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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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178話 八つ頭の龍 Ⅰ 2


 タクシーは、わざわざ呼ばなくても、リズンの近くまで行けば常駐している。ルナとミシェルは小走りで向かい、リズンでテイクアウトの飲み物を買って、pi=poのタクシーに乗った。


「昨日夢を見たの!」

 ルナは座席シートに落ち着いたとたん、ぷんすかと叫んだ。

「八つ頭の龍さんが泣いてたの。ルーシー、絵をちょうだいって! それでわかったの、クラウドったら、絵を渡さなかったんだよ!」


「ルーシー?」

 ミシェルが不思議そうな顔で聞きかえした。

「ルナ、じゃなくて?」


「うん、そう。ルーシー」

 ルナは、いってから、「ルーシー?」と自分で自分に聞きかえした。


「あれ? あれれ?」

「ルーシーって、だれ?」


 ミシェルとルナは顔を見合わせ、「だれだろ……」と疑問符を浮かべあった。


「……うんとさ、ミシェル」

「うん?」

「自分の前世ってさ、夢で見たあと――忘れちゃうことって、多くない?」


 ミシェルは首を傾げ、「多いかも」とうなずいた。


「とびとびとか、部分だけ覚えてたり、なんかの拍子にふっと思い出すことはあっても、ふだんは忘れてるよね」

「あたしもそんなかんじ。――ルーシーってさ、どっかで聞いたの。たぶん、あたしのことだ。だけど、どの前世の夢だったか――分かんない」

「ルナの日記帳か、クラウドが書いたやつ見ればわかるのかな」

「持ってくればよかったね」


 ウサギとネコの会話は、そのあとすぐに、エレナの話題に移った。今ごろ、どの辺りにいるのかなとか、時間があったら、エレナと行ったピザのおいしいレストランに寄ろうとか。シーフードピザのエビがやたら大きかった話とか。

 ふたりの会話からは、すっかり目的が失踪していた。

 




 ちょうどルナたちがリズンを出発したころ、開店まえのリズンのカウンター席で、アンジェリカが真っ赤な目をさせて、分厚い本をパタン、と閉じたところだった。


「――長い」

 アンジェリカは、げんなりした声でぼやいた。

「長すぎる」


 アントニオは、アツアツ淹れたてのコーヒーを、アンジェリカの横に置いた。


「そんなに根を詰めなくてもいいんじゃない?」

「そういうわけにいかないよ」


 アンジェリカはゆらりと体を起こすと、「あち」と言いながらコーヒーを舐めた。


「ルナのことにしろ、メルーヴァのことにしろ、マ・アース・ジャ・ハーナの神話をぜんぶ知らないことには、この先、なんの真実も浮かんでこないよ」

「君がぜんぶを読む必要はないでしょ」

「そうかもしれないし、そうじゃないかも。でも、ルナが“導きの子ウサギ”と出会った。きっとこれから、猛スピードで事が進むよ。ルナはきっと、真実に導かれる速度が速くなる」


 アンジェリカはカウンターに突っ伏して、呆けたようにつぶやいた。


「昨夜、ララがあたしに電話してきたよ。ミシェルの正体を、ララは悟った。いよいよ、ルナとミシェルが、ララに出会うんだ」

「よかったじゃない」


 ララは、あのふたりに会うことを熱望していたんだから。

 アントニオは言った。


「よかったはよかったけど、展開が早すぎる。ルナがララと会うのは、もっと先のことだとあたしは思っていたんだ。導きの子ウサギがそばにいるってだけで、ルナに会うべき人間が、つぎつぎルナのところに引き寄せられてくる――あたしがそれに、追いついていけるかどうか」


 アントニオは苦笑するばかりだ。


「気負いすぎだよ、アンジェ」

「でも、さすがのあたしも参ったわ――“地球”のマ・アース・ジャ・ハーナの神話って、なんでこんな長いの」


 本気で読もうとすれば、ハードカバーの巨大な全五十巻。

 一冊一冊も、A3の大きなサイズに、五センチはある分厚さ。

 目がしぱしぱしてくるぐらいの、文字の細かさ。


 アンジェリカは本嫌いではなかったが、本嫌いではなくても、期限の差し迫った焦る心で、しかも多忙な身となれば、この本の分厚さと長編さをめのまえにしただけで意気消沈するのは致し方ないことだ。


