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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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178話 八つ頭の龍 Ⅰ 1


 ルナは、夢を見ていた。

 今夜のルナは、まだ遊園地の中に入ってはいない。遊園地の入り口にいた。錆びついた鉄製の扉が、閉じたまま行く手を(はば)んでいる。

 動かしてみたが、扉はあかない。


(あれ)


 鉄製の扉のプレートに、「ルーシー・L・ウィルキンソン 寄贈」と書いてあるのがはっきりと見えた。


 ここは――あの、K19区の遊園地なのだろうか。


 ルナが奥を見ようと顔を上げると、急に明るくなった。暗闇で、巨大な金塊がきらめいているようだ。

 ルナが金塊かと思ったのは、龍だった。とてつもなく大きくて、八つも頭がある龍。

 八つの頭のぜんぶが、キラキラと涙をこぼし、泣いていた。


「ルーシー、わたしに、船大工の絵をちょうだい」


 ルナが何か言うまえに、視界は白金色にそまり、――ルナは目覚めていた。

 隣には酒くさいアズラエル。ルナのほっぺたはぷっくりしていた。

 今朝のうさこたんは、起き抜けから、怒りのうさこたんだった。





「……しみるぜ……」


 ルナ手製の味噌汁を啜ったアズラエルが親父くさいためいきを吐き、ミシェルも「……キクわ~……」としみじみ、おっさん染みた唸り声をもらした。


「二日酔いにはコーヒーだと思ってたけどな、俺はもう、ルナの味噌汁なしじゃ生きていけねえ」


 アズラエルの言葉だと思ってはいけない。そういったのはミシェルである。


「俺の台詞を横取りすんな」


 二日酔いの強面顔MAXで凄んだが、ミシェルにルナの味噌汁ほどキクわけはないのである。


「しみるぜ!」

 ピエトもとりあえず口にしてみた。味噌汁はうまいものだと分かったが、そういうともっとおいしく感じる気がする。


「たしかに――ルナちゃんの味噌汁は、二日酔いには最高だ。しみるし――おいしいよ、ね……」


 クラウドが遠慮がちにルナの顔をのぞき見、ほめるが、クラウドがほめても、ミシェルとアズラエルがベタ誉めしても――ルナの機嫌は一向に直らないのだった。


(……アズラエル、あんた何したの。酒くさい口でキス迫ったんじゃないでしょうね!)

(してねえよ。起きたときから不機嫌なんだ。訳わからねえ……)

(アズが蹴飛ばしたとか、布団持ってっちゃったとか……)

(それをすんのは、いつもアイツの方だ)


 大人三人は、顔を突き合わせて、心当たりを探ってみたが、さっぱりわからなかった。


「ルナあ、なに怒ってんの」


 空気を読まない子どもというのは、こういう場合いいのかよくないのか。アズラエルがあわててピエトの頭を小突いたが、遅かった。ルナはくるりと振り向き、

「ピエトには怒ってません」

 とにっこり笑った。

 

 その笑顔はピエトにだけ向けられたもので、たいそうな作り笑いだった。もう一度鍋のほうを向いたルナは、ほっぺたぷっくりうさこたんにもどっていた。ルナが自分の味噌汁とごはん茶碗を持って食卓に着いたので、大人たちは、もうこそこそ話はできない。


「じゃあ、だれに怒ってんの」

「きっと、分かるはずなのです。心当たりがあるはずなのです」


 ルナの口調がおかしい。これはだいぶ怒っている。アズラエルは小さくなった。ルナを一度、大激怒させたことのある身としては、怒りのうさこたんがどれだけ聞く耳を持たないかは十二分に承知している。 

 怒りのうさこたんは、二本の長い耳がお飾りになるというわけだ。


(まずいな……マジで心当たりがねえ)


 戦々恐々としていたのはアズラエルひとりで、ミシェルもクラウドも、原因はアズラエルだと思っていた。


 怒りのうさこたんは怒りのうさこたんのまま黙々と食事を済ませ、洗い物はちこたんに預けて、むっすりとソファに座り込んでいた。アズラエルが何度か声をかけたが、うさこはほっぺたをふくらませたまま、ひとこともしゃべりはしなかった。


(やっぱり俺か)


 アズラエルは、昨夜からの出来事をこれでもかと反芻(はんすう)したが、まったく心当たりがない。


 昨夜は、エレナとルートヴィヒのお別れ会で盛り上がり、ルナとピエト以外はみな、したたかに酔って帰宅した。ルナはピエトを連れて、レイチェルとともに、午後九時ころには帰宅した。


