177話 布被りのペガサス Ⅶ
――さて、ここは、L20地下四階。
普段から物々しい心理作戦部は、本日、一種奇妙な緊張感につつまれていた。
尋問部から響くくるおしい呻き声が今日はやんでいたし、廊下で立ち話をしている隊員もまったくといっていいほど見当たらない。
なにより今日は、フライヤの訪問が、なかった。
今日は大事な用事があるからと、心理作戦部の隊長、アイリーンが、フライヤのいつもの訪問をなしにしたのだ。たいていの用事より、フライヤとのお茶の時間をたいせつにするアイリーンが、涙を呑んでフライヤよりも優先した相手――。
ほかならぬ、L20の首相、ミラである。
地下四階のエレベーターのドアが開き、物々しい警護の列が、先頭きって進みだした。エレベーターには、ミラを含む十人が――耐用人員十人ちょうどが乗っていた。ミラの後ろと前をしっかりと固め、いかめしい軍隊は薄暗い廊下をものいわず進み、隊長室のまえで止まった。
「おまえたちはここで」
いっせいの敬礼とともに、九人の軍人が、廊下横一列にならぶ。心理作戦部の隊員が、うやうやしく重い扉を開けた。
中ではアイリーンが直立不動の体勢で敬礼をしていた。
「ご苦労」
ミラは心理作戦部の隊員と、アイリーン両方に声をかけ、ゆうゆうと部屋を進み、アイリーンの席である、豪奢な椅子にゆるりと座った。それが合図で、隊員はドアを閉めた。
室内には、アイリーンとミラの、ふたりだけになる。
「いつも、このような場所にご足労いただき、申し訳ありません」
アイリーンの軽い会釈に、ミラが「かまわん」と椅子のうえで足を組んだ。
ミラは心理作戦部隊長、アイリーンをずいぶん買っている。用事があれば、アイリーンがミラの執務室を訪れるのが慣例だが、ミラ自身が密に謀らねばならない用向きのために、みずから心理作戦部を訪れることがあった。それはミラの執務室ではできない、内々の話であったり、表ざたにはしかねる内容のことが多かった。
「座れ」
ミラの指図で、アイリーンも用意しておいた椅子に座った。
「わたしも、おまえに用事があったんだよ――エーリヒのほうはどうだった」
「それが――あれから、まるで行方が知れません。一説では、地球行き宇宙船に乗ったとか、」
「地球行き宇宙船?」
あくまで噂ですが、とアイリーンは前置きした。
「B班副隊長のベン・J・モーリスのゆくえも、おなじく知れません。休暇というのも、文字通り休暇ではないでしょうが、……ユージィンに消された、と考えるよりかは、目的があって姿を消していると考えた方がいいでしょう。B班も落ち着いたもんです。エーリヒとベンが消されたなら、ひと騒動確実にあります。あの落ち着きようは、ぶっそうなネタではない」
「ネタの出どころは」
「ヤマトのアイゼン」
「ああ、ヤマトの傭兵か」
ミラもアイリーンも、アイゼンがヤマトのボスだということは知らない。アイゼンが、ヤマト所属の傭兵であることは知っているが。
「申し訳ありません。情報料として、多額の金を動かしました」
アイリーンがふたたび頭を下げると、ミラは首を振った。
「いいよ――おまえには、自由にやってもらいたい。あのエーリヒに、辺境の惑星群の資料を提出させただけでも、本来なら二階級は昇進だ」
「ありがとうございます」
「昇進させて、おまえを私の手元に置きたいもんだが、そうなれば、心理作戦部の隊長が居なくなってしまう――おまえという存在を、心理作戦部からなくしてしまうのもまた、人材の損失だ」
「もったいないお言葉です」
「――で。おまえの用事とはなんだ。先に済ませよう」
「実は――ですね」
アイリーンは、ためらいがちに口にした。
エーリヒが、辺境の惑星群のデータだといって、膨大な紙媒体とディスクの資料を、秘密裏にL20の心理作戦部へ送ってきたのは、二十日前のことだ。
