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キヴォトス  作者: ととこなつ
第五部 ~導きの子ウサギ篇~
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175話 羽ばたきたい孔雀と偉大なる青いネコ Ⅱ 3


「まったく、幸運ときたら、あたしのそばまでしたり顔で寄ってきて、いつもそっとすり抜けていくのさ!」


 ララはリムジンの中でイライラと足を踏み鳴らしていた。秘書がタバコに火を点け、ララの口元へ持っていく。


「船大工の絵が見つかったっていうのに――手に入らない! めのまえにあるのに! ある場所が分かっているのに!!」

「ララ様、落ち着いてください」


 スーツを着て髪を後ろになでつけている姿は、別人のようでもあったが、たしかに先日、アンジェラの監視をしていた男だった。ララの秘書である。


 ララは勢いよく鼻と口から煙を吐きだし、「クラウドの女がなんだっていうのさ!」と怒鳴った。


「過保護もいいとこ過保護さ! アンジーがああいう女だって分かっていて、近づけるほうが悪いんだろう。あたしは何度も忠告したはずだ」


 忌々しげにもう一度歯ぎしりをした。


「アンジーもあたしもヒマじゃないよ! クラウドの女なんて知るもんかい! どうしていちいち、嫌がらせなんかするかい! 今までだって、クラウドの女には、嫌がらせなんかしたこと……」


 そこまで怒鳴ってララは、「――クラウドの、女」と、我に返ったようにつぶやいた。


「ねえ、シグルス」

「はい」

「……もしあたしが、クラウドをパートナー同伴で、パーティーかなんかに招待したとしたら、ま、たいていは――彼女を連れてくるもんさね?」

「まあ、そうでしょうね」


 シグルス――秘書は同意した。

 ララは、アンジェリカとの会話を思い出していた。石油王ムスタファを通じて、クラウドとアズラエルをパーティーに呼ぶのだと――。


『ララ! ムスタファに頼めるのはあんただけだ! ムスタファの屋敷で、あのシャンデリアがある大広間で、盛大なパーティーを開くんだ』

『なんだって?』

『ララ、あんたじゃなく、ムスタファに招待状を出してもらって。あんたからじゃ、クラウドもアズラエルも用心しちゃって、来ないかもしれない。だからムスタファに出してもらうの。パートナー必須って条件でね』

『クラウド?』

『ララ、あんたがクラウドに声をかけたのは、彼があんたの運命の相手の近くにいるからさ。でなければ、あんたはクラウドには声をかけなかったはずだ。無意識に、気づいていたから、彼と親しくなろうとしたのさ――無意識下の、八つ頭の龍がね』

『ええ?』

『あたしは、運命の相手の名も、月を眺める子ウサギの名も教えないよ。それが真砂名の神のご意志だ。ララ、あんたが、先入観なしに直接彼女らと会って、気づかなきゃいけない』

『つまりは――クラウドとアズラエルが連れてくるパートナーが、そのどっちかだってことだね?』


「……なんてことだ、あたしのバカ」


 もうとっくに、自分で確認していたことではないか。

 ララはあのときの会話を反芻(はんすう)しながら、気づかなかった自分を恥じた。


「シグルス!」

「はい、なんでしょう」

「ガラス工芸の経験者は、できれば作品を提出しろといったけど、提出したヤツはいるかい!?」

「ミシェルさんという方は提出されています」

「あんた、仕事が早いね」

「私も、嫌な予感がしていたんですよ」


 シグルスは、ミシェルの申込用紙を保管していた。ブリーフケースから、紙の束を取り出す。それは、参加者が、自分の作品を写真におさめたものを貼りつけた提出用書類のスクラップだ。


 ララはひったくるようにそれを奪い、パラパラとめくった。すぐにミシェルの作品は見つかった。


 ララは、ひと目で分かった。


 ミシェルが提出した作品は、何の変哲(へんてつ)もない、ガラスのコップの写真だった。何の変哲もない、とはいったが、持つ人の指にしっくりくるように工夫された、優美な曲線をえがいたグラス。わずかな気泡が底の方に残っている、美しいグラスだった。


 ほかの者たちとあきらかに一線を(かく)しているということは――ララにしか、分からなかったにちがいない。


 ミシェルと並んで綴じてあるふたりの応募者は、色彩も鮮やかな、前衛的ガラスの造形。波を表現したであろう、人の身長ほどもある作品。もう片方は、ミシェルと似たり寄ったりのグラスではあったが、ふたりとも、大きな自意識が見て取れた。


 アンジェラの目に留まりたいばかりに、自身の最高傑作ともいえるべき作品を貼りつけたのだろう。


 ララには分かっていた。この二人の最高傑作は、決してこの作品ではない。


 だが、ふたりとも、実に才能ある若者だ。ララは愛おしい目で二人の作品を見遣ったが、ミシェルの作品を見る目からは、いまにも涙が落ちそうだった。


(……ミシェルは、いったいだれのためにこのグラスを作ったのか)


 だれかに気に入られようという()びも、自負も、いっさい見当たらない。ただ純粋なまでに、だれかを思って作られたガラスの容器。


(美しい)


 ララは、このグラスが欲しかった。

 書類を握るララの手に、力が籠もった。


「――この子、だ」


 ララの審美眼は、見落とさなかった。

 何の気負いもない、素直なくらい澄んだ造形。真砂名神社の絵とおなじだ。


「この子だ、この子に間違いない」


 百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりであり、真砂名神社の、マ・アース・ジャ・ハーナの神話の絵を描いた、名もなき娘の生まれ変わりでもある、少女。


 ミシェル・B・パーカー。


 ララは、写真上の名前を、噛みしめるように読んだ。


「……クラウドも知っていたんだね」


 ミシェルが、百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりということを。


 アンジェリカと繋ぎがあるというなら、知っているのもうなずける。


 だからクラウドは、あれほどまでに心配したのか。アンジェラの行動を? 船大工の絵を盾にしてまで。


 いつか、ララがミシェルを探し出してしまうことを、クラウドは知っていた。もしララがミシェルを見出し、彼女に近づけば、必ずアンジェラの嫉妬を受けるだろう。ララに近づくことは、アンジェラに近づくことでもある。アンジェラの嫉妬は免れない。それにはララがミシェルと関わらなければいいのだが、そうはいかない。


「まったく……回りくどいことをしてくれるよ、ほんとに」


 ララは嘆息し、屋敷への帰路を急ぐよう、運転手に命じた。



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