 ルナは、エレナとルートヴィヒが船を降りたことに落ち込んではいたが、不機嫌ではなかった。


 ルナが不機嫌なのは今朝からだ。アズラエルの帰宅が遅かったからだろうか。だが、いままでどんなに遅く帰ろうが、ルナは寝付いていたし、次の日に怒っていることはなかった。


「ルゥ、なにか言いたいことがあるなら――」


 テーブルを拭き終わったアズラエルが、言いかけたときだった。


「おすわりください」


 ほっぺたぷっくりうさこたんは、クラウドの前にいた。腰に手を当て、クラウドを睨んでいた。


「――え? 俺?」


 クラウドは自身を指さし、アズラエルとミシェルのほうを向いたが、そうだったらしい。自分じゃないと分かった途端、ふたりは、薄情なまでにそっと目を反らした。


「おすわりください!」


 ルナの怒りが尋常(じんじょう)でない気がしたので、クラウドは素直に床に座った。正座で。


「――あの、」

「ララさんに、ちゃんと絵は渡しましたか」


 ルナの怒りの原因が発覚した。

 なんだか、小さなはずのルナが、今日は大きく見える。


 クラウドは目を反らしつつ――「い、いや、まだ……」と焦った声で言い訳をした。「でもルナちゃん、これにはわけが……」


 アズラエルは、それはダメだと思った。ルナは言い訳を嫌う。あとからなら聞いてくれるが、今の段階で言い訳するのは、ルナの怒りの火に油を注ぐようなものだ。

 案の定、うさこは激怒した。


「いいわけはいらないです!!」

「はい」


 クラウドは、思わず、幼いころしかしなかったような返事をした。


「いいわけなんかいらないんだ! クラウド、すぐにララさんの連絡先を教えてください!」

「えっ……」

「クラウドに任せていたら、いつまでもララさんに絵が届きません! だからあたしが直接渡すの!!」


「ま、待ってくれルナちゃん!」

 クラウドは真剣な顔で、ルナをなだめにかかった。

「俺は、別に意地悪でララに絵を渡さなかったわけじゃない。理由があるんだ、聞いてくれ」


 ルナが、モギャーとばかりに暴れ出した。

 びったん! びったん! びったん! ウサギがものすごい勢いで飛び跳ねた。


「クラウドは頭が良すぎるからよけいなことをするの! まさなのかみさまの邪魔をしたらダメ!!」


 クラウドは予想外の返答に、詰まった。


「まさなのかみさまは優しいからばちを当てないけど、あたしがばちを当てます! クラウドにペナルティーです!!」


 アンジェラにペナルティーを望んだ身としては、クラウドは落ち着かなかった。ルナはまるで、ララと自分の会話を聞いていたようではないか――まさか本当に、あのウサ耳アンテナで?


