドさんが地球に着いたとき、吠え面かかないようにね! ワンちゃん!」
「ワンちゃ……」
バグムントが絶句し、ぶほっとアズラエルが吹いた。クラウドも吹き出しそうになったが、ここから見える隣室のソファで、ピエトとミンファがこちらを指さして笑っているのを見て、我慢するのはやめて笑うことにした。
「……てめえら、笑いすぎなんだよ」
ふて腐れたワンちゃんがそこにいた。
カザマが肩をいからせながらキッチンに氷を取りに行き、バグムントがボトルをグラスに傾けたが、一滴も落ちてこないことに舌打ちし、アズラエルに「床下だ」と言われて、カザマの後を追った。
「いやあ――意外と」
「ああ。合うんじゃねえか、あのふたり」
クラウドもアズラエルも、仲人の趣味はなかったが、すこし、おせっかいをしたくなるふたりだった。
カザマとバグムントのかけ合いは、親しい者どうしのそれだ。だれにでも敬語をくずさないカザマが、バグムントとはけっこう遠慮のないやりとりをする。それもユーモア満載の。
カザマの娘であるミンファとも、バグムントは仲がよさそうだし、おそらく、プライベートでもつきあいがあるのではないだろうか。
「……ミヒャエルって、独身だっけ」
「バツいちだとは聞いてたな」
「バグムントも独身だし」
「あのワンちゃんは、素直になれねえタイプか」
「そうかも――バーガスと一緒で、若い子の機嫌は取るけど、あのタイプって、自分がほんとにリラックスできる相手には、素直になれないところがあるよね」
ふたりでぼそぼそ話していると、急に天井から、ガタ、ガタン! と大きなものを動かす音が聞こえた。
「なんだ?」
思わずアズラエルは天井を見上げた。
アズラエルたちが居住しているマンションの二階は、だれも入っていないはずだった。
「なんでしょう。お引越しかしら」
カザマが氷と、キッチンに残っていたサラダの残りをもってもどってきた。アズラエル秘蔵の酒を物色したバグムントも。
インターフォンが鳴る。ちこたんが出ると、「どうも、引っ越し業者です」と若い青年が、帽子を取って頭を下げた。
「二階にだれか?」
ちこたんを追いかけてきたクラウドが聞くと、青年はうなずき、
「はい。午後六時ころまで、荷物の移動などで多少うるさくなりますが、ご容赦ください」
「やっぱり、引越しだって」
クラウドがソファにもどってくるなり、言った。
「二階の、二部屋とも埋まるみたい」
このマンションは、一階に二部屋――アズラエルたちと、クラウドたちだけである。二階も三階も、二部屋ずつ――だれも、入っていなかった。
「ヘンなヤツじゃなきゃいいな」
近所づきあいってのは、変なのが来るといろいろめんどうだ、とアズラエルは言った。
「K27区ですからね。おそらく、お向かいのレイチェルさんたちのような若い方でしょうね」
「引っ越す本人は来てなかったのか」
「俺が見たのは、業者だけだよ」
クラウドは、興味なさそうに言い、ふたたびGPSに視線をもどした。