 アンジェリカは、ここ一ヶ月ばかり、マ・アース・ジャ・ハーナの神話を熟読することに、全神経を注いでいた。


 ルナの前世も、マ・アース・ジャ・ハーナの神話にまつわるものが多い。アンジェリカも、クラウドがまとめた、ルナの前世の資料をすっかり読んでいた。けれど、いままであきらかになったルナの前世の中に、メルーヴァと関わるものが、なにひとつとしてない。


 こんなにも大げさじみてルナを殺す役割を担った者が、ルナの前世に関わっていないのはおかしい。アンジェリカはそう思い始めていた。


 マ・アース・ジャ・ハーナの神話に、メルーヴァとルナのかかわりが、隠されてはいないだろうか。


 アンジェリカは、徹底的にマ・アース・ジャ・ハーナの神話を洗い出すことに決めた。


 さいわい、マ・アース・ジャ・ハーナの神話には、幼いころから慣れ親しんでいる。だが、中央区役所の書庫に、マ・アース・ジャ・ハーナの神話「正伝」と記された本が全五十巻あることに息をのみ、その本の大きさと分厚さに圧倒された。


 おまけに、アンジェリカが読み始めた第一巻は、アンジェリカが読んだことのない話ばかりで、最初は面食らった。


 神話のことを調べるうちに、L系惑星群で読まれているそれは、“地球”につたわるマ・アース・ジャ・ハーナの神話だということがわかった。

 しかも、長い長い物語の、後半部分のみ。

 つまり、アンジェリカが昔読んだ神話は、地球時代から伝わったものであり、その後半一部分でしかないことが分かったわけである。


「おかしいよ」

 アンジェリカはつぶやいた。

「あたしが昔読んだのは、“ラグ・ヴァダ”のマ・アース・ジャ・ハーナの神話のはずだよ」


「アンジェが読んだのは、“地球”の神話の方だよ」


 アントニオは挽いたコーヒー豆を袋に詰め詰め、言った。


「L03じゃ、“ラグ・ヴァダ”の神話だって言われているけれど、アンジェが読んだのは間違いなく、地球の神話の方だ」

「なんでそう言いきれるの」

「ラグ・ヴァダにつたわるマ・アース・ジャ・ハーナの神話は、もう口伝でしか残っていないから」


 アントニオは、苦笑した。


「地球人がL系惑星群を支配したあとは、そっちの神話しか残っていない。“ラグ・ヴァダ”の神話も、“アストロス”の神話も、大部分が地球のと同じだけれど、“はじまりの神話”が、ぜんぜんちがうよ」


 アンジェリカは、だらけていた身体を、がばっと起こした。


「今なんつった!? アストロス!?」

「マ・アース・ジャ・ハーナの神話は、三つあるんだよ」


 アントニオは指を三本、立てて見せた。


「ほんとうは、地球の神話と、L系惑星群と、惑星アストロスの神話が交じりあって構成されたのが、マ・アース・ジャ・ハーナの神話なんだ」


「なんだって」

 アンジェリカは青ざめた。

「地球のだって、全五十巻なんて馬鹿げた数字なのに、あと二種類もあるの!?」


「はじまりの物語」と名のついたものだけでも、十話はあるのだ。

 これじゃ、一生かかっても読めやしないよ! とアンジェリカは頭を抱えた。

 アンジェリカはヒマではない。仕事の合間に、明け方三時くらいに起きて神話を読む生活が始まり、一ヶ月かかって、やっと第一巻を読み終えたのだ。


「だからあきらめなって。今のアンジェは、大樹の根っこのあたりをうろついてるネズミみたいだよ。どこかにチーズが落ちてないかってね。ZOOの支配者は、大樹そのものを見なきゃいけないでしょ」