L18の軍隊の機能がほぼ停止といっていい状況になり、L20とL19の軍隊の負担が増えた。L18の肩代わりに、L20が辺境の惑星群を担当することになったが、いままでL44ナンバーから後半、またL8系の一部を主に担当していたL20には、辺境の惑星群のデータがあまりに少なかった。
それゆえ、L20は、いままで辺境の惑星群を主に担当してきたL18にデータの移譲を申し出ていたのだが、L18はなかなか承諾しなかった。
特に心理作戦部のデータは、L20がのどから手が出るほど欲しいものだった。
交渉にアイリーンが当たっていて、何度となく辺境の惑星群での戦争の危急を説き、データ受け渡しの要求をしていたのだが、心理作戦部は、これはL18で集め、構築してきた貴重なデータだからと、頑として譲ろうとしなかった。
なのに。
あれほどのらりくらりとアイリーンをかわし、逃げていたエーリヒが、突如として情報の受け渡しを許諾した――というか一方的に送りつけてきた。
アイリーンは届いた資料をすぐさまミラに提出し、自身はL18へ飛んだ。
いままで、何度催促しても渡さなかった資料を渡す気になった理由はなんなのか。
L18で何か異変があったのか――。
アイリーンが数名の部下とともにL18の心理作戦部へ着くと、いつもアイリーンが来たと言えば、椅子から三メートルは飛び上がって、机のかげに隠れるエーリヒが、ふつうに隊長室に座していた。
「資料は届いたかね」
エーリヒはアイリーンが苦手だが、アイリーンもエーリヒが嫌いだった。生理的にあわない相手というのは、あるものだ。
「届いた。――急に、どういうことだ。貴様はいままで、あれほど言っても紙切れの一枚すら渡しはしなかったのに」
「わざわざ足を運ばせて悪いんだけどね。いまここで、その話はできない」
アイリーンには、いつもビクつくエーリヒが、飄々とそんなことをのたまうのもアイリーンの気にくわなかったが、今キレては、肝心な話が聞けなくなる可能性もある。
「今は無理だと?」
「そう。――君に送ったものは本気の本気で極秘裏だ。手紙に書いておいたように、マジもんで、ヒミツに、お願いする。――これがバレたら、私の首も飛ぶからね」
「……!?」
アイリーンは息をのんだ。
――つまり。
L20に辺境の惑星群の資料を送ったのは、エーリヒの独断だ。L18の軍部に許可を得て送ったわけではない――そして。
同じ心理作戦部の、ユージィンも知らない。
アイリーンは思わず、目線を隣の壁に向けた。あのむこうに、ユージィンがいる。今この隊長室には、エーリヒとベンしかいない。
「相手がかしこいと、曖昧な言い方でもすぐ伝わるから助かる」
「……どういうつもりだ、貴様」
アイリーンの顔が凶悪になっていくのを見て、エーリヒがすこし肩を震わせたが、
「私はね、休暇を取ったんだ」
まったく、関係のないことを言った。アイリーンの青筋が音を立てて弾けるまえに、エーリヒはあわてて言葉を繋ぐ。
「つまり、ここを離れたあとに、君に連絡をする。まあ、今回の、まあ、いろいろと……あれ……説明をね、」
「それまで待てということか」
「う、うん。そう。そのとおり……」
言って、エーリヒは無表情ではあったが、アイリーンをすくい上げるように見た。アイリーンは冷酷に目を細めると、自前の鞭で、バシーン! とエーリヒの机を叩いた。
「分かった、待とう」
表情筋が鋼鉄ばりに動かないものでなかったら、エーリヒは今ごろ泣き出していたにちがいない。それだけエーリヒは、アイリーンが怖かった。
「――そこまでは聞いた。そのあと、進展があったんだな?」
ミラの問いに対するアイリーンのこたえはイエスだ。