「みんなが焼肉のときに、ひとりだけオムライスです!!」

「え!? いいなあ!」


 ピエトが思わず叫び、ルナがじろっとピエトを睨んだので、ピエトはあわてて両手で口を塞いだ。

 地味に効く。それは地味にこたえるよルナちゃん。


「だけど、俺はオムライスのペナルティーを食らっても、この件だけは譲るわけにはいかないんだ。ミシェルのためだし」

「あたしの?」

「クラウドのしたことは、ララさんを意固地にするだけなの! いいから、素直に渡すのです!!」


 自分のためだと言われたミシェルは、睨みあうクラウドとルナを交互に見渡し、

「クラウド、連絡先教えて」

 とあっさり、クラウドに手を出した。クラウドはそれを聞いて絶望的な顔をする。


「ミシェル、俺の話を聞いてた!? 俺は、君のために……」

「そう。あたしのために連絡先カモン」


 ミシェルは指先をちょいちょいと揺らした。


「頼む! 俺に説明をさせてくれ。説明の時間を……!」

「今すぐ教えなかったら、二週間エッチなしだからね!!」


 業を煮やしたミシェルの一喝に、クラウドは、呆気なく項垂(うなだ)れた。しおしおと小さくなっていくなめくじのようだ。

 クラウドにとってオムライスのペナルティーよりきついのは、恋人の拒絶である。

 超絶美形のなめくじは仕方なく、折れた背のまま、携帯電話をミシェルに差し出した。ミシェルはその中からララの電話番号を探し、メモに書きとめる。


「さて。次の支度です」

 ルナは胸を張って言った。

「ミシェル、いっしょに中央役所に行くのです。そいでね、アズとクラウドは着いて来ちゃダメ!!」


「俺は!?」


 ピエトがソファから叫んだが、ルナは困った顔をして、

「今日はダメなの。大事な用事だから。ごめんね」

 というと、ピエトはしぶしぶ、ソファにうずくまった。


「ちょっと待てルゥ、それはダメだ。おまえとミシェルふたりきりで、ララに会うのは危険だ」


 アズラエルという頼もしい味方ができたからなのか、クラウドは急に威勢を取りもどして女の子二人に言い(つの)った。


「ララはね、ミシェルやルナちゃんが思ってるほど、安全な人間じゃないんだ」

「ミシェル、お願いします」

「ん」


 最早ルナは、男どもの話は聞かなかった。ミシェルがクラウドとアズラエルのまえに仁王立ちする。そのあいだにルナは、携帯電話に番号を打ち込んだ。


「おい、ルナ!!」

「今は、ララさんに電話をしません。べつのところです」


 ルナは部屋を移動したので、会話の内容は、アズラエルたちに聞こえない。ミシェルが邪魔をするので、先にも行けない。ネコは毛を逆立ててライオン二頭を威嚇(いかく)していた。ライオンたちは、子ネコ程度、動かすのは簡単だが、邪魔をしたが最後、どんなペナルティーを食らうかわからない。迂闊(うかつ)な真似はできなかった。


 ルナが電話を終えて二十分後――男たちは電話の相手が分かった。

 インターフォン越しにヘラヘラ笑っているのはバグムントで、流麗な声で「お邪魔いたします」と言ったのはカザマだった。


「ルゥ、どういうことだ」


 ルナは頬をぷっくりふくらませたまま、カザマとバグムントにお茶をだし、「カザマさん、バグムントさん、お忙しいところすみませんでした」と一度はほっぺたをしぼませて挨拶した。


「さっき電話したとおり、このふたりの見張りをお願いします」

「見張りだと!?」

「見張り!?」


 ボケウサギがここまで頭が回るとは、ライオン二頭は想定外だった。


「そうです! 見張りなのです! ほっとけばアズたち、ついてきちゃうでしょっ」


 ルナの言葉に、アズラエルもクラウドも「いいえ」とは言えなかった。当然だ。


「いいかルゥ、ララはな、お前らの手に負えるような人間じゃ……」


 アズラエルが言いかけたとたんに、ポン、と後ろから肩を叩かれた。女の甘い香水の匂いがするので、バグムントではない。ギギギと音がしそうな鈍い動作で振り返ったら、やはりカザマだった。


「ララさまが、ルナさんの手に負える方かどうかは別としましても」


 どうしてカザマの笑顔は、こんなにも威圧感があるのだろう――アズラエルは、すっかり言葉を失っていた。


「担当船客さまのご要望ですので、アズラエルさんとクラウドさんのお身柄は、わたくしがお預かりさせていただきます」


「まああれだ。マタド-ル・カフェかラガーあたりで、一杯ひっかけてようぜ」

 バグムントが軽い調子で、酒を(あお)るしぐさをした。


「ピエトもちゃんと、アズとクラウドを見張っていてね! お土産買ってくるから!」


 出かける支度をしながらのルナの台詞に、ピエトは元気よく「まかせろ!」と叫んだ。


「では、お昼はリズンかマタドール・カフェでいただきますから。ピエト君のことも、ご心配なさらずに」

「カザマさん、忙しいのにすみません」

「いいんです。ルナさんは、ルナさんのご用事を済ませてきてください」

「じゃあいってきます。カザマさん、バグムントさん、どうか男どもをよろしくお願いします」


 ルナは丁寧に頭を下げ、ミシェルとともに出て行った。バグムントが「みやげなんかいいから、気を付けて行って来いよ~」と呑気な笑顔でふたりを見送る。バグムントは、見張りという名目で、昼から酒が飲める時間ができたことを喜んでいるのだ。

 アズラエルもクラウドも、カザマの威圧感のある笑みのまえに、逆らう気を微塵(みじん)もなくしていた。


「なあ、クラウド」

 ピエトがこっそりと、クラウドに耳打ちした。

「さっきのペナルティー、俺が代わってやってもいいぜ?」


 クラウドは、今世紀最大のためいきを、深々と吐くしかなかった。



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