「……だって。ルナが前世の夢を見るのを待ってるだけなんて、歯がゆくって……」


 アントニオは、仕込みの手を休めて、笑んだ。


「ほんとに根っこのネズミだ。だから気が付かないんだよ。いいことを教えてあげる」

「いいことって?」

「地球と、L系惑星群と、アストロスのマ・アース・ジャ・ハーナの神話をすべて知っている人間は、この世界にたった五人だけ」

「そのひとりって、アントニオ?」


 アントニオは首を振った。


「俺も全部は読んだことない。――幸運なことに、そのひとりが、俺たちの身近にいる」

「もったいぶらないで教えて!」


 アンジェリカが、席から立って、出ていく気配を見せた。いますぐにでも、その人物に会いに行くつもりなのだろう。


「ミーちゃんだよ」


 アントニオがもう一度顔を上げたときには、アンジェリカはいなかった。


「ミヒャエル・D・カザマ――カーダマーヴァ一族の末裔(まつえい)――って……」


 最後まで聞いてくれたらいいのに、というアントニオのボヤキは、だれもいない店内に掻き消えた。





 ルナたちが中央区に着いたのは、昼前だ。

 ルナとミシェルはタクシーを飛び降り、まっすぐ中央区役所に入った。


「どうする、ルナ。絵を保管所から出してもらう?」

「待って。まずララさんに電話してからにしよう」


 ルナはひろいロビーで、ドキドキしながら、先ほど打ち込んでおいた電話番号を呼びだした。


『――もしもし』


 ワンコールで繋がった。涼やかな男の声が、電話向こうから聞こえた。ルナは思わず、

「こんにちは!」

 とすこし大きい声を出してしまった。


「ラ、ララさんのけいたいでんわでしょうか」


 相手は不審な声で『そうですが』と言った。


「あたしは、ルナ・D・バーントシェントといいます。船大工の兄弟の絵のことで、おはなしが――」


『ルーシー!?』


 最初に出た声ではなく、もっと低くてハスキーにも聞こえる声が、ルナの耳を絶叫でつんざいた。


 また、ルーシーと呼ばれた――ルナは驚いたが、「る、るなです……」と訂正するのを忘れなかった。


『お、驚いた……今の声……ほんとにルーシーかと思った……』


 電話口で、呆然自失、といったぼやき。ルナも続く言葉をなくした。


『……』


 電話向こうからは何の声も聞こえない。沈黙がつづいた。ルナは焦って、


「あ、あの、船大工の絵のことで……」

『ああ、うん、ちょっと待っておくれ』


 ふたりめの声の持ち主が、早口で言った。ルナはだまった。相手は、電話口にいないのではなくて、電話の向こうでだれかと話しているのだ。

 やがて、『悪いね』とさっきの絶叫とはかけ離れた冷静な声が、ルナの耳にとどいた。


『船大工の兄弟の絵の件だね? 聞いているよ。あなたが正当な所有者だってね――クラウドじゃなく――ルナさん』

「あ、はい」


 ルナは、この声がララだと分かった。


『悪いねほんとうに。あたしゃ、今会議中でね――大事な会議だから、すぐには抜けられない。ほんとうはいますぐここを立ちたいんだ。ほんとうだよ。それでね、申し訳ないついでにお願いがある。船大工の絵を持って、K13区のルーシー&ビアード美術館まで来てもらえないか。あたしはいま、そこにいるんだよ』

「え?」

『あなたのサインが必要だろうから、銀行の保管所には行ってもらって。絵を運ぶ手配は、こっちでシグルスが――秘書が、電話ですませるから、むずかしいことはなにもないよ。あなたはタクシーにでも乗って、美術館に来ておくれ。会議が終わってからあたしが出向くより、来てもらった方が早い。――どうか、頼むよ』

「あ、わ、分かりました」


 ルナが承諾すると、電話は切れた。


「どうだった?」


 ミシェルがすかさず聞いてきたので、ルナは「美術館に来いって」と、ララに言われたことをそのまま、ミシェルにつたえた。ミシェルは美術館と聞いて、顔を輝かせる。


「ルーシー&ビアード美術館、あそこ、地球時代からの絵画が多くてサイコーなの。宇宙船の中でいちばん大きい美術館だよ!」

「ほんと!?」


 ルナは、自分では描かないが、絵を見るのは好きだった。ほんとうは、アズラエルの一ヶ月旅行計画には、この美術館も入っていたのだ。結局、行けなかったのだが。


「ピカソとか、ルノワールとか、ゴッホ、モネ、クリムトーーとかね……三ヶ月くらいで入れ替わってるかも。あたし、このあいだも行ったよ」

「え? いつ?」

「ほら、ルナたちが一ヶ月の旅行にでかけたとき。あたしとクラウドはさ、あそこ寄ってから真砂名神社に行ったの。あたしが行ったときはフェルメールとモネだった」


 すっごい素敵だった! と興奮気味に話すミシェルに、ルナもウキウキしてきた。


「よし、行こう!」

「行こう!」



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