「昨日、エーリヒから連絡が」
やはり、情報提供に対する条件でした、とアイリーンは言った。
「……金か?」
ミラは言って、まさかな、と苦笑した。
「いいえ。金ではありませんが、多少厄介です」
「なんだ?」
「情報を渡すひきかえに、エーリヒの危急の折に、L20の心理作戦部を動かしてほしい、と」
「なんだって?」
ミラはさすがに、苦い顔をした。
「個人の危機に、心理作戦部をうごかせというのか? ――その危急とはなんだ」
「分かりません」
アイリーンも同様、苦い顔を隠しもしなかった。
「くわしくは。だが、危急に陥る不確定要素が、あるということでしょう。時期はおそらく、来年末あたりだと――」
「来年末?」
ミラはますます分からん、といったふうに首を振った。
「来年末に、なにかがおきるっていうのかい」
「……」
L20の心理作戦部もまた、L18同様、諜報部と同義であった。こちらは別部署に分かれている。アイリーンの肩書は心理作戦部隊長となっているが、諜報部、尋問部ともに管理下に置いている。そのアイリーンに直接そんな依頼があったということは、水面下でなにか大きなことが起こるかもしれないということだった。
「いかがいたしましょうか」
アイリーンの表情に焦りはなかった。そうだ。もう資料は手のうちにある。取り引きならば、情報を渡すまえに、先のエーリヒの言葉があってしかるべきだが、エーリヒは取り引き材料をすでにこちらに渡してしまった。
ミラやアイリーンがうなずくのを当然だと思っているほど、あの男は単純ではない。だが、取り引きにしては、あきらかにエーリヒに分が悪い。
ミラとアイリーンは見つめ合い、互いの考えが間違っていないことを確信した。
ミラのほうが先に、口を開いた。
「……来年末に、L18に何かが起こると、そういうことだな? いや、」
ミラは顔をしかめた。
「軍事惑星群そのものに、なにかが起こる、と?」
「僕も、そう見ました。おそらくは、L20が動かざるを得ない、なにごとかが起こる、と」
エーリヒは、情報を「提供」したのではない。「避難」させたのだ。
いままでL18の心理作戦部が構築してきたデータが、滅びないように。それは、裏を返せば、「来年末」、L18に端を発して、何かが起こるということだ。
データが滅ぶような――L18の心理作戦部も無事ではすまない――なにかが起こると。
そしてその際に、自分の身柄を助けろと、暗に言っているのだ。
「――政変か」
一番考えられることはそれだった。L18で政変が起これば、L20も沈黙してはおられまい。かならず巻き込まれる。エーリヒは油断のならない男だが、恩を売っておいて悪い相手ではない。
「あの男は、L19のロナウド家に泣きつくと思っていたがな」
エーリヒのゲルハルト家が、ロナウド家と姻戚筋なのは、周知のことだ。
だが、L19に心理作戦部はない。隠しているわけではなく、ほんとうにない。
木は森の中に隠すべし――心理作戦部の資料は、心理作戦部に。
エーリヒが、独断で資料をL20に、しかも心理作戦部に送ったわけが、ミラにもアイリーンにも、やっとわかった。――あくまでも推測にすぎなかったが。
L20にとっても、資料が必要なのはたしかだ。
「分かった。とりあえず、イエスの返事を送れ」
「かしこまりました」
「L18の動向から目を離すな――この一年は特に、一瞬たりともな。どんな小さなことでもいい。異変は、すぐに私のところへ報告しな」
「承知しました」
エーリヒからは、所在が落ち着いたら、もう一度連絡があるとアイリーンは言った。
「して、ミラ様のご用事は――」
「ん? ――ああ、おまえの知恵を借りたいと思ってな」
「知恵、ですか」
エーリヒの意図を探っていたミラは、急に現実に引きもどされたようにアイリーンのほうを向いた。
「L18から寄越された資料も役に立つと言えばたつが、やはり、辺境の惑星群をよく知る人材がほしい」
「……人材、ですか」
「まるで足らんよ、人材がな。いままでのL4系とL8系にくわえて、辺境の惑星群丸ごとだ。兵隊はかきあつめてなんとかなるが、それを動かす指揮官のほうがまるで足りない。皆、辺境の惑星群には疎いし――知らないがゆえに、恐怖というものがある」
「……」
ミラは嘆息した。
「辺境の惑星群は、あの世界は、まるでちがう世界だ。L18の資料を見て、ますますその確信がつよくなった。おまえも分かっているだろう。L03に軍を割かねばならんのは分かっているが、皆行きたがらない。辺境の惑星群は、恐れの対象だ」
「ええ」
「――今、L03の革命家、メルーヴァの所在をL25の特殊警備隊が追っているのは、おまえも知ってるだろう」
「――はい」
「いざ見つかったら、メルーヴァの掃討は、――L20が請け負わなければならないかもしれん」
「……」
それは、アイリーンもすでに承知していたことだった。L18が機能しない今、L20の心理作戦部も極秘に、メルーヴァのゆくえを追う調査に手を貸している。
そして、なぜだか知らないが、メルーヴァのゆくえを追うのに、地球行き宇宙船の財団までもが動いているというのだ。
地球行き宇宙船を、メルーヴァが襲うとでもいうのだろうか。
もしそんなことにでもなったら、確実にメルーヴァと戦うのはL20だ。
今回の地球行き宇宙船を護衛しているのは、L20の軍機だからだ。
辺境の惑星群にうとい今の状態で、メルーヴァの掃討戦ができるのか。
その危惧は、アイリーンも感じていた。
「学者も言語の研究家も、L03のもと王宮護衛兵も軍に招いているが――なんというか、だな。うまくいえないけどね――わが軍の将校で――L03に強いものがほしい。――L20の軍隊の有様をしっていて、辺境の惑星群につよく、L20の個性を生かす策略を立てられる人材がだ」
ぜいたくな望みなんだろうね、とミラはもうひとつ嘆息した。
「いない! 本来なら、根気よく育てていくのが筋だろうが――そんな時間もない。事態は急を要している」
ミラの心痛を見てとって、アイリーンは、ミラの言葉が終わった時点で、おもむろに口を開いた。
「――これは、ただのアイデアです」
「ん?」
ためいきばかりだったミラが、聞く姿勢を見せた。これだからアイリーンはいい。ミラの悩みに寄り添って、どうしようかと一緒に悩むのではなく、どんな小さな形であれ、提案を必ずひとつは口にする。
「ミラ様のご心痛を和らげる程度にもなりませんが――、L20の陸、海、空軍の全部署に、辺境の惑星群についてのレポートを提出させたらいかがでしょう」
「レポート?」
「はい。テーマを決めていただいても、決めなくてもかまいません。まあたとえば――今L20が辺境惑星を担当するにあたって、忌憚なく意見を述べよ、でもかまいませんし。とにかく全部署から、レポートを提出させるんです。――もちろん、庶務部からも」
「庶務部? ――ああ、“お茶室”か」
ミラは、なんでお茶室まで、という表情だったが、アイリーンは続けた。
「意外な人物が、意外な発想を書いてよこすかもしれません。その中から人材が発掘されるかも――まあ、これはあくまでも提案、ですが」
「……」
ミラは思案するように腕を組み、しばらく沈黙したが。
「その案、覚えておこう」
「光栄です」
ミラの頬に、わずかに血色が蘇った。
「――そうだねえ。全部署ともなれば、意外な視点が見つかるかもしれないね」
「ええ、意外な人材も」
アイリーンも、口角を上げた。
「たとえば――L03オタク、とかね」




